その40 我が身は潔白
─前回のあらすじ─
潔白の寺院へと辿り着いたヨミエルとラナ。
ある魔法使いの根に触れ、アヴァロンの侵食を止めたのも束の間、二人はコーショの穢れを否定する為『潔白の証明』と呼ばれる儀式を行うのだった。
自分とラナは、巨大なシオカゼトカゲの前に、つまりはフマンツ村の守り神の前に跪いている。
守り神はその行動の意味をわかっているのか、ただじっと、爬虫類独特の双眸こちらに向け、ピクリとも動かずにいる。
「準備はいいな?」
ソルゥトの問いに自分とラナは小さく頷くと、ソルゥトは深呼吸をして、二つの盃を手にした。
「──これより我が兄と、二人の勇気ある者の潔白を証明する」
ソルゥトは荘厳な口振りで口を開き、ひたり、ひたりと守り神の前に歩み寄りながら、儀式の言葉を続ける。
「──生きとし生けるものは、皆尊く、されど代償の上に立つ」
「──我が血、肉、骨……そして魂は、雄大であり穢れなき自然、その代償により作られたもの」
「──故に自然より創られしこの身、一滴の穢れも無く……それを今より証明しよう」
ソルゥトの言葉が途切れたその瞬間、目の前の守り神は大欠伸をするかの様に口を開いた。
竜を思わせるその大きな口の中は、まるで身に纏う塩の結晶の様に白く、大人しげな風貌とは裏腹に、鋭い牙は熟した果実を思わせるほど、黄土に染まっていた。
ソルゥトは守り神の開いた大口、一際鋭い糸切り歯の下に盃を差し出す。
そしてその盃にはとろりと、糸切り歯から無色透明の唾液が滴り落ちる。
「浄化の雫、拝借致す」
守り神の唾液……それが浄化の雫と呼ばれる『毒』の正体。
今からこれを体内に取り込み、ソルゥトの言う穢れなき体である事を証明する。
しかし魔法使いの根を追っていた筈が、いつの間にか服毒自殺まがいの儀式を行うなど、フゥジ山岳に辿り着いた時には思ってもみなかった。
「……俺の言葉に続け」
ソルゥトが盃を自分とラナに差し出し、それを受け取ると、ソルゥトは言葉を続け、自分とラナはそれを繰り返す。
「我が身は潔白、されど証明は未だされず」
『我が身は潔白、されど証明は未だされず』
「この雫をもって、今この場に証明しようぞ」
『この雫をもって、今この場に証明しようぞ』
「……さぁ、飲むんだ」
「さぁ、飲む──ちょっとぉ!」
繰り返す必要のない言葉を繰り返し、ラナが恥ずかしげに声をあげる。
……本当にコイツは、重要な場面で緊張感というものを崩してくれるものだ。
「もぉ……いただきまーす!」
「……頂こう」
──自分ラナは、意を決して浄化の雫を一口に飲み干した。
──フマンツ村の端、断崖の先に広がる海を見つめ、流れる潮風を肌で感じていた。
「──ラナちゃんとヨミエルさん、大丈夫かな」
商売どころではなくなった為か、暇そうに私の横に立つオタニアが口を開く。
潔白の寺院という、成人の儀式を行う場所まで、ある魔法使いの根を探しに行ったヨミエルとラナ。
成人の儀式を行う場所というだけあってか、まだ幼いという理由で、私は同行を拒否された。
村の惨状を見て、まだあの山羊頭は村の掟の方を重視するらしい。
「ん?」
オタニアが声をあげ、振り返る。
私もそれに釣られ、同じ様に振り返った。
「……」
見ると、そこにはナグツメがおり、手をモジモジさせながらこちらを見ていた。
「おに……おねぇちゃん」
「何か用か」
ナグツメに声を掛けると、ナグツメは「えっと、その……」とこちらをチラチラと見る。
……ったく、人の顔色を伺うその所作は、誰に教わったのか。
面倒になった私は、追い払う様に語気を強めて、ナグツメに問いかけた。
「言いたい事があるならハッキリ言え」
「えっと……と……ぉ」
「──君のお父さんなら大丈夫、悪い人じゃないんだよ」
突如、横に立つオタニアが突拍子もない事を口走る。
「え……?」
「あ、あぁ!うん、僕ってほら、少し感覚が鋭いんだ、だから──「別に聞いていない」
別に責めている訳でもないのに、焦った様に言い訳をするオタニアを黙らせ、もう一度、私はナグツメに問いかけた。
「それで?コイツが言った様に、聞きたかった事は貴様の父の事か?」
「うん……パパ……悪い人なの……?魔族だから?」
……成る程。この辺境の地、しかもそこに住む子供すら、『魔族は悪』などという、つまらん解釈をしているのか。
「……言っておくが、貴様の父はクズの部類に入る」
「……っ!」
「ギブルど──「黙って聞け」
私は二人を黙らせ、そのまま話を続ける。
「貴様の父は魔族。だが、断罪すべき悪ではない」
「え、でも、ギルダンって──「沈黙は金。という言葉も知らないのか、間抜け」
「我々ギルダンが断罪するのは『魔物に堕ちた魔族』だ。魔族自体を無差別に狩る集団ではない」
「じゃあ、パパは……」
「教えてやる。貴様の父は罪、穢れ、魔族。それらの『罪』に縋りつき、貴様から逃げているだけに過ぎん」
「え……えっ?」
ナグツメは私の言葉が理解できないのか……或いは理解したからか、目に涙を浮かべ、しゃっくりをし始める。
私は、そんなナグツメの胸ぐらを掴み、最後に一言だけ、教えてやることにした。
「貴様が親に何を求めているかなど、知った事ではないが……逃げる者を捕まえたいのなら、追いかけろ。そして二度と逃げられない様に捕まえろ」
「うん……うんっ!」
「フッ……どうやら、理解できたようだな」
「君ぃ、ちょっといいかぁい?……」
「オタニア、黙ってろと──」
そう言って振り返ると、後ろには奇妙な格好をした何者かが立っていた。
──赤黒く染まったトーガが、やけに目立つエルフの男だった。
──村の守り神は、ピチャリピチャリと水面に舌を伸ばし、自分とラナの吐き出した『穢れ』を舐めとっている。
「うぅ……口ん中酸っぱい」
「……儀式はこれで終わりか?」
「……あぁ」
儀式の結果は、自分とラナ、そのどちらにも穢れが無かった。
これならば、異形狩りに魔族、そのどちらでもあるコーショにも穢れがない……そう、彼に納得させる事ができるだろう。
「……礼を言う、勇者ラナ、ヨミエル」
ソルゥトが感謝の言葉を述べ、深々と頭を下げる。
肩の荷が降りた様な顔をしているが、これからだ。彼は、背負って行く事になる。コーショの罪を、これからは共に。
「はいはーい、もうそんなしんみりした雰囲気は無し!コーショさんの問題も、ついでに世界の危機も解決に一歩踏み出したんだし、サッサと村に戻ろ!」
ラナがそう言うと、ふと寺院の光を、何かが遮った。
陽光の差し込む場所を見ると、そこには伝書梟が羽を広げ、こちらへと飛んで来ていた。
「わっ!?なに!?」
伝書梟はラナの前に降り立つと、嘴に咥えた一枚の羽を差し出す。
「……なんだ?」
『ラナ!ヨミエル!その梟を追って来い!フローシフ教団にナグツメが攫われた!!』
──梟の咥えたの羽からは、焦った様子のギブルの声が聞こえた。




