森のくまさん 3
店内のさらに奥の作業場へ案内されると、私は思わずキョロキョロとあたりを見渡した。
「……狐坂か? すまん。アイツは今日、先方との打ち合わせが終わったら直帰する予定で。もし、逢いたいなら連絡を入れるが……」
小熊さんは小さく謝ったあと、やけに私の顔をジッと見つめながらそう聞いてきたけれど、私はその視線にどぎまぎしつつも、ふるふると小さく首を横に振った。
「い……いえ。も、物珍しくて、ついキョロキョロしてしまった、だけで……」
別に、狐坂さんを探していたわけではない。
「そうか」
すると、小熊さんはぽつりとひと言そうこぼした。
◇◆◇
――すごい、すごい!
作業台に向かって木片を削ったり、磨いたりする小熊さんの作業の様子を、私は食い入るように後ろから覗き込んでいた。
そして、小熊さんが手元の木材の角度を変えるたびに、私もその大きな体の背後を、左右へトトトッと小走りで移動しては覗き込んでいると、小さく息が上がってきた。
いや、大げさだと思われるかもしれないが、本当だ……。
「森野、大丈夫か?」
そんな私を見かねて、小熊さんが声をかけてくれた。
「す、すみません……」
「良かったら、ここに座るか?」
すると、小熊さんは自分が座っていた椅子を後ろにずらして足の間にスペースを作ると、そこに小さな椅子を用意してくれた。
「っ……」
きっと、小熊さんは純粋な親切心でそう言ってくれただけで、他意なんてこれっぽっちもないことは分かっている。
だけど、そこに座った時の想像をすると……胸の奥がむず痒くなってワケもなく叫び出しそうになる。
「あ、いや、俺が子どもの頃、親父がよく膝の上に乗せて作業を見せてくれたことが心に残っていて。こっちの方が見やすいと思ったんだが、女性相手に気軽に言う事ではなかったな」
狼狽えていた私の様子に、小熊さんが謝る。
「い、いえ……」
ほら! 小熊さんは少しでも私が見やすいようにと、ただ真面目に考えてそう言ってくれただけなのに、変な意識だけはいっちょ前にする自分を心のなかで叱咤する。
それに、私だって本当はもっと近くで見たいと思っていた。これまで本やサイトを見ながらとはいえ独学でミニチュア雑貨を作ってきた自分にとって、これはまたとない機会でもある。
私はそう言い聞かせながらゴクリと息を飲むと、まるで野良猫が警戒しながらもお目当につられてそろそろと相手との間合いを詰めていくように、小熊さんに近寄っていく。
それはもう、そろそろと……。
そんな私の行動に小熊さんは最初こそ少し目を見開いたが、そのまま静かに見守ってくれた。
「あ、あああ、ああ、あの……見にくく、ないですか?」
すっぽりと小熊さんに包み込まれるような感じの体勢に、心臓がけたたましく鳴っている。
「ああ、大丈夫だ」
第一印象でクマのように大きいと感じたけれど、こうして私の頭越しからでも作業台を覗くことができる小熊さんに、あらためて体格の差を実感する。
最初こそ緊張してカチンコチンになっていたけど、そのうち特等席から見る小熊さんの大きいけれど器用に動く手の動きに、いつの間にか夢中になって見入ってしまっていた。
「森野、ちょっとすまん」
しばらくして、小熊さんの声がふと上から降ってきたかと思えば、頭に暖かなものが触れた。
彼の手が私の頭に置かれると、ほんの少し左へ優しく寄せられたのだ。
「あ、つ、つい……夢中になって、す、すみません」
いつの間にか前のめりになりすぎて、小熊さんの視界を塞いでしまっていたようだ。ただそれだけのことなのに、彼の大きな手の重みに思わず胸がキュッとなった。
「ハハッ、俺も子どもの頃、森野と同じようになってたよ」
小熊さんが小さく笑うと、その吐息が私の右耳をくすぐった。不意打ちのようなその感触に、一瞬で耳の先までじんじんと熱くなった。
「あ、悪い。近すぎたか……?」
小さく謝る彼に、きっと私が耳まで赤くなっていることがバレたんだと思うと、せっかく忘れかけていたのに、急にまた過剰に意識し始めた自分が恥ずかしくてたまらない。
けれど、そんな変な緊張が今度は小熊さんにも伝わってしまったのか、ふと彼の手の動きも止まると、そのまま沈黙に包まれた。
ど、ど……どうしよう……。
本当に胸の奥がムズムズしてきて、今にも叫び出しそうになるのを、必死でこらえている時だった。
「ただいまー」
突然、降ってきたその声に、心臓が飛び出そうになった。




