森のなかまたち 6
「おはよう」
「あ、おはよう。お兄ちゃん」
一緒に暮らしているとは言え、家の中で兄とゆっくり顔を合わすのはこの朝食のひとときくらいかもしれない。
仕事が終わる時間帯が違うから夕食を食べる時はバラバラで、兄の分は作り置きをしてあとはレンジで温めるだけにしてあるから、そのあと私は自分の部屋でミニチュア作り、兄は兄でヲタ活にと夜はそれぞれの時間を過ごしているので、兄妹の会話自体は少ない。
だけど、世の兄妹仲がどうなのか、コミュ症の私にはこれまでそういった話をする友人がいなかったから比較のしようがないけれど、自分の中では兄とは仲が良い方だと思っている。
たまに、私のミニチュア作りの材料を探しに大きなホームセンターや100均のお店に車で連れて行ってくれたり、私が好きそうなインテリア雑誌を買ってきてくれたりする。
私は私で、兄が音寧ちゃんの限定グッズ発売日にどうしても仕事で抜けられない時は、かわりに並んで購入したりと、お互いの趣味を支え合っていたりする。
「咲」
「ん? どうしたの、お兄ちゃん」
だから、この日めずらしく兄から呼び掛けられたので、また音寧ちゃんの新作グッズが出るのかと思っていたら。
「これを小熊さんに、渡してくれ」
急に小熊さんの名前がお兄ちゃんの口から出てきたことに思わずドキッとしつつも、目の前に差し出された筒状のプラスチックケース、よく兄が仕事で使用しているものに私は首を傾げた。
「何、これ?」
「渡せばわかる」
「わかった、今日バイト帰りに小熊木工店に寄ってみるね……」
兄は、私がここのところ小熊さんたちと少なからず交流している事は知っている。だけど、ミニチュア雑貨を一緒に作っていることやそれをSNSにアップしていることなどはあえて話していない。
別に隠すような事じゃないけれど、何というか……今の私が全部話したら小熊さんを好きな事までバレそうで、何だかそれがとてつもなく恥ずいのだ。
「あと、これから少し仕事が立て込みそうだから、夕飯は会社の近くで取る事にする。だから、しばらく食事の支度は大丈夫だ」
「そうなの? それは大変だね。あ、じゃあ、夜食のお弁当とか作ろっか?」
毎日、外食ばかりじゃ体調も心配なので、お弁当にして届けようかと考えていると。
「いや、咲もこの半年バイトに家事にと頑張ってきたから、たまには羽を伸ばして好きに過ごしていいぞ」
思ってもみない兄の言葉に、正直、これから犬飼さんのミニチュアハウス作りで忙しくなりそうなので、夕食の支度が遅くなるのをどう相談しようか悩んでいたから、渡りに船で内心ホッとしたけれど……。
「え、ほ、本当にいいの……?」
ただでさえ兄に生活費をサポートしてもらっている身なのに、これ以上甘えてもいいのだろうかと申し訳なさを感じる私に、兄は「イイヨ、イイヨ」と軽く手を振ってくれたのだった。
「ありがとう。お兄ちゃん」
◇◆◇
「あ、あの……今朝、兄が、こ、これを……小熊さんへと……」
「おお、ついこの間話したばかりなのにもう出来たのか。すごいな、お兄さん」
兄に頼まれた物を小熊さんに渡すと、感嘆したようにそれを受け取った。
「あ、あの……そ、それ、何ですか?」
「なんだ、お兄さんは森野に何も言わなかったのか。これは犬飼さんのミニチュアハウスの設計図だ」
「えっ……!?」
思わず驚きの声を上げた私に、隣のデスクで書類を作成していた狐坂さんがふと手を止めて説明してくれた。
「実は、お兄さんには咲ちゃんが書いてくれたラフ画をもとに設計図を描いてもらったんだ。ほら今、SNSにアップしているのはそれぞれが作った物を組み合わせて撮影しているけれど、さすがに合作のミニチュアハウスとなると、ちゃんとした設計図が必要だからね」
確かに、これまで私はラフ画からそのまま12分の1を大体のサイズで作ってきたけど、単品物ばかりだったからさして問題はなかった。
けれど、小熊さんのミニチュア家具と組み合わせて撮影するようになって、その微妙な差にあらためて気づかされていた。
すると兄が作成した図面を興味深そうに眺めていた小熊さんも再び口を開く。
「これからしばらくの間、作業をする日も多くなるし帰る時間も遅くなるだろうから、送り迎えも含めて責任を持って森野を預かる了承をもらおうと連絡した際に、事情を聞いたお兄さんの方から設計図の話を申し出てくれたんだ」
その連絡後、小熊さんは私のラフ画や実際に採寸した数値や撮影した写真データを兄に送ってくれて、兄はそれをもとに12分の1に縮尺した採寸で設計図を作成してくれたのだった。
「そうだったんですか……」
今朝、兄が仕事が立て込むからしばらく家事を休んでも大丈夫と言っていたのも、全部事情を知った上でのエールだったことに気づかされて、思わず瞳の奥から熱いものが込み上げそうになった。
そんな設計図を手にして早速、作業に取り掛かることにした。まず図面をもとに厚紙で土台や家具の模型を作っていく。すると全体のイメージがグッと想像しやすくなって、さらにその模型を眺めながら小物や細部の妄想を膨らませていく。
自分が担当する食器や瓶類のイメージは大体つかめてきたけれど、不安なのは残りの小物類だ。
フライパンや鍋といった金物類は、樹脂粘土かホームセンターで買ったプラスチック板を加工して着色すればそれなりに見えそうな気はするけれど、そういうのはあまり作ってきてなかったから、試行錯誤が必要になると思う。
あとは、カーテンやエプロン、椅子のクッションといった布製品、どう作るかは後で考えるとして、まずは似た感じの生地を探しに行くことから始めようと思った。
そして、その翌日……。
星乃森商店街の北通り、ガチャポンの森の斜向かいに小鳥遊手芸店はあった。
店の明かりはついているけど、年季の入ったガラス戸は曇り気味で薄暗い雰囲気を醸し出している。今日はバイトがないので、朝から何度も店の前を通り過ぎながら横目で様子を伺うも、薄暗い店内を店主と思わしきおばあちゃんが見張り番のように鋭い目つきで店内をうろついている……。
見た目で判断してはいけないかもだけど、おおらかな雰囲気の犬飼のおばあちゃんとは違い、どことなくバイト先の鴨井さんみたいなタイプにおのずと緊張感も高まっていく。
なかなかお店に踏み入る勇気が出ず近くの街灯の陰でまごまごしていると、背後からチリーンと鈴の音が聞こえてきて思わずビクッと体をすくませたものの、今度はすぐにハッと思い至ってそろ〜っと振り返ると……。
「こ、小熊さん。ど、どうして、こ、ここに……?」
いまだ律儀に熊よけの鈴を付けた小熊さんが立っていた。
「いや、森野が昨日、小鳥遊手芸に生地を見に行くと言っていたから少し心配で……。小鳥遊のばあさんは、俺でもちょっと話しかけづらいからな」
ほんの少し苦笑しながらそう言う彼に、小熊さんでも苦手に思う相手がいるんだなと思うと、何だか緊張しているのが私だけじゃないことに何となくホッとすると同時に、心配してこうやって来てくれた彼の優しさに胸がジーンと熱くなる。
しかし、こっそり感激していたのも束の間……。
「ちょいと、用があるんならとっとと入ってきな!」
突然、背後から声を掛けられて、心臓がドキョキョッと跳ね上がった。
「2時間も前から店の前をウロウロと……不審者かと思えば、小熊の倅の姿が見えたから声かけてみたけど、うちみたいな古い店になんぞ用かね?」
せっかく向こうから話しかけてくれたのに、心の準備が間に合わず激しく狼狽えている私の様子に、思わず小熊さんが助け舟を出そうとしてくれた。
「どうも、小鳥遊さん。実は……」
けれど私は、そんな小熊さんの袖を咄嗟に引っ張っていた。これから力を合わせてミニチュアハウスを作っていくのに、こうやっていつまでも小熊さんの影に隠れて、その優しさに頼ってばかりではいけないと思っている。
心を落ち着かせようと一生懸命呼吸を整えていると、背中に暖かいものが触れた。
見守るようにそっと添えられた小熊さんの手の温もりに、私は勇気を振り絞って口を開いた。
のだったが……。
「あ、あ、あああ、あの……じ、じ、じつ、実は……。は、は、ハギレを、さ、さささ、さが、してまして……」
なんてこったい……!
小熊さんたちとの交流のおかげで少しはマシになったかもしれないと思っていたのに、現実は恐ろしいくらいしどろもどろの自分に、思わず涙がじわりと滲んだ……。
「……端布なら何袋かにまとめてあるから、ゆっくり見ていきな」
けれど、そんな私に対して小鳥遊のおばあちゃんは眉ひとつ動かすこともなく、あっさりそう言うとすんなり店内に案内してくれたのだった。




