第三幕:希望と魂(第十一編)
ちょっと長くなりましたけれど、この話で第三幕は終わります。
我が家の庭先は、まぶしいほどの明るさに満ちていた。
もうすぐ夜明け前にもかかわらず。
そうなった原因は、あたしの眼前にある熱風を放つ光源のせいだ。
それはかがり火よりも大きい、まるでキャンプファイヤーの如く、激しく燃え立つ炎の大男であった。
彼の全身から吹き上げる紅蓮の炎が、泥水まみれになっていた庭先を焼き尽くそうとしているのだ。
この炎の巨人の正体は、かつてガルガーノに敗れた傭兵のなれ果てた姿である。
さきほど妹を討たれた隻眼の大男は、激情の果てに憤怒と絶叫と炎をまき散らす、恐るべき災厄となってしまったのだ。
それは世界の終末をもたらす者、全てを焼き尽くすという巨人に見えた。
この巨人が一歩一歩、歩みを進めるたびに、あたり一帯ではシュウシュウと水蒸気が立ち昇り始めている。そして向こう側の枯れた木々の枝が熱にやられてくすぶり、今にも燃え始めようとしていた。
それらは全て、炎の巨人が放つ熱気と熱風のせいであろう。
こうして離れた場所に立つあたしの鼻先まで、その熱く焼けた空気と焦げた臭いが伝わってくる。
(ああ、何もかもが……失われていくわ)
確かにその通りだ。
このまま災厄の根源を放置すれば、思い出深い我が家の庭は焼き尽くされ、屋敷は燃え落ちてしまう。
その前に……、何とかしなきゃ!!
巨人が向かう先に、あたしが目をやると──。
先ほどまでお互い泥まみれになるほど、激しく絡んでいたガルガーノを今は完全に無視していた。
代わりに動けない赤毛の騎士に向かって、ゆっくりと歩いている。
妹の命を奪った憎むべき存在を、手にした赤熱する大剣で、討ち滅ぼすために。
その活躍目覚ましい騎士様の全身から、白い魔法の光が失われていく。
彼自身、ついに疲労の極みに達したのか、力なく膝から崩れ落ちたのだ。
今は両手と両ひざを地に着けたまま、肩で息をしている。
しかしながら彼は、自身の背後に迫りつつある脅威に対して警戒を怠らず、そちらに目線を向けていたのだ。
そして近くに落ちている短剣に手を伸ばすと、膝をついたままの姿勢で、後背に向かって振るう。
その目にも止まらぬ早業によって投擲された短剣は、正確に巨人の頭部へと打ち込まれていた。
でも……、その全身から噴き出す高熱の炎と熱風にせいか、それはあっさりと炎に包まれ吹き飛ばされる。
それを見た彼はこれならばと、足元にある大きな石を両手で持ち上げた。先ほど巨人の妹を葬った血まみれの石だ。
彼が頭上にかかげた大石は、彼の頭よりも一回り以上も大きい。
そしてそれをふらつきながらも、迫りくる巨人に向かって投げつけた……。
が、外れてしまった。
その一方で、巨人の炎で焼かれ転がっていたガルガーノは、何とか上半身を起こして立ち上がろうしている。しかし足に力が入らないのか、立ち上がろうとしては、その度に姿勢を崩し、そのまま突っ伏してしまう。
でも彼はまだ戦う気があるのか、両手で這いつくばってでも、巨人に立ち向かうとしていた。
彼の身体は今もなお、焼け焦げて、くすぶっているというのに……。
こんな世界の終わりが迫るような状況で、あたしにできることは何だろう?
(アレを……使うのよ)
──あぁ、そっか。アレね。分かったわ!
あたしは駆けだした。
乾ききった地面の上に転がっている、アレを取るために──。
「おおおおおおぉぉぉっ!!」
絶叫と共に振るわれる炎の大剣。
それがゴオゴオと音を立てながら、空気を焼いて襲い掛かる。
でも思ったほど速くはないし、そこには鋭さも、素早さも見受けられなかった。
少し前までの隻眼の悪魔が振るっていた剣撃は、どれもが鋭くキレのある攻撃ばかりであったのに。
今繰り出されているそれらは、近づきがたいほどの高熱だけであった。
その動きのおかげか、無手の騎士はギリギリで剣の攻撃をしのいでいる。
しかしながら燃えたぎる剣は、近くにあるもの全てを炎の力で舐めまわす。
魔法の炎が放つ凄まじい高熱は、たとえ紙一重で刃を避けることができても、徐々に熱で焼いていくのだ。
そしてそれは炎の巨人自身をも、憤怒の業火で焼き尽くさんとしていた……。
あたしは地面に落ちていた、ガルガーノの愛剣を拾う。
それを持った瞬間、その熱さに思わず取り下ろしてしまった。巨人の放つ熱波に当てられていては当然だ。
でも気を取り直して、あたしはスカートのすそで剣の柄を包んで持ち上げる。
そして無謀にも、それで恐るべき炎の巨人に立ち向かおうと……した瞬間。
突然、誰かがあたしを横から押し倒したのだ。
「ジルにゃん、ダメにゃっ!!」
赤々と照らされた、その艶やかで美しい白い毛の主。
既にこの屋敷を離れたはずの猫娘、ミハクちゃんであった。
冷静になって考えてみれば当然である。
今の距離でも、息苦しくなるほど熱風が吹き付けているのだ。
もし近づこうものならば、剣を振るう前にあたし自身が焼かれてしまうはずだ。
「うん、わかったわ」
あたしはそう言って、目の前にある彼女の頬を優しくなでた。
すると彼女はゴロゴロと喉をひとしきり鳴らし、あたしの上から離れたのだ。
炎の巨人に立ち向かうために。
それから彼女は、わざとうなり声を上げながら巨人の背面にそろりと近づく。
しかし巨人は彼女を気にも留めず、ただひたすら燃え盛る大剣をブンブン振り回すだけである。
その大剣に追われる無手の騎士は、よろめき身を焼かれながらも、かろうじて攻撃を避けていた。
彼は何度か隙を見出して、巨人に足払いを仕掛けるものの成果は出ない。
その都度、吹きあがる熱風と炎に阻まれ、彼の足が焼かれていくだけだった
彼は反撃する術を持たず、もう走って逃げだす体力も無いのか、ただよろめくように避けるだけだ。
そして彼を助けようとする彼女も無手である。
もう彼らには、なす術が無いのだろうか。
(彼の助けを……)
そうよ、まだ手はあるはずよね。
あたしは声に導かれるように、ガルガーノの元へと走る。
彼は何とか立ち上がろうとしていたけれど、足腰が立たないのか、その度に失敗して突っ伏していた。
どうやらもう自力で立ち上がることも出来ないほどの深手のようだった。
それでも彼は──。
「け、剣を……わた、しに……」
「独りで立てない上に、まともに剣も握られないんでしょ!?」
「まだだ……まだやれる。……あと一度」
身体は満足に動かずとも、未だに彼の心は折れていないようだ。
「あぁ、もうっ! しょうがない人ね! コレが本当に最後よ!?」
あたしはそう叫んでから、彼の右手に細身の剣を持たせた。
それから彼の左脇に潜り込み、彼の腰に手を回して、ヨイショと力を入れて起こし上げる。
ちなみにこの時のあたしは、決してキレてはいない。
ただ呆れ果てて、覚悟を決めただけなのだ。
この人と一緒に命を落とすのであれば、"あたしも本望だし、"わたし"も納得してくれるだろうと──。
あたしたちが向かうべき、執着地点へと目を向ける。
そこでは巨人が身にまとう炎がより大きく激しく、まるで地獄の業火のように吹きあげていた。
そんな恐るべき存在を前に、無手の二人が必死で戦っているのだ。
自ら囮になろうと、積極的に炎の巨人の前に出る猫娘のミハクちゃん。
執拗に追いかけ回す赤熱した剣を、ひたすら避け続ける赤毛の騎士ヒイロ。
早くそこに行かなければ、とあたしの心が急いている。
故にあたしとガルガーノは、一歩一歩を着実に踏みしめながら、前へと進む。
近づくにつれて、とても熱い空気にさらされてしまう。
汗をかくどころか、今にも肌や髪が焼けてしまうそうな気がした。
そしてあたしに支えられながら、彼は静かに詠っている。
この時、彼の顔色は蒼白を通り越して、死人のようになっているのだ。
相手に効果を及ぼす魔法歌は、歌い手の生命力を著しく損なうと聞き及ぶ。
おそらく今、彼が歌っているのは自身に対するものだと思う。
でなければ彼は、今にも力尽きて死んでしまうに違いない。
彼が歌を詠い終えると、その右手にある愛剣が、暗い紫のような光に包まれる。
「よし、これで……」
彼は右手を頭上に掲げ、ゆっくり剣先を下げて、巨人の頭を指し示す。
「一突きで……、終わらせる」
独り言のようにつぶやいた彼の言葉は、あたしに向けられたのか、自身に向けたのか分からない。
炎の巨人から発せられる業火と熱風のせいで、音を拾うのもままならないのだ。
しかしもっと、近づかなければならない。
あたしたち二人の身が焼かれる、至近距離まで。
目の前の巨人の向こう正面の様子が気になって、そちらに目をやると──。
こちらの様子を目にした、火傷まみれで無手の騎士様は、何かを指して叫んでいるようだった。
迫る巨人の魔の手から彼を逃そうと、必死で引きずる煤まみれのミハクちゃんに指示をしている。
すると彼女は彼を離し、巨人が振るう大剣の下をかいくぐって走り抜けたのだ。
そして巨人の右手側に落ちていたソレを、彼女は両手で掴み上げていた。
表面の血のりが沸騰しているほど焼けた、大きな石の塊である。
それから彼女は、「うにゃーっ!!」という声をあげ、両手で投げつけた。
彼女の頭より倍以上もある、大きく重そうな石をだ。
ドゴッ!!
巨人の視界の外から投げつけた石塊は、凄い音を立てながら側頭部に命中したのである。
その不意打ちを受けて、グラリとよろめく巨人。今にも倒れてしまいそうだ。
あぁ、そっか……分かったわ。
炎に包まれた巨人と言えど、元々はただの人間であった。
あれだけの質量に打たれてしまえば、流石に無事であるはずがない。
(もう一息よ……)
そうよね。あと一押しで倒せるはず!
今、炎の巨人は燃え立つ剣を支えにして、地に両ひざをついている。
もう目の前だ。あと少しだった。
しかし吹きつけてくる熱風のために、全身が焼かれヒリヒリと痛くなる。
正直、もう歩みを進められる気がしない。
でもあたしは独りではないのだ。隣の彼と一緒に歩いているのだ。
だから怖くはない。
たとえ目の前にある死に向かって歩もうと。
「いくよ……」
彼の視線を感じて、そちらを見ると、こんな状況でも彼は微笑んでいた。
「えぇ、もちろんよ」
あたしも左手を彼の右手に添えながら、笑って応えた。
そうだ。彼が一緒なのだから。
何も怖いものはない。
それからあたしたち二人は、炎の巨人にめがけて一緒に飛び込んだのだ……。
次回は、エンディングの第四幕『乾杯の歌』です。
おそらく前後編になると思います。




