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第47話「誘拐」

 長針と短針が12の字にピッタリと合わさり、チャイムがゴーンゴーンと低く鳴り始めた。

 談話室もとい図書館には外の様子が見える窓は一切ないため、今が昼間か否かを知るためには時刻により音色の変わるこのチャイムを聴く必要がある。

 経年劣化とともに少々(かす)れた音になりつつあるが、4500年の歴史の中でただの一度も故障していないという、もはや付喪神(つくもがみ)に変化していたとしても不思議ではない代物(しろもの)

 遥か遠くで鳴くトキのようにか細いトトの声はその音に危うくかき消されそうになるが、彼がそれを気に留める様子はない。

 立ち上がり、彼と目線を違えば全く聞こえはしないだろう。

 しかし、彼の真正面で真摯に耳を傾けているアサーラにとってはほとんど関係のないことであった。



「…民たちの怒りは王を処刑した後も治ることを知らず、彼らはメルクリウスに関する遺物を片っ端から処分し始めた。おそらく愚王に支配された歴史を民族の恥とし、彼の存在ごと無かったことにしようとしたのだろう。全てが灰燼(かいじん)と化す前にできるだけ回収はしたのだが、街中の彫像などの装飾は間に合わなかった」

「その日記に関しては単に気が付かなかっただけだ。書物の類はほぼ全て燃やされてしまっていたからな。アイツの性格から考えれば、おそらく他人に書きかけの日記を見られることが小っ恥ずかしかったのだろう」



 トトは阻喪(そそう)な様子でありながらも少し緊張がほぐれてきたようで、震えていた声や動悸が徐々にいつも通りの穏やかさに戻りつつあった。

 そんな彼に少々安心したからか、ずっと話を聴いていたアサーラの表情もどことなく柔らかになってる。



「きっと顔を赤くしながらも笑って許してくれるだろうな。アイツはそういうやつだ」



 そう言うとトトはティーカップを傾けて残りのお茶を飲み干した。

 と、その時。

 カップを机に置いたとほぼ同じタイミングで再び扉が鳴り、お盆にティーポットを乗せたシェファが入ってきた。

 


「失礼します、お茶をお持ちしました…」


「ありがとう。ちょうど無くなったところだ、注いでくれるかい」


「私はまだ残っていますので、ここへ置いておいてくださいまし」



 シェファはトトのカップを受け取ると紫色のお茶を7分目ほどまで注ぎ、残りはお盆と共にカーペットの上に置くとお辞儀をして出ていった。

 トトは注がれたばかりでまだ湯気の立つお茶を一口飲む。



「……ウム、花の香りが強い。ここいらでは珍しい味だ」


「確かに、ここまで香ってくる茶はアルビダイアではあまり聞きませんわね。もしかすると、少し遠くまで買いに行ったのかも。建国祭の出店で中心部の雑貨屋はほとんど閉業していますから」


「そうだな。今度経津主(ふつぬし)に会ったら店の名前を聞いておこう」



 トトは茶の味が気に入ったようで、香りを楽しんでからもう一口飲んだ。

 色々なことを話しきったトトの表情は先ほどとは比べ物にならないほどに柔らかくなっている。

 もちろん能面のように喜怒哀楽をはっきりと表さない表情筋の乏しい顔つきではあるが、それでもいつもよりも親しみやすいような、まるで心の重りが外れて楽になったような、そんな優しい顔であった。

 そんな彼の表情を見てアサーラは少しホッとしたようで、小さくため息を吐く。



「あの、トト様。もしよろしければその、先ほどおっしゃられていたメルクリウス様との旅路というもの…お話ししていただけないでしょうか。あなた様のお話しを拝聴させていただき、彼への興味が憧れに変わりましたわ。現代のこの国の姫として、その素晴らしきお考えや志をできるだけ踏襲(とうしゅう)して、統治なさるお父様やお兄様方のお役に立ちたいのです」



 胸に手を当てて懇願するように言うアサーラに、トトは一瞬目を逸らして考える。

 だが、熱心に自分の話を端から端まで聴き入れ受け止めてくれた彼女に彼も心を許したのか、すぐに決心がついたようで「良いだろう」と言って頷いた。



「だが踏襲はしなくていい。あの思い切りの良さとフットワークの軽さはアイツ特有のものだ。抜け目の無いやつではあったが、昔は短慮さが抜け切らず度々失敗に終わることもあったしな。あくまで参考程度に留めておくのが最適と言えるだろう」



 トトは再びティーカップを手に取って茶を一口飲むと、旅路のことを思い返すのならメルクリウスの日記を読み返しながら語るのが最適だろうと考え、立ち上がると左奥のドアを開けた。



「ついてきなさい、彼の日記を元に話してあげよう」



 そう言うトトにアサーラは今までに無いくらい顔をパァっと明るくし、「はい!」と元気はつらつな声で返事をした。

 彼女は図書館前の一本道以上にウキウキルンルンな様子で、母を追うカルガモのようにトトの後を着いていく。

 それもそのはず、なんと言ったって憧れの人物についての話を聞けるだけでなく、失われたと思われていた直筆の日記まで見せてもらえるだなんてことは、彼女にとっては一世一代と称しても過言ではないほどに喜ばしく興奮冷めやらないことであった。

 願っても無いサプライズに、いい意味で調子に乗っていたのである。




 一方その頃、図書館の一角ではソファに背をもたれながら「トト神の歴史講義」とやらの終わりをひたすら待ち続ける3人がいた。

 ひたいに汗を流しながら漫画を読みふけるサイファルと、その隣でカフェラテ片手にアスガルドのファッション雑誌を広げてくつろぐウルファ。

 そしてその向かいで3人座れるはずのソファの半分を尻で占領し、悠々自適に娯楽小説を読むアサド。

 「うおっ」と言いながら唐突にソファから立ち上がるサイファルに、ウルファは驚きコップをひっくり返しそうになりながらも「うるさい」と文句を言った。



「ギラガメイザーがついに戦列復帰を果たしたぞ!いつかいつかと待ち望んで2年、再びこの黄金の機体を拝める日が来ようとは!」


「あーはいはい。よかったわね。本当」


「これを見ろウルファ!ギラガメイザーの復活を記念して、咲耶(さくや)先生が描き下ろしカラーイラストを次の単行本に掲載してくださるらしい!」


「その頃には砂嵐も止んで物流も完全に元に戻ってるでしょうね」


「ああ、また漫画雑誌を求めて毎週輸入雑貨屋に足を運ぶ日々が待ち遠しい!」


「それ月刊でしょ」


「2人とも静かにしないか」



 アサドはあと大きくため息を吐き、3章まで読み終えた娯楽小説に付属の付箋を挟んでふとシャジェイアの方を見た。

 彼は事務所の扉の隣にある1人用のソファに本も読まず腰掛けたまま、トイレ以外は1時間近くほぼ微動だにしていない。



「心配ありませんって団長、セキュリティに関してトト様の術の施されたこの館の右に出る建物は、アスガルドの総合学院くらいですから」



 若干呆れながらそう言うアサドに、シャジェイアは眉をひそめ腕を組んだまま首を縦に振る。



「それは承知している。だが万が一というものがある」



 その二言だけを言って再び口をムンズと固く結ぶシャジェイアに、アサドはまた小さくため息を吐いた。

 トトは月に十数回ほどミフターフのさまざまな地域に分身で出向いては、家庭の事情から教育の受けられない子供達に文字の読み書きや数学を教えたり、歴史について語ったりとさまざまな恩恵をもたらしている。

 そのため国内では彼を知らぬ者などいないほど有名な存在であり、同時に慕われているのだ。

 だが砂漠で悪行を働く盗賊どもは、小刻みに拠点を変えながら一範囲の砂漠を転々とするために彼との関わりを持つ者が少なく、その恩恵も滅多に受けることがない。

 そのため、一般人がトトに抱くような信頼や尊敬の念が彼らは極度に薄く、普通のミフターフ人と違って彼に対する考え方とても達観している傾向にあるのだ。


 そんなことをいつかどこかで聴いたなぁと思いながら、アサドは再びシャジェイアを見た。

 彼が王宮に拾われてから約10年と9ヶ月、一柱の神を信用するには十分な時間であると考えられるが、盗賊の頃の警戒心の残りか、はたまた近衛兵としての忠義と責任感によるものか、彼がこの安心安全なはずの館内で未だ緊張を解かないのは、色々考えてみてもアサドには少しばかり理解のしづらいものであった。



「おや?」



 さっきまで手に汗握る様子で漫画にかじりついていたサイファルが突然そんな声を出したので、ウルファとアサドは反射的に彼の方を見た。

 少し驚いたような彼の視線の先を見てみると、そこには小さな紙袋片手にこちらへ歩いてくる1人の男の姿。

 経津主だ。



「ずいぶんと遅かったじゃないか。そんなに時間のかかる使いだったのか?」


「普通ならこんなにかかんねぇよ。けど建国祭のせいでどこも閉まっててな、街の端っこまで行ってやっと見つけたんだぜ」



 気だるげに紙袋をつまんで宙ぶらりんにゆらゆらと揺らす経津主にやれやれと苦笑するサイファル。

 経津主はそのまま疲れたようにため息を吐きながら事務所へ入っていった。


 事務所の台所、何かを探し求めるように上下左右の戸棚を開け閉めする経津主の姿を、仕事場の本を整理しにたまたま通りかかったトトが目撃した。

 いや、正確に言えばトトの分身体であるが、その記憶と感覚は本体と共有されているため、ほとんど本人と言って差し支えないだろう。



「どうした、何を探している」


「あ?ああ、アレだよ。茶葉の入ってるヤツだ。頼まれてたヤツ買ってきたからよ」


「茶葉…それなら既に受け取ったが」


「は?」



 予想外の言葉に思わず間の抜けた声が出る経津主。

 トトも彼の困惑を察知し、続けて状況を説明した。



「君と直接顔を合わせたわけではないが、少し前にシェファが君から貰い受けたと言って、沸かして私とお客に振る舞った」


「しらねぇよンなの。俺様はたった今帰ってきたんだ、シェファになんか会ってねぇし、そもそもそんなモノグサせず、しまったら直接ケンゴに報告するぜ。アイツはどうした」



 するとトトは何かを察して口元を押さえ、深刻そうな顔で考え込む。

 イラつきながらも不思議そうにしていた経津主も、彼の様子を見てある危険な予測が脳裏をよぎった。



「ケンゴは君に呼び出されて、そのまま帰ってきていない」


「…!!」




 バァン!!


 落雷のような轟音を立てていきなり開いた扉に、ソファでくつろいでいたサイファルたち3人は空砲を聞いた子鹿のように跳んで驚いた。



「ふ、経津主!?頼むから驚かさないでくれよ!」



 飛び出そうになった心臓を押さえ込むように胸に手を当てて、必死の形相でそう訴えるサイファル。

 勢い余ってカフェラテをこぼしてしまったウルファは、申し訳なさそうにハンカチを取り出して絨毯を拭きながら頬を膨らませている。

 だが、シャジェイアとアサドだけは何か良からぬ事象が起こったと勘付き、神妙な面持ちで経津主に何があったかを問うた。



「ケンゴが攫われたかもしれねぇ」


「「!!」」


「なんだって!?本当か経津主!!」



 サイファルは身を乗り出し、衝撃を受けた様子で叫ぶ。

 大声を再びアサドに制され少しだけバツが悪そうに食い下がるが、それでも心配の気持ちが勝ったようでやっぱり押さえられない様子であった。


 同時刻、仮眠室で休んでいたジュリアーノとガイアにもこの情報は伝えられた。

 寸暇(すんか)に読書を楽しんでいた彼にとって、それは寝耳に強炭酸水でも注がれたような衝撃だった。

 いや、普段通りの生活の中にいたとしても同じだろう。

 とにかく、彼は顔を真っ青に染めるや否や部屋を飛び出ようとした。

 隣でぬいぐるみをいじっていたガイアも同じく、ジュリアーノと共にベッドから立ち上がったところでトトに無理矢理制止された。



 一度集合した後、皆で図書館近くを探した。

 20分ほど辺りを捜索したが、賢吾どころか住宅街まで行かなければ人っ子一人いない状況であった。

 こうなってしまえば事実は明白。



「賢吾が…賢吾が攫われちゃった……!攫われちゃったよ!早く探さないと!」



 泣きそうになりながら慌てふためき我を忘れそうになっているガイアをウルファがなだめ、隣のサイファルは奥歯をギリッと噛み締めて悔しそうな表情を浮かべる。



「クソ……一本道でしかも同じ方向からなのに先回りされるだなんてほぼあり得ないことだったのに、もっと警戒するべきだった。ヤツを本物と信じてしまった」


「原因を模索する暇は無いぞ。今は一刻も早く賢吾の居場所を特定して連れ戻すことが最重要だ」



 すると、ふとシャジェイアが腰につけていたストラップを外した。

 それは金色のチェーンの先にA玉ほどの大きさの水晶がついたもので、覗くと目線のあらゆる障害物が消え去り、虚空を映し出す不思議なものであった。



「アサーラ様と護衛人には皆発信機をつけさせています。ケンゴも姫様と共に行動するということであらかじめ持たせておきました」



 シャジェイアが取り出したストラップは発信機の大まかな場所を割り出すための道具であり、先っぽの水晶玉を通して見ると障害物を無視して発信機のみが赤く光り輝いて見えるという仕様のもの。

 トトが水晶越しにシャジェイアを覗いてみると、確かに彼の巨躯はすっかりと消え去り、代わりに腰元であろう部分だけが赤く強く光って見えた。

 そのままのぞきながら見回してみると、繁華街の方に蛍のように小さく光る赤い点を見つけた。



「ありがとう。どうやら城下の方にいるようだ。人混みに紛れているのかはたまた建物の中か」



 繁華街は建国祭の真っ最中ということもあり、大勢の人と出店でごった返している。

 そんな中で1人の人間を捜索するとなればそうとい骨が折れるだろう。



「時間が経つと逃げられるかも知れん。急ごう」



 そう言ってすぐ歩き出すトトに、気がどこかに行っていたジュリアーノは声を聞いた途端ハッとし、焦った様子で駆け寄った。

 彼は焦りが全く消えない様子で、先ほどからずっと青ざめた表情で肩で息をしている。

 辺りを探し回った時もガイアに次ぐ声の大きさで賢吾の名を何度も強く呼んでいた。

 トトはそんな彼の状態を見て冷静を保つのが難しいと考えたが、状況が状況なのでやむに負えないと判断し、とりあえずと励ましの言葉を入れた。




 その頃、繁華街の一角、潰れた香料店の地下の狭い部屋の中で、賢吾は眠ったままベッドと思しき器具の上に大の字で縛り付けられていた。

 薄暗い部屋の中にはそれの他に幾つかのテーブルがあり、また入り口近くの壁と暖炉の上と賢吾の頭上近くにそれぞれ燭台があり、朱色の光が暗黒の中に微かな暖かさを(かも)し出して、まるで黒魔術でも始まりそうな様子。


 誘拐されてから1時間近くが経った頃、賢吾はうなじと手足に微かな痛みを覚えながら目を覚ました。



 「…?」



 見たことがない光景に一瞬状況が理解できなかった。

 だが肌の露出している部分から伝わる感触から、オレがベッドに寝そべっているということはわかる。

 しかし、どうにも体勢がおかしい。

 手と足を上下に広げてなおかつ紐のようなもので縛られていて、全くもって身動きが叶わない。

 なんだ、なんなんだいきなり。

 どういう状況なんだ。

 無理に手足を動かそうとして縄が閉まり、肉が絞られる痛みに顔をしかめたその時、やっとさっき起きたことを思い出した。

 そうか、確か経津主に襲われて、そのあと誰かに首のあたりを殴られたんだ。

 ……いや、あれは経津主じゃない。

 アイツは蹴り1発でダウンするようなやわなヤツじゃないし、第一オレの攻撃があんなに簡単に当たるはずがないんだ。

 つられて体勢を崩したのも、アイツの屈強な体幹を考えればあり得ない。

 となれば、あの経津主は偽物____。



「あら、もうお目覚め?」



 馴れ馴れしく耳を舐めまわされるような聞き覚えのある妖艶な声に、背筋が凍りつくような感覚がした。

 恐る恐る声のした方を見ていると、そこには腰まである長い黒髪を三つ編みにした、毒々しい紫色の瞳の女が立っていた。

 


「お前は……まさか、スコーピオか!?」


「あら、わかっちゃったの?そんなに印象深かったかしら、最近の子って意外に良い感性を持ってるのねぇ」



 オレが驚いたのは、スコーピオがそこにいたということだけではない。

 初めて見たはずの彼女の素顔に、なぜか見覚えがあったのだ。

 短い時間の中で記憶を辿っていくが、はっきりとしたものは思い出せない。

 だがしかし、ヤツの顔には確かにいつかどこかで会った覚えがあったのだ。

 もしかすると、そのいつかどこかで居場所を把握する手段を得たか、だとすればやはりヤツらは前々からオレたちに目をつけ後を追っていたということか。

 なんて狡猾なヤツ。



「無闇に動かないほうがいいわよ。動けば動くほど締める力が強くなっていくから、切断する羽目になりたくなければよしなさい。ま、不死身のあなたにはそう関係のないことでしょうけど」



 スコーピオはフフフと不気味に笑いながらそう言い、近くのテーブルから何かを取り出してベッドに取り付け始める。

 するとそばに立っていた下っぱと思しき見知らぬ男女がハッとした様子で「お手伝いいたします」と言って器具の組み立てを手伝い始めた。

 少しすると、ちょうどオレに額の辺りに鉄の器具で繋がれた水晶玉が取り付けられた。

 これは…一体……



「気になるぅ?これはねぇ、特別な鑑定装置なのよ。今からあなたの魂を鑑定するの」



 魂を鑑定?

 なんでそんなことを……てっきりガイアの居場所を訊き出すために拷問でもされるものだと思ったけど。

 生命神の眷族という正体がバレている今に魂の鑑定だなんて、なんの意味があるんだ?

 まさか、転移者であることを!?

 ……いや、卓越した知識でもない限り異世界人に対するメリットは無いとトトが言っていたし、そこは関係ないか……。

 オレたちが把握していないことを探ろうとしているのだろうか。

 

 そうやって色々と考えを巡らせていると、スコーピオがおもむろに手帳を取り出して開き、水晶へ手をかざして何か呪文を詠唱し始めた。

 詠唱にしてはやたらと長い文言を1分ほど読み上げる。

 すると、さっきまで無色透明だった水晶が一気に光り輝いたかと思うと、徐々に収まると同時に中心から煌びやかな青緑色に染まり、そして気球のようにフワフワと浮いた。

 うっ、まぶしい。



「目を瞑っててもいいけれど、たいして意味はないわよ」



 勉強机のスタンドを直接覗いているような気分だ。

 鑑定が始まったのか、水晶玉はオレの脳から白い光をゆっくりゆっくりと吸収していく。

 嫌な気分だ。

 体調が悪いというわけではなく、なんとなく気持ちが悪い気がする。

 すると



「スコーピオ様、こちらはいかがいたしましょう」



 そう言って下っぱがスコーピオに何かを差し出した。

 暗くてよく見えない、だがヤツがつまむような動作をしている様子からそれがとても小さなものだということだけはわかる。

 スコーピオは何かを瞳まで持ってきてじっくりと観察をすると、次の瞬間地面に落としてそのままパキッと踏み潰してしまった。



「発信機ね。全く面倒なことしてくれるんだから」



 発信機?

 まさかシャジェイアさんにもらったヤツか!?

 なんてことだ、みんながオレの居場所を特定する手段がなくなってしまった。

 …いや、むしろ好都合か?

 オレの居場所が知られなければみんなが助けに来て傷つくこともない、そう考えればこの状況は……いや、いやいやいや、何考えているんだ。

 自分を大切にしろって、昨日トトに言われたばかりだろ。

 どうにもできないときは仲間を頼るべきだ。

 無闇に動いてもかえって状況を悪化させるかもしれない。

 けれど、かと言って何もしないでただ寝ているだけというのはよくないだろう。

 視覚から何か得られる情報はないか。

 暗くてよく見えないけれど、内装からしてミフターフの普遍的な家屋であることは明白。

 なんとなく大衆の賑やかな声が上の方から聞こえる気がする、おそらくアルビダイアからは出ていなさそうだ。

 どうにか、どうにかしてここから抜け出す方法を考えないと。



 

 トトたちは早速繁華街へ向かい辺りを駆け回った。

 アサーラとガイアは狙われる危険性があるとのことでウルファが護衛につき図書館で待機。

 案の定繁華街には活気に満ち溢れた人々が、淀んだ黄緑に染まった川のようにドロリと流れている。

 1人がトトの存在に気がついたと思うとその声に反応し、人が次々と寄ってきた。

 トトはそれらの群衆を制しながらも、もしかするとこの近くで戦闘が起きるかもしれないという旨を伝え、人々を少しずつ繁華街から遠ざけていった。



「ダメだ」



 水晶玉を覗きながら方角を伺っていたシャジェイアがため息混じりにそうこぼした。



「反応が消えてしまった。波が妨害を受けたか、もしくは壊されたのだろう」


「そんな!」



 ストラップの先っぽの付いた水晶玉、先ほどまで前方に見えていた赤い点は今や跡形もなく消え去ってしまっている。

 追跡の手段がなくなり、ジュリアーノは肩を落とした。

 そして口元を押さえながら考え込む。

 魔力探知魔術を使おうにも、賢吾は本人の体内魔力が薄すぎるという彼の特性のせいで探知網に引っかからない上に、眷族であるガイアの魔力が大半を占めているということで、魔力だけで見ればほぼガイアと見分けがつかないのだ。

 かといって彼女の魔力をベースにしたとしても、最近は攻撃魔術ばかりを練習して訓練が(おろそ)かになっていたジュリアーノの術では精密な位置を割り出すことが難しい上に、ガイア本体との区別がつかず脳に負担がかかることになる。

 そうなれば今後起こるであろう十二公との戦闘で不利になってしまうだろう。

 トトは自身を弱いと公言している上にウルファは不在。

 今いる中でまともな攻撃魔法を扱えるのはジュリアーノのみだ。

 あの経津主が苦戦を強いられた相手、彼よりも強いシャジェイアが味方にいるとはいえ、まともな戦闘をしていないタウラスの実力は未知数。

 彼の今までの経験からすれば、少なくともスコーピオ以上であると考えられる。



「11時の方向、大通りから逸れた裏道の方に感じる」



 外界の音をほとんど遮断し考え込んでいたジュリアーノであったが、ふと耳に入ったトトの声に驚くと同時に意識が戻った。



「感じるって、魔力ですか?まさか、どうやって」

 

「複雑なことではない。一般的な探知方法と同じで、ガイアの魔力を探知した後それと同じものを探したまでだ。彼女の魔力は非常に特徴的、故に探知も常人を探すよりずっと容易い」



 それは、たった今ジュリアーノが考えていたものと全く同じであった。

 単純明快、故に熟練度と繊細な術構築が必要。

 己の未熟さのために断念した手段を軽々とやってみせたトトを前に、ジュリアーノは喜びと悔しさを覚え、そして同時に、トトが正真正銘の『神』であるということを再認識した。

 



 ギギィとなんとも立て付けの悪い音を響かせながら開く木製の扉。

 部屋の中よりも更に暗い闇の中から入ってきたのは、スコーピオよりも長身の仮面をつけた女だった。

 その姿には見覚えがある。

 ヤツと同じ十二公のタウラスだ。



「どうやらもうここを嗅ぎつけたようだよ。どんどん近づいてきてる」


「なぁに?もう?やっぱり発信機のせいね。全く、タウラスちゃんがちゃんと確認しないから」


「ごめん、次は気をつける」



 タウラスは申し訳なさそうにそう言って目を逸らすと、ドア横のテーブルから小さなストラップを拾い上げてギュッと握りしめた。

 そして下っぱに目配せをしてから「片付けてくる」とひとこと言ってすぐにまた扉を開いた。

 それに呼応するように「ネズミ1匹でも通したら容赦しないわよ」と見送るスコーピオ。

 一見すれば同僚同士の何気ない会話であるが、オレの耳に入ったタウラスの声はどこか相手を案ずるような、子供が母親に語りかけるような温かみを帯びており、反対にスコーピオの声には淡々とした冷たさを感じた。

 なんだろう、この違和感は。

 軽いわけでも重々しいわけでも淡白なわけでもない。

 どこか、愛情の一方通行な親子のやり取りのようだった。

 



 トトのナビゲーションに従い探知魔術で賢吾の魔力を観測した位置まで走る6人。

 彼が分身を使い住民たちを逃したからか、祭りの最中だというのに大通りにはほとんど人がいなくなっていた。

 ミフターフの民に対するトトの影響力と彼へ信頼はやはり凄まじい。

 そう皆が感心をしていたその時

 先頭を走っていたトトが急に足を止め、警戒するように辺りを睨み始めた。

 その様子に並々ならぬ予感を察知した一同は、それぞれ態勢を整える。

 すると___


カツ…カツ…


 砂の被ったタイルの道を踏み締める金属の音と共に、出店の横から4人の人間が出てきた。

 


「タウラス…!!」



 3人の部下を引き連れた、ギベオン教団十二公タウラスその人であった。

 彼女の姿を目視した瞬間、杖を向けるジュリアーノ。

 だがタウラスは動じることなく、静かにため息をついてみせた。



「怪我したくなきゃさっさと帰んな。ここは絶対に通さない。もし()けないってんなら、」



 タウラスが右手に念を送ると、握りしめられていたストラップ一瞬のうちに膨張して大剣へと変化した。



「少し荒っぽいことになるかもね」



 凛とした巨牛のような圧力に圧倒され、息を呑む一同。

 凄まじい威厳。

 手足に巻かれた包帯は治癒を待つ負傷か、歴戦の傷を隠すものか定かではない。

 だが、彼女が稀に見る強者であることだけは空気感からヒシヒシと伝わってくる。

 しかし、シャジェイアはそんなタウラスに物怖じすることなく腰元から極太の鎖を抜きジャラリとならせて構え、彼女に向けて啖呵を切った。



「それは許容のできない願いだな。ケンゴを捕まえることが君たちの使命なのかもしれないが、生憎彼は姫様の大切な友人なのでな」


「そうだ、力ずくでも返してもらう!!」



 シャジェイアに続きジュリアーノも啖呵を切り、そんな2人を見てサイファルとアサドもそれぞれ武器を持つ。

 トトは数歩離れると地面に手を着き詠唱を始める。

 すると彼らの周辺、街の一帯が突如発生した緑色のドームで一気に覆われた。



「半径500※ジューロの領域に強力な防御結界を張った。この中であれば好きに暴れて構わない」



 タウラスが武器を構えると、後ろに待機していた3人の下っぱも各々の武器を構えた。

 鋭い刃先、重厚な鈍器、光り輝く宝石、決意のこもった戦士同士が向き合い、風で渦を巻く砂の上に様々な闘気が満ち溢れる。

 斜めの角度から差し込める太陽の光が反射しきらりと輝いたその時、シャジェイアの踏み込みと同時に激しい戦闘が始まった。

※ジューロ……この世界におけるメートルの意

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