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第88話【贖罪の日】

「モタモタしないで! ほら急いで!」


 リリーベールは喉が痛くなるほど怒鳴った。

【フラム家】の領地で避難する市民たちを急かす。


「こ、こっちに来ないでしょうか」


 市民の一人が遠くで暴れる巨大なドラゴンを見て言う。


「ちんたらしてたら来るわよ! さっさと行きなさい!」


「は、はい!」


「お年寄りには手を貸すのよ!」


 またも大声で市民群に指示を飛ばす。

 自分でも不思議なほどに、領主代理を勤めているような気になった。


「男性陣に報告する!」


 まるで横槍を刺すかのように、聞き覚えのある男の声が響いた。

【エルガンディ王国】の鎧ではない別の鎧を装備したその男。

 

 その姿にドクンとリリーベールの心臓は高鳴った。


 あれは、ガイス!

 どうしてここへ?


「国王さまからの緊急報告だ!【例の作戦】を実行する! これを知っている者はただちに出撃せよ!」


【例の作戦】?


 ガイスは何を言っているのだろう。


「あぁ、くそ! やっぱりそうなるか……」


 市民の一人が立ち上がって吐き捨てた。

 それは武装した男性で、かなりの年配者だ。

 とても前線に出て良いような年齢には見えないが。


「ぉ、おじいちゃん?」


 孫らしい少年が、彼の顔を不安そうに見上げる。

 周りにいる少女や老婆も。


 彼は、その少年の頭を優しく撫でた。


「強く生きるんだぞグレン。婆ちゃんたちを頼む」


 砂を噛むような声で、彼は城の方角へと去って行った。


「おじいちゃん!? どこ行くの!?」


 彼は答えない。

 追いかけようとするその少年を、老婆は悲しい顔で引き止めた。


 他の武装した男性たちも立ち上がり、次々と城へと向かって歩き出していく。


 その誰もが、年配者だった。


 いったい、何が起きてるの?


「ガイス!」


 どうしても話したかったリリーベールは、気づけばガイスの元へ駆けていた。

 彼の側に来ると、先程まで荒ぶっていた心が落ち着きを取り戻している。

 不思議なものだ。


「リリーベール! 君か」


「いったい何なの【例の作戦】って? 何も聞かされてないわよ私は」


「実は俺もそうなんだ」


「え!?」


「ただ国王さまは【例の作戦】と言えば一部の男性には伝わると言っていた。中身は正直、わからない」


「わからないって、そんな……」


「あの国王さまの事だ。何か考えが有ってのことなんだろう」


「私あの国王さま嫌いなの」


 怒鳴られたし。


「はは、君らしいな。だが今は信じてくれ。俺にはそれしか言えない」


「……」


『あんたが言うなら仕方なくだけど信じてあげる』

 そう言おうとしたが、なんだが恥ずかしくて言えなかった。

 ちょっと子供っぽいかもと、思ってしまったから。

 

 代わりにムスッとした表情を返事にしてしまう。


「……リリーベール。すまない。俺はそろそろ行くよ」


「え?」


「先発隊の援護を任されているんだ」


『やだ。一人にしないでよ。市民をまとめるの、本当に大変なんだから! あんたも手伝ってよ!』


 言葉に発したい思いが、喉まで込み上がってきた。

 だけど。


「あら? こんな時に私を一人にするわけ? 側に居てくれないの?」


「そ、それは……」


 ガイスの顔が本気で困った顔になる。

 自分のために葛藤してくれている。

 それが、妙に嬉しかった。


「……冗談よ。もうワガママは言わないわ。ただ、私を置いて死なないでよ? 自分で言った約束。忘れてないでしょうね?」


「もちろんだ。必ず帰ってくる」


 踵を返し、ガイスは東の方角へと駆けて行った。

 安息の拠り所をなくしたリリーベールの心は、またも不安と孤独に押し潰されそうになる。


 だけど。


 リリーベールは暴れる巨大ドラゴンを見た。

 あそこではおそらく、妹のフランベールが戦っている。

 ガイスもこれから戦いに出る。


 みんな戦っている。

 

 そう思うと、心が引き締まった。

 自分もしっかりしなくては、と柄にもなく思った。


「ほら急いで! ドラゴンは待ってはくれないわよ!」



 東側の城壁には鉱山へ向かうための小さな入り口がある。


 そこから外へ出てれば、ドラゴンたちが彷徨(うろつ)く草原へと続いている。


 即席の先発隊で隊長を任されたクロイツァーは、すでに複数の部下を連れて草原へと出ていた。

 

 遠くを眺め、これが人生で最後の戦いになるであることを覚悟する。


 不意にカティアとレィナの顔が脳裏に浮かんだ。


 ──もう一度だけ……顔を見ておきたかった。


 今さらながら、そんな思いが込み上がってきた。

 死を覚悟すると、人間とはこうも残してきたものが恋しくなるものなのか。


『子供が親に愛されたがるのは普通のことでしょう。期待せず、押し付けず、ただ育てる事があなたの愛なら……間違っていましたよ』


 カティアに父としての在り方が間違っていると指摘された。

 ……強いと思っていたカティアを泣かせてしまった。


『嘘でもなんでも、あなたはあの子達に胸を張ってここに居て良いのだと……それだけでも言葉にしてくれれば良かったのに……っ!』


 たったそれだけで良かったと、カティアに教えられた。 

 たったそれだけの事が、なぜ出来なかったのか。

 なぜそんなことも分からなかったんだろう。

 

 ルージ家の教えに従い、優先順位に従って義務をこなすことしか知らなかった己の父としての未熟。


 愛とは責任と(うた)っておきながら、まるで責任を果たせていない自分。


 カティアに謝ることもできなかった。

 それがたとえ今さらでも。


 嫁の笑みは何度も見てきた。

 だがカティアやレィナ。

 娘たちの笑顔は記憶にない。


 それが、己の父としての器の狭さを表していたのに。


 自分の父も厳しい方だった。

 厳しく、強い方だった。


 その背中に追い付きたくて、必死に追いかけた。

 でも今思えば……父とは笑い合って話したことがない。

 親子らしい会話など、したことがない。


 いやそもそも、親子らしいとはいったい、どの様なものなのか?


「これはクロイツァー様。お久しぶりでございます」


 後ろから声を掛けられ、振り向けば懐かしい男が鎧とハンマーを持って立っていた。


「お前か。セルディス」


「はい。国王様にS級ドラゴンの足止めを任されました。いやはや、老骨には(こた)える仕事です」


「奴の人使いの荒さはもとからだ」


「おっしゃるとおりですな」


 同じ隊長の元で、同じ国王の元で苦労した者同士の会話だった。


 あの気に食わない隊長に実力で(かな)わず落ち込んでいる時も、このセルディスには何度も励まされた。

 

 そんな戦友との再開だが、のんびり雑談している場合でもない。


「全員準備は出来ているな」


 言った相手は連れてきた即席の部下たち。

 武装した年配の男たちだ。

 例の作戦のメンバーたちである。


 まだ全員集まってはいないが、待っている時間もない。


「我々の任務は『ミスリル鉱山』へ避難する市民の護衛、及びルートの確保だ。ドラゴンどもに四方を包囲されている現状では、この東側への一点突破だけが我々の打てる唯一の手段となる」


「また」とクロイツァーは続けた。


「どの方角にもS級ドラゴンが潜んでいると報告がある。S級ドラゴンは私とセルディスが相手をする。お前たちは隊列を組んでドラゴンの接近を防げ」


「おぉ」と返事が返ってきたが、その声は低く、彼らの士気の低さが窺えた。


 当然か。

 我々はこれから、死ぬまで人類の壁となるのだから。


 死ぬと分かっているこの戦い。

 士気が高い方がおかしいのだ。

 だが、それでは困る。


「みな……過去の約束は覚えているな?」


 クロイツァーの一言に、男たちはピクリと身を震わせる。

 この世代の人間ならば知っている。

 

 フォレッドと国王によって(おおやけ)に晒された歴史書。

 代々と続いていた女性差別の事実。


 暴露されたことによって、一国が滅びかねない女性たちの暴動が起きた。


 その女性たちの怒りを静めるために、国の男たちは様々な体制を変えようと試みた。


 中には怒り狂う女性たちを暴力で()じ伏せるべきだと訴える男たちもいた。

 相手は所詮は女。

 男たちを怒らせたらどうなるかを思い知らせるべきだと。


 徹底的に叩き、二度と歯向かうことがないよう調教すべきだと。


 しかしそんなことフォレッドと国王が許すはずもなく、またクロイツァー自身も賛同しなかった。


 それでは意味がない。

 同じことの繰り返しだと。

 女は家畜ではない。


 その後、数々の制度が改められ、一つの大きな約束もした。

 この世代の男女だけが知っている約束。

 

『一国存亡の危機には命を捧げて守ること』


 なんて他愛のない、口にすれば安っぽい約束。

 そんな事態にはならないだろうと、当時はみな思っていただろう。

 過去のディザスタードラゴンも、フォレッドのおかげで凌いだ。


 しかし、その事態はやってきた。

 今がまさにそうである。


 言ってしまえば今日は、女たちを散々苦しめてきた男たちの『贖罪(しょくざい)の日』と言えるだろう。


 クロイツァーは双剣を引き抜き、片割れを天へと掲げた。


「若き命を守るため、命を捨てる覚悟を決めろ」


 男たちがクロイツァーを見た。

 クロイツァーも彼らを見た。

 まだ士気の低い顔ぶれだ。

 覚悟の決まらない者たちが大勢いる。


 情けないと思いつつクロイツァーは剣を下ろし、口を開いた。


「死ぬのが怖いか?」


 その問いに男たちは顔を曇らせる。


「……やり残したことがある。みなそんな顔だな」


 うつむく男たちにクロイツァーは続ける。


「私もそうだ。娘に謝りたいことがある」


「!」


 男たちの視線がクロイツァーに集まり、セルディスも意外そうな目を向けてきた。


「だが今はそれよりも、この窮地から彼女たちを救うことこそが必要だと思っている。彼女たちを未来へ送るには、この窮地を背負う人間がいる。それは我々のような未来(さき)のないつまらん人間こそが相応しいと思わんか?」


 男尊女卑という思想で固まった、我々のような醜い大人こそ生け贄には相応しい。

 醜い大人の割には贅沢な死に方とさえ思う。

 

 クロイツァーの言葉に、男たちはようやっと顔を上げて、腹を決めた男の顔を見せてきた。


「ドラゴンの群れを確認! 凄い数です!」


 城壁の上で望遠鏡を覗いていた騎士が声を張り上げた。


 ついに来たか!


「武器を出せ! 行くぞ老兵ども!」


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 男たちが大声を上げた。

 クロイツァーとセルディスを先頭に、彼らは駆けていく。


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