幕間:ガルダ会戦の勇者たち(第三編)
本編は一人称視点で描いておりますが、この幕間は三人称視点となります。
2/19:ルカ子爵→カルロ子爵に変更しました。
時をさかのぼる事、前日の昼頃。
短く切り揃えた明るい栗毛に、女性も羨む白く美しい肌。そして細面に、漆黒の瞳と鋭い切れ長の目という年若い美丈夫が、豪華に内装された屋敷の長い廊下を足早に歩いていた。
彼の身にまとう苔のような濃い黄緑色の騎士服の胸には、金地の盾に弓を口に咥えた蒼き狼の刺繍が施されている。そして襟元には王国軍の参謀本部付きの士官を示す階級章があった。
昨年、王立軍学院を首席で卒業した彼が、実家のコネを使う事もなく己の実力と才覚で勝ち取った誇らしい証である。
今、彼が向かう先は、実家の屋敷内にある近衛騎士を務める姉専用の執務室だ。
彼は子爵であるにもかかわらず、実の姉とは言え下級貴族の騎士爵に、こうして毎度毎度呼び出されている。それに全く抵抗感が無くなっている自身に驚きを覚えつつも、そのように適応したしまった自分に、強く憤りを感じていた。昔から続くこの不本意な関係には、いい加減飽き飽きしているのだ。
だが彼の父も母も妹たちも、腹違いの兄弟たちも、当の姉自身さえもがそれを当たり前と考え、改めない事に彼は愕然としていた。いずれは自分が家督を継ぎ、公爵の爵位も継ぐことが既定路線であるはずなのに!
しかしながら家族のみならず、一門衆までもが皆が皆、姉を次期当主のように扱う。それもまるで女王様を敬うようにだ。確かに昔から彼女には、人を虜にするカリスマ性と威圧する迫力があった。
だが幼い頃から姉の後ろ姿を見ている身としては、彼女は単に臆病で気位だけ高く見栄っ張り。その上、傲慢で嫉妬深く、人が自分にひれ伏す事が当たり前と考えている。その結果、他者の苦労も痛みも顧みずに、自分だけがこの世の不幸を一身に背負う哀れな姫君だと勘違いをしているのだ。彼にはそんな姉が、愚かで不遜な女王様としか思えなかった。
そう、姉は我がパルマノーヴァ家の単なる負債であり、ワガママな幼い暴君でしかないと。
ただ今は大人しく従うしかない。だが、いずれは──────と考えている。
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その姉の執務室の扉を何度かノックするも、いつもと違い全く返事が無い。
経験則に基づけば、ここで立ち去れば後で暴君の怒りを買うことになるのは明白だ。故にここは、念のために「失礼します」と述べて、彼は部屋に入った。
「姉上、お呼びですか?」
執務室の椅子に座り、ジッと手元を眺めていた彼の姉は、声を掛けられ初めて、弟の存在に気付いたらしい。そして慌てるように、その手元で眺めていた手のひらサイズの小さい何かを懐にしまう。
(──あの肖像画か、相も変わらずご執心だな)
この執務室の主は、雪のように白く美しい肌に、漆黒の艶やかで長い髪と同じく見る者を吸い込むような漆黒の瞳と、鋭い切れ長の目を持つ細面の美女だった。
背丈は姉弟揃ってほぼ等しく、1.7メートロと女性にしてはやけに高かった。それでいてスリムな身体つきながらも、武人として日々欠かさずに鍛えている成果か、成人男性並みの膂力と運動神経を身に着けているのだ。
そして身にまとう純白の騎士服は、国から支給される物とは細部のデザインが明らかに違い、金糸の刺繍や羽根飾りが至る所に施されているため、その見た目の華やかさを増している。
もしも彼女が黙ってニコニコと微笑んでいれば、誰もがうらやむ絶世の美女と言えるだろう。だが現実はそうではなかった。時折り見せる鋭く金高い声と苛烈な性格が、全てを台無しにするのだ。
その結果を十二分に知る弟としては、いい気味だと思いながらも、いつまでも実家に本拠地とする行かず後家の姉を、忌々しく思っていた。
「──既に聞いておろう。抜け駆けの件よ」
「ハイ、先ほどヴェローナ公爵から参謀本部に知らせが届きました。”バカ息子が二人、手勢二百を率いて勝手に飛び出した”との事です」
「まさか──、たばかられたのではあるまいな?」
内心の焦りからか、詰問するように弟に問う。
「それはありますまい。公爵閣下は実直で謀を好まぬ性質です。ワタシの同期に末子の子爵がおりましたが、同じく真っすぐなタイプです。この件は、次兄の騎士爵が辺境伯と同期故に、その誼で抜け駆けしてでも援軍に向かったものと考えております」
「あの赤毛か──、昔と変わらずいつもいつも小賢しく、わらわの邪魔立てをするというのか」
暴君である姉は、自らの思い通りに事が進まぬと苛立っているようだ。
(それは姉上が、昔から素直ではないから、そうなるのですよ。そしておそらくは、これからも……)
「そちらについては、急ぎ手を打っておきます。ご安心下さい」
「そのほうの策は、本当に間違いないのだな?」
「ハイ、姉上。勝っても、負けても問題はございません。ただ……」
わざと含みを持たせて言葉を濁す。他人の気持ちに無頓着な姉に気付かせるには、昔からこの手に限るのだ。
「ただ、なんだ?」
「先ほど知らせがあり、どうやら辺境伯の軍勢はスカラ卿──、反乱軍どもを迎え撃つために打って出た模様です」
「劣勢であるのに野戦に持ち込むというのか? そのほうの話とは、いささか違うのではないか?」
「あくまでもあれは、定石通りに進めばの仮定話です。かの御仁は気骨ある人物ゆえに、黙って城に籠り、領民に被害が及ぶのを見逃す訳がありません」
「ではどうするのだ?」
「かの地は軍勢同士が決戦を及ぶには、少々窮屈な地形です。おそらくは平野部のこの辺り──、小高い丘のある平原で明日には戦いとなりましょう」
そういって、姉の机の上に広がっている王国北辺の測量地図を指し示す。これは参謀本部で管理している軍事機密クラスの詳細な地図だ。そこらの杜撰な案内地図とは訳が違う。
それを無理言って、公爵の父経由で弟から提供させた献上品である。普通であればこれが露呈すれば、まず間違いなく軍事裁判の結果、機密漏洩の罪で処刑されるだろう。だがそこは大貴族の特権で何とかなった。
このワガママ女王の姉にとって、このような振る舞いは日常茶飯事の事だ。これにはいつもながら──嫌になる。
「それは間違いないのだな?」
「ハイ、そこから先に反乱軍が進むことを許せば、領民の生活が脅かされます。それ故、必ずココで戦います」
「よかろう。あとはそのほうに任せる。だが、万が一にも──、アヤツが怪我をする事はあるまいな?」
「ハイ、ご安心ください。反乱軍は数だけを頼みとする凡庸な輩、あの御仁が易々と討ち取られるはずがありません。それとも姉上は、優秀な同期の御仁を信じておられないのですか? 昔から随分と、お気にかけていらしておりましたが」
と皮肉をたっぷりに告げるが、その相手は心ここに非ずか、それに気が付く事はないようだ。
「信じておらぬ訳ではないが、アヤツは昔から──」
「姉上のご心配なきよう、念のためにワタシが手配をした傭兵隊にも、辺境伯を必ず生かして捕らえるよう指示を出します。それと此度の件の落としどころについても考えておいてください」
「そうだな──、考えておく」
「必ずですぞ。でなければ此度の件は、全てが無駄となります」
「分かっておるわ! カルロよ、今すぐ下がって役目を果たせ!!」
図星を指されてか、烈火のごとく怒りだす暴君の姉である。
戦いに大小の違いはあれど、終わらせるには明確な意思と行動が無ければならない。気位だけの愚かな姉にはそれが分からないらしい。
そもそも此度の謀の目的は何だ?
辺境伯に助力して恩を売るのであれば、ヴェローナ公爵の援軍に先んじて独自に動くべきだ。もしくは彼の名を貶めたいと言うのであれば、ここで徹底的にやるべきである。
にもかかわらず中途半端な願望と指示で、いつものように事態を引っ掻き回すのだ──。
しかしそこは慣れたもので、弟のカルロ子爵は黙って一礼をしてから、涼しい顔で速やかに退室をした。
(やれやれ、昔から方々で謀や騒動を引き起こすが、その後始末はいつもいつもこのオレだ。齢二十五にもなると言うのに、婿のなり手もおらぬのも当然だな……。確か先年、オレの同期だったヴェローナ公爵の三男坊に申し出た入り婿の件も、当然と言えば当然の結果だろう)
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その後、自室に戻ったカルロ子爵は側近の男爵を呼び出した。
そして直ぐに部屋を訪れた年上の男爵に向かって、矢継ぎ早に指示を与える。
「早馬を送れ、おそらく野戦に打って出る辺境伯との戦いは明日正午になるだろう。例の傭兵隊を平原の南側にある窪地に待機させよ。そこで次の指示があるまでは姿を隠し、伏せるようにとな──」
(姉上があれでは最悪の結果もあり得る。それではオレとしても色々と都合が悪いので、こちらで対処するしかあるまい)
「それと男爵には、もう一つ別の大事な頼みがある──」
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「閣下、本当にそれでよろしいので?」
「構わぬ。此度の反乱など成功しようが、失敗しようがそれはどうでも良いのだ。重要なのは辺境伯を死なせない事だ。だがもし、辺境伯の身に何かあってみろ? オレも男爵も、怒り狂った姉上に始末されるぞ」
「それは流石に……、そこまで考えが及びませんでした。我が肝に銘じておきます」
「互いに生き残るためだ。くれぐれも急ぎ頼む」と念押しをされた男爵は、直ちに馬上の人となって出立した。今夜までに彼に与えられた任務を、必ず果たさねば成らなかったからだ。
そして困難なこの任務も、男爵が得意とする重さを操る闇魔法を用いれば、通常の早馬よりも圧倒的な速さで目的地までたどり着くことで、容易となり得るだろう。
かつて彼が軍学院時代に指導した後輩に、貴重な情報を伝えるため。
次回は、幕間(第四編)となります。




