その42 脈動する想い
─前回のあらすじ─
フマンツ村で待機していたギブルとオタニアは、フローシフ教団の教祖『ダアム』とアトメントの裏切り者から襲撃を受け、ナグツメを攫われる。
そしてダアムの放った魔法により、フマンツ村は阿鼻叫喚の地獄と化すのだった。
ギブルの報告を受け、自分たちは潔白の寺院を抜け出していた。
入り口とは名ばかりの暗い穴を通り抜け、寺院から出た瞬間、自分は辺りの光景を目にして息を呑んだ。
「あれは……いや、まさか……あり得ない」
空を写す水面は僅かに赤く染まり、フマンツ村の方面には赤黒い霧が立ち上っていた。
その光景は、5年前に見た光景と同じだった。
神隠しで見た、繰り返しの景色などではない。
あの日見た地獄は今、現実となって目の前に顕現している。
その事実は、自分の思考を掻き乱すのに充分過ぎるものだった。
──行かなければ。
「ヨミエル!?」
聞こえた声を背に、自分は走り出した。
凍りついた様に冷たい背筋と、吸い込む息が頭を切り裂く感覚の中、自分は走った。
ドクドクと鼓動する心臓の音が聞こえる。視界の隅が霞む。しかし自分は走った。
道順など覚えてはいなかったが、まるで吸い寄せられるかのように、自分の足はフマンツ村へと向かっていた。
──やがて見覚えのある洞窟内に着き、自分は……もう目の前の光景を疑うことなど出来なかった。
「……ッ!」
赤黒い空に覆われた、宵闇の空。
かつて人だった魔物が跋扈する大地。
目の前には魔物大戦の地が顕現していた。
「ヨミエルさん!」
突如、後ろからオタニアの声が聞こえ、振り向く。
目の前には凍りついた腹を押さえるオタニアの姿があった。
「ラナちゃんとソルゥトさんはどうし──「オタニア、これは……これは一体どういうことだ!?」
自分は問い詰める様にオタニアに掴み掛かった。
「ッグ!?ちょっ!痛いって!」
視界に流れる情景を目にしても、自分はまだ認める事ができない。
5年の歳月が流れ、そして記憶として内側に宿ったアヴァロンでの出来事。それと同じ光景が今になって現実に現れるなど、あり得るはずがない。
「落ち着け」
低く、落ち着いた声と共に、白い外套を身に纏った男が、自分の手をオタニアから引き剥がした。
見ると、オルフェスが自分の手を掴み上げていた。
「……取り乱す前に、周りをよく見ろ」
オルフェスの言葉通り、自分は辺りを見渡す。そして視界には、数えられる程度の人々が怯え、それよりも少ないアトメントの団員が、それを守る様に警戒姿勢を取っていた。
彼らはきっと、あの場所から生きて離れることができた、僅かな生き残り。
絶望的な状況だが……それを見た自分は、少しばかりだが、冷静さを取り戻す事ができた。
「……オタニア、何があった」
自分はオタニアに向き直り、今度は確かめる様に問いかけた。
「実を言うと、あまり分からない。ただ『ある魔法使いの根』が村の中に生えた……あとはギブル殿の報告通りだよ」
ある魔法使いの根が村の中に……それを聞いた自分は、アヴァロンの記憶を掘り起こし、自分はどう動くべきかを思考した。
「オタニア、ギブルは今どこにいる」
「村の中……元凶の根が生えている村の中心に向かってる」
オタニアの言葉を聞き、自分は血炭の剣と短銃を構え、村の中へと視線を向ける。
「なら援護に向かう。オルフェス、ここは任せた」
「……あぁ」
「気をつけて、ヨミエルさん……マジでね」
──自分は二人を背にして、顕現した魔物大戦の地に足を踏み入れた。
少しばかり人の手が入った洞窟内を抜け出し、村だった場所、その景色が視界に広がる。
薄暗い血の深海の空に覆われた村は、暗闇に喰われた太陽の影が辛うじて辺りを照らす。
その光を頼りに村を歩き、中心を目指す。
所々に崩壊した建物に、空を舞うドラヤンマの数々。
そして……飛び散った血潮を見て、自分は息を潜めながら進んだ。
……呼吸をするたびに、キンと耳鳴りが自分の頭に響き、くぐもる。全力で走った後の様に、喉からは血の味がしだす。
「……恐れるな」
崩落した瓦礫を背にし、自身を鼓舞する様に呟いた。
このまま恐怖に呑まれれば、次に呼吸する間もなく魔物に襲われ、殺される。
そう最期を迎えた者たちを、幾度も見てきた……。
『クルルル』
「──!!」
呟いた直後だった。頭上から、何かの鳴き声が聞こえた。
微かなその鳴き声に、確かな殺意が込められている事に気づいた自分は、すぐさま上に視線を向けた。
刹那、細長く、トカゲの様な手指を持った二つの腕が、自分に向かって伸びていた。
「ッ!」
数歩離れた距離を優に詰め、喉元に迫る鉤爪をすんでのところ、剣でいなした。
血炭の刃と鋭い鉤爪がぶつかり、火花を散らす。
いなされた鉤爪はすぐさま引っ込み、目の前にドスンと鉤爪の主人が着地し、その全貌が明らかになる。
細長い体躯に、白い結晶を身に纏ったトカゲの魔物。
そして……何処か人を思わせるその体躯を目にして、自分は察した。
──コイツは、元人間だ。
自分がそれに気づいた瞬間、魔物は腹這いの体勢となり、トカゲの様な動きでこちらに迫る。
自分は左手の短銃を構え、魔物に対して発砲した。
破裂音と共に一つの閃光が放たれ、魔物に直撃する……しかし。
放たれた弾丸は背中に生えた白い結晶に当たり、結晶と共に弾ける。
弾丸を弾いた魔物は腹這いのまま自分の目の前まで迫り、勢いよく自分の脚に向かって鉤爪を伸ばした。
「狙い通りだ」
自分は左手の短銃を捨て、迫り来る鉤爪に向かい、剣を突き刺した。
突き立てた刃は、魔物の片腕を貫きながら地面へと突き刺さり、魔物をその場に拘束した。
『──ッ!──ッ!』
魔物は断末魔を上げながら、苦し紛れにもう一方の鉤爪を自分に伸ばした。
「──切り裂け」
その言葉と共に、突き刺した剣がバキリと魔物の腕をへし折り、斧へと変形する。
自分はそれを渾身の力で引き、地面を抉りながら魔物の半身を切り裂いた。
魔物の黒い血を撒き散らし、やがてピクリとも動かなくなった末、その体は黒い無数の蝶へと散り、魔物のいた場所からは、倒れ伏した一人の男が現れた。
「あぁ……がッ!」
アヴァロンで幾度となく見たその光景に自分は、諦めた様に呟く。
「……何も、変わってないじゃないか」
このまま放っておけば、男はまたすぐに魔物化する。人の身を晒している、今しか命を断つ好機は無い。
「ゔッうああ……!!」
「……すまない」
また魔物と化した男を見据えたまま、自分は銃を拾い上げ、黒い血に染まった刃をもう一度構えた。
「もう暫く、魔物のままでいてくれ」
命を断つ好機は今……だが、命を救う勇者がこの後に訪れる。
──死なせはしない。
姿を変えた人間を前に、いままでとは違う想いが、自分の中で熱く脈動していた。




