その32 サトゥルヌス 前編
─前回のあらすじ─
神隠しによってアヴァロンへと飛ばされたヨミエル一行。
その直ぐにゴブリンからの襲撃を受け、戦闘となるが、突如、魔物となった元人間がそれを蹂躙し、今度はヨミエル一行に襲いかかる。
絶体絶命のその瞬間、助太刀の手を差し伸べたのは、弓を携えた山羊のアルマだった。
屍山血河と赤黒い血の曇り空の下、地獄そのものの光景と共に、自分達の目の前には、魔物へと堕ちた元人間が対峙している。
立ち上がった熊程の大きさのそれは、四本の節に、巨大で鋭利な鎌、そして胴体は人の女性の様に細長く、破れたドレスを身に纏っている。
スカートから伸びる、カマキリの腹は、妊娠しているのだろうか、大きく膨れていた。
その様子から、カマキリの魔物となった元人間。
そう言い表せた。
だが、それだけではない、その化け物を元人間と表現できたのは、その顔のお陰だった。
人の顔を、無理矢理カマキリの形にする様に引き延ばし、崩したそれは、虫の化け物にも、辛うじて人の様にも見え、悍ましく、恐ろしい、冒涜的な顔、そのお陰だ……。
「……サトゥルヌス」
「……は?」
男の言葉に、自分は困惑の声をあげる。
「奴の名だ……奴がまだ人間だった時に聞いた」
男は目元を撫でる様に右手を這わせた後、カマキリ……サトゥルヌスに向かって弓を構えた。
「彼女は赤い雨に晒され、こうなった……いずれ俺もこうなる」
「……そうか」
「だから君……迷うなよ」
山羊の角をその身に持ったアルマの男は、弓を番えながら、自分に向かって呟く。
自分は男の……同じ異形狩りの呟きには答えず、ただ剣と銃を構えた。
「ククク……アハ!アハハハハ!!」
「貫け!刃よ!」
狂った様に笑うサトゥルヌスの胴体が、背後から貫かれる。
見ると、ギブルがサトゥルヌスの巨大な腹に飛び乗り、ドラヤンマの外殻を供物にして創り上げた魔法の槍を、心臓があるだろう箇所に、突き刺していた。
「クハッハハハ!」
しかしサトゥルヌスは苦しむ素振りも見せず、刺さった槍をそのままに、胴体を捩り、ギブルに向かって鎌を振り下ろす。
「ぐっ!クソッ!」
ギブルは素早く身を躱し、跳躍してサトゥルヌスから距離を取る。
「貫け!」
「ドローン!」
ギブルの攻撃に合わせ、男が三本の矢を同時に放ち、ラナがスマホ魔法を発動し数体のドローンを召喚する。
不意の攻撃から落とされた、戦いの火蓋に驚きつつも、自分は剣を構え、サトゥルヌスに向かって突撃する。
羽音を鳴らしながらドローンがサトゥルヌスに突撃し、三本の矢が突き刺さろうとする……その瞬間。
「うふフ」
サトゥルヌスは小さく笑い、カマキリの様な鎌を一振りすると、全てのドローンが斬り裂かれ、三本の矢も弾かれた。
「ふふ!アハッ!」
「うそっ!?」
刹那の斬撃──
目にも止まらなかったその斬撃は、全ての攻撃を斬り裂き、その刃は、突撃する自分に向かって振り下ろされる。
「──ッ!」
"避ける"……その思考と行動よりも早く、刃は自分に迫り来る。
「ハァッ!!」
突如、異形狩りが自分の前に立ちはだかり、迫る刃に向かって黒い大鎌を振り下ろす。
その鎌は、三本の矢が連なり、長い柄となり、三日月状の刃は、先程構えていた弓が折り畳まれたものだった。
──血炭の武器。
それに気づいた刹那、異形狩りの刃とサトゥルヌスの刃が互いにぶつかり合い、鍔迫り合いとなる。
「ううぅッ……うおおーーッッ!!」
「アハ!アハ!ハハハ!」
互いの膂力が正面からぶつかり合う。
しかし、やはり魔物の方が力は上か、異形狩りの足元に二つの線ができ、押され始める。
「アハぁ!」
「ッ!」
もう一方からの斬撃。
それを自分は剣で防ぎ、異形狩りと同じ様に鍔迫り合いとなる。
二人掛かりでの力押し、とうとうサトゥルヌスは力負けし、その身を後ろに引く。
「押し返せッ!!」
「グッ……ぬううああーー!!」
自分と異形狩りは刃の下に入り込み、全身の力を使い刃を弾き返す。
「アハッ!?」
二つの鎌が同時に弾き返され、サトゥルヌスはその胴体を無防備に晒す。
「叩き斬るッ!!」
「刈り取れッ!!」
自分と異形狩りはその隙を逃さず、晒された胴体を斬りつける。
異形狩りの大鎌が素早くサトゥルヌスの胴に迫り。
自分の剣が斧へと変形しながら、同じ箇所へと迫る。
──しかし。
「フフっ!」
刃が胴体に到達し、黒い血潮が噴き出た瞬間。
サトゥルヌスの翅が開き、瞬時にその翅を羽ばたかせながら上空へと跳躍する。
刃を振り抜く頃にはサトゥルヌスは上空へと跳び、自分と異形狩りの攻撃は擦り傷をつけるだけに終わった。
──だが。
──飛ぶのは予想の範疇だ。
「悪いが身体を借りるぞ!」
「むっ……成る程」
自分は、刃を振り切り、身を屈めた異形狩りの肩に足を乗せると、異形狩りは自分の意図を察したのか、抵抗せずに足場となる。
「今だ!ラナ!!」
「オッケー!ドローン!!」
「ぬうあッ!!!」
自分がラナに合図を出すと、異形狩りは勢いをつけて自分を上空へと投げ飛ばす。
上空へと跳躍した自分は、赤黒い血の曇り空へと飛び立つサトゥルヌスに向かって迫る。
しかし、自分とサトゥルヌスの距離では、どちらの刃も到底届かない……。
一度しか跳べぬ身では、だが。
自分は、足元に感じる硬い感触を頼りに、もう一度跳躍する。
サトゥルヌスとの距離が縮まる。
だがまだだ、落下の衝撃も加えなければ、素早い鎌で迎撃される。
「追い越す!ラナ!ドローンを!」
「オッケー!ドローンの梯子!設置!」
ラナに指示を出すと、自分の上空にドローンが列を成し、足場を作り出す。
地面なき空をもう一度跳躍できたのは、ラナの召喚した空飛ぶ風車『ドローン』のお陰だ。
それを踏み付け、一度、二度、三度と跳躍を繰り返し、とうとう自分はサトゥルヌスを追い越し、赤黒い空を舞う。
「フフッあハハハッ!」
その下には、こちらへと刃を伸ばすサトゥルヌスの姿が見える。
「残念だが、その刃は届かん」
自分は宙を舞いながら、サトゥルヌスの鎌に向かって銃を発砲し、刃を弾く。
サトゥルヌスの鎌が銃弾に弾かれ、無防備な胴体をもう一度晒す。
それと同時に自分は上空のドローンを蹴り付け、下に向かって跳躍する。
下に流れる重力に、大地を踏み締める人間の力が加わり、落ちる速度は正に弾丸。
「ウぅふフフ!!」
サトゥルヌスがそれに反応し、刃を振りかざすが、もう遅い。
「はあァッ!!」
落下の速度を乗せた一撃が、迫り来るサトゥルヌスの刃よりも早く、その首筋に到達する。
通る刃は、斬る感覚すらも置き去りにするほど刹那。
斬り落とした首から大量の黒い血飛沫が吹き出し、自分の身体が黒く染まる。
視界が黒い血で奪われる中、暗い太陽が照らす光が、自分がサトゥルヌスの首を斬り落とした事実を物語った。
力無く重力に引っ張られ、堕ちていくサトゥルヌスを一瞥すると、目の前にドローンが現れる。
自分は落下の衝撃を殺す為、目の前を飛ぶドローンを掴んだ──その瞬間だった。
「──ッ!?」
戦いの終止符を打った束の間、自分を染めた黒い血から、魔物の記憶が奔流となって流れ出した。
『やめ──食べ──』
『──して!!──返し──!!』
記憶の奔流、それに頭が耐えきれず、意識を失いかけてドローンから手を離す。
『ヨミエル!!』
朧に聞こえるラナの声と、天地が逆さになり、地面へと向かう視界の中、最後に見えたのは……。
──自分を受け止めようとするギブルの姿だった。




