第二幕第三場:わたしは愛のために、生まれてきたのですか?(前編)
途中にあるリゴレット台詞、『呪われた人でなしどもめ~』の下りも、オペラ『リゴレット』のアリア(原語:Cortigiani, vil razza dannata)になります。
歌の後半部分は端折りましたが、罵倒するような前半とは打って変わり、父親の苦悩と悲しみがよく表れている名アリアです。
また最後に公爵が歌ったのは、オペラ『リゴレット』の名アリア『女心は気まぐれ』(原語:La donna è mobile)です。歌詞の内容を冷静に考えると色々ヒドイのですが、その軽快で口ずさみやすいメロディは大変素晴らしいのです。
是非一度、皆さんも聴いてみてください。とても癖になる名曲だと思います。
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「ここは……、どこかしら?」
目覚めたわたしがいた場所は──。
それはとてもきらびやかで、大きく立派で素敵なお部屋でした。
キョロキョロと周囲を見回してわたしは気づきます。なんと豪華な場所かと。
この部屋の至る所にある調度品には、見るからに高価そうな装飾が施されています。よくよく見ると、壁や天井、窓際の分厚いカーテンや扉までも、それと同様なようですね。なんて綺麗なのでしょうか。
そしてわたしが身をおいていたのは、ものすごく広々としたベッドでした。
たとえわたしが縦に三人並んでも、端から端まで届きそうにはありません。
そんな場所に、わたしはたった一人いたのです。
何だか、とても寂しい……。
この寂しさに思わず、自分の両肩を抱きしめてしまいました。
生まれたままの姿であったわたしには、自身を守るものが何一つないのだから。
ああ、いつも誰かが、わたしの頭をそっと優しく撫でてくれてた気がします。
あれは、誰だったのかしら?
ふと気づきました。
わたしのすぐ隣で、少し前まで誰かが横になっていたような痕跡があります。
そこに手を這わすと、微かに温もりの痕跡を感じることができました。
一体、誰がここにいたのでしょうか?
このわたしのとても心許なく、寂しい気持ちを受け止めてくれる方ですか?
でも今のわたしを抱きしめてくれるのは、自分自身しかいません……。
っ……。
??
何だか違和感を感じます。自分の身体に。
下腹部が少し痛いのです。
わたしの両太ももの間、脚の付け根?に、まるで何かが挟まっているような違和感を感じています。
念のために確認してみましたけど、そこには何もありません。いつも通りです。
ただ少し、血が出ていたくらいでした。
月のモノが、もうきたのでしょうか?
それからもう一度、ベッドに残された温もりに触れた時、確かにわたしは感じました。何故かは分かりませんが、わたしは素敵な声の殿方の胸に抱かれ、沢山の愛の言葉を注がれていた気がしす。
しかし今は、その素敵な殿方の名前も、顔も思い出すことが出来ません。
まるで頭の中に霧が立ち込めているようで、記憶と言う記憶がおぼろげでよく分からないのです。
ああ、わたしは一人さみしく、捨てられてしまったのでしょうか?
誰かわたしを抱きしめて!
そして不安でいっぱいのわたしを、安心させて!
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あら?
何処かで誰かの声がします。
このお部屋の外でしょうか?
少々騒がしいですね。
でも何だか気になります。誰かが言い争っている声のようでしたから。
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好奇心に突き動かされたわたしは、ベッドのシーツを身にまとい、裸足のまま扉のところまでいきました。
目の前のそれはとても大きく、豪華な両開きの扉です。
わたしはその扉に耳を当て、部屋の外の様子を伺ってみます。
そう、先ほどの言い争いが気になるから────。
『呪われた人でなしどもめ
一体いくらでわしの宝を売りとばしたのだ?
わしの娘は金に変えられない宝なのに』
────どこかで聞いた、とても懐かしい声が聞こえてきます。
『娘をかえせ!
さもなくばこの手を血に染めてでも取り戻すぞ
娘の名誉の為ならば、この父に恐れるものはなにもないのだ
さあ悪党ども、あの扉を開けろ!』
何故なのでしょうか。その声を聞いていると、自然と涙が溢れてきます。
この扉の向こうに、わたしのお父さんがいるのでしょうか?
でもわたしには、そのお父さんの顔がよく思い出せないのです。母の顔だけは、しっかりと憶えているのに。
だからわたしは、たまらず目の前の扉を押し開き、部屋を飛び出したのです。
お父さんの姿を確認するために────。
その大広間では、殿方たちが二組に分かれて対峙していたのです。
そして扉が開く音に気付き、八つの瞳が一斉にわたしを見つめてきました。
一方は、白髪交じりの灰色頭をした四角い顔の老人とカールがかかった長い黒髪に整った顔立ちの殿方。
ああ、その素敵な黒髪の彼を見ていると、何故かわたしの心が高鳴ります。
もう一方の老人組は、長身でスラリとした背筋が真っすぐな初老の人物と……。
「おお、ジルダや! 怪我は無いのか? 無事であったのかい?」
少し背が曲がっている年老いた小男がそう言いながら、左足を少し引きずるようにわたしに近づいてきます。
そう、わたしの名前はジルダでした。
でもそう呼ぶ、目の前の父らしき人の名前が、わたしには思い出せません。
なぜなの?
「どうしたんだい? ジルダや、わしが分からないのか?」
わたしの腕を優しく掴み、優しい口調で語りかけてくる目の前の男は。
紛れもなくわたしお父さんなのでしょう。
おぼろげな記憶には残っていなくても、わたしの耳と心が父の優しさを憶えていたから……。
「ごめんなさい、お父さん。頭が混乱していて、わたしには何が何だか──」
すると目の前のお父さんは。
「なんと可哀想なジルダや……。あやつらにひどい事をされてしまったのか」
そう言ってわたしを優しく抱きしめてくれたのです。
その背中をそっと撫でてくれる感じを憶えています。
そして「もう大丈夫。わしがそばにいる、安心なさい」と囁いてくれるのです。
ああ、やはりわたしはお父さんの娘なのですね……。
「マントヴァ公に、イグナチオ枢機卿よ。そなたらは一体何を企んでいるのだ?」
背筋が真っすぐな初老の殿方が、もう一方の殿方たちに問いただしています。
「企むじゃと? それはモンテローネ伯の勘違いではないか。これは愛し合った男女の話じゃぞ。のう、公爵殿?」
「左様、叔父上の仰る通りですな。恋人と愛を語らう事に、一体何を企むと言うのですか。根拠のない言いがかりなどは、止めていただきたい」
「それはつまり──、先日のワシの愛娘の件も、同じように言い逃れる気か?」
「先日の娘? ああ、この子に瓜二つだった泣き虫の生娘か!
そうだな。彼女は最後まで泣いて喜んでいたよ!! フハハハハハ」
「こ、この、恥知らずの人でなしめ!!」
それまで努めて冷静たろうとしていた伯爵様は、公爵様の言葉に激高し、その胸倉を掴み上げました。
「モンテローネ伯、無礼であろう! 言うに事を欠いて、我が輩の可愛い甥。公爵殿に何を企てるのじゃ!?」
「全くですな。酒の上とは言え、互いに合意した男女の愛に嫉妬とは、いやはや見苦しいものだ」
挑発するような二人の言葉に、伯爵様は肩を震わせ、顔を真っ赤にしています。
そして──。
「この娘を思う父の苦悩と思いを笑うものは、皆呪われよ!!」
そう言うと、公爵様に一度だけ平手打ちをし、フンと言って広間から足早に立ち去ろうとします。
確かに公爵様、彼はひどい人かもしれません。
でもわたしには、彼だけなのです。
そして伯爵様の背を見据えながら、彼は静かに歌い始めました。
『女心は気まぐれ
風に舞う羽のように
言葉は変わる そして心も』
『いつも愛想よく
優美な表情
泣いたり笑ったり それはいつわりだらけ』
『いつも哀れなのは
女に心をゆるす人だ 女を信頼する人だ
警戒心がまるでない!』
『だけど 本物の幸せを 一度も感じられないのは
女の胸の上で
愛を味わえない人だ』
なんという素晴らしいテノールの歌声でしょうか。
その軽快なメロディがわたしの心を打つのです。
この止まる事のない胸の高鳴りは、やはり……。
その歌を聞き入り、立ち止まっていた伯爵様は、こちらを振り返ると。
「リゴレット、もう行くぞ。この男に仕えても、そなたの娘を不幸にするだけぞ!
そしてマントヴァ公、いずれはワシの呪いが降りかかろう。それまでは精々楽しく暮らすがいい!!」
するとわたしを抱きしめていたお父さんはこう言いました。
「いいや、呪いではない。復讐だ!
この道化のわしが、必ずや復讐してやろう!!」
あぁ、なんということでしょうか。
でもこのような結果をわたしは望んでいません。
「お父さん、私は公爵様、彼を愛しているのです。彼に抱かれ、初めて愛というモノを知りました。だから彼を許してください。お願いです……わたしのお父さん」
わたしは涙を流して、目の前の父に懇願する事しかできませんでした。
今回から主演は”わたし”さんとなりました。筆者的には早く”あたし”さんに戻ってきて欲しいものです。
次回は、(中編)を予定しています。




