その30 悍ましき前触れ
─前回のあらすじ─
ドラヤンマとの戦闘を開始したヨミエルとギブル。
二人の共闘によりドラヤンマはその巨体を地に伏し、捕らわれたアルマの子を救出するのだった。
「ヨミエル!ギブルちゃん!大丈夫!?」
ドラヤンマとの死闘を終えたすぐ後、焦った様子のラナがこちらへと走って来る。
その後ろには、死にそうな顔をしながら、一歩、一歩と、頼りない足取りで歩くオタニアの姿見える。
死に物狂いでゴンドラを動かしたのだろう、かろうじて役目を果たしている足とは比較して、腕の方はぐったりと、そこだけ死体の様に垂れ下がっている。
「大丈夫だ……それよりラナ、子供の方を頼む」
「あっ!うん!わかった!!」
「こっちだ、ついて来い」
自分はラナに子供の治療を頼み、ギブルがラナを案内するのを見送ると、自分は倒れかけているオタニアに手を貸し、労いの言葉を贈る。
「うっ……げほっ……ゼェ……ヒュー」
「よくやった、オタニア」
「いや……途中でラナちゃんに……変わってもらった……」
「……そうか」
「いやぁ、それにしても凄いよ、まさか生のドラヤンマを見る事ができるなんて、しかもそれを二人だけで倒すなんて本当凄いよ!ね、後でドラヤンマの死体を調べてもいいかな?それと──「少し黙ってくれ」
先程贈った労いの言葉を返品して欲しい……そう思えるほどに、この商人は目を輝かせ、蛇の様な先割れの舌を動かしていた。
──橙色の岩壁に囲まれる中、丁度人が隠れられそうな岩陰に、二人が倒れているアルマの子供を囲んでいた。
「切り傷が多いな、恐らくドラヤンマの節で切れたんだろう」
「待ってて、今治すから!」
ラナがアルマの子共を抱きしめると、傷口から淡い光が生じ、みるみる傷が塞がっていく。
──これで、この子は助かる。
何度も救われたラナのその力に、自分は確信を持っていた。
そんな気の緩みからか、自分はラナの抱きしめる子供を観察していた。
ギブルよりもずっと若い……もはや、幼いとさえ言い表せるほどに、小さな体躯の少女。
うねった長い髪は、丁寧に切り揃えられ、清潔な印象を受ける。
そして頭からは、二つの捩れた角が生えている、恐らくこれが獣の特徴……山羊の角だろう。
そんな事を考えていると、抱きしめていた少女の傷が塞がり、少女はゆっくりと、その瞼を開いた。
「──あっ……!」
「良かった!大丈夫!?」
「え……あれ?」
ラナが少女に声を掛けた瞬間、少女は怯えた表情でラナを見つめている。
その顔はまるで、猛獣を目の前したかの様に、恐怖で歪んでいる。
何故そんな顔をする?そう思ったその時、オタニアが気づいた様に声をあげる。
「……あっ!ラナちゃん!」
「えっ?なに?」
「目!隠さないと!」
「あっ!?」
オタニアのその言葉に、ラナはハッとし、慌てて顔を手で覆い隠す。
そうだった……長らく旅を共にしていたからか、忘れかけていたが……ラナは魔族、本来なら恐怖される対象なのである。
「チッ……余計な手間を」
するとギブルは、ラナを見つめる少女の襟元を掴み、鋭い目つきで睨むと、底冷えする様な声で口を開いた。
「ガキ、今見た事は忘れろ……でなければ殺す」
「ひいいいぃぃぃ!!」
少女の叫び声が、峡谷内にこだました。
──「ぅっ……ひぐっ!」
「も、もう大丈夫だから……あはは……」
嗚咽を漏らす少女に対し、ラナは引き攣った笑顔で落ち着かせようと試みている。
その表情には、いつもの活発な印象には合わない、丸い眼鏡が掛けられている。
目が悪くなった訳ではない……この眼鏡は、ラナの魔族の証、重瞳の瞳を隠す為に作られた、特別な眼鏡『秘匿のメガネ』である。
この眼鏡を着けた者の瞳は、都合の悪い真実を隠すのだとか……今となっては、もう遅い気もするが。
「おねぇちゃん……目ぇ……」
「目?あー……目ね!ほら、お姉ちゃんの目、綺麗でしょ!」
「君の瞳も、すっごく綺麗!ヤギさんみたいに、横向きなんだね!」
「えっと……」
ラナは何とか誤魔化そうと口を動かしているが、このままでは埒が開かない……そう思った自分は、少女に向かって口を開いた。
「アンタは何故、魔物に捕まっていた?」
「おじちゃん、誰?」
「……おじさんはヨミエルだ」
少女のおじちゃん呼びに少し傷ついたが、平静を装いながら、少女に名を答えた。
「私はラナ!君は?」
「……ナグツメ」
ラナがナグツメに名を教えると、とうとうナグツメは泣き止み、自分たちはナグツメに事の経緯を聞くことにした。
何でもナグツメは、このフゥジ山岳に位置する村『フマンツ村』に住む少女らしい。
そして、何故ドラヤンマ捕まっていたのかだが……。
「村ん中……地震おきて、根っこ、いっぱい生えてきて……村にいっぱい魔物来て……それで、こわくなって……」
ナグツメはどうにかして、自分たちに説明をしようとしているが、瞳からポロポロと涙がこぼれ落ち、言葉も途切れ途切れとなっている……。
根っこ……ナグツメの言う根とは、恐らく自分たちが探す、ある魔法使いの根の事で間違いないだろう。
「その……根っこというのは、地震と共に生えてきた、それで間違いないな?」
自分の言葉に、ナグツメは小さく頷き、鼻をすする。
突如村に起こった天変地異、それと共に魔物が押し寄せ、ナグツメはその魔物に攫われた。
一体この子は、どれだけ怖い思いをしたのだろうか。
そんな少女の涙に、ラナはいたたまれなくなったのか、静かに少女の背中に手を置き、さすっている。
「ね……ねぇ、ヨミエルさん!」
そんな中、後ろからオタニアが焦った様に声をかける。
「どうし──」
「──ッ!?」
オタニアの声に導かれ、そして振り返った瞬間、自分は……悍ましき光景を目の当たりにした。
先程まで地に伏したドラヤンマの亡骸が、巨大な黒い根によって貫かれ、宙へと浮かび上がっている。
「いつの間に……!?」
「なにこれ……!?」
それだけではない、ドラヤンマの亡骸からは、クチャリ、クチャリと……まるで、捕食者が獲物を貪る様な音が微かに聴こえる。
そして、ドラヤンマの亡骸が盛りにピクピクと動き、体内に何かが蠢き、体表がボコボコと膨れ上がっている。
「なんだ……これは……捕食しているのか?」
信じがたい超常的現象に、自分の視線は、そこに杭を打ち付けられたかの様に動かせなくなった。
その瞬間、ドラヤンマの亡骸がブチリと、何かが体内を突き破り、その中から青い霧が噴き出す。
しかし、よく見るとそれは水蒸気が凝結してできた霧ではない……半透明の蝶が群れを成し、それぞれが太陽と海の光を反射して巨大な霧となり、ドラヤンマの身体を突き破って湧き出ている、悍ましき光景だった。
声をあげる間もなく蝶の群れは眼前に迫り、自分達は青い霧の中に包まれた──
── 視界が深い海の様な青一色に染まり、パタパタと羽ばたく翅の音が耳を塞ぐ。
やがて辺りの景色が鮮明になり始め、自分は……。
──ある意味で旅の目的地、その場所に立っていた。




