第三幕:歌に生き、愛に生きて(第十編)
十行程度のト書きで終わらせる内容が、一話分になってしまいました。
ヴェントは、ダルメシアンみたいな犬とイメージしてください。
3/10:犬好きの”わたし”さん成分を多めにしました。
その後、門前で甘い貴婦人のキスを間食したあたしたちは、妙な空気が漂う門番に挨拶し、中へと通してもらった。あれかな? このお屋敷に住まう、伯爵令嬢のマリーによく似た美女の姿を見て、緊張でもしたのかしら?
そして──。
「ひぃええぇぇぇぇぇぇっーん!?」
ひぃえん? 馬のいな鳴き声にしては、いささか珍妙な感じがしたけど、ここには何か珍獣でもいるのかしら?
この伯爵邸の庭には珍獣でも生息しているのかと、あたりを見回してみると……。
あら? どうやら見知った装いの人物が、邸宅の方からこちらへと駆けてくる。でもその彼の顔は、初めて目にする必死の形相だった。
よくよく見ると、その後方では白地に黒ブチ模様の犬が、前を走る男を猛追している。その筋肉質でしなやかな犬の体は、野や森を駆けぬけ、獲物を仕留めるのに特化しているようだ。
(あら?可愛い子じゃないの)
「またかよ。やはり今回も助からんな」
あたしの隣に立つ兄騎士様は、弟さんの行く末をアッサリ見限ったらしい。
あ、兄上〜。と、助けを求める情け無い声が聞こえてくる気がするけど、もう無理っぽい。あと二、三度瞬きをすれば、哀れな子爵様は恐るべき追跡者の牙の餌食になると思う。
さようなら、あたしの未来のお婿候補さん、あなたの事は忘れないわ。
あたしが、\(^o^)/、と思った瞬間。
追跡者は情け無いお婿さん候補を追い越し、そのままあたしに所へと駆け寄ってきた。そしてあたしの目の前で座り込むと、そのキラッキラとつぶらな瞳で見上げながら、嬉しそうに尻尾を振っている。
ん、ん?
あ、そっか~。あたしをマリーだと思ったのかしら?
(でもそういうところが可愛いわ。ウフッ)
哀れな弟を見限った騎士様は、そんなあたしを見て、ヒューと口笛を吹いた。
「嬢ちゃん、すげーな。その犬はマリーとガルガーノ以外には、全く懐かないのによ……」
お?そのまなざしは、あたしに対する尊敬の念が入っていますね?
「もっと敬っても、いいのよ?」
あたしは目の前で座るブチ犬の顔と喉を思いっきり撫でまわしながら、自慢げな態度で見せた。ワンちゃんも嬉しいのか、尻尾を盛んに振りながら、あたしの手をザラザラの舌で嘗め回してくる。
(本当に愛らしい子だわね。それに賢そうだし)
「ぜぃ、はぁ……。その犬に何度かちょっかいをかけてはた兄上は……、その度に手ひどく噛みつかれていましたからね……」
犬に遅れて駆け寄ってきた子爵様が、腰に片手を当てながら息を整えながら言う。
「そう言うお前さんも、この屋敷でマリー嬢ちゃんに来る度に、ケツを噛みつかれていただろう。半年前の不名誉な傷跡は、もう癒えたのか?」
「はい……。自分で、ちゃんと完治させておきました」
「そうか。実際、便利だよな。お前の魔法は」
ん?何故かしら?
彼は犬と一緒のあたしたちの所まで近寄らず、なぜ距離をとっているの?
────、ははーん。(笑)
この若干腰の引けた子爵様と犬の間の絶妙な距離の間隔を、あたしは何となく察することができた。おそらく、もしも仮に座っている犬が、突如自分に飛び掛かってきても、とっさに避けられるよう距離をとっているのだろう。
これはいじる甲斐がありそうだわ。
「しかし、お前さんが出迎えに来るとは……。お前もか?」
「当たり前でしょう! 兄上の提案は、最悪のタイミングでしたよ。おかげで今も重い空気に包まれていますよ? だから私もこうして、息抜きのために外に出てきたのです。あの空気の中でも平然と居眠りをするのは、鋼の心と体をしたガディオン兄上くらいですよ!!」
彼のその言葉には、流石に隣の騎士様もバツの悪そうな顔をして、すまねぇと一言謝っていた。
「さしもの兄上も、この状況までは読めなかったでしょう。正直、私も知らせを聞いた時は、我が耳を疑いましたよ」
「──だよな。まさか、マリー嬢ちゃんがあそこまで好いていたとは、思いもよらなかったぜ……」
お?なになに?
それってもしかして恋ばなですか?
もしかしなくても、マリーと誰かさんの?
こうなるとあたしの耳は、早速ダンボモードになるのである。
ちょと早く、早く続きを聞かせなさいってばよ!
──しかし、あたしの期待も虚しく、二人の話は浮ついた恋の話ではなかった。
むしろ式が終わってから改めてだとか、そもそも両家の婚姻は無理だろうとか、何やら難しい方向へと進んでいるようだ。
・
・
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「ねぇ! ところで、この子は何て名前なの?」
「うん? ああ、嬢ちゃんを放り出しておいて、すまねぇな。コイツはヴェント(風)だ。昔、ガルガーノの奴が何処かで拾ってきた子犬らしい。その頃は病気がちで、引きこもり気味だったマリー嬢ちゃんにえらく懐いていたみたいだ。で、そのまま嬢ちゃん専用の番犬になっちまって、今に至るのさ」
そっかー、思春期にはありがちよね。引きこもりたくなるって。
うんうん、あたしもつい最近まで、箱入り娘だったしね。すっごーく、分かるわ。
「しっかし……。これだけコイツがご機嫌なら、俺が与えてもいけるんじゃねぇのか?」
そう言うと、騎士様は懐から大きな干し肉と黒い皮のグローブを取り出した。
そしてグローブで左手に装着すると、干し肉を左手に持ち、ヴェントの頭上高くでホレホレと言わんばかりに振り始めた。
その一方で、挑発されている犬も座ったまま頭上の肉をジッと見上げ、何やら様子を伺っている。
ふっ、何と愚かな行為を──。(笑)
「ヴェント! 良し!」
あたしが一声かけると。その瞬間、恐るべき俊敏さでヴェントは牙をむき、飛び上がった。
それも干し肉ではなく、挑発者の腕を狙って──。
「は゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!………゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!!」
よーし、よしよしよしよしよし!
狩りの腕前は大したものね。よくやったわ、ヴェント!
左手首を押さえながら、もんどりを打って倒れ、地べたでたうち回る兄の騎士様。
そして弟の子爵様はそれを見て、あきれ顔でため息を吐いている。
もちろんあたしは、肉を頬張っているヴェントの頭から全身を、褒美代わりにと十二分に撫でまわしてあげた。
(わあ、本当に賢い子なのね!それにしても……噛まれて大丈夫かしら?)
「──しっかし。ここまでコイツが懐くなら、嬢ちゃんが引き取ってやれよ。もう二人は居ないしな」
「ですね。二人以外の者が与える食べ物は、絶対に受け付けませんから……」
うん?二人?飼い主の事?
ガルガーノとマリー以外に、他にも飼い主がいたのかしら? あたしは気になって尋ねると──。
「気の毒な話なんだが。昨夜、親父からガルガーノの死を知らされたマリー嬢ちゃんが、自害したらしい……。それが今朝、分かった」
は?
はっ!?
はああああああぁあぁぁぁぁっ!?
一瞬にして、あたしの目の前が、真っ暗に包まれたように感じた。
いきなり何を言い出すのかと思えば、伯爵令嬢のマリアンナが、従妹のマリーが死んだなんて──。
やだもぅ~、冗談にしても笑えないんですけどぉ?
ほんと何でよ……。ガルガーノに続いて、何であなたまで?
確かに彼の死は、胸の内側でいつまでもうずく、受け入れがたいほどの苦しみだったわ。
でもなぜなの?あなたは死を選んだの?
何故、あなたは愛のために、死ぬことができるの!?
ううん、分かっているわ。愛していたのね。
心から彼を。だからこそ――。
次回は、(閉幕編)です。今度こそ、本幕を締めます。




