第三幕:希望と魂(第四編)
屋敷の外から、あの人の美しい歌声が聞こえてきます。
きっとわたしを迎えに来てくれたのでしょう。
わたしは期待で高鳴る胸を抑えながら、扉を開いて外に出ようとしました。
しかし……。
「お待ちなさい、お嬢さん。行ってはいけない」
そう言って、わたしの腕をつかみ、引き留める者がいたのです。
目の前の方は、どなたなのだろう?
このシルバーグレイの髪をした殿方は?
顔立ちや目元はあの人と瓜二つですけど、その髪の色と顔の傷が違いました。
何よりもその身からただよう雰囲気が違うのです。
あの人は常に快活で楽しげな空気をまとっていました。
でも目の前のそっくりさんは、その瞳の奥に、どこか悲しげな憂いを秘めていそうなのです。
「あなた様こそ、どちら様ですか? 何故ここに?」
「戯れならば、お止めください。君こそ急にどうしたというのですか? 先ほどまでとはまるで……」
「あなたこそ、馴れ馴れしい方ですわね。わたしがお慕いする人、愛する人がそこまで来ているのですよ? その邪魔をしないでくださいな」
「…………っ!?」
絶句する殿方を屋敷に残し、わたしは外に出たのです。
そして小走りで向かいます。その歌声の元へ。
「やあ、美しいボクの花嫁よ。迎えに来たよ」
やはりあの人でした。
でも、何かが……違う。
月下の庭先に立つ愛しい人は、カールした髪は同じなのですが、その色がシルバーグレイだったのです。
先ほどの殿方と、まるで同じ髪色のようでした。
「アレッサンドロ様……、ですよね?」
「そうだよ。ボクの美しく愛らしい花嫁」
その嬉しい言葉を耳にしたわたしは、自然と体が動きました。
すぐさま愛しい人に駆け寄り、わたしは彼に抱きつくのです。
「ああ、お会いしたかったです……。でも一体、髪をどうされたのですか?」
「これかい? 元々、ボクの一族はこういう髪の色をしているのさ。色々とあってね、今までは黒く染めていたのだよ」
そう言って彼は、力いっぱいわたしを抱きしめてくれました。
少し、痛いくらいに。
そして──。
「やはり──お前か? ボクの城で、散々大暴れをしたらしいが。いつもいつもお前のせいで、何もかも……予定が、狂ってしまうではないか」
愛しい人の目はわたしではなく、玄関扉の前にたたずむ先ほどの彼を忌々しげに見据えていたのです。
「あの方と、お知り合いなのですか?」
「不本意ながら、そうなんだよ。生まれてこの方、三十年以上に渡る長い付き合いだね。いわゆる”不出来の弟”という存在なのさ」
「まあ、それはお大変でしたね」
なるほど、彼はご兄弟でしたのね。どうりで瓜二つのそっくりさんな訳です。
「──で、不出来な弟よ。今日は一体何の用かな? 昨日、……いやもう一昨日か。あの時のように、また邪魔立てをする気か?」
「兄上! あなたこそ、マリーに対するあの振る舞いは一体何なのだ!? そしてまた今、このお嬢さんを魔法で虜にして。かつてのカルメンのように、女性をいいように弄ぶ気ですか?」
不出来と呼ばれる弟君は、声を荒げ叫ぶように愛しい人を問いただしています。
「マリーだと? お前が邪魔さえしなければ──、こんなに手間暇をかけずとも、今頃は楽に事が運んだものの……。しかもカルメンだと? あのややこしい女がどうしたというのだ? お前こそ、学生時代にカルメンを弄んだ挙句、捨てたのではないのか?」
マリー?カルメン?
一体どちらの女性の事でしょうか?
「私はそのような事はしていない。ただ彼女とは、少し行き違いが、あっただけだ……」
「ハッ、ものは言いようだな。風の噂では、あの女は三十路になった今でもお前を慕って、独り身を貫いていると聞くが、そのあたりはどうなんだ? 元恋人のガルガーノよ」
「……………………」
弟君は言葉も無いようです。どうやら彼にとって流れは悪いようですね。
それにしても愛しい人は弟君と、彼女たちを奪い合ったとでもいうのかしら?
あぁ、でも少し痛いわ……。
「あの、アレッサンドロ様。少し、ほんの少しだけ、ちからを緩めていただけませんか? わたしの息が詰まりそうです」
「そうか、すまない。愛しいボクの花嫁。ついつい、誰にも渡すまいと思ってね」
彼はそう言って、腕のちからを緩めてくれました。
でもたしを奪われまいと言う、その気持ちを嬉しく思います。
「双子のボクたちは、昔から何かにつけて比べられてね。そのせいで色々と、迷惑をかけられっぱなしなのさ。たとえば社交界では……」
愛しい人が言うには──。
弟君は十代の頃から兄の名を語って、社交界で数々の浮名を流していたらしく。貴族のご令嬢から、商家や名家のご婦人まで多くの女性を口説き弄び、挙句にその後始末を全て兄任せだったとか。
また時には、兄のあずかり知らぬところで他貴族の子弟を相手にトラブルを起こし。結果、兄にその決闘の相手をさせたなどなど、枚挙暇がないほどだと仰っていました。
そして今、かつてこの街にて出会い、密かに思っていた令嬢との恋路を邪魔していると。でもその令嬢とは、わたしの事のようでした。そんな以前から、想っていてくれたなんて、……嬉しいです。
「何を言う!! 兄上こそ、一体どれだけ私の振りをして、悪行をなしてきたかお忘れか!? その上、私の何もかもを、さも自分の事のように語るなどと……」
「お前こそ、偽りばかりではないか。今まで行ってきた乱暴狼藉すらも、ボクのせいだと言うのかな? 教会施設を次々と焼き討ちし、幾多の隊商を略奪してきたのも全て、ボクがやらかした行いだと?」
「そ、それは……」
言い合う二人、まるで互いの罪を擦り付け合っているようにも見えます。
でも何かがおかしいと、誰かが言っています。
あぁ、痛い。頭が痛い……。
「──もう終わりか? なら人の恋路を邪魔するのは、ここまでにしろ。
何せボクたちは六年前、この街の川辺の教会で運命的な出会っていたのだからね。こうして今やっと再びめぐりあえたのに、無粋も過ぎるぞ」
そう言って、わたしをまたギュッと力いっぱい抱きしめます。
あぁ、ちょっと……。
「もうやめろ!! 私の……思い出までも、兄上は自分のモノだと……、言い張るのか!?」
弟君は両眼からは、涙がこぼれ落ちています。
「ボクは彼女と愛し合った仲だ。だがお前には、何もない無いのだろ? お前だけの、この子との甘い思い出は」
「確か……三年ほど前だったか。サンタクローチェ教会の入口にある、短い石段を老婦人に付き添って上がる時、老婦人に対してスッと右ひじを差し出してエスコートした君の姿。今でもよく覚えている……」
「フン、それがどうしたというのだ? くだらん話だ」
あぁ、思い出した。
あの雨が降る礼拝の日にも、ガルガーノと出会っていたのだ。
あたしは……。
「ねぇ、二人とも。あの子犬の名前を憶えている? 六年前に初めて出会った、あの別れの時を」
四つの瞳が一斉に、あたしへ向けられた。
「そんなのは簡単さ。ヴェントだよ、ボクの可愛い花嫁」
「……………………」
双子の兄は即答してくれたけど、弟君は黙して何も語らずである。
「そうだ──確か、君はこう言っていた。『春の訪れを知らせる風』と」
・
ドスッ!
ガルガーノの言葉を聞いた瞬間に、あたしの右 拳が殴っていた。
ニヤニヤ顔であたしを強く抱きしめる男の、左わき腹を。
よほど効いたのか、偽りだらけのゲスな男は、わき腹を両手で押さえて倒れた。
「ふんっ、あたしを抱きしめるのなら、優しくしなさいよ。お父様のように」
次回は、(第五編)です。




