第48話「救出1」
アルビダイアの中心、城下の大通りでは祭りを楽しむ人々の活気ある声で賑わっていた十数分前までとは一点、繁華街にはそぐわない重厚な金属音が立て続けに鳴り響いていた。
轟音を立てて崩れ落ちる漆喰の瓦礫がシャジェイアの頭へ降りかかるが、彼は目線を向けることもなく鎖を振い、諸共粉砕した。
続けて繰り出される斬撃を避けつつ地面を蹴り、タウラスの目の前まで距離を詰めるも、怯むことなく振り下ろされた大剣を受け止めることが精一杯で、一撃を与えるには至らなかった。
鋼鉄と鋼鉄が火花を散らしながらギリギリと互いに迫り、受ける。
「近衛兵にしちゃ乱暴な戦法だね」
「盗賊の出なのでな」
「おや」
弾かれた鎖が地面に打ち付けられ、タイルが割れると同時に重々しく鳴り響く。
「奇遇だね、アタシもそうだよ」
言葉が終わる前にタウラスは飛び上がり、真っ赤な大剣をシャジェイアめがけて思い切り振り下ろした。
轟く破壊音と共に割れる地面、崩れる家屋。
衝撃波で吹き飛ばされた瓦礫が後方のトトへ降り注ぐ。
「「トト様!!」」
下っ端と戦っていたサイファルとアサドが瞬時に動き、トトの前に立ってそれぞれの剣戟で瓦礫を吹き飛ばした。
しかし半径3メートル分の家々の瓦礫がそれだけで防ぎきれるはずはなく、意思を持って追撃をするかのように更に大量に飛んでくる。
2人は焦りながらも再び武器を構え、迎え撃とうと踏み込む。
しかし
「「!?」」
突如、思わず後退した体にバランスを取りきれず、2人は尻餅をついた。
目の前まで迫り来る瓦礫、再び立ちあがろうとする2人を制止するかのように前に出るトト。
瞬間、土と青空が浮かぶ視界が、若緑に光り輝く巨大な羽根に遮られた。
何が起こったのかわからないまま外で鳴る土砂のような音を聞き、豪勢な大扉のように再び開く羽根に呆然とするサイファルとアサド。
「私は分身体だ、故に身を挺して庇う必要はない。人の体は傷の治りが遅いのだから、もっと大切にしなさい」
それは神の姿であった。
夜空に瞬く星々よりも星を照らす太陽よりも神々しく、威厳溢れる書物の主。
人に勝る武力すら持たず、しかしその博識と己が国に献身する姿勢から一国の万人に支持と尊敬を集める偉大なる賢神の姿が、確かにそこにあった。
「君達には防護魔術を施したが、十二公ほどの強敵となれば場合によっては重傷も負いかねないのだからな」
トトは振り返り、サイファルとアサドの手を取って1人ずつ立たせる。
そして背中を強く押し、再び戦場へ送り出した。
「昔、ただ一神を唯一の神だとして崇め信仰するという宗教を小説で読んだことがある。」
先ほど戦っていた敵と再び相対し、自身のショーテルについた砂を落としながらアサドはサイファルへ語りかけた。
「現実的でない話だが、もしあれが実在するのなら、俺たちが信仰するのはトト様だ」
なんとも言えない表情であった。
しかし、彼の顔に不安の色は全く無い。
サイファルは何かを思いフッと笑うと「ああ。僕もそう思うよ」と言っての剣を握る力を強めた。
外が騒がしくなった。
おそらくタウラスが例のここを嗅ぎつけた奴らとやらに応戦しているのだろう。
考えうるものとして1番可能性が高いのはジュリアーノ達か。
タウラスが相手となると相当厄介だぞ。
一振りで分厚い土壁をぶち壊した剣戟に加えてあの素早さ。
前回は逃げることができたからどうにかなったけど、今回は真っ向から戦うことになるんだ。
クソ、早いとこ抜け出す方法を考えないと。
頭上の水晶が強く発光しているおかげで部屋の中はだいぶ明るいが、顔が近すぎるせいですごく眩しくて、長時間目を開け続けるのは難しい。
それでもなんとか目を細めながら部屋の中を見回す。
外からの出入り口は扉が一つだけ、一応天井に通気口が見えるけどサイズ的に小型犬1匹が通れるか否かだ。
窓が全く無い点と音が比較的上から聞こえる点、また砂漠地帯であるミフターフの中であるはずなのにやたら室内がジメジメしている様子から、おそらく地下であることは想像ができる。
とすれば、某漫画のように横の壁をぶち破って逃げ出すというのは現実的じゃない。
するとやはり出口はあの扉だけだ。
だが、その扉の前にも十二公が居座っているという状況。
「なんであんな奴にお礼なんて言わなきゃいけないのよ、心底頭にくる」
スコーピオは机を向いて木製の椅子に腰掛け、何かを投げてはキャッチしを繰り返しながら、ふてぶてしくそうボヤいていた。
よくは見えないが、ヤツが持っているのは何やらガラス玉のようなもの。
スーパーのレジ横なんかによくある10円で回せるガチャガチャのガムボールほどの大きさで、一見すれば本当にただのガラス玉であるが、ヤツが軽々と扱っている様子から想像よりも重量はなさそうだ。
この世界における常識から考えれば、アレがただのガラス玉だとは考えにくい。
何かの魔具だろうか。
厄介なものでなければ良いのだが。
「きったねぇオッサンが道に吐き捨てた痰みたいなゴミクソでも、こう役に立つ日が来るから余計にムカつく。いっつも空回りしてるくせに、デカいの一個当てたからって急にもてはやされちゃって。あんなの、しぶとく生き残ってたが故のたまたまよ。ちゃんと頭を使ってる私達がバカみたい」
誰へ向けている愚痴かはわからないが、相手のことを相当嫌っているということだけは伝わる。
「あんたもそう思うでしょ」
唐突に振り返ったスコーピオに話題を振られ、下っ端は情けなくたじろぐ。
「ええと…確かに素行が良いとはあまり言えませんが……聖帝様がお喜びになられているのであれば…その……」
「ふーん。ま、私もそうなんだけどねぇ」
スコーピオは机に向き直すと、ガラス玉を机上の箱に放り投げて気だるげに椅子に背をもたれる。
そして、フウとため息をひとつ吐いた。
「暗中模索の中で得た光がたとえ心底嫌いな奴の見つけてきたものだとしても、あのお方が喜んでくださるのならなんだって良いわ。何せ命を捧げているんですもの」
スコーピオは自身の仮面を両手に持ち、それをじっと眺める。
前方を睨みつけ、毒針を突き出す蠍のデザインが施されたその仮面は、彼女が紛れもない十二公であるという証であり、同時に誇りでもあった。
数々の戦場を駆け抜けた仮面は、その屈強な素材故に授かった当時とほぼ変わらない見た目であるが、よく目を凝らせば、歴戦に負った微細な傷が水晶玉の光に反射して数多く浮かび上がる。
十二公が仮面を被る理由は、彼女らでさえ知り得ない。
一般的には教団を統べる聖帝直属の証とされているが、果たして本当にそれだけか。
「それに、育てた十二公の数なら私の方がずっと多いから。そっちの意味でより役立っているのはこの私よ」
その時、オレの頭上で光り輝いていた水晶玉が先ほどとは比べもにならないほど、まるで地上を照らす太陽のように金色に耿々と強く輝き出した。
「うわっ!!」
「!!」
あまりに眩しさに部屋中の闇が消し飛ばされ、オレは顔を逸らして目を強く瞑る。
何が起こっているんだ!?
まぶたを突き抜けるほど強力な光に包まれる部屋の中、何が何だかわからずただ顔を逸らして光を避けようとするオレ。
しかし次の瞬間、何者かに額をガッと掴まれ、無理やりに天井を向けさせられた。
掴んできた手が幸いにも影になってくれたので、オレは恐る恐るにまぶたをうっすらと開ける。
顔を掴んでいたのはスコーピオだった。
「見つけた…見つけたわ……」
光の眩しさなどものともせず、狂信的な眼差しで輝く水晶を見つめるスコーピオ。
何かをぶつぶつと呟いているようだが、声が小さすぎて聞こえない。
するとヤツは腰元から何かを取り出し、思い切り振り上げたかと思うとオレの太ももにザクリと突き立てた。
「があっ!!」
焼けるような痛みと共に、そこら一帯の筋肉に深い傷口に水をかけたような染みる痛みが広がる。
なんとか顔を起こして見てみると、ヤツが握りしめていたのは注射器だった。
「逃さない、逃さないわ!絶対にッ!!」
冷や汗のようなものを流しながらそう叫ぶスコーピオの表情は笑っていながらも狂気を帯びており、気味の悪い喜びに満ちているようだった。
右足全体が激しく痺れる。
「下っ端くん!報告よ!!転写して本部に送りなさい!」
「は、はい!」
命令を受けた下っ端の男は一回り小さな水晶玉を取り出すと、B5ほどのサイズの羊皮紙を取り出す。
そしてオレの方に掲げた水晶玉に紙をかざしながら詠唱を始めた。
30秒ほど経つと「完了しました」と告げ、羊皮紙を封筒に包み足早に部屋を出て行った。
少し時間が経つと右足の痺れが少しおさまったが、その代わりに太ももから爪先までの感覚が全くなくなった。
どんなに力を入れようともピクリとも動かない。
また神経毒?
いや、以前受けたがアレとはまた違う気がする。
だがとにかく、右足が完全に麻痺してしまっているんだ。
「局所麻酔よ。ちょっといじってあるから、効果の範囲も継続時間もそこいらのものとは少し違うけれどね」
そう言うスコーピオの声は先ほどとは一転、いつも通りの妖艶な物言いに戻っていた。
と、その時。
ドオォォン!!
落雷のような轟音が天井から鳴り響いた。
驚き狼狽えるオレと下っ端。
振動でホコリがパラパラと落ちてきた。
スコーピオは動じることなく天井をじっと見つめると、「苦戦しているようね」と呟き、テーブルの上のナイフを手に取り腰に下げた。
「加勢してくるわ。もう逃げるどころか足を動かすこともできないでしょうけど、一応見張っておいてね」
「承知しました」
ヤツは扉を開けると一度こちらを振り返り、ニヤリとほくそ笑んで手を振った。
そのまま仮面をつけ、ギギィと立て付けの悪い音を立てて部屋から出て行った。
「ウラァア!!」
経津主が振るった刀が鳩尾に命中し、下っ端の1人が壁面に激突し家屋が一軒倒壊した。
「経津主!殺す必要はないと言っただろ!」
「うるっせェなァ!峰打ちに決まってんだろ見てなかったのかァ!?」
アサドは叱責を挟みつつ、「峰打ちだってあんな瓦礫に埋もれたら助かるはずもないだろ」と若干呆れて脂汗を流す様子も見せる。
しかし見ていなかったのは仕方がない。
彼もまた下っ端の1人と応戦しているのだから。
タウラスと共に現れた下っ端の4人はなかなかの手練れであり、サイファルたちともある程度渡り合う実力を持っている。
単純な戦闘力であれば全く及ばないが、戦闘テクニックにおいては相当の訓練を受けているであろうことが容易に想像できるほどの強さ。
経津主とシャジェイアは例外であるが、人間同士の戦闘というものを護衛以外で経験していないサイファルたちは、それが影響して若干苦戦気味なのである。
「ハアアアアアア!!」
「ぬ“うぁああああ!!」
激しさを増す混戦の中、最も重々しく戦闘を繰り広げるのは鉄塊を振り回すタウラスとシャジェイア。
ガァン、ガァンと鼓膜を突き破るような重厚な音を立てて、花火のように激しく眩しい火花を散らす。
シャジェイアが鎖を振るうたびに出す地鳴りのような咆哮と、タウラスが大剣を叩きつけるたびに鳴らす地響きのような絶叫が響き渡る。
横顔に迫る大剣を鎖で受け止めるが、勢いに押されてシャジェイアの体がぐらつく。
タウラスはその様子に待ってましたと言わんばかりに大剣から手を離し、反対側から回し蹴りを入れた。
右肩に蹴りがクリーンヒットしたシャジェイアはそのまま体勢を崩し、坂を転げるような勢いで吹っ飛んで、大通りのど真ん中に膝をついた。
そんな彼に、すぐ近くにいたサイファルは慌てて駆け寄る。
「団長!平気か!」
シャジェイアは肩をかそうとするサイファルに「構うな、自分の相手に集中しろ」と言って、ズキズキと痛む右肩にムチを打って立ち上がり、地面に落ちた鎖を拾い上げて再び構えた。
「侮れぬ実力だ。流石は十二公と言ったところ」
「アンタもよくやるよ。アタシの蹴りでダウンしなかったヤツはなかなか久しいね。味方だったらどんなに心強かったか」
「有り得ぬ空想だな」
シャジェイアが鎖を回すと、まるでヘリのプロペラが回るかのようにものすごい風圧がビュンビュンと巻き起こる。
腰を低く落とし、狙いを定めるかのように黒曜石のごとく鋭い瞳でただ一点、タウラスだけを見つめる。
獲物を見据え離さないその姿は、まるで雄々しく砂漠を闊歩する獅子のようで、背後に浮かび上がるけたたましい立て髪の幻覚に、サイファルは目を擦った。
「そんなことはない。有り得た話さ。もしアンタが誘拐されて金持ちの競売にでもかけられていれば、もしかすると、」
タウラスは真っ赤な大剣を構える。
「アタシの家族の1人になってたかもね」
タウラスが突進すると同時に、シャジェイアも鎖をビンと張って踏み込む。
大剣を振り上げ飛び上がった彼女に応じるように、彼も飛び上がった。
皆が命懸けで戦っていた頃、ジュリアーノは1人路地裏を走っていた。
二重の認識阻害と透明化の魔術を自身にかけ、敵に気が付かれぬよう慎重にあの場を抜けてトトが以心伝心の魔術で告げる道のりをひたすら走ってゆく。
その時、前方に見知らぬ男を見つけた。
男はジュリアーノの姿を見るなり慌てたような顔をし、全力で走り出す。
「…!待て!!」
ジュリアーノは何か怪しいと勘ぐり、男を追いかけていく。
(どうしたジュリアーノ)
「怪しい男を見つけました!僕を見つけるなり一目散に逃げ出して!」
手慣れた様子で壁の隙間を抜けていく男に、ジュリアーノも息を切らしながら追いかける。
少し走ってから追いつけないと判断した彼は杖を取り出し、詠唱をし始めた。
「凍てつく純水の晶魔よ、我が命に応えたまえ!“凍砲”!!」
ジュリアーノの放った吹雪の弾丸は男のふくらはぎ辺りに命中し、右足を一瞬で凍り付かせた。
凍った足に身動きが取れなくなった男はそのまま転んで倒れ、なんとか逃れようと芋虫のように地面を這う。
そんな男にジュリアーノは足早に駆け寄る。
と、その時。
「!」
背後から殺気を感じ、咄嗟に横へ飛んだ。
すると、先ほどまで彼のいた場所に一本のナイフが飛んできて、地面に突き刺さった。
もしあのままでいれば、確実に背中を一突きにされていただろう。
地面に突き刺さったナイフは刃の部分が毒々しい紫色で、高い壁に囲まれた薄暗い路地の中不気味に光っている。
彼はそのナイフに見覚えがあった。
「スコーピオ!」
そう。彼の背に向けナイフを投げたのは、唐突に現れたスコーピオであった。
彼女は仮面の下でフッと笑うと、鱗片のような小さな刃を続け様にジュリアーノめがけて投げる。
ジュリアーノはある程度魔術で防ぎながらもその数の多さに「まずい」と踏み切り、更に横へと避けた。
幸い路地の中でも比較的開けた場所であったため、全て喰らうことなく避け切ることができた。
だが、地面に足をつけた瞬間、背後からボッいう音と共に突然火の手が上がる。
驚き振り返ってみると、勢いよく燃えていたのは先ほどジュリアーノが凍り付かせて見知らぬ男の右足であった。
燃え盛る炎はあっという間に氷を跡形も無く溶かし、男はそのまま「も、申し訳ありません!」と言って走り去って行ってしまった。
地面よく見てみると、細かいガラス片のようなものが飛び散っている。
「随分と早い再会ね」
腰をそらしながらゆっくりとそう言うスコーピオに、ジュリアーノはキッと睨みつけて杖を構える。
「ケンゴはどこだ」
「あら、やっぱり気になるぅ?そうよねぇ、前回はすんでのところで連れ戻せたのに、今度は知らないうちにいなくなっちゃったんだものね」
「…」
「悔しいわよねぇ〜」
スコーピオはおかしそうにフフフと笑い挑発するが、ジュリアーノは眉ひとつも動かさない。
ただ冷静に、相手の動向を見極めているのみであった。
殺気はある、だが逃げれば見逃すというスタンスも同時に伝わる。
スコーピオにとってジュリアーノは取るに足らない敵であり、彼女にとって最も警戒すべきは経津主である。
前回相対した際は守るべき仲間の存在があり、また手の内が全く知られていなかったので有利な状況で進めることができた。
しかし一度戦った上に今回は仲間の救出目的としてやってくるので、彼女と戦うための戦闘体勢が万全であるということは考えずともわかること。
技巧派のスコーピオにとって頭蓋骨に筋肉の詰まったパワー系はまさにカモとも言える存在であるが、刀剣の神である経津主のフィジガルはそこいらの兵士や冒険者とは桁違い。
ゴリ押しが通じてしまう正真正銘のバケモノなのである。
もちろんスコーピオもれっきとした十二公、彼女の扱う毒は効果も持続時間も殺傷性も全て計算し尽くされた上で調合された真なる猛毒であり、神といえど体内に侵入すればその効能に抗うことなど敵わない。
しかし、それも喰らわなければよいこと。
故に彼女の最大の武器である毒牙に対抗し得る経津主神という者は、最も警戒すべき天敵なのである。
「まあいいわ、向かってくるのなら撃ち倒すまでよ」
スコーピオは両手にナイフを抜くと、挑発するようにクルクルと回してみせる。
陽光もロクに届かない路地の中でも怪しい赤紫に光る刃は、獲物に相対するサソリの瞳のようにただ一点を見つめて離さない。
屋根に留まっている茶色い小鳥のつがい。
下の方でジリジリと互いを睨み合う人間どもを冷めた視線で一瞥すると、何事もなかったかのようにピーと鳴いて飛び去った。
瞬間、有無を言わさずナイフを投げるスコーピオ。
ジュリアーノは華麗な身のこなしでかわしながら素早く詠唱し、無数の氷の刃を彼女に向け放った。
しかしスコーピオはそれらをものともせず、いとも簡単に全て打ち落としてしまう。
怯むことなく続け様に凍砲を放つが、これもかわされ、的を外れた吹雪の弾丸は民家の外壁を凍り付かせた。
スコーピオの動きは並の魔物とは比べ物にならないほど素早く、ジュリアーノの技術では正確に狙いきれなかった。
それでもなお、数打ちゃ当たる戦法で術を放ち続ける。
「おかしいわね…」
敵を追尾する軍機のようにひたすら魔術で狙い続けるジュリアーノに、スコーピオはとある違和感を覚え眉を顰めた。
彼女は遠方のアクエリアスから水晶越しに敵の詳細をある程度聞いていた。
生命神ガイアとその眷族であり不老不死の人間カサイケンゴ、武力において飛び抜けている刀剣の神 経津主神、そして、アウローラ公国公王の実弟ジュリアーノ・ベラツィーニ。
中でもジュリアーノは生まれつきに体内の魔力量が著しく乏しく、著名な師の元で2年間修行を積んでも冒険者には軽く及ばないほどであったため、アクエリアスいわく特に警戒する必要のない弱者とのことであった。
だが、今はどうであろうか。
中級魔術を惜しみなく連発し、時には上級魔術も挟みながらスコーピオを狙い続ける彼の魔力は、もうとっくに底をついてもいいはずなのだ。
しかし彼の杖の発光が止むことはない。
周りの壁を見てみれば、彼がこの短い時間でどれだけの術を放ったかがハッキリとわかる。
明らかに普通の冒険者の魔力量ではない。
「一族の天賦?いや、ベラツィーニ家は光属性魔法を得意にしていたはず……なら何故…」
彼がアクエリアスに遭遇したのは約半年前。
たった半年でここまで成長したというの?
手練れの元で2年修行しても大した成長を見せなかった小僧が?
そんな疑問がスコーピオの頭に駆け巡る。
ドォ!!
突如足元で響いた轟音に、スコーピオはその場から瞬時に跳んで振り返る。
そこには水で濡れ土砂のようになった無数の瓦礫が積み上げられていた。
彼女の速度でなければまともに喰らっていただろう。
そうすれば、少なくとも片足が無事では済まなかったはずだ。
あれだけ魔術を連発してもなおこの威力の術を放つことができるという事実に彼女は驚いていた。
だが、それよりも
「この子…今、詠唱した…?」
そう、ジュリアーノは詠唱の呪文を口にしていなかったのだ。
魔術における詠唱とは複雑な術の構築をサポートする役割を持ち、使用する術の階級が高ければ高いほど構築法も複雑になってゆくため必要性が高くなってくる。
漆喰の民家一つを倒壊させるほどの威力の水属性魔術など、上級以上であること以外あり得なく、また上級魔術はその名の通りそもそもの習得難易度が高いので魔術の分野にある程度精通している者、もしくは修行を積んだ者でなければ操ることは困難。
つまり、上級魔術を無詠唱で放ったという事実は非常に驚くべきことであり、なおかつジュリアーノが魔導士としてスコーピオの想像よりも遥かに著しい成長を遂げたという証明でもあるのだ。
こうなればもはや手を抜くことなどはできない。
「ぼくちゃん強くなったのねぇ。ならおねぇさんも本気を出さなくっちゃ」
スコーピオは両手のナイフを放り投げると、腰元から新たなナイフを取り出した。
それは黄金の装飾が柄に施され、先ほどのものよりも妖艶な紫に光るハンジャルナイフ。
ヴァリトラの晶石を調達した時、経津主や賢吾と対峙した際に使用していたナイフだ。
「知っての通りこのナイフに使われているのは強い神経毒。でも、アンタたちを警戒して以前よりもずっと厄介ものに変えたのよ」
スコーピオはナイフを天に投げ、キャッチしてから胸の前で構える。
「ちょっとでも掠ったら白目剥いて泡吹いちゃうかも」
仮面越しにニヤニヤとほくそ笑むスコーピオ。
ジュリアーノは冷静に一度深呼吸をすると、自身も杖を構えて相手をキッと睨みつける。
「今度は、絶対に負けない」




