表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

90/90

第四幕:乾杯の歌(後編)

本話はアッサリ仕立てにしました。


日本では『椿姫』で有名な『道を踏み外した女』(原題:La Traviata)です。

この物語の冒頭で歌われるのが、本話サブタイトルの『乾杯の歌』になります。

物語の行く末を暗示するような、つかの間の宴と楽しみが歌われます。

メロディ自体は軽やかな上に優雅なので、夜会などで演奏するには良いかもしれませんね。

 

 静まる部屋の中で、わたしはピアノを弾き始める。


 ピアノの軽やかなしらべに合わせて、皆が各々のワイングラスを掲げる。

 腰まであるシルバーグレイの髪の男が、グラスを片手に皆の前に出てきた。


 それからピアノの伴奏に合わせて、彼が独りで高らかに歌い出す。


『乾杯しよう 美しく飾った杯で この喜びを

 そしてつかの間の時を 楽しく酔いしれよう 


 乾杯しよう 愛が呼び覚ますときめきで この甘美を

 あのまなざしが 大いなる力を心に向けるから


 乾杯しよう 愛は杯の間で

 より熱い口づけを得るだろう 』



 そして彼の素晴らしい歌声(テノール)に続いて皆が歌う。

 既にほろ酔い気分の赤毛さんと、メイド服の猫娘、年若い美しい金髪の女性。

 それに部屋の片隅にいる黒髪の彼と、演奏するあたしも皆と一緒に合唱する。


『乾杯しよう 愛は杯の間で

 より熱い口づけを得るだろう 


 乾杯しよう 愛は杯の間で

 より熱い口づけを得るだろう 』



 それから先ほどのあたしによく似た女性が、グラスを手に独りで歌い始める。

 生き生きとした彼女の笑顔が、何だかとても(まぶ)しい。


『皆さんと一緒に 私の喜ばしいひと時を分かち合いましょう


 楽しくないものは 全てむなしい 

 楽しみましょう はかない愛の喜びを


 それはすぐ散る一輪の花 今楽しまなくては

 楽しみましょう この宴に燃え上がる素敵な言葉を 』 



 そして彼女の素敵な歌声(ソプラノ)に続いて、わたしも一緒に皆と歌う。


『楽しみましょう 杯と歌を 美しい夜と笑いを

 この楽園の中で 新たに見いだしましょう 』



 それから彼女と彼が手を繋ぎ、歌い続ける。


『生きがいは 喜びの中にあるわ 』


『まだ君は愛を知らない 』


『知らないわたくしに それを言わないで 』


『これが私の運命なのです 』



 そして皆で一緒に。


『楽しみましょう 杯と歌を 美しい夜と笑いを

 この楽園の中で 新たに見いだしましょう 』


 ・

 ・

 ・


<ジュゼッペ・ヴェルディ作、オペラ【ラ・トラヴィアータ】より、アリア『乾杯の歌』/訳:Principe>




 二人の歌が終わり、わたしもピアノを弾き終えた。

 すると自然に、皆から乾杯の掛け声と拍手があがる。


「いやあ、大したもんだぜ。ガルガーノに歌の才能まであったとは、今初めて知ったぞ。よく分からんが、素晴らしい!」


 芸術に理解の無さそうな赤毛の親友が、拍手をしながら彼を褒めたたえる。

 ついぞ前には無かったのに、今では薄いあごひげをたくわえていた。

 きっと彼も子供が生まれてからこっち、家庭内での自身の立場向上を狙ってのことだろう。


「お疲れ様にゃ。ジルにゃんのピアノは、いつも素晴らしいのにゃ」


 そう言いながら、愛らしい白毛の猫娘があたしにワイングラスを持ってきた。

 彼女こそいつものように自身が楽しむのも惜しんで、皆に酒を注いで回っている。本当に働き者で頼りになる、あたしの可愛い妹分だ。


 そしてその部屋の片隅には壁に背を預けるように、両腕で赤ん坊を抱えながら黙って見守っている男がいた。男は漆黒の艶やかな髪と切れ長の目をした細面。

 うん、あたし好みの素敵な美丈夫である。


 彼が身にまとう苔のような濃い黄緑(モスグリーン)色の騎士服の胸には、金地の盾に剣を口に咥えた白き狼の刺繍が施されていた。


「あら? 果実水が切れたようね。──公爵様には申し訳ないけど、厨房から取ってきて貰えないかしら?」


 そう言われた壁際の彼は、腕の中の赤ん坊をあたしに預けると。


「やれやれ、相変わらず……夫使いの荒いご夫人(シニョーラ)だ」とボヤキながら、彼は笑顔で部屋を出て行った。




 あの激動のような日から二年、いえもうすぐ三年の月日(つきひ)が流れるのかしら?


 長いようで短い、あっという間の日々だったと思う。

 本当に色々あったけど、今となって何もかもが懐かしい。


 あたしのお父様はあの後、しばらくの間は伯爵(オジ)様の元で働いていた。

 でも初孫を抱いてから奮起したのか、今は司法庁の官吏として日々務めている。


 婆やは相変わらず、あたしと娘の世話をやいてくれていた。

 新米夫婦には子育ての全てが初めての連続だ。

 そのために勝手がわからず、毎日二人で苦戦している。

 だからあたしたち夫婦にとって、彼女はなくてはならない存在なのだ。


 それから今ではミハクちゃんが、我が家の中をきりもりしてくれている。

 いつもアレコレと甲斐がいしく、細かいところまで気を配ってくれた。

 そのおかげで、夫婦ともども色々と助かっている。



 そしてつい先日、やっと全ての裁判が終わったのだ。

 それにともないガルガーノも、長きにわたる(うらやまない)軟禁(ニート)生活から解放されたのである。

 故に今、皆で喜びを分かち合い、こうしてお祝いの宴ができた。

 あと来月には、彼とマリーの二人が結婚式をあげるらしい。


 彼女がギリギリ十代の内に嫁入りできて、本当に良かったと思う。


 かつて彼女は拘留中の愛しい人を、何年でも待つと言っていた。

 思ったように裁判が進まず、全くその終わりが見えなかったにもかかわらずだ。

 下手すれば五年、十年は掛かる可能性もあったと思う。

 もしそうなっていては、彼女も行かず後家と噂されていたかもしれない。


 そうなのだ。あたしのような行き遅れ(いわくつき)の令嬢を貰ってくれる、物好きの殿方が現れるのはめてまれなのだから。

 そういう意味では、あたしもすご~く幸運であった。

 我ながら不本意な生涯独身を貫かずに済んで、正直ホッとしている。


 これこそ奇跡の逆転(ご都合主義)的な、ハッピーエンドではないかしら?


 こうして幸せそうな皆の笑顔を目にして、あたしとわたしは心から嬉しかった。



(ありがとう。わたしはもう満足したわ。)

 あぁ、もう行くのね……。こちらこそ、たくさんありがとう。


(ええ、わたしの番は終わったの。次からはあたなが歌うのよ。)

 そっか、寂しくなるわ。あたしもアナタのように歌えるかな?


(大丈夫よ。あなたはわたしなのだから)

 そうね。あたしはアナタなのだから……。



「(さようなら、希望(あたし)(わたし)よ)」



 ~ Finito( おしまい ) ~



本話をもって、この物語は終幕を迎えます。

最後までご拝読くださり、本当にありがとうございました。


3/30:物語の大筋は変わりませんが、第一部と第二部と第三部を後日改めて、加筆修正する予定です。あとスマホでも読みやすいように、変更したいと考えております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ