第三幕:希望と魂(第三編)
夜更けにもかかわらず、あたしたち二人はミハクちゃんたち四人が、この屋敷を離れるのを見送っていた。
それは急な事であったけれども、あたしとガルガーノとの間で交わした、意見の折衷案の結果だったのだ。
彼の考えでは、身の危険が迫るこの街を今すぐに離れて、王都に向かう事が最善だと言う。
でもどうしてもあたしには、今すぐに街を離れる事は出来なかった。
それはあたしのお父様と伯父にあたる伯爵様の生死も行方も、未だに確認できていないからである。
だからどうしてもこの街を離れる訳にはいかないと、頑なに主張するあたしに、彼もしぶしぶ同意してくれた。
その結果、こうして一緒に屋敷に残っているのだ。
不謹慎ながらも、この彼と二人っきりという美味しい場面には、心の中でガッツポーズをする自分がいた。
これについては流石に、生死不明のおふたかたへ陳謝したいと思っている。
とは言うものの、ガルガーノも彼なりに友人である赤毛の騎士の事を心配しているようだった。
彼曰く──、きっとあたしの救出が空振りに終われば、必ずや朝までにはここに戻ってくるだろう。だからそれを確認した上で、次の手を打ちたいと考えての事らしい。
そして屋敷を離れる平均年齢が二十歳の女性たちについては、膝の悪い婆やと幼子の姉妹にはガルガーノの愛馬に乗って貰った。それを馬の扱いになれたミハクちゃんに歩いて手綱を引いてもらうのだ。
彼女たちにはひとまず、この屋敷とは反対側の新市街の東の街外れにある、宿へと向かって貰った。
そこで朝まで待ってもらい、夜が明けたら改めて船を借りて、王都に行くと言う手筈である。
それから少し後、彼女たちと入れ替わるように、手提げカゴを持ったミランダが屋敷に姿を見せたのだ。それも前代未聞のこんな夜更けにである──。
「ミランダ、一体こんな時間にどうしたのよ? お子さんはいいの? 確か、アレク……」
「アレクサンドロですわ、息子の事は大丈夫ですよ。それよりも、ジルダ様こそご無事でしたか?
ジョヴァンナともどもワタクシも心配しておりました。それに昨日この屋敷で保護されていた姉妹の二人は大丈夫ですか?
やせ細っていた、年端もいかぬ彼女たちが心配で、心配で……」
両手の平で左右の頬を押さえる彼女の立ち姿が、何やらとても艶っぽい。
なんでまたその両肘でわざわざ、お胸様を左右から圧迫して、これ見よがしに強調されるのですかねぇ?これにはジルダさんも、そこへ目が釘付けになってしまいますわ。
彼女の言い分と言い訳についてはともかく、彼女が屋敷の中に入ってきた時、その一瞬の表情があたしには気になったのだ。
あたしと目が合った瞬間は、彼女も安堵した表情になっていた。にもかかわらず次の瞬間には、あたしのそばに立つガルガーノを見て、明らかに表情が固くなったのだ。
あたしは知っている。彼女が枢機卿の手の者で、彼らに情報を流している事を。
つまり彼女にとって、彼がこの場にいることが予想外か、もしくくは不都合だったのだと思う。
その上で彼女の目的は、一体何なのだろうか?
城から逃げ出したあたしの行方を捜すために、わざわざこんな時間にやって来たのかしら?
何にせよ、彼女には十分注意をしておく必要がある。
たとえそうであったとしても、彼女には彼の紹介とこれまでのある程度の事情を、かくかくしかじかと説明はしておいた。
「──ところでジルダ様。先ほどから、まるでカニのような姿勢でお立ちですけど……。大丈夫なのですか?」
うっ……。流石は目ざとい同性である。
とても痛いところ突かれてしまった。
何故だかよく分からないけれども、目覚めてからこっち、ずっと今までになかった違和感を下腹部に感じているのだ。
何かこう……太ももの間に何かが挟まっているような感覚?がずっと続いており、それのために自然とあたしはガニ股歩きをしているという訳だ。
「うん、たぶん大丈夫かしら? 初めての変な感じだから、なんかこう……ね?」
要領を得ないあたしの返事に、彼女は何やらチラチラと彼の方を見ている。
「そうですわね。初めての時は……、誰しもそんなのもかもしれません」
「ミランダも?」
彼女もあたしと同じような、この奇妙な感覚に陥ったことがあるのかしら?
「えぇ、ワタクシも十代の頃にありましたわ。今思えば、若気の至り……だったかもしれませんね」
「そっか、ミランダにもそんな時期があったのね。あたしだけじゃないのなら、ちょっとだけ安心したわ」
「うふふ、これでジルダ様も大人の仲間入りですわね」
彼女はそう言ってクスクスと笑っていた。
はてはて?大人になる事と何の関係があるのだろう?
それから彼女は、いつも持ち歩いている手持ちの軟膏で、彼の怪我を応急手当してくれたのだ。
流石に、いかにも戦場帰りですよ、と言わんばかりの風体だったガルガーノを一目見れば、至極当たり前の行動かもしれない。
あたしも今の今まで、愚痴も痛がりもしない彼だったから、そのままにしてしまっていたのだ。
ハッ!?
これが、もしかしなくても……、モテる女とモテない女の違いなの!?
それから手当を終えた彼女は、夜食でも作りましょうかと言って、厨房へと入って行った。
あたしもこの時がチャンスとばかりに、彼女には注意するようガルガーノに小声で説明しておいた。
彼自身も、彼女の立ち振る舞いに思う所があったのか、同意見だと短く応えてくれたのだ。
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ん?
何だろう?
庭の方から、何か聞こえた気がする……。鳴き声?
「ねぇ、今しがた……何か聞こえなかった?」
「確かに……庭から聞こえてきたようだ。微かに、ホゥホゥとうなるような声だった気がするが」
「それって、何の声なの?」
「おそらくは……フクロウだろう。秋頃には、夜の森でたまに聞く鳴き声だ」
「へぇ~、我が家の庭にも、フクロウさんが来ているのね」
それからしばらくして、ミランダが用意してくれた簡単なお夜食を、あたしは頂くことにした。
あっつ熱のキノコとジャガイモと豆の塩スープである。これにイイ感じの半熟卵も入っているので、栄養満点だと思う。
うん、すっごく美味しいわ!
それに食後は、彼女お得意のハーブティーも用意してくれた。カモミールの香りがとても良いお茶を。
考えてみれば、アイツらに捕まって丸一日以上も、まともな食事を口にしていなかったのだった。これで本当に、やっと一息がつけたと思う。
でも例によって、彼は夜食も紅茶にも一切手を付けなかった。
もちろん方便としては、体の具合が悪いと言ってだ。
二人揃って彼女の振舞うモノを食べてしまっては、流石に危ういものね……。
結局、何だかんだで、今までが緊張の連続だったせいか、ここであたしもついつい気が緩んでしまったようだ。
そのために夜食の後、思わずウトウトと寝入ってしまったのだ。
件の玄関広間の長椅子で────。
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そしてあたしは夢うつつの状態で、確かに聴いていた。
あの人が歌う、あの歌を。
あの素敵なテノール声が、頭に響いているのだ。
『女心は気まぐれ
風に舞う羽のように
言葉は変わる そして心も』
『いつも愛想よく
優美な表情
泣いたり笑ったり それはいつわりだらけ』
『いつも哀れなのは
女に心をゆるす人だ 女を信頼する人だ
警戒心がまるでない!』
『だけど 本物の幸せを 一度も感じられないのは
女の胸の上で
愛を味わえない人だ』
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ああ、なんて素敵な歌声なのでしょうか。
きっとあの方が、わたしを迎えに来てくれたのでしょう……。
次回は、(第四編)です。




