第52話「荒廃の中、また会う日まで」
浅緑でうっすらパーマのかかったショートヘアに、トキのように座った黄土色の瞳。
だがいつもの金縁の丸メガネも服も着ておらず、首から下は鳥のようなサラサラした羽毛が生え揃って、更には両手が巨大な翼になっている。
しかし、もはや懐かしいほど見慣れた顔と聞き慣れた声を前に、オレは大粒の涙が溢れて止まらなかった。
「……ごめん……オレ……涙が……」
「構わない、ここは時間の流れが外部より緩やかだ。ゆっくり話そう」
涙を拭い、もう一度彼を見た。
姿こそ少し違えど、冷たい顔の瞳の奥に宿る優しさはいつもの彼そのもので、あんなことがあった直後だというのに少しだけ安心する。
「ここは私の精神の内部だ。私が別の場所へ行く前に、少し話がしたいと思って君の精神を招き入れた」
「別の……場所……?」
「冥府さ」
冥府、簡単な言葉で表すならば、この世界の死者がオレたちの世界へ転生するまでをすごす、言わば魂の待機場。
こちらを真っ直ぐ見るトトの顔に張り付くのは、自身の死を目の前にしてもいつもと変わらぬ冷たい無表情。
いや、むしろ穏やかまであった。
「たいそう迷惑をかけてしまったようだな。図書館内ならば全てが安全と思い込んでしまった私の落ち度だ、すまなかった」
「そんなの……」
「幸い毒入りの茶を飲んだのは私だけのようだが、ベルやガイアが私の傍にいたことで何かしらの影響を受けているかもしれない。帰ったら気にかけてやってくれ。私はこのザマだからな」
「だから……」
「不覚だな。長寿を生きる神ともあろう者がたった一杯の茶で生を終えるとは、あの世の知り合い達にどんな顔をすれば良いか。本当に申し訳ない」
「やめろよ!!」
突然の怒声に驚くトト。
「そんなこと言うなよ……トトは何もしてない、悪くない……だから……頼むから……もう謝んないでよ……」
詰まる喉を精一杯に広げそう訴えるオレに、トトはガラにもなく口を開いたままポカンとした顔で静止した。
再び瞳に涙を溜めるオレを数秒見つめると、静かにフッと笑い、「賢吾」と名を読ぶ。
答えるように顔を上げてみると、そこには今までにないほど優しく笑うトトがいた。
「実を言うと、言いたいことがありすぎてまだ整理しきれていないんだ。先ほどまで私の意識は本能に操られ狂乱と化していた。故に、物事を考えることも判断することも叶わなかった」
そう話すトトの表情は、能面のように眉一つ動かさないいつもからは想像できないほど、自然な笑顔であった。
精神世界に入ったことで、彼の内心に秘める感情がより敏感に感じられるようになったのだろうか。
「なんだ、まだ泣いているのか?涙腺を操作する魔術をかけてやったというのに、それだけ人の感情というものは強い力を持つということか。いや、人に限った話ではないな。……大昔にも同じようなことを友人に教わったはずなのだが……やはり神といえど長い年月を生きると記憶は薄れていくものか」
「友人…?」
「ああ。メルクリウスだよ」
トトのかつての親友であり、後にシャンバラの二次災害で命を落としたミフターフの初代国王。
呪いの影響で今のミフターフでは愚王として語り継がれているが、実際は実によくできた賢王であったとトトから聞いた。
「メルクリウス……いや、ヘルメスと出会った頃の私は人への理解が胡乱であった上に、人情というものをまるで信じていなかった。表向きで善行をしても内心はどこまでも利己的で、一番大切なのは自分自身と。聞こえは悪いが、寿命のある生物であればそれは生きていく上で必要な性分だ。だからこそ、理性のある人間は皆 本性を持っているものだと思っていた」
「……」
「けれど、彼と出会い旅をしてからその認識は変わった」
「……」
「人は情を持っているが故に、時に理屈に合わないことをする。彼らにとって命よりも大切なものは存在し、それらを守るためなら自身の身を投げ出すことすらも厭わない。そう、君のようにな」
トトの目は優しかった。
オレの過去を知り、説教をくれた時よりもずっと。
もしかすると、あの時も本当はこんな顔をしたかったのかもしれない。
「君の場合は守る意志よりも自己犠牲の観念が強すぎたがな。だがまあ、理解してくれたようで良かったよ。ガイアも君に無理をして欲しくて不死身を与えたわけではないだろうからな」
「……っ」
俯いたまま拳を握りしめて唇を噛み締めるオレに、トトは落ち着いた声で「どうした?」と訊いてみせる。
「ずっと……どんな悪いことも、全部オレが被ればみんな幸せになると思ってた……何か大きなことを解決するには、少なくとも犠牲になる物が必要だから……だから……オレがって……思ってた……思ってたけど……」
「けど?」
「……けど……トトの言った通りだ……誘拐された時……みんなあんなにボロボロになってまでオレを助けにきてくれた……オレは……みんなの優しさをずっと無碍にしてきた……みんながオレを必要としてくれている事実から、目を背けてた……」
また泣きそうな声で話すオレを、トトはフッと微笑んで慰めた。
「自分で気がつくことができたんだな。偉いじゃないか」
「違うよ、全部トトのおかげだ……」
「知識や経験を経て人間性を育む、それをヒトは成長と呼ぶんだ」
「でも……オレ結局何もできなかったよ……」
「何を言っている、君はよくやってくれたさ。君が手をかけてくれなければ、私はあのままアルビダイア中で暴れ回り、更に甚大な被害を出していたことだろう。負傷者だけで済んだのは君達の迅速な判断のお蔭だ」
「お前が死んじゃ意味ないだろ!!」
また、怒鳴ってしまった。
「みんなオレを必要としてくれてるけど、ミフターフの人たちが必要としているのはトトだ!……シェファが言ってたんだ、沢山感謝したけどまだまだ役に立ちたいって……恩返しし足りないって!サイファルも、君の首に刃を突き立てることができなかった、できるはずなかった!アサドも、シャジェイアさんも、ウルファやアサーラ姫だって、みんなまだトトを必要としてる!なのに、それなのに……」
再び溢れ出した大粒の涙が、崩れた膝に落ちて淡く光る地面に滴り、消える。
「……救えなかった……!!」
自分に力が無かったために、また友人を1人失ってしまった。
自分自身の無力と情けなさに怒りが湧くと同時に、悔しさで肺が締め付けられ、どんなに我慢してもとめどなく涙が溢れてくる。
永訣を前にしても気丈に振舞ってくれる相手に泣いて怒鳴るとは、なんて情けないヤツ。
笑わなきゃいけない、けど、オレには無理だ。
膝を突き嗚咽するオレを、トトは悲しげな顔で見下げる。
そして一度首を横に振ってからまた口元で微笑むと、優しく顔を覗き込むように跪き、大きな翼をオレの右肩に乗せ言った。
「賢吾。何故、私が君と友達になりたいと言ったかわかるかい」
初めて会ったあの日、一通り漫画について語り尽くした図書館からの帰り際、突然声をかけてきたトト。
友達になって欲しい、敬語も使わなくていい、そう言って左手を差し出す彼は今でもうっすらと覚えている。
「あの時私は君との語り合いが楽しかったからと言っただろうが、本当はそれだけじゃない」
「え……?」
俯いていた顔を上げ、彼の顔を見た。
「あの時……私は君にヘルメスの姿を重ねていた」
トトはいつのまにかいつもの丸メガネをかけ、赤いコートをまとった人間の姿に戻って、微笑んでいた。
だが眉は若干ひそめられ、懐かしさと哀愁を帯びた表情をしている。
驚き目を見開くと下まぶたに溜まっていた涙が落ちて、その顔が更に鮮明に見えた。
「無垢でありながら世の不条理を知っていて、それでも純真のままに人助けをし、そのためには自分自身を危険に晒すことも厭わない」
「やめてくれ……そんなんじゃ……」
「生前の彼もそうだった。痩せ細り自分の身が悲鳴を上げようとも、自分は厚着と化粧で誤魔化し、飢える人々に食べ物をわけ与え続けた」
「オレはそんなできた人じゃない!」
「いいや。君は君自身が思っているよりもずっといい人だ」
そう言った瞬間、彼の体が不自然に発光し出した。
「!!」
「おや、もう時間切れか。君と話していると時の流れがやけに早くて困るな」
トトは立ち上がり、指先から光の粒子となって消えていく右手を眺めると、こちらを見て優しく微笑んだ。
我慢ならず立ち上がり、情けない声で「トト!!」と叫ぶオレに、彼はそっと左手を差し出す。
「最後に君と話せて良かった」
「……!」
「本当にありがとう」
粒子となった彼の体はシャボン玉のようにフワフワと舞い上がり、淡く光る白い空間を高く登っていく。
左手を掴み別れの言葉を言おうとしても、涙と嗚咽でまともな音が発せない。
そんなオレをトトは静かに微笑み、見守り続けた。
なんとか涙を拭って嗚咽を飲み込むと、オレは何かを振り払うように首を横に振り、顔を上げる。
そして
「また、会おうな!」
やっと、笑うことができた。
元気ハツラツとは言い難い、しかし最後の最後に精一杯前向きな言葉で返すオレに、トトはまた、優しく微笑む。
「ああ」
そのまま彼の体は全て光となり、完全に消えていった。
「……ご………んご……けんご……!賢吾!!」
必死に俺の名を呼ぶ声に意識が呼び覚まされる。
眩しい陽光に目を細めながらまぶたを開くと、頬と鼻先を真っ赤に染めたガイアが覆い被さっていた。
「……ガイ……ア……?」
「賢吾!!」
目元に当てられた布から滲み出た安堵の涙が、俺の頬にポトリと落ちる。
寝たままの俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくるガイア。
周りには安心したような顔で微笑むジュリアーノ、経津主、ベルの3人が座っている。
先刻まで広場にいたはずだが、やけに肌触りの良い地面。
手をやりサラサラした毛のようなものを一つ掴んで見てみると、それは美しい浅緑色の羽根であった。
起き上がり辺りを見回してみると、広場の地面は一面、周囲の家屋の屋根までもが浅緑色に染められており、荒廃した広場がまるで青々とした草原のように変わっていた。
俺が寝ていたすぐ横には、火事の家に集まった野次馬のような人だかりができており、そこにいる人々は皆声を殺して啜り泣いている。
身を寄せるガイアを抱いたまま立ち上がり、人混みを掻き分け中心の光景を目の当たりにした。
「トト……」
浅緑の羽毛の上で横たわるトトの姿が、そこにはあった。
顔は青ざめ、首には赤い斬傷があるが、それ以外は人相も表情も生前と何ら変わらない。
ただ本当に、静かに眠っているようだ。
すぐ側ではシェファが顔に両手をやって泣き、サイファル達は悲しそうな表情で立ち尽くしている。
俺はそばに跪きトトの顔を覗くと、胸に手をやって静かに黙祷をした。
「もうし、道をお開けになって。どうか私をあの方の元まで通らせてくださいまし!」
啜り泣く民衆の中でもよく通るその声には覚えがある。
人混みを掻き分けて現れたのは、アサーラだった。
「トト様……!!ああ、そんな……!」
眠るトトの姿を視認した途端、膝を突き泣き崩れるアサーラ。
後から来たシャジェイアも、眉を顰めて胸に手をやり目を瞑る。
晴々とした空と活気に満ち溢れるはずの建国祭の最中、アルビダイア一の盛り上がりを見せていた城下の大広場では、それらとは正反対の重々しく悲しい雰囲気が漂っている。
華麗に空を飛び回る鳥の声も、優しく吹き付けるそよ風さえも、何も感じられない。
目の前の愛する神の死を受け入れる、皆、今はそれだけで精一杯だった。
あれから2週間が経った。
大規模な国葬の後、図書館の隣に大きな墓碑を建設するとのことで、トトの遺体は彼の家とも言える図書館内にひとまず安置された。
国家を挙げての一大行事ということで俺達の乗る予定だった客船は延期になってしまったけれど、トトの葬式に参列するつもりだったので、逆に運が良かったと言えよう。
彼の予言通り砂嵐はあの日の翌日完全に過ぎ去り、国交が回復したことでミフターフは世界各地から大工を集め、アルビダイアの復興を急いでいる。
トトにかけられた呪いの効果は彼の死後も続き、彼に関する記憶は俺達の中から薄れつつあった。
だが、王室はそれの対策として外国から早急に大量の魔昌石を空間転移で輸入し、名のある魔術師を集めて強力な呪詛無効の結界をミフターフの街全てに張った。
莫大な財力と近年の技術力により成せる力技の応急処置であるが、直接呪いにかかったわけではない民衆には絶大な効果を発揮し、おかげで結界が張られて以降記憶が薄れることはほとんどなくなった。
とはいっても、俺達はもうすぐこの国を離れなければいけないので、何かできないかと考えた結果、俺は船が出るまでの数日間彼に関する記憶を、備忘録として手帳の中に書き連ねることにした。
時間の無い中で夜鍋して書いたので文章の繋がりはメチャクチャだが、それでも何も無いよりはずっと良い。
鎧銭までの船旅はずっとこれを眺めていよう。
「もう、行かれるのですね」
船着場で受付を済ませた後、シャジェイアと数名の兵士を連れ見送りに来たアサーラが名残惜しそうにそう言った。
「トト様やあなた様方の功績は王室が永遠に語り継いで参ります。そしてメルクリウス様の汚名も、私が必ずや晴らして見せます」
「ええ、俺もそう願っています」
アサーラは俺の言葉に寂しそうに眉を落とし、「ええ」と言って微笑んだ。
「鎧銭は独特な文化を持っていると聞くが、君たちならばきっとうまくやっていけるだろう」
「ダイジョーブ!たっくさん旅をしてきたボクたちですから!」
「……あ、そういえばシャジェイアさん、教団の人達はあの後どうなったんですか」
「ああ……」
俺を誘拐したギベオン教団の奴らは1人を残して皆確保され、落ち着いた頃に裁判へかけられたと聞くが、その後のことは全く知らない。
「皆有罪判決を受け、今は地下牢に幽閉されている。ただ1人を除いてな」
「それって……」
「十二公のタウラスだ。彼女は幹部ということで色々聞き出そうとしたのだが、何故だか教団に関することを何も覚えていなくてな。自身が所属していた事実すらも知らない様子だった」
「えっ、そんなことがあるんですか?」
「完全な密室に監禁していたはずだが、何者かによって記憶を削除された可能性が高い。魔具で潜在意識の隅々まで調べてみたが、めぼしい情報は何一つとして見つからなかった」
ギベオン教団は未だ未知数な箇所の多い団体。
遠隔に他人の記憶を操作する何らかの術を持ち合わせている可能性は、大いにあると言って良いだろう。
どこまでも姑息な奴らだ。
「……ただ、関係があるかはわからないが、少し妙なことを言っていたな」
「妙なこと……?」
『もしアタシがその教団とやらに所属していたとして、その記憶を今も保持していたとしても、あの人が死んだ以上アタシがその組織に従う理由なんて無いよ』
「あの人って……」
「おそらくはスコーピオのことだと思われる。留置された際、彼女はスコーピオの遺体に最も近い位置から動かなかった上、遺体の埋葬を強く懇願していた」
確かに妙だ。
俺達にあんなに酷いことをしでかしたんだ、血も涙もない冷酷な奴らだと思っていたのに……やっぱり身内にはそれなりの情が湧くものなのだろうか。
もしくは特別親しい関係だったとか。
考えられることはたくさんあるけど、答え合わせをする機会は来なそうだ。
「たとえ犯罪者といえど、死者を冒涜するようなことは決してありませんわ。キチンと遺体を清めた後、集合墓地に埋葬いたします」
「優しいんだね」
「当然、人としての礼儀ですことよ」
そんなふうに雑談をしていた頃、ふと遠くの方から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
ターバンをなびかせ、腕を振り上げ元気に走ってくるその姿は、遠くにぼやけていようともすぐにわかる。
「サイファル!来てくれたのか!」
サイファルはそのままそばまで駆け寄ると、さっきまで走っていたのがウソのようにケロッとして俺の肩を両手でガシッと掴む。
「元気でな、ケンゴ!僕はいつだって君たちのことを忘れない、だから君も僕たちを決して忘れないでくれ!」
「え、えっと……」
やけに近い顔面の圧に押されてたじろぐ俺を見て、クスクスと笑うアサーラと苦笑するシャジェイア。
するとまた別の声が彼の来た方と同じ方角から聞こえてきた。
「もう!いきなり走んないでよ!こっちは荷物たくさん持ってるてのに!」
「良いじゃないか、それだけ名残惜しかったってことだろ」
アサドとウルファ、それに船旅の食糧を買いに行ったジュリアーノ達が合流した。
どうやら荷物持ちを手伝ってくれたようで、疲れた顔でウルファは褐色の頬を膨らませる。
荷物を船に一通り積むと、少しの間雑談をした。
他愛もない会話であったが、皆楽しそうに、また別れを惜しむように沢山のことを話していた。
「元気でな、ベル。あっちで美味いもん沢山食えよ」
「ん。アサドも、げんきでね」
「普段ならば国交の際にお会いできますが、今回はしばし長らくのお別れですわね」
「ええ、寂しくなります。もし兄さんに会うことがあればよろしく言っておいてください」
「ええもちろん。ですが、ジュリアーノ様からもたまにはご連絡を入れて差し上げてくださいまし。あの方は少々心配性な面がございますから、あなた様のお顔を見ることができればきっとご安心なさいます」
「あはは、心得ておきますよ」
「僕らが出会ってはや4ヶ月、もう別れとは時が経つのは実に早いものだな」
「そうかァ?俺様なんざ鎧銭に行くってなってからもう2年半も待たされてんぞ」
「それとこれとは別よ。あたしたちのは別れが惜しいってこと」
「ああ?たった4ヶ月だろうが」
「君の4ヶ月と僕らの4ヶ月は体感がずっと違うんだ。だから君にとってはほんの一瞬でも、僕らにとっては忘れられない思い出なのだよ」
「……女々な奴らだぜ」
「鎧銭へは何をしに行くのだ」
「えっと……ーそれがまだよく分かってなくて。ガイアの身体を返してもらうっていう経津主との交換条件で行くことになったんですけど、目的はまだ聞かされてないんですよね」
「そうか……まあ、彼のことならば大きな心配はいらないと思うが……」
苦笑する俺に釣られて、若干呆れつつ自身も苦笑するシャジェイア。
「でもまあ、ボクの身体はまだまだたくさんあるわけだし、用事が済んだら気ままに探してれば良いしね」
「それが旅の大きな目的というわけか」
「そ!」
シャジェイアは徐に顎に手を当て、考え込む。
少ししてから何を思ったかフッと笑うと、またこちらを向き直した。
「もしアスガルドに立ち寄る機会があれば、国立アスガルド総合学院のオーディンという神を訪ねてみろ。カラマガフ様曰く、非常に長い年月を生きた見識高い方らしいから、もしかすると良い情報をくれるかもしれない」
オーディンっていったら前の世界でも有名な北欧神話の神様だ。
それに、『国立アスガルド総合学院』に『カラマガフ』。
前者はジュリアーノ師であるフィオレッタが講師を務める学院であり、後者はそこに留学中のアサーラ姫のお兄さんだったか。
確か、盗賊の生まれで苗字の無かった彼に「シャジェイア」という名を与え、近衛兵へ推薦したのが彼だったと姫から聞いたが……そんなすごい人が言うのならばきっと間違いないのだろう。
「ありがと!でもまー色々行くところあるし、結構後になっちゃうかもね」
「この旅に何年かかるかもわからないからな」
そうだ、俺たちの旅はまだまだ序章に過ぎない。
ガイアの身体も、完全に取り戻せたのは胴体のみ。
在処が分かっているのは右脚だけで、まだ四肢と両目玉の行方がわかっていないのだ。
この広い世界に散らばっているのいうのであれば、全て集めるには多くの時間を費やすことになる。
だが早いに越したことはない、そのためには有力な情報が必要不可欠だ。
そんな様子で雑談をしてた時、シャジェイアの背後からまたまたこちらへ向かってくる影が見えた。
何かを抱え、一生懸命に走ってくるのは背丈の小さな少女。
「あれ、シェファじゃない?」
シェファは着くなり「間に合った……」と肩で息をしながら安堵すると、間髪入れずに抱えていた何かを俺へ渡してきた。
それは細く巻かれ麻縄で縛られた羊皮紙だった。
「これは…」
「トト様の書斎で見つけました。中にガイアさんの名前があったので、多分皆さん宛てだと思って…」
「俺達に…?」
結ばれた麻紐を解き見てみると、中には箇条書きされた文言があり、内容を見た俺は驚きを隠せなかった。
「これ……まさか、ガイアの身体の在処か?」
「ウソ!マジでぇ!?」
そこに書いてあるのは残るガイアの身体と、それらがあると予測される地域の名前。
こんなに詳しく、一体どれほどの時間を労しこれだけの情報を集めたのだろう。
B5ほどの大きさの羊皮紙に書き連ねられた情報はどれも細かく信憑性があり、さらには右端には「幸運を祈る」とのメッセージの後に、短い日本語の文章が綴られていた。
『君の漫画の好みは実に素晴らしい。今度は小説についても話そう。』
それを読んだ瞬間、俺は瞬時に羊皮紙を丸めて俯いた。
そんな様子に心配してか、シェファとジュリアーノが大丈夫かと声をかける。
「……涙は……葬式で出し切ったと思ってたんだけどなぁ……」
もう泣かないって決めたのに、こんなこと書かれちゃあな……。
顔は見えずとも茶色い地面にポツリポツリと斑点模様を描く涙に、ガイアとジュリアーノは俺を優しく慰めてくれた。
流した涙を拭い顔をあげると、シェファが何かを思い出したかのようにハッとして懐から布に包まれた何かを取り出し、「あの……これも……」と渡してきた。
赤い鼻を啜りつつ、なんだろうと開いてみると、そこには一枚の美しい浅緑色の羽とレンズのヒビ割れた金縁のメガネが。
「ケンゴさんと話している時、トト様はいつも楽しそうにしていました。だから……その……あなたに持っていて欲しいんです」
「シェファ……うん、わかった。肌身離さず大切にするよ」
世界中を旅したと言っていたけれど、それも5000年以上昔のこと。
世界の様子は常に変わり続ける、トトの見た頃とはまた違う世界を沢山見せてあげたい。
荷物を積み終わった頃、丁度出航の時間も近づいてきたのでみんなに別れを告げて俺達は船に乗り込んだ。
波に揺られるうちに遠ざかってゆくミフターフは四方を塞ぐ砂嵐が消え去り、広大な砂丘がどこまでも広がって見える。
それらをバックに手を振っていたみんなの姿も、もう見えなくなってしまった。
しばしの別れ、だがそれはこれから続く旅のほんの一部に過ぎない。
これからもっと沢山の土地を歩き、沢山の人と出会い、沢山の人と巡り会うことになるだろう。
でもこの地での思い出は決して忘れることはない。
そう、トトがヘルメスを忘れなかったように。
第2章もこれにて完結……と言いたいところですが、実はもう1話だけ続きます。
お楽しみに……。




