その37 勇者の言葉
─前回のあらすじ─
ナグツメの親であるコーショと再会したヨミエルは、魔族へと堕ちた彼に「罪はあっても、穢れてなどいない」という言葉をかけるのだった。、
──ひたり、ひたりと、自分は血に染まった大地を歩く。
暗く曇った視界と感覚の中、視界の端に、溶けていく魔物の亡骸を捉えた。
どろりと溶け、大地に広がっていく魔物の身体が辺りを黒く染め、やがてその体液も蝶へと変わり羽ばたいていく。
何度それを目撃しただろうか?何度それを繰り返していくのだろうか?
頭の中で反芻する思考をよそに、黒い液体からは、倒れ伏した『それ』が現れた。
『助け……て』
──死にかけた魔物が、助けを求めている。
身体も、血も……そして瞳から溢れる涙も、それは人間とあまりにも酷似している。
──だが、目の前にいるそれは、決して人ではない。
そう自分に言い聞かせ、瞳を閉じ、刃を振り上げた。
だが……いくら瞼を閉じようとも、目の前の光景が遮られない。
『ヨミエル』
幾つのも声が、自分の名を呼ぶ。
……あぁ、そうか。
「これは夢か」
どうしようもない矛盾に、自分は瞼を開いた。
──視界に広がる、白い天幕の布を見て、自分は目を覚ました。
「……はぁ」
意味も意思も、朧げになるほど繰り返し、それでも覚えていた罪の記憶が蘇り、自分は溜め息を吐いた。
久しぶりに、あんな夢を見たものだ……。
魔物大戦の地『アヴァロン』
自分はそこで刃を払い、魔物を斬る。
そして最後には、目の前に現れた人間を否定しながら、目を覚ます。
夢というよりは、自責の念が見せる、己の罪。
自分は目頭を押さえ、一度、二度、三度と、深く呼吸を繰り返す。
息を吸い、肺が膨らむたびに、自分が生きている実感を得る。
息を吐き、肺が縮むたびに、罪悪感で焼け焦げた背骨と脳が冷えていく。
「……チッ」
安堵感に上書きされていく罪の意識に、自分は舌打ちをする。
「星でも見よう……」
夢を見た夜は、一度起きれば中々眠る事などできない。
そんな夜は、朝日が昇るまでの間、ぼうっと星空を眺めて過ごす。
自分はパサリと天幕を開き、誰もいない夜が覆う村の中へと歩き出す。
村の中を歩き見上げた空は、月と太陽の光が混ざる薄暗い暁。
その光を、所々に飾られている白い岩塩が反射する。
その光はさながら神聖な星の原石であり、なるほど、塩は悪きものを払うという文化が生まれるわけだと、一人納得していた。
「しかし、これでは星が見えんな……」
それならば村中をほっつき歩こうかとも考えたが、村の中は黒い根で覆われ、そんな状況で余所者が夜に出歩くなど、誤解を生む未来しか想像できない。
どうしたものかと、まだ眠りかけている頭を悩ませていると、ふと自分の耳に、冷たい潮風の音がざぁざあと入る。
それなら、海でも見よう。
魔物大戦の時代、アヴァロンに向かう為に渡った、ずっと綺麗に続く暗く深い海。
罪と後悔に塗れた過去でも、月明かりに染まったあの夜の海は、そのどちらにも褪せない思い出だった。
自分の足は、暁に薄く染まった空と海を目指し、動いていた。
ざぁざぁと波打つ岬、それを彩る空と海の中に、白い外套に身を包んだ老年の男が立っていた。
男は自分の気配に気づいたのか、振り返り、白髪混じりの髪を靡かせ、口を開いた。
「君か」
「オルフェス……ここで何を?」
自分と同じように眠れなくなったにしては、ハッキリとした顔つきで立っているオルフェスに、自分は問いかける。
するとオルフェスは「彼らと同じだ」と言いながら、海が広がる岬の反対側、天然の城壁が聳える場所を指差す。
見ると、岩壁の上には、いくつかの篝火の光と、オルフェスと同じ白い服を纏った数人の人影が見えた。
なるほど、見張りか。
自分はオルフェスの隣に行き、互いに無言のまま潮風に耳を傾け、暁に褪せた海を見つめていると、唐突にオルフェスが口を開いた。
「──君は何故、ラナを助けた?」
「は?」
なんの脈絡も無いオルフェスの言葉に面食らうが、彼はそんな事はお構いなしに、言葉を続ける。
「君の事は聞いている、異形狩りの冒険者だと」
彼は尋問でもするかの様に、回りくどい言葉を吐く。
何故、彼女を助けたのか?その質問に答えを当てはめようとする彼に対して自分は、イラつきを隠すこともなく、彼の言葉を聞き返す。
「自分が異形狩りだから、何だと言うんだ?」
「ラナは魔族、そして君はその者を狩る狩人だろう……なのに何故、君は──「もういい、黙れ」
知ってか知らずか、神経を逆撫でするそいつに向かって、自分は声を荒げて反論していた。
「立場でどう行動するかを決めるなど、アトメントの指導者が聞いて呆れる。自分が何故、彼女を助けたのかだと?知りたいのなら教えてやる」
「──ただ助けたいと思ったから助けた。それだけだ」
自分の罪と後悔、それを払拭する為に助けた訳でもない。
──助けたいから、助けた。
自分がラナを助けた理由は、それだけだ。
自分の言葉と共に、靄がかっていた暁の空には、朝の光が差し込んでいた。
「……君は、自分の意思でラナに手を差し伸べたのだな」
自分の言葉を聞いたオルフェスは目を伏せ、後悔のチラつく表情を見せる。
「……5年前、帝都で起きた大虐殺という事件を知っているか」
「ハァ……ったく、端的にはな……それで?今度は何を言うつもりだ?」
オルフェスはまたしても脈絡の無い会話を繰り広げ、自分は『こんな事なら天幕で過ごすべきだった』と後悔しながら、オルフェスの会話に付き合う。
「我々アトメントが保護した魔族、それが魔物化し、帝都に大きな被害をもたらせたのが、大虐殺という事件だ」
「そこまでは知ってる、その事件のお陰か、異形狩りの所業も魔族の危険性も、世間一般的に知られる様になったからな」
皮肉混じりにオルフェスへと答えを投げかけるが、オルフェスは自分の言葉を無視しているのか、構わず言葉を続ける。
「……大虐殺の魔物は、俺の息子なんだ」
「……」
大虐殺の結末は、アトメントの指導者が魔物化した魔族を討伐し、事態を収束させた。
……つまりは、そういう事なのだろう。
「俺は息子の命と、それ以外の命。拮抗する二つの秤に直面し、俺は……アトメントの指導者として、片方の秤に重しを乗せた」
オルフェスはそう言って深いため息を吐くと、ポツリと吐露する様に呟いた。
「もし、あの時アトメントの指導者としてではなく、君の様に、一人の人間として選ぶ事ができていたら……そう思うよ」
遠い地平線から、太陽の光が差し込み、暁が終わりを迎えた頃、自分とオルフェスはただそれを眺めていた。
「なーに朝からおっさん二人で黄昏てんのー」
無言のまま太陽の光を浴びていると、後ろから、よく聞く少女の声が聞こえてきた。
「ラナ……っ!?」
振り返りラナの名前を呼ぶと、自分はラナの瞳を見て驚愕した。
「ラナ!?眼鏡はどうした!?」
ラナの瞳には、秘匿の眼鏡が掛けられておらず、魔族の証である重瞳の瞳が顕になっていた。
「あ〜……その事、何だけどさ、え〜っと……」
ラナは気まずそうに目を泳がせながら、どうにか言い訳を考えようとしているが、結局は思いつかなかったのか、開き直って自分とオルフェスの手を握り、口を開いた。
「まっ、まぁ!とにかく!村長が呼んでるから行こっ!オルフェスさんも!」
「俺もか?」
ラナは歩き出し、村の中心部へと自分とオルフェスを引っ張って行く。
村の中心部に着く頃には、いつの間にか地平線から顔を出した太陽の光が暁を照らし、辺りの景色には鮮やかさが戻っていた。
「あ、オルフェス殿、ヨミエルさん……えっと」
「ラナ、貴様一体どういうつもりだ」
幾つもの天幕が張られている村の中心部、そこにはギブルとオタニア、そしてソルゥト村長が自分たちを迎える。
だが、そこにいるのはソルゥト達だけではなかった。
『あれがコーショさんと同じ──あんな若い娘が──大丈夫なのか?魔族なんだろ──』
「ラナ……!?これは一体……!?」
周りには、幾人もの人々がラナを見つめ、口々に怪訝な言葉を投げかけている。
そして、一際怪訝に、もはや怒りすらその表情から見えるソルゥトが、ラナに対して口を開いた。
「勇者殿……どういう事か説明して貰おうか」
ソルゥトは静かに、しかし確かな怒りを持ってラナに問いかける。
ラナは自分達に目配せをして合図をすると、ラナは意を決して、ソルゥトの元へと歩き出す。
「ソルゥト村長……知っての通り、私、勇者ラナは魔族です」
ラナの言葉に人々はざわめき、ソルゥトは何も言わずにただ、眉間の皺を深めた。
「この村にある潔白の寺院、そこには悪き者は入る事すらできない、そう聞きました」
「何が言いたい」
「……証明します。私は、貴方の兄弟、コーショさんの身の潔白を」
ラナの宣言に、ソルゥトは顔を歪ませる……だが、その表情は、怒りの表情ではない。
──迷い。
彼は、目の前の少女の言葉に、縋ることなどできない。
掟を重んじる村長であれば、そんな事など許されないのだ。
……なら、自分がその迷いを断ち切るのが、今の自分の役割だろう。
──自分だって宣言したのだ、ここでラナだけに任せては、自分は大見得はっただけの、ただの愚か者だ。
「ソルゥト村長、もう一度言わせて貰おう」
自分はラナの隣に立ち、口を開いた。
「──コーショに穢れなどは無い」
「……!」
自分の言葉が、同情では無いと彼に伝わったのだろう。
ソルゥトの瞳は、僅かに震えていた。
「なら、証明して見せろ、お前に……」
「──コーショに、穢れが無い事を」
──ソルゥトの口からは、掟破りという言葉が消えていた。




