第三幕:希望と魂(第七編)
隻眼の悪魔は片手で持った剣を、頭上で軽く振り回しながら、こちらにゆっくりと近づいてくる。
さながら戦場で武者が、相手を威嚇するかのような振舞いだ。
でもその対戦相手である彼、ガルガーノは肩で息をするほどの状態である……。
「ガルガーノ! やれるのか!?」
離れた場所で、黒いムチを持つミランダと赤毛の女の二人組と対峙している赤毛の騎士様が声を掛けてくる。
「……やって、見せるさ」
そう応えると、ガルガーノは剣を両手で持ち、それを頭上に真っすぐ立てた。
そして右足を一歩後ろに引き、剣を上段で構える。それから彼は長く気合いを発した。まるで自身を奮い立たせるように。
「なら──アンビルハンマーだ。タイミングは任せろ!」
アンビル(金床)とハンマー(槌)?
たしかにそう言った赤毛の騎士様は、薄っすらと白く輝くその身を低くしたままで駆け出した。隻眼の悪魔に向かって。
しかし、その悪魔が見据えているのは、ただ一人の男だけようだった。
「お嬢さん……、「ジルダよ。もう忘れちゃったの? あの日の事を……」」
あたしの言葉で、目の前にいるボロボロの騎士様はこちらにふり向き、フッと微笑んだ。
「憶えているさ……ずっと。ジルダ、君は巻き込まれないように、後ろに下がってくれ。後は私たちに任せろ」
その言葉を信じて、あたしは黙ってうなずき、後ろに下がる。
そして彼は深呼吸を一つし、それから迫りくる敵に向き直った。
すると、先ほどまで震えて安定していなかった彼の剣の切っ先が、今ではピタッと静止をしている。
その一方で彼の親友は、一体何をする気なのか…。
「マノン、足止めを! アタシが援護する」
そう言うと、赤毛の女は歌を詠い始める。
対して、マノンと呼ばれた彼女は、無言でムチを構えていた。
そして彼女たちを無視して疾駆する、赤毛に向かってそれを放つのだ。
ほんのり薄い紫の輝きをまとった黒いヘビが、腰を落としてダッシュする赤毛の頭上へと。落ちた……かに見えたけど、スルリと抜けるように一瞬でその下を駆け抜けていた。
そして再び、黒ヘビは地面をすれすれを水平に薙ぎ払うように、走る彼の後ろから襲い掛かる。
が、背後からの攻撃も予期していたのか、走りながらタイミングよく軽く飛び跳ねて、難なくやり過ごす。
しかしそこへ、しつこく三度目の正直とばかりに、彼の前方斜め上からバチバチと放電しながらそれが突っ込んでくる。
彼は走りながら飛び込み、前転して地面を転がる。そのまま転がり続けながら、追い打つ次の攻撃を寸前で避けたのだ。
それから地を這うように、彼は何かを探していた。
そして赤毛の女、マッダレーナが歌を詠いあげると、彼女とマノンの全身が霧に包まれていく。
魔法によって生じたその霧のためか、彼女たちの姿が薄っすらとおぼろげにしか、視認できない。まるで霧の向こう側にいるようだ。
そんな彼女たちのやり取りを、一切気にも止めない男たちがいた。
その一人、隻眼の悪魔は右に左にと剣を振り回しながら、相手との間合いをはかっている。
でもガルガーノの方は、ジッと様子をうかがっているのか、全く微動だにしない。
剣を片手で振り回す悪魔の眼光は、思わず身震いするほど恐ろしい。そこには鳥や小動物であれば逃げだし、誰しもが恐れ慄くような、殺気に満ち溢れていた。
その殺気を向けている相手が誰かは、あたしも頭で理解している。
だけど彼の背後に離れて立つ、このあたしにまでそれが及ぶのだ。それほどまでに激しい憎悪の根源は、一体何なのかしら……。
そしてあたしには見えないけれど、きっと彼の瞳もまた、眼前の敵を真っすぐ見据えているのだろう。もうお互いに、相手しか見えていないのだ。この二人には。
そして先に仕掛けたのは、隻眼の悪魔であった。
そりゃあ、ぬん、せいっ、と気勢をあげながら、次々と連続して剣を打ち込む。その上から下から左からと、襲ってくる剣撃は、見るからに重々しく殺意に満ちていた。
ガルガーノもそれを巧みに剣で受け流している。でも先ほどの魔法のためか、彼の動きはどこか精彩を欠く気がした。しかし彼の剣捌きは、未だ衰えていないようだ。
「ほお。あの時とは真逆の条件だが、やるではないか」
悪魔の妹曰く、くたばり損ないの彼は、彼なりに善戦を期待できそうだった。
でも正直に言うと、それでも勝ち目があるようには思えない。
もし防戦一方のここに、あの妹が乱入してきたらどうだろう?
おそらく彼はその時点で、一方的に討ち取られるはず。以前のループで見た数々の彼の戦いの中で、今回が一番最悪な状況にしか見えないのだ。
「だが──、これはどうだ!」
隻眼の悪魔は大剣を両手に持つと、烈迫の気合をのせて、勢いをつけるよう水平に大振りする。その遠心力と共に撃ち込まれる凄まじい勢いの大剣は、まさに渾身の一撃かに見えた。
対するガルガーノは、自身の左から襲い掛かってくる、その鋭く重厚な一撃を冷静に見定めているのか。再び愛剣を上段に構える。
そして彼はその一点に合わせるように、自身の剣を撃ち込んでいた。
その一瞬、彼は半歩下がって、頭上の愛剣を真っすぐ振り下ろしたのだ。
その先にあるのは、我が身に迫る剣の切っ先である。
次の瞬間には、彼の剣の根元が猛烈に迫る敵の剣の切っ先を、物の見事に撃ち落としていた。
そして行く先を変えられた敵の切っ先は、彼の足元の地面にと撃ち込まれたのだ。どうやら、そのまま勢い良く、固い土の中に剣先はめり込んだらしい。
「ここだっ! パールス(palus)!!」
執拗なムチの攻撃を、地面を転がりながら避けていた赤毛の騎士様は。それに合わせたかのように、古代語で”沼”と叫んでいた。
そして大地を拳で殴りつけたのである。
するとどうだろう。その殴られた箇所を中心に、みるみるうちにあたりの地面が泥濘と化していくのだ。
あぁ、先ほど彼が落とした魔石なのかと、その時になってあたしは気づいた。
「何だい!?」
「魔石よ、あなたも巻き込まれるわ。お下がりなさい!」
彼女たちは、そのままでは足を取られると判断したのか。急いで逃げるように後ろに下がって、魔法の効果範囲から抜け出そうとしていた。
あたしもあっという間に広がる泥濘に沈まぬように、慌てて玄関口の石段まで駆け上る。
それから後ろを振り返ると。
なんとその時、ガルガーノは自らが撃ち落とした敵の大剣の刀身にパッと飛び乗り、足元の沼を避けていたのである。
そしてその状態で、腰だめのまま剣を、隻眼の悪魔の顔面に向けて突き出した。
ハァッ!と気を吐きながら撃ち込んだその一撃も、相手の眼前に迫ったところで不発となった。彼の放った一撃を、相手は左腕で彼の刀身を打ち据える事で、その切っ先を逸らしたのだ。
その上で隻眼の悪魔は自ら剣を手放し、身体ごとぶつかってきた彼を両手で掴む。そしてそのまま一緒に、沼地へと倒れこんだのである。
「フハハハ! 確かあの時も、泥濘の中で戦ったな。だが今回は、貴様の方が沈む番ぞ!」
今、下に組み敷かれているのはガルガーノだ。そんな彼に覆いかぶさるように、隻眼の悪魔が両腕で体重をかけている。
あぁ、このままでは足首ほどの深さの沼地で、彼は溺死をしてしまうの!?
彼もそうさせまいとしているのか、死の淵で必死に相手の首と胴を掴んでいた。
あたしの目の前で、二人の男が沼地の中で命懸けの格闘をしている。
すると、そこに。
「もらったあぁぁぁぁっ!!」
そう叫び声をあげているのは、いつの間にか沼地から空中へと舞い上がっていた彼の友である。
そして宙で身をクルっとひねると、泥まみれで組み合っている男たちの頭上に落ちようとしていた。
そんな赤毛の軽業師の手には、一本の短剣が握りしめられていた。
「ぬおぉぉぉっ!!」
自身が抜き差しならぬ状況に追い込まれたと、瞬時に理解した隻眼の悪魔はその場から離れようとするも。
ガルガーノも眼前の敵を脱がすまいと、敵の脇に腕を差し込み、もう片方の手を敵の首後ろに回している。
そしてその無防備な悪魔の背中に、狙いを定めた必殺の一撃が……舞い降りてきた。
次回は、(第八編)です。
あと三話で本幕を終わらせます。




