第二幕第二場:愛のために、生きることができますか?(第三編)
後半の歌は、オペラ『リゴレット』の四重唱アリア『美しき愛らしい娘よ』(原語:Bella figlia dell'amore)です。
筆者が一番描きたかった四重唱を歌うシーンになります。
本来は、マントヴァ公爵とマッダレーナ、ジルダとリゴレットの四人で歌いますが、ここでは前世の”わたし”さんにも登場頂いております。
念のためのさるぐつわと目隠しの上、手足を縛られた姫君は、痩せノッポに何処かへと担がれ運ばれた。
でもあたしには行く先、目的地が分かっている。
きっと悪党たちの親玉であるマントヴァ公爵が住まう居城だ。そう、グランデフォルテッツアである。
ただ決して、あたしは丁重な扱いをされた訳ではない。
それでも運ばれていく途中、いくつかの貴重な情報が得られたのだ。
ダミ声の主が曰く──。
『先日はモンテローネの小娘に逃げられたが、この娘が手に入ったとなれば、後はどうとでもなるのじゃ』とか。
『あの男を始末する策はある』など、とても上機嫌に語っていた。
という事は、彼らの計画が順調に進んでいるのだろう。あたしには腹立たしい限りだけれど。
その後、目隠しとさるぐつわを外されたあたしは、特大ベッドに放り込まれたのだ。
あたしはすぐに周囲を見渡す。
この贅沢な調度品に囲まれた豪華で大きな部屋は、高貴な方の寝室のようだ。
出入り口は装飾が施された、立派な両開きの扉が一つだけ。
そして窓際には、分厚く重い豪華なカーテンが壁のように佇んでいる。
それから今いるベッドがとても広いのだ。あたしのお気に入りの天蓋付きベッドの優に数倍の大きさはあると思う。
もちろん今ここには、あたし一人である。
どうやら今夜は一人で、この広々とした柔らかくてフカフカのベッドを占拠できるらしい。これはラッキーだわ!
手足はまだ縛られているとは言え、今までで一番身体を楽にできそうなのよね!
グゥ~。
「…………」
でもまだあたしの身体は、不満を上げてらっしゃる。
腹だけでなく、喉もカラカラなのだ。これは流石に、シンドイかなぁ……。
ふと目線を動かすと、ベッドの直ぐそばにある丸台が目に入った。
そこには正方形で背の低い木箱が鎮座している。
こ、これは──もしかして!?
広大なベッドの上を這いずり、何とかそれに手を伸ばしてみると──。
あたしの想像通りだ。その中にはチョコレート菓子が九つも入っていた。それも大きなサイズが!
そして空腹のあまり、あたしは思わずチョコを手に取り、口にしてしまったのだ。
すると口の中に広がる、甘く芳醇な香り。遅れてやってくる僅かな苦み。あぁ、なんと甘美なのだろうか?
(ああ、きっとこれは……。何もない荒野で見つけた。禁断の果実ね)
でも急速に嫌な予感が、あたしの全身を覆いつくす。
このままではマズイと、口の中にあった全てベッドの下へと吐き出したのだ。
しばらくあたしがゲホゲホしていると、扉が開く音がした。
そして誰かの足音が、こちらに向かってくるようだ。たった一人だけ。
あたしが顔を上げると、金の酒杯を二つ手に持った男と目線があった。
彼はカールがかかった長い黒髪に整った顔立ち。そしてかつて何処かで見たような優し気な目元。
なるほど、見るからにイケメンである。ただ……かすかな記憶を頼りにすると、ダンディな口髭が無いような?
でも相変わらず彼からは、とてもイイ香りがするのだ。
「やあ、麗しの姫君。どうだい?」
彼は素敵なあたし好みのテノール声を発し、手に持つ酒杯を差し出してくる。
(声は本当に素晴らしいわね)
「…………」
あたしは黙って受け取ったものの、それを素直に飲む気にはなれなかった。だから──。
「アンタこそ先に飲みなさいよ……」
言われた彼は素直に、自分の手元に残っていた酒杯を一口だけ飲んだ。
「この通り、美味しいホットワインだよ」
「…………」
しばらく黙って彼を見ていたが、彼のワインは問題無さそうである。
故に、あたしは彼の手からそれを奪い取り、中の全てを一息に飲み干す。
苦っ!
あたしは思わず顔をしかめる。
それを見た彼は、ハハハと笑い。あたしが飲まなかった酒杯を一口飲むと。
「こっちは蜂蜜がたっぷりと入っているから、飲みやすいだろうね」
そう言って、再びあたしに手に持つ酒杯を差し出してくる
流石に今度は素直に受け取り、黙って一口だけ口に含んでみた。
甘っ!
そして飲みやすくて、すっごく美味しいわ!!
残りも一気に飲み干す。これにはあたしも大満足である。
そして少しだけ良い気分になったところで、あたしは彼に向き合った。
「────で、あたしに何の用なの? 公爵閣下様」
「へえ、知っていたのかい? ボクが公爵だって事を」
「ううん、知らないけど絶対そうだと思っていたわ。それで何故なの? あたしのお父様のご主君が、道化師の一人娘ごときに用があるのよ?」
逃げ出すチャンスは必ずあると、あたしは相手の様子を観察し、隙が無いかとうかがう。
「フハハハハ、本当に面白い人だね、キミは。話に聞いていたのとはちょっと違うけど、その美しさはあの子と瓜二つだ」
「あの子? それって、あたしの従妹のマリアンナの事を言っているの? アンタは彼女に一体何をしたのよ!?」
「何をって? 男と女がいれば、愛と喜びを共にするのは当たり前じゃないか。
ああ、ひょっとしてキミも、未だなのかい?」
この男はなんと醜悪で、下衆な笑みを浮かべるのだろうか。汚らわしい男だ!
きっとマリーはこの男に辱しめを受けたのだろう。でも彼女は、ガルガーノが救い出してくれた。
しかしあたしはどうなるのだろうか?
誰かがあたしを救い出してくれるの?
「さあ、こちらに来ると良い。麗しの姫君」
「…………」
?
部屋の外で誰かがわめく声がする。
そう、あたしのよく知る声。大好きなお父様の声が。
『娘を返せ!』と。
あぁ、きっとお父様があたしを助けに来てくれたのだ。
「わたしはココよ。お父さん!!」
しかし彼はそんな事には全く気にも留めず、あたしの目の前で歌い始めた。
**********************
「あの日のことを思い出せば 美しいキミに出会った
キミの事を尋ね ここに居ると知ったのだ
分かって欲しい あの日からキミの事だけを思っていると」
(ひどい人!)
「あぁ 他の女たちの事を今は忘れているのね?
彼は素敵な紳士のようだと
本当は遊び人なのにね」
「そう ボクは悪い奴さ」
(ああ お父さん!)
「あたしを放っておいてよ お馬鹿さん」
「こら 騒ぐなよ」
「あなたこそ お行儀よくなさい!」
「それなら良い子にして 騒がないで
喜びと愛の前では 行儀なんて不要さ」
彼があたしの手を握る。
「白くて美しい手だ!」
「アナタは冗談ばかりね 紳士さん」
「いや ちがう」
「あたしはヒドイ女よ」
「ボクを抱いてくれ」
(ひどいわ!)
「酔ってるのね」
「情熱的なのさ」
「嘘ばっかり からかうのが好きなの?」
「いや 結婚したい キミと」
「じゃあ約束なさいよ」
「キミは本当に愛らしい」
『充分だろう!?』
(ひどい裏切りよ!)
『もう充分だろう!?』
(ひどい裏切り者よ!)
「美しき愛らしい娘よ」
「じゃあ約束なさいよ」
「ボクはもうキミの奴隷だ
キミの言葉だけが ボクの痛みを和らげてくれる
ここに来て感じてごらん ボクの胸のトキメキを
キミの言葉だけが ボクの痛みを和らげてくれる」
「あぁ 心から笑ってしまうわ」
(あんな風に愛を語っている)
「いつもの冗談でしょ」
(わたしも同じ事を聞いたわ)
『泣いてもどうにもならなん』
(不幸にも裏切られた心は)
(悲しみで張り裂けそうよ)
「あたしはお遊びだって 分かっているわ」
「キミの言葉だけが ボクの痛みを和らげてくれる」
「美しき愛らしい娘よ」
(不幸な心は)
「ボクはもうキミの奴隷だ」
(裏切られた悲しみに)
「キミの言葉だけが」
(心は張り裂けそうよ)
「ボクの痛みを和らげてくれる」
「あぁ、心から笑ってしまうわ」
(心は張り裂けそうよ)
「あたしはお遊びだって分かっているわ」
(心は張り裂けそうよ)
『復讐してやろう』
(裏切られた悲しみに)
『一撃で倒してやろう』
「ここに来て感じてごらん ボクの胸のトキメキを」
「あぁ 心から笑ってしまうわ」
(心が)
「あたしはお遊びだって 分かっているわ」
(張り裂けそう)
「『さあ来るんだ~』」
**********************
彼に手を引かれたわたしは、その危険で魅惑的な香りのする胸元に飛び込んだ。
そしてあたしは……。
次回は、『第二幕第三場:わたしは愛のために、生きることができますか?』となります。




