森のくまさん 4
「……。おかえり」
一瞬、間があって小熊さんが狐坂さんに応える。
「今日は、直帰じゃなかったのか……?」
「そのつもりだったんだけど、ちょっと聞いてくれよ〜大貴」
狐坂さんが近づいてくる気配に、思わずビクッとして体を縮こませると同時に、小熊さんの手も一瞬ピクッと動いたような気がした。
別に、ただ見学しているだけで変な意味はないはずなのに、今の体勢を見られたらと思うと……。
すると、小熊さんの手がおもむろに私の頭にのせられたかと思えば、そのままクイッと後ろに引き寄せられて、私の背中がトンッと小熊さんの体に当たった。
それは小熊さんなりに、バレないように匿ってくれようとしたのかもしれない。けれど、緊張はマックスに達していて、密着した部分からドコドコと激しく脈打っているのは私の鼓動なのか、それとも小熊さんもなのか、頭の中がぐるんぐるんとして思わずギュッと目をつむった。
「ん? どうした、大貴?」
「いや、その……。実はな……」
様子のおかしい小熊さんに、狐坂さんの足音がさらに近づいてきて、私は思わず息まで止めていた。
「……」
「あー、僕まだ他に行くところが……」
一瞬の間のあと、狐坂さんが棒読みでそう言って踵を返そうとしたのを、
「ま、待て。誤解するな、これはただの見学で……」
小熊さんが、あわてて呼び止めたのだった。
◇◆◇
狐坂さんに、今日のこれまでの成り行きを話し終え、やっとのことで誤解をといた。
「ふむ。話しかけられると、どうしてもビックリしてしまうと……。じゃあ、その前から何となく気配がわかるようになれば……」
狐坂さんは先ほどの小熊さんとの密着状態には全く触れず、それより私が二度も小熊さんに声をかけられて逃げ出してしまったことに、何やら思案顔でぶつぶつ呟いていた。
「まあ、何はともあれよく来てくれたね、咲ちゃん。あれから体調の方は、どう?」
「だ……大丈夫、です」
「それは、よかった。でも、外はもう暗くなってるけど、今日は時間大丈夫なの?」
そう聞かれて時計を見てみると、すでに20時を回っていた。時間が過ぎるのも忘れるくらい小熊さんの作業を夢中になって見ていたらしい。
「もう、そんな時間か。帰るなら……狐坂、送って行ってくれ」
「……僕? うーん。残念だけどまだ仕事が残っているから、小熊よろしく」
「しかし……」
「あ、あの……私は、ひとりでも……」
二人のやりとりに、心の中であたふたする。この前と違って今日は特に何ともないし、これ以上彼等の仕事の邪魔をするわけにはいかないと、私はおそるおそる口を開いたけれど……。
それに対して、しばらく無言のまま何やら難しい顔をしていた小熊さんだったけど最終的には「俺が送る」と言ってくれたのだった。
帰り道。
私は今日見学した小熊さんの作業を思い返しながら、もし自分でもミニチュア家具に挑戦する時になったら、あそこはこうすれば良いのかなどと考え事をしながら歩いていた。
「考え事をしながら、歩いていると危ないぞ」
「す、すみません」
「ここでも、掴んでおけ」
すると、そんな私の様子を見かねた小熊さんが背負っていたリュックの端っこの紐を差し出すと、どぎまぎしていた私に握らせた。
「こうすれば、考え事してても安心して歩けるだろ」
そう言って小熊さんが歩き出すと、私は掴んだリュックの端っこごとゆっくりと彼に引っ張られて歩く。
「あ、あの……きょ、今日は、あ、あり、ありがとうございました。とても、勉強になりました」
「ああ。事前に連絡をくれれば、また見に来てくれても大丈夫だ。……良かったら俺の作業場で、森野もミニチュア雑貨を作ってみないか?」
「え?」
「いや、俺も森野が作っているところを見てみたくて。道具運びが大変なら手伝うし、そうすれば見学も作業も同時に出来るというか。あ、もちろん、他に人がいると気が散ってしまうというなら無理は言わんが……」
彼の提案に躊躇しつつ、けれど同時に胸の奥からじわじわと込み上げてくるものがあった。
小熊さんは、あんなにひどい勘違いをしたにも関わらず、そのあとも普通に話しかけてくれるし、私のたどたどしい話も最後までちゃんと聞いてくれる。
これまで自分なりに努力したつもりでも、コミュ症を言い訳にして何かをする前から諦めていた部分も正直に言うとあった……。
人見知りな性格に悩む私に、いつだったか母が言ってくれた言葉がある。「苦手な事や頑張ってもうまくいかない事は誰にだってある。でも、差し伸べられた手を掴む勇気は忘れないでいて欲しい」と。
母の言う通り、いつまでも狭い世界に閉じこもっていたら、きっといつまでたっても変われないんだ。
私は覚悟を決めたように、小熊さんのリュックの紐をギュッと掴む。
「よ……よ、よろしく、お願いします!」
今、私が出せる精一杯の大きな声で、小熊さんに答えた。
少しでも楽しんでもらえたら、嬉しいです。




