第二幕第一場:眠れぬ夜に、君を思う(後編)
切りが良いので、ココで一旦切ります。
あたしたち二人は、宿である二階の一室へと通された。その部屋は一人用の狭いベッドが一つと、部屋の隅に置かれた大きめの陶器の鍋みたいな物があるだけで、あとは小さな木枠の窓があるだけの殺風景な小部屋だった。
その陶器の鍋みたいな物に近づくと、不意に鼻をつくツンとした刺激臭におそわれたので、あたしは思わず顔をしかめる。あぁ、これはオマルなんだ……。
この部屋に案内された際、女主人からは「朝起こしに来るまでは念のために閉めるよ」と扉の外から錠前を掛けられた時には、トイレはどうするのよ!? って焦ったけど、それを使って部屋の中で済ませろって事なのね。全然嬉しくないんですけど!
まぁ、そんな事はどうでもいいわ──。
あたしは同伴した連れこと猫娘のルチアをベッドに座らせると、脇に抱えていた水で満たされた桶をそっと彼女の膝の上において、その中に彼女の火傷した左手を漬けた。
「ちょっとしばらくの間は、水で冷やしておいてね。その間に手当ての準備をするから……」
そう言いながら、あたしが腰のポーチから取り出したのは、清潔な布と長めの包帯に小分けした血止めの軟膏だ。この軟膏にはシャクヤクが含まれているらしいので、炎症止めと痛み止めの効果も期待できる。
そして十二分に水に漬けた左手を桶から出すと、ゆっくりそっと肘まである長手袋を外していく。それから清潔な布で優しく丁寧に、左手の水気を拭いとる。
「大丈夫? 痛くない?」
彼女はちょこんと頷くように頭を一度下げた。
それにしても酷いものだ……。火傷そのものは、左手の甲付近だけの軽いものだったけど、それ以外にもたくさんの治りきっていないアザや、ひっかき傷、火傷したような痕が左腕だけでも無数にあった。これはもう明らかな虐待の痕跡だった。
「よしよし、良い子ね。直ぐ手当を済ませるわ」
次にあたしは、軟膏を火傷の患部にまんべんなく塗っていく。それから他のアザや傷跡にも、できるだけ漏らさぬように軟膏を塗っておいた。その折に、彼女が息を呑んだのが感じ取れたが、あたしは黙々と手当を続ける。そして最後に、別の清潔な布を左手の甲にあてた状態で、そこに包帯をグルグルと巻いていく──。
「──よし、これで終わりよ。少し左手が動かしづらいでしょうけど、怪我が良くなるまで二三日はそのままでいてね。ほんとはもう少し……軟膏があれば、他の傷にも塗ってあげられたんだけど、ごめんね」
使い終わった布と空になった貝殻の軟膏入れを自分のポーチに戻しながら、あたしが彼女に向き直ると。
彼女は肩を震わせながら、静かに泣いていた──。
「ナンデ、うちニ、ヤサシクスルノにゃ……」と呟きながら。
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あたしたちは二人並んでベッドに座りながら抱き合っていた。主に、あたしが彼女を包み込むように抱きしめているのだけど……。
そして彼女の腰を優しく抱き寄せて、あたしは頭から背中までを何度も何度も、往復するようにリズミカルにそっと撫でて、リズミカルにそっと擦った。固くこわばった彼女の緊張が解けるまで、ただひたすらにそれを続けた。これは決して、自己本位な愛撫ではなく、いわば猫同士が良く行う愛情表現的な物だと解釈して欲しい。だよね?
いやぁ、そんな事よりもあたしは、彼女のメイドキャップを脱がせると現れたそれ。白い髪にちょこんとのっている二つの可愛らしい耳に対し、両眼をハート状態にしていた。あたしより頭一つ分小さいお陰で、その愛らしい獣耳に思わずあたしは、何度も何度も何度も、シツコイくらい頬ずりをしたものだ。ホント素晴らしいのよね。まるで魅了魔法にでも掛ったかのように、ひたすら愛でて、愛でて、愛で尽くした。いや、まだ物足りない!
彼女の様子が落ち着いた(あたしも満足した)ようなので、(不本意ながらも)一旦は彼女を解放する事にした。
「落ち着いたかしら? 安心なさい、あたしはあなたに酷い事なんかしないわよ。だからあたしと一緒に来なさい。今日からあなたはあたしの家族、二人目の妹分なのよ」
あたしはそう言って、もう一度彼女を抱きしめた。今度は優しくギュッとだ。こんなに可愛い子をココにほっておけるものか、過去のジルダも、今のあたしも、未来のジルダも、全会一致でそう決めたのだから。
すると、彼女はふぇーんと泣き出した。もちろんあたしはそんな彼女の頭をそっと優しく撫で、ヨシヨシと慰める──。
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「──そうだ。体を綺麗に、フキフキする?」
と唐突な提案をするあたし。でも彼女はビクッと体を震わすと。
「ふえぇぇ……、うち、ヤッパリ、ニオイガスルカにゃ?」
口元で両手を丸めながら、おずおずとしながら問うてきたのだ。か、可愛い……。これはきっと遠からず、あたしは萌え死にする予感がしてきたわ。この無自覚の可愛い暗殺者によって。
「違うわ。体を清潔に保つ事で傷や怪我の治りが早くなるから、これはとてもとても大事な生活習慣なのよ!」
そう言うと、あたしは扉を叩いて、階下にも聞こえるように大声で、桶一杯のお湯を頂戴と叫んだ。
暫くすると、外の廊下をノシノシと歩いてくる音がした。そして「銀貨二枚貰うよ」と女主人の返事があった。
「分かったわ。三枚払うから、体を拭くための大きな布も貸して頂戴」とあたしは返す。
すると、「ちょっと待ってな」と応えがあり、またノシノシと足音を立てながら部屋の前から去っていった。
その後、思っていたよりも早く桶一杯のお湯と大きなシーツ一枚が部屋に届けられた。だからあたしも機嫌良く、銀貨三枚を女主人に手渡したのだ。たとえボッタくりでも今は構わない。そう、あたしはこの子を頂いていくのだから。
それからお湯を使って、彼女の体を頭から隅々まで順番にあたしは洗っていく。下心? そんなものは彼女の腕や背中だけでなく、身体中につけられたたくさんのアザと傷跡を目にしたら、あたしの母性本能が勝るに決まっているでしょうよ。ただ、首の後ろにあった△の焼印がすごく気になったけど、今は黙っておいた。
あたしは何も言わず、ただひたすらに黙々と彼女の体を丁寧に洗いあげ、シーツで優しく水気を拭っていく。
するとどうだろう。薄汚れ気味だった彼女の毛は、美しく輝く白い毛並みへと生まれ変わっていくのだ。それにはあたしも思わず、「ベッラビアンカ(美しい白)なのね……」と呟いた。
「……はく」
彼女が何かを言っている。
「なに? どうしたの?」と彼女の口元に耳を寄せてみる。
「みはく……。うちノ、ナマエハ……みはく……にゃ」
それが彼女の本当の名前らしい。東方諸国の言葉で、『美しい白』こと『みはく』というのが彼女の名前なのだ。
あたしは無意識に、彼女の名前を囁きながら再び抱きしめた。
次回は、『第二幕第二場:愛のために死ぬことができるのか?』ここも長くなるので、ひとまず前編です。




