第三幕:歌に生き、愛に生きて(第四編)
本幕が長々と続いておりますが、それも全て次の第五部へ向けての伏線なので、今しばらくお付き合いくださいませ。
あたしは頭の先から爪先までの全身を真っ赤に染め、ただ茫然と突っ立っていた……。
そしてこの状況を作った加害者本人は、手にた凶器から冷静に血のりを拭った上で、それを鞘に納めるとその場にしゃがみ込み、二つに分かれた物言わぬ被害者を黙々と調べ始めた。
「ヴェローナ公! これは、一体……」
屋敷の主である伯爵様と思しき人物は、長身でスラリとした背筋が真っすぐな初老だった。そのキビキビとした所作には明確な意思と理性……、そして内に抑えた感情を感じる。
己の家臣の不遇に対して、伯爵様が当然のように抗議の声をあげようとするところを、公爵様は黙って片手で制した。
そしてただ一言、「刺客か?」と目の前の加害者に尋ねる。
するとその冬眠明けの大熊のような凶暴な気配と体躯をしたこの男は、無言で頷き、被害者の顔や持ち物をつぶさに確認している。
「ちょっと、アンタ!! 何やってんのよ!? いきなり人を殺して、正気なの!???」
忖度というモノを知らないあたしは、目の前の事実に対して遠慮なく激しい抗議をした。
「親父殿、伯爵殿。見ろよ。――なんでコイツは、付け髭を、している?」
加害者の男は、あたしを無視して話をすすめている。
「こらあっ!! あたしの話を聞きなさい! これはどういう事なのよ! 何か根拠があったの!?」
あたしはしつこい女なのだ。諦めずに問い詰める。感情の赴くままに。
そんな激高するあたしの両肩に手をおき、伯爵様は落ち着きなさいと声を何度もかけてくれている。
しかしながら当の相手は全く動じずに、平然とこう答えた。
「伯爵家の家臣団の面は全て覚えている。だがコイツだけは初めて見た。だから妙な挙動をした瞬間に、こうして手討ちにしただけだ」
何を言っているのだろうか、この男は。それだけの根拠で、人を殺めるというの? あたしには全く理解できない、男の論理と価値観だ。
「──で、コイツの名は何だ? 新顔か?」
本件の加害者であるガディオン卿は、もう既に捜査する側となっているようだ。
「あ、はい。その──、今日初めて見る奴でして。ついつい、名前を──、確認し忘れてました」
そうしどろもどろに答えるのは、門番のリーダー格の兵士だった。
彼の話では、急に病気で休んだ当直の者に代わって屋外班に加わったようで、名前もまだ確認していなかったらしい。
結局、様々な事情を鑑みた上で、『賓客である公爵閣下に槍を向けたので、護衛の騎士によって手討ちにされた』という事で、この場は処理された。
そして捜査を終えた大男は……。
「おい、お嬢。いつまでそこに突っ立ている? そのままだと血生臭くてかなわねぇ、サッサと伯爵殿の屋敷で風呂に入れよ」とうそぶく。
何言ってのよこの大男は、と思いながらも、乾きはじた血のりが錆びた臭いとなってきた為に、あたしの気分も優れず、流石にここは素直に彼の言う事に従うことにした。
無論、あたしはすれ違いざまに渾身の力を込めて、彼の腹を殴りつけてみたけれども、まるで鋼のようなその固い手ごたえに内心驚いた。これは大熊と言うよりも、おとぎ話に出てくる巨人戦士のゴリアテじゃないの!
そしてその反応に勘違いしたのか、「意外に元気じゃねぇか、お嬢」とあたしの背中を彼はその大きな片手ではたいた。
本人は軽くのつもりだろうけど、あたしには吹き飛ばされるほどの圧倒的な力強さだった。
もう最低よ、色々と――。
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「ふぅ、久々のお風呂は気持ち良かったわ〜」
伯爵邸の豪勢で素敵な浴室にて、久々の湯船を全身で堪能したあたしは、そのおかげで身も心もサッパリして、ようやくひと息をつく事ができた。
そしてお風呂だけでなく、仕立ての良い絹のワンピースとガウンも借りた。
これはマリーの私物なのかな?その肌さわりからして、なかなかの逸品だと思う
それからあたしは、公爵様と伯爵様と巨人戦士のお三方が籠る伯爵様の執務室に案内された。
部屋に入ると、あたしを目にした公爵様と伯爵様は、目を見開いた驚きの表情のままで感嘆の声を挙げている。まぁ、風呂上がりの美しさにかけては、いつも自画自賛しているあたしのことだから、当然の反応だと思うわ。ふっふっふ。
してやったりという満面の笑顔で二人に品よく挨拶をしてから、あたしは指し示された長椅子に腰を下ろした。
そして一番の問題児に思える、ガディオン卿は──。
何故か彼は盾を手にしたまま、窓際のカーテンの袖に立っている。外を警戒しているのかしら?
そういえば部屋の前には、護衛の兵士二名と公爵様の騎士二名が居たけど、部屋の中には公爵様お付きの双子の小姓の姿はなかった。
キョロキョロと部屋を見回すあたしを見て、公爵様は──。
「ああ、小姓の二人はな「レオナルドは、学院にある子爵殿の元に言伝を頼んだ。アメリーゴの方は、屋敷に戻ってエルネストに守りを固めるよう言伝を頼んだから、もうここにはいねぇぞ」」
察した問題児が詳細な説明をしてくれた。わざわざ、ありがとうね。とあたしは心の中で礼を言う。
そしてそうですか、と素っ気なく答えたあたしに、彼は言うに事欠いて、「ああいう若いのが好みか?」と訊いてきたのだ。
なんと失礼な!? あたしはイケボのイケメンが好きなの!
という本音をグッと押さえて、「品の良い美男子が好みです」と彼とは正反対のタイプを挙げてみた。
「お? 子爵殿みたいな男がタイプか? あいつには未だに嫁の来手がないからな。生きの良いお嬢なら、俺は歓迎するぞ。なぁ、親父殿?」
あたしのツンケンした返しに食いつかれてしまった。なんと、不覚……。
「うーむ、ジルダ嬢がそれを望むのであれば反対はせぬが……。伯はどう思う?」
自分に投げられたタマを、伯爵様にまで投げる公爵様。ものすごい流れ弾だ。
はて?ここは矢に石つぶてが飛び交う戦さ場だったかしら?
「――随分と大きく、美しくなられたようだのう。そなたの母も、姉妹揃ってまことに美しい女性であったぞ」
伯爵様はまるで遠くにいった、懐かしく愛おしい者を見つめるように目を細めていた。
「あたくしを、憶えておいでですか?」
「もちろんだ。マリーもよく懐いておったからな。マリアンナを憶えておるか?」
「はい、先日偶然、マントヴァの街で彼女に会いしましたわ。あたくしにそっくりの美しい淑女になられておりましたわね」間接的にあたし自身をも、持ち上げていくスタイルである。
「そうか。だがな──」
「うんうん、よかったのう」
「ああ、過去に何があったにせよ、親子の対面だからな」
ん?外野が何か言っているようだけど?公爵様に至っては何故か涙ぐんでいる。
「ジルダ嬢よ、伯の奥方、つまりおぬしの母上は、もう既に……亡くなっておってな。これからは、おぬしが老いた伯を、支えてやってくれ……」
ズズッと鼻をすする涙目の伯爵様。なぜに?
「全くもって親父殿の言うとおりだが、何せ今は状況が状況だ。すまんが積もる話は後にしてくれねぇか?」
問題児の騎士様は、相変わらずの塩対応である。
「ヴェローナ公にガディオン卿、そなたらは何を言っておるのだ?それにワシが老いたとは、いささか失礼ではないか?」
「うむ? こちらのジルダ嬢は、伯の隠し子ではないのか? 歳からして、伯が家督を継ぎ、奥方を迎え入れる以前に生まれた娘だろうに?」
「いやいや、こちらの娘はワシの姪御だわい。今は亡き奥の姉の娘御よ。確かにワシの愛娘とはよう似ておるわ、まるで瓜二つの双子の姉妹のようにな」
話を聞いた公爵様親子は二人とも、マジかよ、って顔をしていた。
どうやら頭の中までマッチョな親子は、勝手にあたしを伯爵様の隠し子だと考え、わざわざここまで連れてきたという事らしい。
その親切心には感謝するけれども、ありがたいのやら、迷惑なのやら……。
次回は、(第五編)となります。まだまだ本幕は続きます。




