第一幕第一場:愚か者二人(後編弐)
長くなりましたがキリがいい所まで。
な、なんという頑丈な男だろうか。この赤毛の騎士様は。
その場から飛び上がるように突き上げた、あたしが放つ渾身の暴れ馬を。
それを顎に直撃したにもかかわらず、倒れることは元より、一瞬のふらつきすらもなかったのだ──。
「いってぇーな。嬢ちゃん、――急にどうしちまったんだ?」
彼はほんの少し赤くなった下顎を、右手で軽くさすっているだけだった。
まるで効いていない気がする。
どうやら負けたのはあたしの暴れ馬みたいね。
そう、とても痛いのよ。今、あたしの右拳が。
メッチャ腫れてきてるわ。これはちょっと、すご~く痛い、かも。
「戦争よ……」
赤毛の騎士様は、何言ってんだコイツ?、という顔をしている。
「大好きな塩カラメルクッキーを全部食べられたら……、これはもう戦争しかないでしょーがっ!!」
あたしは天下の往来真っただ中で、心の底からほとぼしる熱いパッショーネ (情熱/passione) を伴った絶叫をあげた。
ちょいちょい変な言動が出てくる自覚のあるあたしだけど、それでも普段はこんな事はしない。でもこの時だけは別だったのである。
「この食べ物の恨み! スイーツの神に代わって、一生呪ってやるー!!」
あたしは左手を腰に当て、ビシッと人差し指を彼に突きつけながら、力いっぱい叫んだ。もちろん、ささやかな胸を、精一杯張りながらである。
「お、おう……。そいつは悪かったな。すまねぇ」
片手を頭に当てながら、申し訳なさそうに謝っている、つもりらしい。
この男には反省の色が、まるで足りないようである。
先ほど無造作に一口で丸飲みしたクッキーが、あの『優雅な林檎亭』のモノにも関わらず!
しかもあたしが朝早く(?)から並んだ末に、ようやく手に入れられた逸品なのに!!
「なら、下僕ね! この償いは、あたしの下僕となって補いなさい!!」
「……………………」
コイツ、(・_・;)という彼の心の声が、聞こえてきそうな表情である。
ぐぬぬぬぬぬ。ここは一つ、あたしの教養の深さを知らしめねば!
「ねぇねぇ、こんなおとぎ話を知ってる?
東方諸国の伝承に、桃から生まれた騎士の話があるのよ――」
あたしが話したのは、大陸の東方にある諸国の一つの、とある島国に伝わるおとぎ話についてだ。
その物語とは、桃から生まれた伝説の騎士が、甘いお菓子を餌に次々と動物を配下に加え、最終的には島の要塞に立てこもる、化け物一族を退治したというものである。
今でも現地ではその伝説の騎士にあやって、様々な名物お菓子や大衆演劇に遊戯などが数多く生み出されているとか。一つの異国文化、みたいなものかしら。
「つまり──俺を下僕にして、嬢ちゃんの好きなようにコキ使いたいって事か?」
彼は自らの顎に指を当て、訝しむような態度で問うてきた。
うんうん、ちゃんと理解できているようで、何よりだわ。
「そうよ。非力でか弱いあたしじゃ、無理な事が世の中には多いから、それらを全部お任せしたいの!」
「──分かった、分かった。護衛とか、そういうレベルで済む荒事なら、手を貸してやってもいいぜ」
٩( 'ω' )و✧
「じゃあ前金代わりに、コイツの残りも頂くぜ……」
そう言いうと、中身が残り僅かの紙袋を逆さまにし、全てを平らげようとする。
「させるかあぁぁぁぁぁぁっ!!」
吹き抜ける一陣の風よりも速く、あたしは飛び上がりながら、紙袋を物凄い素早さで奪い返した。
呪われろ! この赤毛の騎士め!
「嬢ちゃん、流石にそれは酷くねーか? ただ働きをさせるつもりかよ?」
「そこは、それよ────相談「払う気ねーだろ?」ってことで」
心の底を見抜いたような素早い突っ込みが、あたしの言葉を遮って、飛んできた。
ぐぬぬぬぬ。確かに全くもってその通りだ。ぐうの音もない正論である。
その上、新妻持ちを自称するこの呪われた騎士には、可憐で控えめなあたしの色気は一切通じなさそうだし。
「じゃ、じゃあ──後払いで、お父様が────支払うって事でどうよ?」
「後払いね。────まあ、良いだろう。嬢ちゃんの親父さん、モンテローネ伯なら信用できるしな」
片手で頭を掻きながら、あたしの信用度を天秤にかけたらしい。
おぉ!?
そういう勘違いは嫌いじゃないわ。特に今回に限りはね──。ラッキ~☆彡
「──しっかし、ここでの長話は難だな。よし、場所を変えようぜ」
そう言うと彼は、あたしに向かって無造作に前かがみになると。
そのままヒョイとあたしは腰ごと担ぎ上げられ、そのまま猟師に仕留められた獲物のように彼の肩の上に載せられてしまった。
この呪われた騎士は、嫁入り前の清らかな乙女を相手に、何という破廉恥な行為に及ぶのか!?
だけども、だけども。意外に──────嫌じゃないかも?
この普段は見る事の無い、遠くまで楽に見渡せる高さがなかなかに、新鮮で良いではないか。あぁ、これがもし憧れの殿方による、お姫様抱っこであれば、どうであったのかしら? と妄想もしてみる。
──────うん、悪くはない気分だ。今のあたしには。
決して乗り心地(?)はよくないけど、乙女心にキュンキュンくるのよね。
そんな気分に浸るあたしを余所に、ちょっとだけ素敵に見える騎士様は、新市街に向かって石橋を渡っている。そしてあたしは彼に代わって、彼の視界外である後方確認を、自主的に担当する事にした。
「ところでよ」
「なにー?」(もぐもぐ
獲物扱いされているあたしは、暇を持て余して、残り僅かのクッキーを味わっているのだ。
「何処に行けばいい? あの店から、この橋まで歩いて来たって事は、新市街に住んでいるだろうってのは分かる。だから嬢ちゃんの家はどこだ?」
あー、そういう事ですか。よくお分かりで助かるわ。(もぐもぐ
「とりあえず──。そう、川辺の教会裏に行ってみて。念のために確認したいから」
「あの小さな教会か。確か──サンタクローチェ教会だっけ?」
「よく知っているわね? このあたりは詳しいの?」
「いや、用事があって、昼頃にそこへ行ってたんだよな」
へー、そうなんですか。でもなんで日曜の礼拝中に? (もぐもぐ
うんうん。物わかりの良い下僕で大変よろしいわ。あ、これは────。
「ハイ、あ~ん」
あたしはそう言って、右手にもったそれを、彼の頭越しに差し出す。
彼の好きそうな、香り豊かなシナモンクッキ―。それの最後のひとつである。
「おい、額に何を当ててるんだよ?」
「アンタの好きそうなものよ。いらないのなら、あたしが始末するけどー?」
早くしろとばかりに、彼の額をクッキーで軽くノックしてみる。
すると彼は鬱陶しそうに、無言でそれを空いた手で奪い取った。
そして次の瞬間には、やっぱうめぇ~という彼の声が、あたしの後ろから聞こえてきた。満足頂けたようで何よりですわ。
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その後、川辺の小さな教会の裏手に、あたしたちはやってきた。
そこにある、いつも何頭かの馬が止められている鉄製の輪っか、石壁の馬止めには何もなかったのだ。この教会裏に残されていたのは、無数の馬の足跡と踏みつけられた馬糞だけである。
大方の予想通り、既に礼拝が終わった後なので、気軽に馬を使えるような高貴な人物は帰ったらしい。
「──で、どうすんだ? おい、嬢ちゃん。いい加減降りろ」
「やーよ! あたしの靴が汚れるじゃないのよ?」
あたしは下僕の肩に必死で掴まるものの、アッサリと振り落とされてしまった。
お、おのれ~……。見事に馬糞の上に着地してしまったじゃないの!?
「──で、どうすんだ? 逢引きの場所にしちゃ、色気どころか馬糞の臭気しかねー場所だぞ?」
このっ! このっ!
くっ! 手ごわいわね!!
彼の問いかけを他所に、あたしは必死に自分の靴の裏に付いたこの臭気の元を、彼のロングブーツに擦り付けようと試みていた。しかしあたしの頭を、片手で押さえつけている彼の長い手によって、その行為は阻まれてしまっている。
くやしぃ~。
「ハァ、ハァ……。今日はこのへんで勘弁してあげるわ……。ところでアンタの実力は──、どの程度なの? スゴイ軽業師とか、聞いた記憶があるのだけど?」
「お、おう。そうだな──、たとえば嬢ちゃんの家に忍び込んで、隠し持っているお菓子を盗み出す事くらいは楽勝だな。それが高い尖塔の上にある、階段すら存在しない部屋だとしてもだ」
そう言うと、彼はニヤリと笑った。
「………………………………」
思っていた以上にヤバい奴だったわ……。もしご執心なんてされようものならば、きっと明日からあたしの秘密の花園は、存在しなくなるらしい。なんと恐ろしい!
「じゃあ、そうね。たとえば──この街を支配する公爵閣下様から、バラの花束を奪ってくると言うのは、どうかしら?」
「この街の公爵? バラの花束だと?」
「そうよ。できる? あぁ、そっか……ガルガーノ様ご推薦である、凄腕の騎士様でも、無理な事はあるわよねー」(ニヤニヤ
彼は口元に手を当てて、何やら考え込んでいるようだ。そして、
「──ふむ、いいぜ。あの公爵が相手なら、俺も躊躇する理由は無いしな……」
あたしの安っぽい挑発は効果が無かったらしい。でも彼は快諾してくれたから、ここはヨシとしましょうか。
「しかし何故、バラなんだ? 季節外れとは言え、この街の花屋なら大枚をはたけば手に入るんじゃねぇのか?」
「それが買い占められちゃったのよ。あのいけ好かない男に」
「──そうか。しかし、その評価については俺も同じだ。野郎のせいで、いつもガルガーノの奴が苦労させられているからな──。野郎の鼻を、あかすって話なら、俺も喜んで手伝うさ」
彼も思う所があるのか、ノリノリであたしの突拍子もない提案を受け入れてくれた。助かるわー。騎士様にはいつもこの調子で、よろしくお願いしますわね!
それから新市街の外れにある、あたしが暮らす屋敷の場所を彼に説明し、大事な用事を済ませた後で訪ねてもらう事にした。
「あ、そうだわ。そのお礼として、あとで手作りのシナモンアップルパイをご馳走してあげるわ。そっちは夕方の鐘までにはできそう?」
「ああ、任せろ。しかしなんだな、────その報酬とやらは、期待せずにしとくか……」
(^ω^#)
「くぅーっ! ────後で覚えてなさいよ! イーッだ!!」
あたしがそう言ったせいで、この時はまるで恋人同士のような別れとなってしまったのである。反省しています、ハイ。
次回は、(後編参)となります。




