第三幕:希望と魂(第九編)
「こ、小娘があぁっ!!」
吠える赤毛の女の姿は、まるでおとぎ話に出てくるような鬼女のようである。恐ろしい形相であたしを睨みつけてくる。
でもあたしはそれに怯むこともなく、足元から新たに手頃そうな平べったい小石を拾う。そしてまた下手から、その恐るべき鬼女に投げつけようとした、瞬間。
バシャバシャっと、あたしは人間の頭サイズの水の玉をぶつけられたのだ。
彼女の魔法が生み出した水によって、あたしは上から下までビショビショに濡れてしまい、水も滴るイイ女となってしまった。
しかし小石はキッチリと、彼女に当てておいたのだ。
そうして新たに負傷した彼女が、再び怒声をあげて吠えている。
石投げと水玉投げ。
まるで子供同士の稚拙なケンカである。
しかしまだまだ続くのだ。
だからどうしたのよ!とばかりに、あたしはさらに足元付近にあった大き目の石を拾う。そして追い打ちで石を投げようとすると……。
あたしはガクッと上半身のバランスを崩して、倒れそうになった。
その瞬間、とっさに大地を両手で突いた時、それに気づいたのだ。
なんで、足元が凍り付いているの!?
「そこでしばらく大人しくしとくんだね! あとでキツイのを沢山お見舞いしてやるからさ!」
血が流れ出る額を抑えながら、してやったりと言う顔で叫ぶ鬼女がいる。
あたしはこれで、この場から逃げ出すことも出来なくなってしまった。
一難去ってまた一難とは、まさにこの状況を指す言葉だわ。
そんな絶体絶命の心境にあった、あたしの視界の端で変な動きが見えた。
木々がある左手の向こう側で、のそのそと地面の上を這いずる男がいたのだ。
魔法による攻撃をモロに受けて、吹き飛ばされた挙句、生死不明だった赤毛の騎士様その人である。
あたしがそちらを凝視してしまったせいで、不審に思った彼女がそちらを向く。
──が、地に伏せたままの彼は、ピクリとも動かない。
それはそれは見事な、死んだフリだった。
どうやら彼女は、それに気づかなかったらしく、フンッと言って踵を返して兄の元へと戻ろうとする。
(止めるのよ……)
そうだ。あたしが彼女の注意を引けば、チャンスが生まれる──はず。
「やーい! 行かず後家の赤毛のオバサン、何やってんの! 口だけのアンタなんか、あたしに大したこともできないんでしょ!?」
あたしは彼女を行かせまいと、出来る限り精一杯の挑発をした。
いえ、むしろ罵ったと言うべきかしら。
自称、”高等遊民の箱入り娘”のあたしに、”行かず後家”と呼ばれた彼女は怒りを露わにする。次の瞬間には、「キイィィィィッ!」と奇声を上げながら、再び鬼女のような恐ろしい形相となったのだ。
そんな彼女はあたしに近づいてきて、思いっきり平手打ちをかましてきた。
それも左右から二発もだ。
その場から動けない、いたいけないあたしに、何という非道な振る舞いをするのかしら?
さっきの今で、さっそくキツイのをお見舞いされたあたしの両頬は、まるで餌を口いっぱいに頬張ったハムちゃん状態である。
これにはあたしも、彼女と同じくヒステリックに奇声を上げそうになった。
すると、いい年をした女同士による低次元の争いを好機と見たのか、向こうで倒れていた赤毛の屍が飛び起きた。
それから彼は、一目散に走り始める。
未だに片膝をついて、その場から動けないでいる隻眼の悪魔に向かって。
今まで倒れて動かなかった男が、突如起き上がり向かってくる。
しかも男の身体からは、先ほどまで以上に白く輝く光の膜に覆われているのだ。
それに気づいた悪魔の兄は、膝に手を当てながらも、すくっと立ち上がった。
そして近くで半ば地面に埋まって、凍結している大剣を手に取ろうとする。
でも凍り付いた剣は抜けないようだ。しかし──。
『きたれわがともよ じごくより
ぐれんのあくまと そのつめよ』
その短い歌を二度繰り返し詠いあげると。
手の内にあった凍った剣が、熱を帯びたように赤く輝き始めたのだ。
するとあっという間に、周囲の氷は解けだし、湯気となって蒸発していく。
それから隻眼の悪魔は、刀身が赤熱する大剣を両手で構え、向かってくる赤毛の元屍に対峙する。
その様子を見た疾駆する赤毛の元屍様は、その手にある短剣を正面に向かって投げつけた。
「しゃらくさい!」
対して、行く手に立ちふさがる隻眼の悪魔は、その燃え立つ剣で下方から切り上げる。そして飛来する短剣を、見事に上空へと弾き飛ばしたのだ。
そこから頭上で重厚な大剣を構え、無手で突っ込んでくる恐ろしらずの男にめがけて、渾身の一撃を振り下ろす。
悪魔が振るう大剣の切っ先が、無謀な男の頭にめり込んだ……ように見えた。
そう見えたのは、必殺の剣の間合いに踏み込んで来た、彼の残像の方である。
肝心の本体は一瞬で加速しながら、スライディングをして滑っていたのだ。
その結果、一足先に大剣の真下を滑り去り、間合いから逃れたという事かしら?
なんて恐れ知らずで、果敢な試みなのだろうか!
そして氷と泥が入り混じった水気のタップリな地面を、仰向けのまま背中で滑り、大剣の主の股の間を抜けた。
その上で果敢な彼は、大剣を振るい前のめりの状態になっていた悪魔の腰の後ろを下から蹴り上げる。さしもの悪魔もこの奇襲攻撃受けて、勢いのまま自身の前方へと吹っ飛んでいた。
それから頭上に落ちてくる弾かれた短剣を、自身の無手にすっぽりと収める。
その信じられないような一瞬のやり取りに、あたしたちは言葉もなく観てるだけだった。でもそれを目にした悪魔の妹は、あたしを放置して直ぐに彼らの元へと駆け出したのだ。
その一方で、ガルガーノの元へと転がり込んだ果敢な赤毛の騎士様は、友の頬を何度も引っぱ叩く。
「おい、しっかりしろ! まだ面倒ごとが残ってるんだぞ!!」
そう言って、泥の中に埋もれるガルガーノを無理やり引きずり起こした。
「ああ……もちろんだ」と辛うじて返事する彼の状態が心配である。
そして両肩で彼を担いだ時──。
「させないよ!」
赤毛の鬼女が両掌から放つ氷の礫が、友を担ぐ男の足元に吹き付けられる。
すると見る見る間に、彼の膝から下が凍り付いてしまった。
こうなると彼もあたしと同じく、その場から一歩も動くことはできないはずだ。
「ええい、ふざけた真似ばかりしおって……。貴様ら、二人まとめて叩き切ってくれるわ!」
「兄さん! 炎は駄目よ、氷の束縛が!」
チッという悪魔の舌打ちと共に、燃え立つ大剣から魔法の炎が消えた。
あぁ、前に話で聞いた魔法の法則かしら。魔法の属性には相克関係があるらしく、”氷”は炎に弱く、”炎”は水に弱い。
つまり炎の魔法を使われては、氷の魔法が解けてしまうのかもしれない。
「死ねいっ!!」
ただの大剣を持った悪魔は、二人に近づきながら、それを両手で振るう。
「おらよ!」
「ハァッ!」
しかし迫りくる剣撃に先んじて、赤毛の騎士様は両手で彼を振るったのである。
そう、文字通りガルガーノを思い切りブン回して、襲い掛かる隻眼の悪魔の頭を殴りつけたのだ。
振り回された彼の両踵が、悪魔の側頭部にクリーンヒットする。
それらは薄い鉄の小札と鋲を打って補強された、騎士様の御用達である革製の長靴だ。そんなもので殴られては、死因が撲殺となっても不思議ではないはず。
またそれと同時にガルガーノの手から、先ほどまで友の手にあった短剣が、気合と共に放たれる。
お見事!
その投擲された短剣は、赤毛の鬼女の右肩に突き刺さったのだ。
思わぬ不意打ちを受けた悪魔と鬼女の兄妹は、のけぞり態勢を崩していた。
次回は、(第十編)です。
まだ本幕は終わりそうにありません。あと一万文字くらいでしょうか。




