第44話【フランベール】
俺は馬に乗り、広大な草原を疾走していた。
目的地はもちろん【竜軍の谷】だ。
「先生……」
やばい。
怖い。
メチャクチャ怖い!
心臓が爆発しそうだ。
こんなに恐怖を感じているのは初めてだ。
フランベール先生が死ぬかもしれない。
死んでいるかもしれない。
そのことが、とてつもなく怖い!
幸せにしたいと思った大切な女性が死ぬかもしれない!
【エルガンディ王国】にはローエさんだけが帰還してきた。
しかもあんなボロボロな状態で。
よほど大群のドラゴンに襲われたのか、それともS級ドラゴンでも現れたのか。
どちらにせよ最悪の事態になったのは火を見るより明らかだ。
1秒でも早くフランベール先生を助けに行かねば!
「!」
草原の奥から、
行く手を阻むようにA級ドラゴンが数匹現れた。
おまけのようにドラゴンマンとドラゴンベビーも。
俺は騎乗したままロングブレードを抜刀する。
「邪魔だああああっ!」
腹の底から出した怒声と共にドラゴンどもを一閃。
馬からは降りない。
すれ違い様に斬り伏せていく。
雑魚が俺の邪魔をするな!
心の奥底でありったけの罵声を吐き散らした。
こんなにも自分が激情するのは本当に初めてだ。
こんなにも自分の心に火がついてるのは初めてだ。
失う恐怖に駆られている。
先生を失いたくない。
その衝動で頭がいっぱいだ。
だからこんなにも胸の奥が熱いのか。
だからこんなにも心臓が脈動するのか。
いつからか忘れていた、失うという恐怖。
それが今になって冷えきっていた心に熱を灯した。
なぜ冷えきっていたのかも思い出せず、俺は馬で疾走を続けた。
※
【竜軍の谷】の奥は深い森となっていた。
生い茂る木々は夕陽を遮り、フランベールの足元を暗くしていた。
それは今まさに、命の危険に晒され疾走しているフランベールにとっては最悪な環境状態だった。
行く手を邪魔するように立ちはだかる灌木や小枝を薙ぎ払い、フランベールは息を切らしながらも巨木に身を隠した。
すぐさま息を整えようとするも、次の瞬間には爆発音が轟き巨木が弾け飛んだ。
「くっ!」
視界が黒煙で覆われる。
おまけに鼓膜がやられて周りの音がやたらと遠くなった。
フランベールはそれでもすぐさま走り出した。
上空ではあの黒いドラゴンがこちらを狙っている。
的確にこちらを狙撃してくる火球の弾雨を掻い潜り、立ち止まっては死ぬ恐怖と戦う。
もう何時間と走り続けていて体力は限界を越えようとしていた。
一歩一歩が重く、気を抜けばそのまま崩れそうになる。
崩れたら最後。
火球の乱射を叩き込まれてあの世行きだ。
フランベールは森の中にいるというのに、あのドラゴンは全てが見えてるかのように火球を撃ち込んでくる。
あのドラゴンは化け物だ。
ヤツの巨大な背の翼は、あの巨体を空へ浮上させるほどの飛行能力を持ち、空からの攻撃を可能にしている。
ならば地上戦は弱いかと言われたらまったくそうでなく。
あの翼からは吹き荒れる嵐を生み出し、身体の自由を奪ってくる。
こちらの態勢を崩したと見るや火球や爪などで仕掛けてくる。
まるで隙がなかったのだ。
そして案の定、こちらの攻撃は弾かれた。
ローエのハンマーによる大打撃も、フランベールの大弓による狙撃も。
唯一、攻撃が通りそうな部位はあった。
なぜかは知らないがヤツは腹部に大きな傷を負っている。
爆発物をくらったような炸裂を思わせる傷痕だった。
そこを狙えば、ゼクードでなくとも攻撃を通すことができるかもしれない。
しかし、ヤツの動きにこちらがついて行けてないのだ。
避けるので精一杯で、戦いになっていなかった。
ローエと二人掛かりでも数発しか攻撃を加えられていない。
これでS級騎士なのだから、自分が本当に情けなくなる。
「──あ」
森を駆け抜けていたフランベールの足に何かが引っ掛かった。
それは木の根だった。
転倒──
──さらに不幸はフランベールを畳み掛けてきた。
転倒した先には地面が存在しなかった。
崖である。
「──っ!?」
悲鳴すら上げられず、フランベールは崖の下へ転がり落ちた。
幸いにも落下地点は川だった。
さらに幸いにもその川は深かった。
二つの不幸と幸運が重なり、フランベールは難を逃れる結果を得た。
黒いドラゴンが川に落ちたフランベールを見失ったのだ。
『川に落ちてもすぐに顔を出さない』というフランベールの機転が功を成した。
やっとの思いで黒いドラゴンの追撃を振り切ったフランベールは近くの丘に這い上がった。
「げほっ! げほっ! はぁ……はぁ……」
限界ギリギリまで潜っていたため少し水を飲んでしまった。
おかげでムセた。
涙目になりながらフランベールは周りを見渡す。
相変わらず木々に囲まれている場所だ。
地面は苔だらけの岩や砂。
目前には流されてきた川が広がる。
完全に自分の現在地が分からなくなった。
陽も暮れ出している。
これ以上迂闊に動くわけにはいかない。
朝になるまでどこかに身を隠さねば。
そう思った矢先、川から離れたところに樹林帯が広がっていた。
道らしい道はなくともドラゴンが通った痕跡もない。
身を隠して休む場所としてはなかなか上出来だった。
最初のキャンプ地に戻れない以上はここで休むしかない。
「休めるだけマシよね……」
独りごちたフランベールは水で濡れ冷えきった身体を丸めて座り、ただ朝を待つことにした。
焚き火をして身体を暖めたかったが、煙で黒いドラゴンに発見されたら今度こそ殺される。
寒くて凍死しそうだが、この樹林帯はそこそこ気温があるのでさすがに死にはしないだろう。
それでも──
「──寒い……」
独りぼっち。
深い森の奥で独りぼっちだ。
身体だけじゃなく心まで寒くなる。
それでも待つしかなかった。
森が闇に染まるのを感じながら、フランベールはただじっと朝を待つ。
揃えた両足の膝に顔をうずくめながら、フランベールは昔を思い出した。
過去にもこんな経験があったな、と。
あれはゼクードと出会った時だ。
彼の担任となり、彼の凄まじい才能に嫉妬し、焦っていた時期だった。
彼に勝ちたくて、フランベールはドラゴン狩りの実習をゼクードに持ちかけたのだ。
少し前にゼクードが教師である自分を遥かに超えるタイムを叩き出したから、この実習で抜き返すつもりだった。
しかしフランベールは焦りに焦り、A級ドラゴン相手に遅れをとってしまったのだ。
余計な焦りは無駄な緊張を生み、そこに隙ができた。
あの時は確か、なんとかゼクードのようにギリギリで敵の攻撃を避けて攻撃に移ろうとしたはず。
それに失敗して武器を破損させてしまい、あげく負傷して魔法でも戦えなくなってしまった。
とんでもない緊急事態になったのだ。
あの時も逃げた先はこんな樹林帯だったはず。
恥ずべき過去だが……忘れたくない過去でもあった。
武器を失い、負傷した身で、全てが絶望的だったあの状況でA級ドラゴンに再度見つかってしまった。
もうダメだと思ったそのとき。
『先生!』
ゼクードが助けに来てくれたのである。
しかも彼はボロボロだった。
よほど必死に探してくれていたのだろう。
あの時の胸の高鳴りは今でも忘れない。
あの時こそ、自分は彼のものになりたいと願った瞬間だったから。
あれが初恋だったのだから。
4つも年下だから、教師と生徒という関係だから、今まで躊躇していたけれど……
彼と交わした口づけを思い出す。
暖かく、溶けてしまいそうだったファーストキス。
抱き締め合って、互いの体温を感じ合ったあの時に戻りたい。
こんなことになるなら、あの時……抱いてもらえば良かった。
なにやってんだろわたし……後悔ばっかりだ。




