第一幕第一場:愚か者二人(後編参)
これで第一幕第一場は終わります。
「婆や、これでいいの?」
そう言って、あたしは薄くスライスした不揃いのリンゴを婆やに見せてみた。
「あらあら? 中々お上手ですわねぇ。じゃあ、こちらのバターを熱した鍋に、そのリンゴとお砂糖とレモン汁を入れて、少しだけ煮てくださいな。シナモンを入れるのは、それらが煮えてからですよ」
はぁ~い、と褒められて嬉しそうに返事したあたし。それから手早くリンゴを全て鍋に入れ、事前に準備していた砂糖とレモン汁も、鍋の中にいる主役の上に満遍なく振りかけた。
今日は久し振りに包丁を握ったので、手元がなかなかおぼつか無かったけれども、あたしには甘い婆やからは及第点を貰えたらしい。
(こう言うのは本当に久しぶりで楽しいわ。もっと普段からそうすべきだったかしら……)
そして今、窓の外が赤く染まるわが家の厨房には、婆やとあたしの二人っきりだけである。
彼と別れたあの後、あたしは足早に慣れ親しんだ屋敷へと戻ったのだ。
その時既に婆やは礼拝の後の買い物を済ませ、たまたま途中で出会ったミランダと一緒に帰宅したらしく。あたしが戻った時には、丁度夕食の準備を始めたところであった。
そこであたしは婆やの夕食作りをお手伝いする事にした。その上で、彼へのお礼のシナモンアップルパイ作りをお願いして、教えてもらうことにしたのだ。
今のところはあたしにとって望ましい展開なので、ついつい気分よく勢い余って、このように久々のお菓子作りに挑戦をしているのである。
それ故に、今のあたしは婆や手ずからの優しい指導の下、健気にも(?)シナモンアップルパイ作りに挑んでいるところなのですよ?
しばらくの間、鼻唄を詠いながら鍋が煮立つまでジッと待つ。
既にパイ生地の準備を出来ているので、これが出来たらパイ生地に包んで、最後はオーブンで焼き上げれば完成! ……だと思う。
「それにしても――、こうしてお嬢様と一緒に料理をするのは、何年ぶりですかねぇ。しかも急に知人を今日の夕食に招待したから、せめてデザートくらいは自分で作りたいだなんて……」
「そう、ね。たまには――ね」
「今日は礼拝にも行きませんでしたし。お嬢様がそこまでするなんて――、そんなに素敵な殿方ですか?」
「え? あー……。 う、うぅん――。まぁまぁ、――かしら?」
歯切れの悪い返答を返すあたし。
これは説明するのに色々と込み入った諸事情があるのよね……。
そしてその話題にあがった彼の容姿を頭に思い浮かべる。
――色白だけど細身でマッチョな長身に赤毛の短髪。そして精悍な顔つきとキリッとした目力の強い美丈夫だった。悔しいけど、それは認めよう。
ただし……彼は新妻持ちの既婚者である。
「そう――。お嬢様の――嫁入りも、そう遠くないかもしれませんねぇ。でも、もう少しお料理の練習はしましょうか?」
ぎくぅぅぅっ!?
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それから菓子作りは最終行程であるオーブン焼きへと移る事となった。
そしてパイを焼き始めると同時に、並行して進めていた夕食作りも終わる。
するといつものよう、ミランダは出来上がった夕食を二人分だけ持って、幼い愛息の待つ家へと帰っていったのだ。この時、きっといつものあたしであれば、屋敷を出る彼女に追いすがって抱き着き、彼女のその豊満なお胸様をどさくさに紛れてまさぐるのが、毎度のお約束のはずだったけれど――。
前回のループでしった、色々と怪しい彼女の言動を考えると、今はとてもそんな気にはなれなかったのである。
そして夕刻を知らせる教会の鐘が鳴り響く。
あぁ、もう約束の時間か……。何とか無事間に合いそうな感じである。きっと夕食を終える頃には、彼の所望するシナモンアップルパイも完成するでしょうね。
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厨房のテーブルの上に、三人分の夕食を用意していると、玄関口から扉をノックする音が聞こえてきた。きっと彼が来たのだろうと思い、あたしは婆やに後の仕度を任せて、一人で玄関に向かった。
この時のあたしの足取りは何故か軽く。まるでフワフワした気分なのである。
恋人や旦那様の帰りを待つ奥さんの気持ちは、このようなものなのだろうか?
そうね、多分そうに違いない。きっと素敵で、甘美なものなものだと思う……。
でも未だにそんな春が訪れる気配が、あたしには無いのである。悲しいことに。
だから今回のこれは、来たる将来へ向けての予行練習と考えよう。ルンルン☆彡
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あたしの予想通り、彼は見事に無理難題をやり遂げてくれたみたいだ。
だからこうして今、あたしの手の中には待ち望んだ逸品…………芳醇な香りを放つ薄いピンクのバラの花束があるのである。この鼻の奥、頭の中までウットリするような魅惑の素敵な香りを前にしては、さしものあたしも目の前の良く出来た下僕様が、なんだかとても素敵に思えてくるわ……。
ダメダメ、不倫は絶対に駄目なんだから!! (ピシッ、ピシッ
「おいおい、嬢ちゃん。いきなり自分の顔を叩き始めて、一体どうした?」
あたしは頭を左右に何度も振って、なんとか意識を正常な状態に戻す。
「だ、大丈夫よ。バラの素敵な香りを嗅いだら、ちょっと頭がボーッとしただけだから……」
「そうか。しっかし――、このバラの花束ついでに、色々と面白いものを見つけてぞ。丁度、さっきもそこの屋敷近くの小道でもな……」
ふむふむ……、これはちょっと、面白そうな重要案件の香りかしら?
彼の話では――――。
先ほど、屋敷近くの小道付近にある街路樹の所で一組の男女を見たと言う。
その一人がなんと公爵ご本人だったらしい。その時の公爵は付け髭をしていたようだけれど、よく見知った姿に瓜二つなために、夕暮れ直後の薄暗がりでも分かったみたいだ。
そしてその相手がどうやら、タイミング的にも爆乳的にも、うちの家政婦のミランダのようである。
その二人の間の雰囲気は、決して逢引きや色気のあるものではなく、商売取引や交渉と言う感じであったそうだ。もっとも件の公爵は、大人の魅力たっぷりの彼女に手を出そうとして、こっぴどい扱いを受けたらしい。その気持ちは、ほんのちょっぴりだけ分かるけれども、ある意味当然の反応だと思うわ……。
ちなみにあたしがお願いしたバラの花束の方は、公爵の居城にある執務室まで彼自らが忍び込み、全て頂戴してきたとの事。
そしてその際に、とても興味深い諸々の証拠を見つけたらしく、それも合わせて拝借したらしい。
そしてその内容と言うのが――――。
この街の支配者であるマントヴァ公爵が国庫に納めるはずの税金の一部を横領し、それを教会組織の幹部である叔父のイグナチオ枢機卿を通じて、人身売買のための資金に充てており。
その実働部隊として、川辺のサンタクローチェ教会のトンベリオ司祭(様はもう二度と付けない)と結託し、教会が主催する子供向けの慈善活動を利用して、身寄りのない子供を集めては売買していると言うのだ。
何という恥知らずで、卑劣な行いであろうか……。
それは決して許せるものではない――。
この非力な上に、味方の少ないあたしが頼みと出来るモノは、ホトンド無いと言っても過言ではない。
そしてこうしている今も、きっとあの川辺の村にある宿で、年端もゆかぬ姉妹と愛らしい猫娘のあの子が囚われの身となっているはずである。
以前のループのお陰で、彼女たちの存在を知る事のできた身としては、決して見逃せない悪事なのだ。今度も必ずや助け出して見せようと思う。
だからこそ、今のあたしには必要なのである。彼の……助力が。
次回は、『第一幕第二場:過ぎ去り日々の、キミとボクとあのコ(前編)』を予定しています。これは三、四話くらいで終わるはず。




