第四幕:乾杯の歌(後編)
本話はアッサリ仕立てにしました。
日本では『椿姫』で有名な『道を踏み外した女』(原題:La Traviata)です。
この物語の冒頭で歌われるのが、本話サブタイトルの『乾杯の歌』になります。
物語の行く末を暗示するような、つかの間の宴と楽しみが歌われます。
メロディ自体は軽やかな上に優雅なので、夜会などで演奏するには良いかもしれませんね。
静まる部屋の中で、わたしはピアノを弾き始める。
ピアノの軽やかなしらべに合わせて、皆が各々のワイングラスを掲げる。
腰まであるシルバーグレイの髪の男が、グラスを片手に皆の前に出てきた。
それからピアノの伴奏に合わせて、彼が独りで高らかに歌い出す。
『乾杯しよう 美しく飾った杯で この喜びを
そしてつかの間の時を 楽しく酔いしれよう
乾杯しよう 愛が呼び覚ますときめきで この甘美を
あのまなざしが 大いなる力を心に向けるから
乾杯しよう 愛は杯の間で
より熱い口づけを得るだろう 』
そして彼の素晴らしい歌声に続いて皆が歌う。
既にほろ酔い気分の赤毛さんと、メイド服の猫娘、年若い美しい金髪の女性。
それに部屋の片隅にいる黒髪の彼と、演奏するあたしも皆と一緒に合唱する。
『乾杯しよう 愛は杯の間で
より熱い口づけを得るだろう
乾杯しよう 愛は杯の間で
より熱い口づけを得るだろう 』
それから先ほどのあたしによく似た女性が、グラスを手に独りで歌い始める。
生き生きとした彼女の笑顔が、何だかとても眩しい。
『皆さんと一緒に 私の喜ばしいひと時を分かち合いましょう
楽しくないものは 全てむなしい
楽しみましょう はかない愛の喜びを
それはすぐ散る一輪の花 今楽しまなくては
楽しみましょう この宴に燃え上がる素敵な言葉を 』
そして彼女の素敵な歌声に続いて、わたしも一緒に皆と歌う。
『楽しみましょう 杯と歌を 美しい夜と笑いを
この楽園の中で 新たに見いだしましょう 』
それから彼女と彼が手を繋ぎ、歌い続ける。
『生きがいは 喜びの中にあるわ 』
『まだ君は愛を知らない 』
『知らないわたくしに それを言わないで 』
『これが私の運命なのです 』
そして皆で一緒に。
『楽しみましょう 杯と歌を 美しい夜と笑いを
この楽園の中で 新たに見いだしましょう 』
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<ジュゼッペ・ヴェルディ作、オペラ【ラ・トラヴィアータ】より、アリア『乾杯の歌』/訳:Principe>
二人の歌が終わり、わたしもピアノを弾き終えた。
すると自然に、皆から乾杯の掛け声と拍手があがる。
「いやあ、大したもんだぜ。ガルガーノに歌の才能まであったとは、今初めて知ったぞ。よく分からんが、素晴らしい!」
芸術に理解の無さそうな赤毛の親友が、拍手をしながら彼を褒めたたえる。
ついぞ前には無かったのに、今では薄いあごひげをたくわえていた。
きっと彼も子供が生まれてからこっち、家庭内での自身の立場向上を狙ってのことだろう。
「お疲れ様にゃ。ジルにゃんのピアノは、いつも素晴らしいのにゃ」
そう言いながら、愛らしい白毛の猫娘があたしにワイングラスを持ってきた。
彼女こそいつものように自身が楽しむのも惜しんで、皆に酒を注いで回っている。本当に働き者で頼りになる、あたしの可愛い妹分だ。
そしてその部屋の片隅には壁に背を預けるように、両腕で赤ん坊を抱えながら黙って見守っている男がいた。男は漆黒の艶やかな髪と切れ長の目をした細面。
うん、あたし好みの素敵な美丈夫である。
彼が身にまとう苔のような濃い黄緑色の騎士服の胸には、金地の盾に剣を口に咥えた白き狼の刺繍が施されていた。
「あら? 果実水が切れたようね。──公爵様には申し訳ないけど、厨房から取ってきて貰えないかしら?」
そう言われた壁際の彼は、腕の中の赤ん坊をあたしに預けると。
「やれやれ、相変わらず……夫使いの荒いご夫人だ」とボヤキながら、彼は笑顔で部屋を出て行った。
あの激動のような日から二年、いえもうすぐ三年の月日が流れるのかしら?
長いようで短い、あっという間の日々だったと思う。
本当に色々あったけど、今となって何もかもが懐かしい。
あたしのお父様はあの後、しばらくの間は伯爵様の元で働いていた。
でも初孫を抱いてから奮起したのか、今は司法庁の官吏として日々務めている。
婆やは相変わらず、あたしと娘の世話をやいてくれていた。
新米夫婦には子育ての全てが初めての連続だ。
そのために勝手がわからず、毎日二人で苦戦している。
だからあたしたち夫婦にとって、彼女はなくてはならない存在なのだ。
それから今ではミハクちゃんが、我が家の中をきりもりしてくれている。
いつもアレコレと甲斐がいしく、細かいところまで気を配ってくれた。
そのおかげで、夫婦ともども色々と助かっている。
そしてつい先日、やっと全ての裁判が終わったのだ。
それにともないガルガーノも、長きにわたる軟禁生活から解放されたのである。
故に今、皆で喜びを分かち合い、こうしてお祝いの宴ができた。
あと来月には、彼とマリーの二人が結婚式をあげるらしい。
彼女がギリギリ十代の内に嫁入りできて、本当に良かったと思う。
かつて彼女は拘留中の愛しい人を、何年でも待つと言っていた。
思ったように裁判が進まず、全くその終わりが見えなかったにもかかわらずだ。
下手すれば五年、十年は掛かる可能性もあったと思う。
もしそうなっていては、彼女も行かず後家と噂されていたかもしれない。
そうなのだ。あたしのような行き遅れの令嬢を貰ってくれる、物好きの殿方が現れるのはめてまれなのだから。
そういう意味では、あたしもすご~く幸運であった。
我ながら不本意な生涯独身を貫かずに済んで、正直ホッとしている。
これこそ奇跡の逆転的な、ハッピーエンドではないかしら?
こうして幸せそうな皆の笑顔を目にして、あたしとわたしは心から嬉しかった。
(ありがとう。わたしはもう満足したわ。)
あぁ、もう行くのね……。こちらこそ、たくさんありがとう。
(ええ、わたしの番は終わったの。次からはあたなが歌うのよ。)
そっか、寂しくなるわ。あたしもアナタのように歌えるかな?
(大丈夫よ。あなたはわたしなのだから)
そうね。あたしはアナタなのだから……。
「(さようなら、希望と魂よ)」
~ Finito ~
本話をもって、この物語は終幕を迎えます。
最後までご拝読くださり、本当にありがとうございました。
3/30:物語の大筋は変わりませんが、第一部と第二部と第三部を後日改めて、加筆修正する予定です。あとスマホでも読みやすいように、変更したいと考えております。




