第三幕:歌に生き、愛に生きて(第三編)
四部を締めるまでの話が長くなりそうなので、通し番号に変えました。
「で、これからどうする? ただ座して待つっていう無策でも無いだろ? 親父殿」
執務用の豪華で大きな革張りの椅子をギシギシと軋ませながら、大熊のように逞しい体躯の息子さんが尋ねる。その椅子、そろそろ壊れたりしない?
「うむ、グリュー卿の書状にもあったが、ひとまずモンテローネ伯の協力を仰ぐつもりだ」
「なるほど、司法長官殿を巻き込むのか。この中央で他に気骨のありそうな御仁は……、もういねぇな」
「うむ、先日の件もあってな。この不穏な状況下では、自ら進んで協力してくれる奇特な人物はおるまい。是非もなしよ」
王国の重鎮たる公爵様は、親子そろって同じように顔をしかめてお悩み中のようだ。
「まあよい、今から行けるかガディオン卿? なんとか今日中にはモンテローネ伯にも、話を通しておきたいのでな」
「あぁ、こっちはいいぜ。ちっ、もう夕暮れ時じゃねぇか、腹が空いているが急ぐか。上手くすりゃあ、伯爵殿の夕食にご相伴できるかもしれねぁな──」
椅子に座ったままで、首を後ろに倒し窓の向こう側の空の色を確認するガディオン卿。
そろそろ彼が身を預けている椅子は、断末魔の悲鳴のようにギイギイと音を立て始めている。
よっこらせ、という独り言とともに椅子から立ち上がった彼の体躯は、まるで王都の城壁のように高く分厚い。こうして見上げているあたしの首が痛くなるほどだ。もし彼が手を上に伸ばして飛び上がれば、一も容易く天井に手が触れられるのではないのかしら?
そして彼は首をコキコキと鳴らしながら、両腕を上下左右に動かして軽いストレッチをしている。それからおもむろに、窓際に立てかけている白い丈長の陣羽織を取り上げると、ホラよっと公爵様にサーコートを投げて寄越した。
「おい、何だこの物騒な物は……。これを着ろと言うのか? たった数ブロック先の伯爵家へ、少しばかり世間話をしに行くだけだぞ?」
「親父殿はまだ平和ボケしているのか? 先日の件があったろう。街中と言えども、用心し過ぎるに越したことはない。いくら頑丈な俺でも、後ろから頭に不意打ちを受けたら、かなわぬしな」
そう言うと、彼は隣に立つ甲冑一式から兜を無理やりはがし、それも放り投げて渡す。それから壁に飾られている盾の中でも、一番大きな円形の盾を外すと自身の左腕備え付け、具合を確かめている。次に反対側の壁にある剣の中から、一番刀身が長く、剣先に向かうにつれてじょじょに反っている幅広の奇妙な片刃の長剣を、一度鞘から抜いて確かめた上で、それを右肩口から背負った。そして最後に短剣を四本手に取ると、それらを無造作にベルトの前後左右に刺していた。
その様子を眺めていた公爵様も納得したのか、手際よく衣服の上に陣羽織を重ね着してから、暖炉の上にある装飾された鞘に収まった細身の剣と短剣のセットを自身の腰に履いた。
「その……兜が一つだけですけど、大丈夫なのですか?」
物騒な身支度をしている二人に、あたしは素朴な疑問をぶつけてみた。
「親父殿、確かにこのお嬢の言う通りだぞ。兜が一つではココに籠城する際に困るだろう。あとで追加しておいてくれよ、ついでに矢筒と手斧もいくつかな」
「──確かにそうだな。相分かった、屋敷を出る前にエルネストに手配しておく」
「あとついでに夜食の準備も、家令殿に頼んでおいてくれ。戻りが遅くなるかもしれねぇからな」
公爵様は分かった分かったと言いながら、執務机の上にある書類をまとめ、書状と一緒に革の書物入れに納めていた。
「あと何度かお聞きしましたけど、先日の件とは、一体何ですか? 枢機卿のお一人がお亡くなりになったとか、仰ってましたよね?」
「うむ? ああ、そうだな。これはまだ、公にもなっていない話なのだが──」
公爵様のお話では、ついぞ先週、ヴェローナ公爵様の盟友と呼ばれたロッシーニ枢機卿という教会内でも有力の人物が、この王都内の教会で暗殺される事件があったらしい。そして三日前には、目の前の公爵様自身も王都へ船で帰還した際、入港時の審査中に命を狙われたとの事だった。幸いにもその折りは、出迎えのために訪れていた子爵様の活躍により、公爵暗殺事件は未然に防ぐことができたみたいだ。故にそれ以後は、王都内では特に旧市街を中心に厳戒態勢を敷いているというのが、街で見かけた警備する兵士たちの物々しい雰囲気の理由だろう──。
それからあたしも伯爵様の縁者と言う事で、伯爵家に向かう二人に同行させてもらう事に決まった。モンテローネ伯爵様の記憶はないけれども、一応あたしはマリーの従姉妹だしね。
その後、渋みの極まった年配の家令への指示をする公爵様を他所に、大熊のようなご子息は何人かの家中の者を呼び出していた。どうやらあたしたち三人に随行する者を募ったようだ。
それも計四名、瓜二つの顔をした小姓ニ名と、如何にも実力者という佇まいをした壮年の騎士二名ときた。
なるほど、初々しい少年二人と、脂がのった大人の男二人ね……むふふ。
そして何故か、女性は一番安全な真ん中にすべきだと言う公爵様の強い意見により、前は大熊のような騎士様と後ろに王国軍を束ねる公爵閣下様。そしてあたしの左右を騎士様が固め、まだ年若い素朴な顔立ちの双子の小姓が二人で、公爵様の背中を守ることになった。
というのも大熊のような騎士様が曰く、旧市街の特に貴族の住まう区画は、防衛上の理由で路地の道幅が狭く、小型の馬車以外は通行ができないようになっている。
それ故に、彼の「馬車にのって狭い路地で立ち往生でもしてみろ、『ご自由にお狙いください』と言ってるようなものだぜ。
勝手知ったる街を行くならば、自分の足を使った方が楽で確実だ」と言うもっともらしい意見に押されて、公爵様も含めて皆が徒歩で行くと決まったのだ。
こうしてあたしは、屈強で高貴な殿方たちに囲まれて、伯爵邸に向かう事となったのである。
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モンテローネ伯爵の邸宅は、思っていたよりもこじんまりとしており、決して豪奢ではないけれども、質素ながらも頑丈そうで実用的な趣があった。
ここに来るまでの道中をつぶさに見てきて思うに、旧市街は上にいくにつれ区画内の建築物は高さから幅からまで厳しく制限をされているようだ。
だからきっとこの屋敷も、必然的に上級貴族っぽくない仕上がりになったのかもしれない。思い返せば、今あたしの目の前に立ち、こうして一緒に伯爵邸の門前で許可が出るのを待っている公爵様の屋敷も、同じように無骨で実用的な砦めいた(庭に何故か物見櫓があった)邸宅だった。
ちなみに大熊のような体躯の騎士様は、今あたしの背後で周囲を見まわすなど、全く警戒を怠る気配はなかった。そして門の所には、槍を持った完全武装の兵士が五人立っている。
本来は六人で門番をしているようだけれど、先ほど門番のリーダーらしき一人が公爵様の突然の訪問を伝えるために、屋敷の方へ走って行ってしまったのだ。
そして残った五名の兵士は先ほどから緊張した面持ちで、あたしたちに向かって通せんぼするように門の前を固めている。
それもそのはず、こちらの先頭に立つのは王国軍の重鎮たる将軍と後方に控える大熊のような大男がいるからだ。どちらかと言うと彼らは、あたしの背後に立つ大熊もどきの男に、リーダーも含めて驚き、怖じ気づいていたように思える。
ただ一名をのぞいて。
「なぜ、あそこまで貴方にビクついているのかしら?」と背後の大熊さんに疑問をぶつけてみた。
「ん? ああ、暇があったら伯爵家の連中にも、稽古をつけてやっているからじゃねぇか? そもそもこの王都で俺を前にして、ビビらない兵士を最近は見た事ないぞ」
おかしくない? そこに並ぶ兵士の中で、向かって右端に立つ一番背の高い若そうな人だけは、ビビる様子もなく、逆に警戒心を露わにしているように感じるけど。
はは~ん、さては話を盛っただけか。
そのまま暫く待つと、陽が沈みかける中を、それぞれの手に槍と光源を持った兵士四名に囲まれた伯爵様らしき初老の人物が、足早にこちらへ向かって来ていた。
それを目にした公爵様は、左手を揚げて一歩、二歩前に足を踏み出した瞬間、あたしの視界の右端で棒状の何かがこちらへと……倒れてきたように思え──。
いきなり、あたしの右耳の横を一陣の風のようなものが吹き抜け、瞬きをした間に、カッ、ドシュ、という音がした。
そしてすぐ右前方で、先ほどの警戒心を露わにしていた兵士が、今の赤い夕陽より色濃い液体を派手に吹き出していた。
それからゆっくりと、その柄の途中で絶たれた元槍を手にしたまま、地面に倒れ伏せたのだ。
もちろん、この眼前で行われた惨劇の結果を受け、あたしの衣服は哀れな兵士の返り血によって染められてしまった……。
え、なに?
これは、どういう……意味なの?
次回は、(第四編)になります。




