第二幕第三場:わたしは愛のために、生まれてきたのですか?(第二編)
二人の父親の見せ場を作りたいので引っ張ります。
あと二、三話で第二幕は終わるはずです。
「愛するボクの姫君よ。さあ、こちらにいらっしゃい」
わたしに向かって、ニッコリと微笑む愛しい人。
彼のその言葉に、わたしの心はときめきます。
そして愛した彼の胸元に、再びこの身をゆだねたいという気持ちが湧き上がってきました。
でも理性が、もう一人のわたしが、それを押しとどめようとしているのです。
『そんな言葉は全てウソだ』、『他の女にも同じ事を言っている』、『そのヒドイ男を信じるな』と……。
「い、痛いですわ。お父さん」
目の前の父が、決して放すまいと力いっぱい抱きしめてくるのです。
「ジルダや、あの男が言う事を真に受けてはいかん! 絶対に駄目だぞ。今すぐわしと帰るのだ!!」
そう言うと、わたしの手を強く引っ張ります。彼の元へ行きたがっているわたしの身体と心を、この場から引きはがすように。
「目を覚ましない、ジルダ嬢。そやつの言葉には、何一つ真実などあるまい」
伯爵様もまた、父ともう一人のわたしと同じように言うのです。彼を信じるなと。でも、わたしは……。
「愛しい人。どうか、お名前だけでも!」
父に連れ去られようとするわたしは、せめてお名前だけでもと叫びました。
「アレッサンドロ。大丈夫、またすぐに会えるさ。ボクの愛する姫君」
その名を聞き、わたしの心は再び高鳴りを始めました。
「ああ、アレッサンドロ様、お慕いしております。
あなた様の愛しいお名前が、わたしの心を初めてときめかせてくれています」
この胸から溢れてくる熱い想いが、言葉となってわたしの口から次々と飛び出してきます。
「わたしの想いは、いつもあなた様の元にありますわ。あなた様との愛の喜びが、わたしの心にその慕わしきお名前を刻んでくれました。
必ずや、またお会いしましょう。愛しいアレッサンドロ様!」
胸の内でくすぶっていた想いを全て吐き出す事で、わたしは満足していました。
しかし父も伯爵様も、まるで何を言っているのかとばかりの表情で、こちらを見つめてきています。
そして二人して左右からわたしの肩を抱き、急げとばかりに急かすのです。
笑顔で手を振り、わたしたちを見送る愛しい人をその場に残して。
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真っ赤な絨毯が真っすぐに引かれた、とても長い廊下をわたしたち三人が足早に歩いていると。後ろから騒がしく追いかけてくるような、物音が聞こえてきます。
「まて、まて、まて、おぬしたち。その小娘だけは、帰すわけにはいかぬぞ」
その耳障りの悪いダミ声に振りかえると。
そこには愛しいあの方が、叔父上と呼んでいた四角い顔の老人が、物々しい姿の男たちを引き連れて現れたのです。
「イグナチオ枢機卿、戯言もたいがいにせよ。そう言われて、大人しく愛娘を引き渡す父親が、この世におるとおもうてか!」
「そうだ。わしにとって娘はこの世の全てなのだ。たとえ元主君と言えど、おいそれと渡すものか!!」
二人はわたしを背後に隠すように匿い、その老人にハッキリと告げました。
「ハッハッハッハッハ。流石は道化じゃ、これには我が輩も笑いが止まらんわ。イーヒッヒッヒッヒッ……」
相変わらず癪に障るダミ声の主が、そう言って高笑いを続けています
「な、なにを笑うか。この父親の気持ちを! その上、公爵の衛兵を勝手に動かして、わしらを威圧するとは」
「なんと無礼な言い草だ。父親にとって娘は、何物にも換えられぬ宝ぞ。子を持たぬそなたには決して分かるまい!」
「ヒッヒッヒッヒッ。確かに我が輩に子はおらぬよ。
じゃがな! 我が身可愛さに、おぬしの子を身代わりに差し出した、そこの道化の所業を考えると滑稽でな!!」
そしてまた高笑いを再開する枢機卿でした。
なぜか、この男のダミ声。いえ、この存在そのものに、わたしともう一人はイライラっとしています。過去に何かあったのでしょうか?
「な、なんと……。おい、リゴレット。どういう事だ?
そなたは、何を隠しておる? まさか……」
伯爵様はすぐ隣の父に、怒気を含んだ厳しい声で問いただしています。
何やらその肩は若干震えており、まるで自身を必死に抑え込んでいるようです。
そして父は逆に激しく狼狽し、その目は踊り、額に汗をかき始めていました。
ああ、きっと真実なのですね。父のその様子から、自らの罪を悔いている事が私には分かります。
それにしても、わたしの身代わりとはどういう事なのでしょうか?
同時に謎の痛みが、わたしの胸を突き刺すのです。そしてわたし自身、言葉にできぬ罪悪感に囚われそうになります。
「お父さん、何があったのですか? それに一体誰を身代に?」
「そ、それは――」
父の語る言葉は、衝撃的なものでした。
主君である公爵閣下様にわたしを差し出すよう言われた父は、苦悩の末に伯爵様の娘を身代わりにしたと言うのです。
丁度この街を訪れていた姪である彼女は、わたしと瓜二つらしく、人を疑わぬ愛らしい娘だったそうです。
わたしを守るために、そんな彼女を言葉巧みにだまして、主君に差し出したという訳です。
ああ、なんと卑劣で恐ろしい悪魔のような所業でしょうか。わたしの父もまた娘を持つ父親であると言うのに……。
きっと歪んだ父の愛が、そう駆り立てたのでしょう。
「すまぬ、ジャコモ。許してくれ、わしが間違っていた。
私にとって娘はこの世の全てだ。だがそれは……、お前にとっても同じだと、今気づいたのだ。許してほしい」
父は涙ながらに、そう伯爵様に告げます。
わたしは長年、父によって箱入り娘のように大事に育てられていました。
それが良いのか、悪いのかは別にしても。きっと父にも思うところがあったのでしょう。そして互いに娘を持つ父親として、その胸内にあるものは同じものだったのだと。
でも伯爵様は、肩を震わせているだけで押し黙っています。すると――。
「丁度良い機会じゃ。道化も伯爵も、邪魔立てするのであれば、おぬしらにはここで消えてもらおうか!」
そして癇に障る枢機卿は、いきり立つように従えていた衛兵たちに、父と伯爵様の二人を殺せと命じたのです。
なんて酷い人なのでしょうか。あの方の叔父とは思えぬ、嫌らしさを感じます。
衛兵たちは各々が武器を構え、こちらにゆっくりと近づいてきます。
それを見た伯爵様が、早口で何やら小声で言葉を紡ぎました。
「風?」
するとどうでしょう。突如、一陣の風が伯爵様を中心に巻き起こり、目の前の衛兵たちを皆一瞬でなぎ倒したのです。
「リゴレット、娘を連れて先に行け! ここはワシが、引き受けよう」
そう言った伯爵様は、再び言葉を紡ぎ始めます。
『きたれわがともよ じゆうのつばさを ささえるものよ
すがたなきともよ ことばをさえぎる ささやくこえよ
しりぞけ わがまえをたちふさぐものよ
たちされ わがゆくてをさえぎるものよ』
伯爵様は立ち上がろうとした衛兵たちを、再び謎の風で吹き飛ばしました。
「すまぬ、ジャコモよ!」
「もうよい、早く行くのだ。娘を、マリーを頼んだぞ……」
「だ、誰か。急ぎスパラフチーレとその妹を呼んでくるのじゃ! こ、これ、他の者たちは我が輩を守る盾とならんか!!」
激しく動揺するダミ声の主と公爵様をその場に残し、わたしはそこから逃げ出しました。必死な形相の父に手を引かれて。
ごめんなさい、伯爵様。
でも生きてください。あなたの娘さんのためにも。生きて……また会いましょう。
次回は、(第三編)となります。




