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第49話「救出2」

アサーラ姫

挿絵(By みてみん)

縦書きPDFではイラストをご覧になれませんので、お手数ですがサイトの方までお越しください。

 柱時計の秒針が小刻みに動き、静寂の談話室に細かな機械音を響かせる。

 アサーラは膝の上に置いたティーカップを両手で握りしめて、ずっと(けわ)しい表情を浮かべていた。

 


「大丈夫ですか、姫様」



 心配そうにそう語りかけるウルファに、アサーラは「ええ。ありがとう」と一言だけ発して茶を一口飲んだ。



「彼の救出には君もよく知る手練(てだ)れ達が向かった。大きな心配をする必要はない」


「ええトト様。しかし落ち着いてはいられませんわ。ギベオン教団が我が国で誘拐事件を起こし、しかも被害者は異邦人。国の治安を維持することは王族の勤めであるにもかかわらずこのような……異郷の地での客死(かくし)など、どれほど辛いものか……」


「そんな、姫様がそこまで思い詰める必要などありません!ヤツらは世界的に悪名高い組織の幹部です、先刻あのアウローラでも十二公が重要人物を殺害し成り代わっていたと知人づてに聞きました。果てしなく狡猾で残虐非道、そんなヤツらの犯罪を未然に防ぐこと自体が難しいことなんです」



 必死にそう言い聞かせるウルファであるが、アサーラの表情は依然として暗いまま。

 そんな姫にウルファは寂しそうな顔でションボリ肩を落とす。

 すると、先ほどまで隅っこでぬいぐるみを抱きしめてうずくまっていたガイアがゆっくり立ち上がり、アサーラの近くまで歩み寄ってからそばでしゃがみ込み、彼女の顔を無い瞳で覗き込んだ。

 そして静かに微笑みながら



「大丈夫、賢吾は絶対に死なない」



 と言った。

 その一言にアサーラは少し驚きながらも、不安そうな表情で顔を上げる。



「ボクら、十二公に遭遇するのはこれが初めてじゃないんだ。結構前にも一度会ったことがあって、その時も、まあ言いようによるけれど賢吾が一戦を交えてね。だから大丈夫」



 ガイアは優しげに言うが、その言葉はアサーラを勇気づけるためであり、同時に彼女自身にも言い聞かせ心を平静に保つためのもの。

 故にその声はどこか弱々しかった。



「しかし、それでも十二公が強敵であることには変わりないですわ。やはり心配です。シャジェイア達、皆 無事でいて欲しい……」

 

「安心しなさい。私の分身がついている限り彼らが死ぬことは決してない」


「うん。みんな、つよいから」



 眉を(ひそ)め不安そうに俯いていたアサーラだが、皆の言葉に勇気づけられたのか、顔をあげて自分の頬をぺちっと引っ叩いた。

 


「そうですわね、私がここで何を思っても戦況は変わらない。信じる他はありませんわね!」



 そう力強く言って見せるアサーラだが、彼女の眉はまだ下がったままだった。

 王女といえど彼女はれっきとしたヒト。

 身内が危険な目に遭っているとなれば、やはり心配の方が勝ってしまうのだ。

 だが、下手に状況を伝えても更に負担をかけかねない。

 ここは黙って共に待つのが最善であろうと考え、トトは小さくため息を吐いた。



「君たち、そろそろ喉が渇いてきた頃だろう。茶を淹れようか」



 そう言って立ち上がるトトにウルファは「いただきます」と会釈(えしゃく)し、ベルもつられて会釈した。

 だが、ガイアだけは首を横に振り「ボクジュースがいい〜」と子供のような物言いで応答しする。

 「ガキねぇ」と呆れたように言うウルファに、ガイアは両の頬をぷっくり膨らませながら「だって甘いのがいいんだもん」と、これまた子供のように反論した。

 そんな微笑(ほほえ)ましい様子に見向きもせず、トトは部屋を出て台所へ向かう。


 台所へは図書館内では比較的短い廊下を一直線に歩けば辿り着くことができる。

 台所は図書館へ泊まり込む者とトト達とで分たれているが、賢吾一行はトト自身が直接迎えた客人であり、また寝泊まりしている間は賢吾が夕食を作っていたので基本的に共有している。

 賢吾誘拐の手口の一つとして利用されたであろう茶の件もこれらが理由の一つであるが、それはごく一端に過ぎない。

 今本当に優先すべきは彼の救出であり、原因や手段を探るのはこれらを終えてからで構わない。

 先ほどトトは分身の多くを街に出向かせ、敵が蔓延(はびこ)ると予想される地区に結界を張った。

 彼が承認していない人物の使用する空間移動系の魔術をピンポイントで無効にし、更には魔力や体力の効率を大幅に下げる強力な結界、神である彼ならではの御業(みわざ)で十二公をアルビダイアの中に閉じ込めた。

 もはや彼らがこの国から逃げ出す手段など、より強力な魔術で上書きするかトト本人を殺す他無い。

 だが彼らの元に向かったトトは分身体であり、単なる彼の細胞の一部と魔素の集合体にすぎない。

 本物の潜む図書館内も、そこら中に貼り巡らされた結界により厳重に警備され、一歩でも足を踏み入れれば瞬きの間に情報がトトの脳に送信され、どの種族でどれほどの魔力量を持つか、年齢も健康状態もたとえ認識阻害をかけられていようとも、ある程度の情報把握が可能なのである。

 故に十二公どもが今からトトに危害を加えるなどということは、限りなく不可能に近いことなのだ。



 「そろそろ王宮の兵達にも伝達された頃か」



 そんなことを呟きながら台所へ入り、戸棚の上の茶葉に手を伸ばした。

 と、その時。


 キーン


 突如、小さな耳鳴りと共に微かな頭痛がした。



「……?」



 不思議な出来事であった。

 だがその不調に対して特出した身に覚えはない。

 頭痛の主な要因は疲労によるものが多く、それらは本人が気づかぬうちに負っているものであることが多い。

 トトは今、たった1人で巨大な結界を同時にいくつも維持している上に、普段よりも多くの分身を酷使している状態。



「短期間に魔力を使いすぎたか……」



 少し休もう、そう考えてティーポットに茶葉を取ると、コンロのノズルを回して湯を沸かし始めた。





深淵(ブルーエク)の嘆き(スプロージョン)!!」



 コバルトブルーの宝石から放たれた超高圧の水鉄砲がスコーピオを真正面から捉え、襲う。

 地を駆ける虫のように俊敏な動きで避けながら紫色の鱗片のような暗器を飛ばすが、ジュリアーノは地面を蹴ってスレスレのところで避けた。

 戦況は比較的均衡を保っている。

 しかし、あの紫の毒牙が少しでも皮膚に掠ればそれはあっという間に一転するだろう。

 (いちじる)しく成長したとはいえ、数百年という経験の差を埋めることは難しく、ジュリアーノの実力は完全にスコーピオに及ぶとは言い難い。

 だが、確実に追いつこうとはしている。



「小癪な餓鬼だこと!!」



 スコーピオの振るう紫の閃光も、ジュリアーノは苦もなく避けられるようになっていた。

 回避に余裕ができれば、放つ攻撃のバリエーションもより増やすことが可能であるし、術の構築に時間や精神を労する魔術であっても、より正確な狙いで放つことができる。

 頭上から落下して来た氷塊を横に跳んで避けたスコーピオだったが、ジュリアーノはそれを予測して先に駆け、彼女に向け氷の刃を放つ。

 スコーピオは身を大きく逸らしステップを踏んでそれら全てを交わすと、後ろへ跳んで一度身を引いた。

 接戦の中、初めての膠着(こうちゃく)

 互いに体力を消耗し肩で息をしながら武器を向き合い、睨み合う。

 スコーピオは言うことを聞かない体にイラついていた。

 いつもならばこれほどの戦闘で息切れを起こすことなどはあり得ない、必死になっているとはいえ疲労が早すぎる、と。

 だがその一方で、ジュリアーノは大きな希望を感じていた。

 自身の実力が十二公に通用するまでに成長してること、何より自分が仲間の役に立っているということがこの上なく嬉しかった。



「アクエリアスの時も、砂漠で戦った時も、僕はずっと助けられてばかりだった。今度は僕がみんなを助ける番だ」


「なにをブツブツと。せっかく綺麗なお顔だけど、全部グッチャグチャに溶かしてあげるわ」



 そう啖呵を切りながら突進し斬りかかって来たスコーピオの刃を杖で受け止め流し、素早くまわり込んで背後から凍砲(フリーズバレット)を放つ。

 スコーピオは瞬時に地面を蹴って宙返りをすると、勢いのままジュリアーノの顔面に回し蹴りを入れた。

 避けようと背を反ったものの、その素早さに対応しきれず彼女のハイヒールがジュリアーノの頬を打つ。

 だが幸いなことにクリーンヒットとまではいかず、彼はバランスを崩しながらもどうにか杖と腰の踏ん張りで体勢を整え、後ろに跳んでからサッカーボールほどの氷塊を3つ打ち出した。

 避けようと素早く後退りするスコーピオだったが、ジュリアーノはそれすらも逃さず彼女の足元に凍砲(フリーズバレット)を撃つ。

 それはスコーピオの足を掠めるが高いヒールの先端を地面に凍り付かせたことで動きに遅れが生じ、彼女の腰あたりに氷塊の一つがクリーンヒットした。



「よっし!」



 初めてまともに喰らわせた攻撃に、思わず笑みがこぼれるジュリアーノ。

 スコーピオは正反対に撃たれた箇所を押さえながら顔をしかめ、向かいの彼をキッと睨みつけている。

 するとすかさずナイフの片方を回し投げ、それに気を取られている間に突進してジュリアーノの喉元に刃を斬りつけた。

 彼は間一髪後ろに跳んで避け杖を向け詠唱を唱えるが、スコーピオはそれを逃さない。

 一瞬の隙のうちに暗器を投げ、彼の手を斬りつけ杖を弾くと更に踏み込んで跳び上がり、紫色にギラつく刃を振り下ろした。

 超接近した中でジュリアーノには避ける余裕は無い。

 勝負はあった。

 と、思ったその時


 キィン!!


 耳に突き刺さるような金属音と共にスコーピオの刃が弾かれ、同時に腕が凍りついた。

 あの一瞬の内に杖を拾う余裕などは無いはず。

 だがしかし、彼女の右手は確かに冷たく凍りついている。

 となれば、導き出せる答えはただ一つ。

 ジュリアーノは杖無し、かつ無詠唱で魔術を使用したのだ。



「な!?」



 魔導士や魔術師の使用する杖は術の威力や魔力効率を上げ、主に魔力の節約を目的として使用される。

 そして詠唱は魔力構築をサポートする役割を持ち、級の高い術の使用難易度を下げるために用いられる。

 どの術を使ったのかは定かではないが、十二公たるスコーピオの腕を一瞬で凍り付かせるほどの魔術など中級以上でなればあり得なく、卓越した魔力を持ち魔術への適性が高い神や魔族の類であればまだしも、ただの人間ごときがこれらを用いることなく中級以上の魔術を使用することは、ハッキリ言って(はなは)だしい魔力の無駄遣いなのだ。

 その上スコーピオに全く気取られないほどの即効性と威力を発揮したというのだから、必要以上の魔力を注ぎ込んだこともうかがえる。

 何より、あの一瞬の内にこの判断が下せるということ自体が、普通の人間では考えられないことであった。

 


「バッカじゃないのあんた!!真剣勝負でただの人間がこんなことして、ナメ腐ってんのかクソガキ!!」



 焦ったようなスコーピオの怒号が路地に響く。

 だが反対に、ジュリアーノの眉はキリッと上を向き、決意の意思が色濃く受け取れる。



「ナメてなんかいない。逆に、僕はお前の強さに尊敬の念を抱いている。お前はただの人間だろうけど、何らかの術で相当な年月を生きているんだろう。それがお前の(すべ)なのか教団特有のものかは知らないけど、その長い年月の中でどれだけの修行を積んできたか、これほどの強さは才覚だけじゃ説明つかない」


「黙りなさい。たかが16年ぽっち生きただけのアンタになにがわかるっての?そもそも私とあなたじゃ育って来た環境が全く違うわ、財産も家族も恵まれた中でぬくぬくと育ったアンタとは、落としかけた命の数が違うのよ。尊敬される筋合いは無いわ!」



 スコーピオは肩で息をしながら額の汗を拭う。



「今だって、こんな邪魔を受けていなければアンタなんかさっさとお陀仏よ。人にも神にも運にも愛されて、本当に幸せな子」



 やはりスコーピオは自身等が何らかの術で妨害を受けていることに気が付いていた。

 それでも彼らを迎え撃ったのは、背水の陣かはたまた十二公である使命感からか。

 どちらにせよ順調であった作戦に亀裂が入ったことには変わりないだろう。



「幸せ……お前には僕がそう見えるんだね」



 前髪の陰に光を無くす山吹色の瞳。

 先ほどまで威勢のあったジュリアーノの声が突如低くなった。



「確かに、側から見ればそうなのかもしれない。けれど、この幸せは君が思う以上に重たいもので成り立っているんだよ」



 彼の言葉が終わる前にスコーピオは駆け出し、複数の暗器を投げた。

 ジュリアーノは狼狽えることなく冷静にそれ等を避け、スコーピオに向け氷の剣を放つ。

 彼女はそれ等を金属製のヒールを駆使して全て砕き落とすと、そのままナイフを構えて低い位置からジュリアーノの胸元に紫の刃を突き立てるが、彼は素早く横に避け背後から水弾(アクアショット)を放った。

 命中し背中にダメージを負ったスコーピオは一度下がるが、ジュリアーノはそれも逃すことなく水弾(アクアショット)をFPSゲームのように撃ち続ける。

 逃げるスコーピオは壁を走りながら暗器を投げるが、ジュリアーノはそれ等をいとも容易く避け、自身も走って距離を詰めていった。

 スコーピオはなおも息を切らし、焦った形相で暗器を投げ続ける。

 700年という長い長い年月ゆっくり着実に歩み進めた道を、この天才は馬のように高速で駆け、今にも追い抜かそうと迫ってくる。

 より細い路地に逃げ込もうとしても道を塞ぐように氷塊を放たれて逃げ場がない。

 天才の猛攻になす術の無い年長者はただ逃げ続けるのみ。

 そして、投げ続けた暗器もついに底を着いた。



「終わりだ、スコーピオ」



 ジュリアーノは杖を構え念じ、詠唱を始める。



「凍てつく純水の晶魔よ、我が命に応えたまえ」



 スコーピオは自身の負けを悟ったのか、左手のナイフをカランと地面に落とし呆然と立ち尽くすのみであった。



「"(グレイシャル)(オーバーチュア)“!!」



 スコーピオの足元と頭上に現れた巨大な2つの魔法陣が強烈な光を放ち、彼女の体を包み込む。

 広範囲の魔法陣の中に入る物体を一瞬で全て凍り付かせる最上級魔術。

 狭い路地裏の中で逃げることなどはほぼ不可能だ。

 若い天才は完璧な勝利を確信していた。

 だがしかし———

 長い道のりの中、ゆっくり歩みを進めてきたからこそ気づいたこと、知っていること、一心不乱に駆けったがために、天才はそれらを見落としていた。

 才能では埋まらない差、圧倒的な実践経験の違い。

 それがスコーピオとジュリアーノの差、彼らの勝敗を分ける最も重要な鍵となった。


ザクッ


 突如ジュリアーノの右肩に痛みが走る。

 熱を帯びると共に徐々に血管が浮き出るほどの異物感が体内を駆け巡り、彼は声も無く膝をつき(もだ)えた。



「甘いわねぇぼくちゃん。敵の死体を見るまでは勝利を確信しちゃあいけないのよ」



 光が止み、風圧で巻き起こった砂煙の中からスコーピオがゆっくりと歩いて出て来た。

 その姿にジュリアーノは困惑した。

 (グレイシャル)(オーバーチュア)を食らったものはその体ごと分厚い氷に閉ざされるはずであるのに、彼女は指先一つも凍結していない。

 それどころか、術を放った本人であり先ほどまで圧倒的優位に立っていたはずのジュリアーノが多大なダメージを負っているのだ。



「戦いの終止符というのはねぇ、殺す気で打たないとダメなの。自分を殺そうとした人間を生かして捉えようだなんて甘い考えを持っているから、こうして簡単に反撃を喰らってしまうのよ」



 ジュリアーノはスコーピオを凍結させ息の根を止めようとしたのではない。

 彼は魔力を調節して術の出力を下げ、あくまでも彼女の体を氷の中に閉じ込め拘束しようとしたのだが、スコーピオはそれを完全に悟っていた。

 ジュリアーノは痛みで落とした杖を拾い上げようとするが、その右腕を少しでも動かそうとしようものなら血管内を針の束が流れるような激痛が走る。

 (くつがえ)された戦況を更に覆し返す方法は、今のジュリアーノには持たざるもの。

 もはや手遅れ、足元に落ちたナイフを拾いジリジリと距離を詰めてくるスコーピオに、ただ右肩を押さえて脂汗を流すだけの彼は赤子も同然。



「ご……め………」



 毒がめぐり、呼吸もままならなくなってきた。

 ジュリアーノは限界を悟り、ゆっくりと目を瞑る。

 一転した流れに逆らう力などもはや残っていない。

 彼ができるのはその流れに身を任せ、その後の展開に我が身を委ねることのみ。

 そしてそんな流れを一瞬でぐしゃぐしゃに乱す者を、"乱入者"と呼ぶ。



「ウラァァアアア!!」



 突如頭上から聞こえた雄々しい声。

 驚きスコーピオが見上げると、そこには屋根から飛び降り刀を振り上げた経津主(ふつぬし)がいた。

 彼は勢いのままスコーピオへ刀を振り下ろすが、彼女はすんでのところで避け後ろへ跳ぶ。

 そしてそのまま向きを変え、その場からの逃走を図った。

 だがしかし、走り出した彼女の足をどこからともなく生えた緑色の触手が絡めとる。

 


「逃しはしない」



 再び頭上から聞こえた声にスコーピオが見上げると、そこには手のひらの魔法陣から何本もの触手を生やし操るトトの姿があった。



「このっ!!」



 スコーピオは瞬時にナイフで触手を切断し再び逃げようとする。

 しかし、顔を上げた先に待っていたのは刀を振り上げた経津主だった。



「あ…」



 経津主が刀を振り下ろすと同時にスコーピオの胴体から赤黒い鮮血が噴き出し、声にならない断末魔と共にパタリと倒れた。

 衝撃で仮面が外れ、素顔が見える。

 その表情に負けた悔しさや怒りは無く、ただとても悲しそうに涙を流していた。



「シャ…ファ……ク……ちゃ……」



 今にも消え入りそうな声でそう呟き、何も無い青くすんだ空の向こうを空な瞳で見つめ、手を伸ばす。

 紫色の瞳から細く流れる涙は、陽光に照らされることなくただ透き通ったまま地面に落ちて虚しくも消えた。

 ジュリアーノは息を切らしながら目の前の光景に呆然としていた。

 目の前で人が死んだ。

 先ほどまで威勢よくこちらの命を奪おうとナイフを振りかざしていた生命が、糸がぷつりと切れた操り人形のように地面に崩れ、ピクリとも動かない。

 人間の生命が人間の手によって終わった瞬間。

 目の前で味方が手に掛ければ、それはジュリアーノにとっては自分自身が殺したも同然のこと。

 毒のせいもあるだろうが、その衝撃的な光景の中で彼の心拍は勢いを増していった。

 その時、遺体のそばに立っていた経津主が刀を振り上げた。



「待って!!」



 ジュリアーノは思わず身を乗り出し、叫ぶ。



「ハァ……敵といえど、(むくろ)(はずかし)めるのは…ハァ…よくないよ……うっ!」



 肩に走る痛み息苦しさに顔を顰め、吐血を流しながらそう訴えるジュリアーノ。

 しかし経津主は返事をすることなく振り返り、眉を(ひそ)めて彼を睨む。

 するといつのまにかジュリアーノのそばで彼に浄化魔術を施していたトトが、経津主の代わりにと言わんばかりに口を開いた。



「彼女まだ死んでいない。十二公はその地位を襲名する際に聖帝からとある秘術を施されるという。それにより彼らは並外れた生命力を獲得するため、常人の致命傷程度では簡単に死ねはしない」



 よく目を凝らせば、確かにまだ胸元が上下している。

 ジュリアーノがスコーピオに哀れみの視線を向けたその時、経津主が彼女の額に刀を突き立てた。

 引き抜かれる刀に釣られて持ち上がった頭が鈍い音を立てて地面に落ちる。

 ショッキングな光景にまた言葉を失うジュリアーノ。

 しかし、命の灯火が消えるまで傷の痛みに苦しみ続けることを考えれば、その一撃は彼女にとって救いの手になったことに違いない。

 それは戦いの道を選んだ者にとって、決して避けられないことなのだ。




「!?」



 数十メートル離れた地点で交戦していたタウラスは、ただならぬ気配を察知してその剣を止めた。

 その姿にシャジェイアたちは眉を(ひそ)め、不思議そうに彼女の様子を伺った。

 と、その時。



「!!」



 タウラスは突然大剣を放り投げると、もの凄い瞬発でどこかへ駆けて行った。

 いきなりのことに呆然とする一同であったが、彼女の向かった先が経津主とトトの向かった方向と同じであることに気がつくと、急いでその後を追った。


 狭い路地の中をタウラス全速力で走った。

 先ほど届いた嫌な気配が気のせいであることを祈り、己の武器すらも持つのを忘れて、砂埃を立てて壁を登って迷うことなく一直線に向かって行く。

 数分とたたぬうちに着いた開けた場所。

 息を切らして見回してみれば、中央に横たわるのは変わり果てた同胞の姿。

 警戒し自身に剣を向ける経津主には目もくれず、タウラスはゆっくりとスコーピオへ歩み寄った。

 無言のまま彼女のそばに突っ立つタウラス。

 そんな彼女に斬りかかろうとする経津主だったが、「彼女に敵意はない」とトトに(いさ)められ、渋々刀を鞘に戻した。



「…」



 何も言わずにドサっと膝を落とした彼女の腕は、小さく震えながらも強く握りしめられていた。

 少ししてシャジェイアたちもその場にたどり着いたが、並々ならぬ空気を察してそれぞれの武器を収めた。



「ジュリアーノ!?平気か!」



 ジュリアーノの姿を視認した途端慌てて駆け寄るサイファルとアサド。



「うん…少し、毒を受けちゃってね……」


「殆ど浄化したが非常に強力な毒素だ、当分激しい運動は控えるべきだろう」


「ありがとうございますトト神」


「心配だったんだ、トト様がいきなり血相を変えてお前の行った方に走ってくんだもんな。経津主も行ってしまったから、何か大変なことがあったんじゃないかって。けどまあ、無事でよかった」


「あはは、こんなにボロボロになっちゃったけどね……」





 真っ暗の部屋の中で唯一の光源であるランプ。

 熱から発生する上昇気流に揺さぶられ人魂のようにゆらゆらする火に照らされながら、見張り役の下っ端がウトウトし始めた。

 しめた。

 オレは音を立てないようにそっと手足を引き寄せ、ゆっくりと体を起こす。

 けっこうギチギチに縛られているから身動きは取れないが、背筋を酷使すればかろうじて辺りを見回せるほどの体勢は取ることができる。

 やっぱり現実的な出口はあの扉しかないみたいだ。

 けれど間の悪いことに、下っ端がその前で椅子に腰掛けて寝こけている。

 もし拳を交えるとなっても応戦はできるだろうが、問題はこの縄だ。

 細い麻縄のようだが思った3倍は丈夫で、力ずくに引きちぎろうものならこちらを更に締め付けてくるという厄介な代物。

 鋭いナイフでもない限り切断は難しそうだ。

 まあそもそも、引きちぎる力なんてないんだが……。

 ジュリアーノたちは平気だろうか、スコーピオとタウラスを相手にして無事で済むとは考えにくいし、下手すれば命を落とす可能性だってある。

 クソ、一刻も早くここを抜け出さないと!!


ドガァン!!


 突如何かが破壊されるような音と共に、ドアの前の下っ端が勢いよく吹っ飛んだ。

 ドアの木片が額にクリーンヒットし何が何だかわからず混乱していると、土煙の奥から聞き覚えのある声がオレの名を呼んだ。



「ケンゴ!!」



 霧中にチラつく巨大な影の裏から顔を出す早苗色。

 その姿を見た瞬間、オレの心はさまざまな安堵でいっぱいになった。



「ジュリアーノ!!」


「ケンゴ!よかった、無事だったんだね!」



 ジュリアーノは部屋に入るなり泣きそうな顔で駆け寄ってきた。

 後から入ってきた経津主は床に転がって気絶している下っ端には目もくれず勢いよく踏みつけ、ベッドにオレの四肢に縛り付けられた縄を刀で切り離す。

 巻き起こった土煙が止むと、鎖を両手で持ちドア前に佇むシャジェイアとその斜め後ろから覗くトトの姿が見えた。

 扉をぶち破ったのはシャジェイアさんだったのか、相変わらず豪快な人だなぁ。



「随分小っ恥ずかしい格好させられてたんだなお前」


「怪我は?どこか痛いところはない?」


「平気だ。けど逃げないようにって麻酔を打たれて、右足が全く動かないんだ」



 オレはベッドから立ちあがろうとするが右足だけが言うことを聞かず、案の定バランスを崩して倒れてしまった。

 すると入り口付近に留まっていたトトが近づき、「見せなさい」と言ってそばに跪いてオレの足をじっくり観察したのち、右手をかざしてなにかを念じ始めた。

 かざされた右手は緑色の光を放ち、オレの太ももから白いモヤのようなものをゆっくりと吸い上げる。

 10秒ほど続けると光は止み、トトは「もう大丈夫だ。立てるか」と言ってオレへ手を差し伸べた。

 何をしたんだろう。

 半信半疑に手を握り、ゆっくりと脚に力を入れてみる。

 すると



「えっ!マジ!?」


「凄い!立ててる!」



 オレの右脚は問題なく体重を支え、動いたのだ。

 オレは興奮して足踏みしたりジャンプをしてみたり、経津主やシャジェイアまでもが目を見開いて驚いている。

 


「驚いたな、すでに効能を発揮しているもんまで浄化できちまうのか」


「麻酔も仕組みを辿れば毒と同じ、取り出して周辺の細胞を修復すればなんら問題は無い」



 涼しい顔で言ってのけているがとんでもなく凄いことだぞ。

 アウローラにいた頃、ジュリアーノが宮殿の庭で毒蛇に噛まれたことがあった。

 すぐにフィオレッタが処置を施したがそれでも影響を受けた部分だけは浄化しきれず、翌日彼は熱を出して寝込んでいた。

 フィオレッタは世界に名を轟かせる名門、アスガルト総合学院の魔術科で長年講師を務めるほど腕の立つ魔導士、そんな彼女が全力を持ってしても毒素を完全に取り除ききることなんてできなかったのに。



「こんなすごい浄化魔術、見たことないよ」


「ああ、でもおかげですっかり……っておまっ!!ジュリアーノ!どうしたんだそれ!!」



 ジュリアーノがテーブル近くに移動した途端、彼の姿がランプの照らされ肩に滲む赤黒いものに気がついた。

 こんな急所に攻撃を喰らってしまったのかと悔しさと焦りの混じった表情をするオレだが、当の本人はまるでそれの存在を忘れていたかのように清々しい顔で「あっ」と言って見せる。



「ちょっと刺されちゃってね」


「刺されたって、まさかスコーピオに!?」


「うん。でも大丈夫。トト神が浄化とヒーリングをしてくれたから、ほら」



 そう言って破れた布の隙間から見せてきた傷口は跡形もなく消えており、毒による変色も形状に変化も全く見られない。

 なんてことだ、ヤツの毒をまともに喰らえばたってもいることだってままならないのに。

 それに刺されたってんなら傷も俺が負ったものよりもずっと深いはず、それをこんなに綺麗に修復するだなんて……。

 マジパネェっスよトト様……。


 


 階段を上がり地上に出る。

 数時間ぶりの太陽は覚えてたよりもずっと眩しくて、外へ出るなり思わず目を瞑ってしまった。

 再び聞こえた耳馴染みのある声に顔を向ければ、そこにはサイファルとアサドの姿があった。

 太陽の下で改めて同胞の姿を見てみると、皆見事にボロボロで、オレを助け出そうと必死になってくれたことに感動してジワジワと心が温かくなった。



「無事で何よりだ」


「なにか酷いことをされていないかって心配だったんだ。だがその様子なら心配はいらないようだな」


「ああ、本当に迷惑をかけたな」


「何言ってるの?僕ら仲間なんだからさ、こんなの当たり前のことだよ」


「彼の言う通りだ。私はアサーラ様の代わりに同行したに過ぎないが、姫様もこの場に居合わせればきっと同じことをおっしゃるだろう」



 トトの言う通りだった。

 オレは自分が不幸であるべきと思い込み過ぎたばかりに、仲間の思いも自分自身も無碍にしていた。

 こんなに暖かい仲間たちなのに、オレはなんて酷いことをしていたのだろう。

 


「どうやら兵が到着したようだな、十二公達の身柄は彼らに任せて問題ないだろう」


「なんとお礼を言えば良いか、トト様」


「構わない。安らぎの故郷を荒らすことは何人たりとも許されることではない」



 凛として表情を崩さず当たり前に受け応えるトト。

 表情筋の乏しさはいつものことだけれど、普段太陽の元で彼の姿を見ることがないからか、今日は一段と格好良く見える。



「さあ帰ろう。図書館で姫達が待っている」

 


 そう言い、振り返って前方へ歩き始めるトト。

 と、その時。


バサッ


 彼の体が突然弾け飛び、大量の若緑の羽が辺りに散らばった。

 いきなりなことに驚き、言葉も発せず困惑する一同。

 トトが消えた。

 いや、正確に言えば分身の魔術が解けたのだ。

 それも突如に。

 原因はわからない、理由も知らない。

 しかし、その時のオレはなにかとてつもなく嫌な予感がして仕方なかった。

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異世界転移
― 新着の感想 ―
スコーピオを撃破しましたが、トトが消えた事で波乱が起きますね。
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