幕間:ガルダ会戦の勇者たち(第七編)
戦いはこれで終わります。
飛び交う怒号。そして激しく打ちつけ、ぶつかり合う槍と盾の音。中には斧や剣を振るう者もいる。
そして時折り飛来する風を切る矢音に、それを受けてあがるうめき声と、矢をはじく軽い金属音。
戦う者たちの血と汗と鋼が入り混じる、奇妙で独特の臭いがあたりに漂う。だが誰もそれを気にも留めない。
しかし実際にこうして必死で戦っているのは、丘の上に陣取る辺境伯軍の本隊と、その前面に押し寄せた反乱軍の前衛隊のみであった。そして敵の本隊はまだ遥か後方から動かず、戦いの行方を見守っている。その代わりに敵両翼が合図に従い、ゆっくりと前進しながら丘を包囲するように、南北から挟みこもうとしていた。
また辺境伯軍の背面を襲おうと、右翼から丘の迂回を試みた敵の騎兵100騎は、そこに真っすぐ突っ込んできたガルガーノ辺境伯が率いる30騎によって、瞬く間に蹴散らされた。
思いもよらぬ手痛い攻撃を受けた騎兵は、そのまま行き場を求めるように、動かぬ敵本隊と功名を争うようにバラけて突進した前衛隊の間に、大きく空いたスペースへと逃げ込むように走り出す。
無論、ガルガーノが指揮する騎兵はそれを逃さず、一気に殲滅するために追いうちをかける。敵騎兵を自由にさせれば、それだけこちらの本隊が危うくなるからだ。
今のところは戦いは五分五分の状態だった。
ただし──このまま両翼から包囲された場合は、事前に相談した作戦が実行される前に自軍が崩壊するかもしれない。それを誰よりも理解していた故に、辺境伯軍本隊の最前線で戦う巨躯の騎士ガディオンは──。
今まで繰り返してきたように、二十一人の力で押し寄せる敵を逆に押し返した後。彼は右手の長槍を地面に突き刺し、腰に履いた幅広の剣を抜くと、この場を任せたと一言を残して、たった一人で眼前の敵軍真っただ中に突入していった。
当初とは違い、その勢いが削がれ、隊列に隙間が生じている敵の前衛部隊。その圧力が弱まったとは言え、敵の前衛部隊の数はまだ400以上はいるのにも関わらずだ。
しかしこの前衛部隊には、まともに指揮する者が既に居ない為、ただただ前進して力押しをするだけの乱戦状態となっていた。
この激しい乱戦の中において、ひと際目立つその巨躯から次々と繰り出される肉厚の鋼の刃。
この男に不用意に近づく者は、皆が等しく死を賜る事だろう。ドシュっという重い音と共に一撃で命を刈り取っていく。無慈悲で情けなど無い戦場においては、ある意味慈悲深い死の刃だ。
だからといって、決して誰も自ら進んでこの化け物のような大男に近づくものは居ない。精々その犠牲になるのは、後ろから前に押しやられて、不本意に立ちふさがる哀れな反乱軍の兵士だけだった。
最後の悪あがきにと、果敢にも化け物へ挑む者もいたが、その最期の一撃もすべからく大盾に受け止められる。そして次の瞬間には、頭上から打ち下ろされる死の刃によって、兜ごとか、鎧ごと命を絶たれてしまう。
その圧倒的な暴力で、周囲を威圧する巨人の騎士ガディオン。彼が繰り出す剣は、変幻自在と言うよりも、まるで無造作に自身の勘所のみを頼りに振るっているようだった。
近衛隊に所属する彼の下の弟のジュリオは、常に先手先手をとる攻撃主体の剣術を扱い。またこの会戦で総大将を務めるガルガーノ辺境伯は、巧みな防御を起点とするカウンター主体の剣術を得意とする。
その両者の正統派剣術とは全く相いれない、彼固有の戦場の理と経験に裏打ちされた、形の無い剣技であった。
時折り、彼の背後から襲い掛かる功名心に溢れる小賢しい者もいたが、それは”愚か者め”という皆の内心を具現化した一個の死体となり果てる。こと戦場において、所狭しと死を振りまく巨人騎士の前では、――たとえ死角となる背後であっても、彼の間合いに踏み込んだ者には、ただ『死』があるのみだった。
当然の如く彼を前にした敵兵は、これでは話が違うとばかりに、恐れおののき、震えて立ち尽くすだけである。
そして敵ばかりの人海を真っ二つに割り、前進を続けた彼の前に一頭の馬が現れた。
先ほどの戦場初の戦死者が愛用していた、大柄で逞しい四肢をした青鹿毛の馬だ。その馬は健気にも、もう動かぬ哀れな飼い主の元で立ち尽くしている。
今まで見た事も、乗った事の無いような、その素晴らしい超大型の馬を前にしても、彼には感慨や感動などの反応は一切無かった。
巨人騎士はその場で主無き馬に跨ると、しっかりとした安定感と乗り心地に満足したのか。
馬の首を軽く叩き、左手で手綱を引くと、空いた手で彼が背負っていた片刃の大型武器、『大太刀』を抜き放つ。
そして周囲の敵を蹴散らしながら、自軍の右翼に向かって駆けさせた。
丁度、敵軍の真っただ中を左翼へ突き抜けようとするガルガーノ率いる騎兵とは、逆方向に行く形となる。
馬上の主となったこの化け物に対し、無思慮に近づく者は、先ほどまでに無様の姿を晒した愚か者と同じ末路を辿る。行き掛けの駄賃とばかりに、勢いに任せて馬上から次々と前衛の敵兵をなで斬りにしていく。
それから右翼に雪崩れ込もうとする敵兵の前面をも単騎で駆け抜けながら、一陣の風と恐怖を撒き散らしながら敵の勢いを削いでいく。これにより本隊右翼の味方を鼓舞し、兵数が少なく厚みの薄い右翼は包囲しつつある前面の敵を支える事ができた。
それと同じように、左翼側に突き抜けたガルガーノが率いる騎兵たちも、左翼を包囲しようとする敵を牽制していた。
そしてガルガーノは馬上から、遥か後方に待機している敵本隊を目にし、頃合い良しと見たのか、力いっぱい角笛を吹き鳴らした。
それに呼応し、待ってましたとばかりに素早く動き出したモノがある。
敵軍後方にある左右の森から、突如として現れたのは赤毛の騎士ヒイロが率いる二つの騎兵隊だ。
それぞれが99騎と100騎と少数な上に、実戦経験のない若い騎士ばかりだが、その勇猛さだけは王国一かもしれない。彼らが向かう先は、後方でのんびりと戦況を見守っていた敵本陣である。その数は数百も居ない。
ヒイロは兄の騎兵を率い、自身騎兵の指揮は副長に任せている。
そしてガラ空きの敵軍本隊の後背に襲い掛かった。初めて味わう戦の臭いに血をたぎらせ、奮起した長兄配下の騎兵たちは、我先にと果敢に敵陣へ突進する。そして各自が名乗りをあげながら、派手に敵陣をかき乱してゆくのだ。
突然の奇襲に激しく動揺し乱れ始める敵陣を、距離をとって冷静に見つめている赤毛の騎士。それから彼は自身の騎兵隊と合流し、そのまま向かって敵本隊の左側面へと迂回する。
そして敵陣側面に僅かな綻びを見出すと、そこへ絶妙なタイミングで騎兵による突撃を慣行した。その圧倒的な人馬一体の衝撃力を携えて。
恐るべき死と血風をまき散らしながら突き進む人馬たちは、まるでホールケーキを切り分けるように、あっという間に敵陣を前後に分断したのだ。しかも赤毛の騎士以下、誰もが負傷らしき負傷もなかった。
それから再び馬首を巡らせると、散り散りに乱れた敵陣にとどめを刺そうと、体のあちこちを真っ赤に染めた100騎が再び突撃してゆく。
一撃目でほぼ勝敗は決していたが、この二撃目が止めとなった。
兵士たちの心が打ち砕かれた反乱軍の本隊は、この時点で崩壊をはじめる。
後方で崩された本隊をその目にして、戦い抜く闘志を打ち砕かれたのか。いきり立つ辺境伯軍本隊の逆撃を受けて、総崩れをおこし潰走をはじめる敵軍。そして自然とその背中を追う味方の鬨の声が沸き起こる。
どうやら戦いの大勢は決したようだ。
そうなるとあとは兵士たちが好き勝手に逃げ出すなり、諦めずその場に踏みとどまって討ち死ぬなりと、それは個々の自由であった。
運良く生きてこの血生臭い戦場から抜け出せたものは極少数だ。
敗れて逃げ出す者の大半は、血に飢えた騎兵たちの手によって散々打ちのめされ、遅れた者から順番にこの地で躯を晒す羽目になったのである。
そしてこの地のそこかしこに打ち捨てられた軍旗は、銀地の盾に三日月を掲げたイボイノシシが描かれたモノだけだった……。
次回は、幕間(閉幕編)となります。




