見えない敵
宰相との飲み会の後、数日が過ぎたある日、誠は執務室の自分の席で頭を抱えていた。どこで間違ったのだろうか、思い当たる節がない。
誠が提言した『勇者の町』計画構想は、すでに動きだしている。宰相主導で行われているのだが、宰相に元々能力があったのも間違いない。さらに、まるで若返ったように張り切っているのだ。そうなると、誰にも止められない。伝統と格式のある貴族から反発があっても、簡単に切り裂き、計画を進めていくのだ。
その反面、この計画に、宰相が掛かりっきりになっているので、今まで、宰相がやっていた細々とした仕事が滞っているのだ。そのしわ寄せが誠に来ているだが、どうしても納得できない。仕事を持ってきた人間に話を聞いてみても、
「宰相閣下が、誠殿に任せておけば、問題ないと仰せです」
と返ってくるだけである。実際にこの人たちも被害者である。そして、『勇者の町』計画構想を宰相に吹き込んだのは誠であると気付いている。そのため、自分たちの不幸の最大の加害者は、誠であると考えているのだ。
実際のところ、『スピリット・ネットワーク』を駆使する誠にとっては、この程度の仕事は、余裕で捌けるのだが、捌いてしまうといろいろ問題が発生する可能性がある。一番の問題の問題は、さらに仕事が増えることである。今も扉をノックする音が響いている。
「サイショウ、新しい問題が発生致しました」
もう影で宰相と呼ばれる段階は過ぎている。呼び名が『サイショウ』になっている。少しイントネーションを変えているだけだ。
あと、この問題は、絶対に、宰相の仕事ではない。どっかの部署から面倒な問題はここへ回せとでも言われているのだろう。今まで、関係各所を扱き使い過ぎたみたいだ。大分、恨みを買っていたのだろう。可笑しい、恨みであれば、四神が防いでくるはずなのに、仕事をしてくれていない。お前らは、本当に、私の守護霊なのかと念じてみても、いつも通り、無視されている。
(何をダラダラやっておるのだ。こんなのお前にとっては、余裕だろう)
現実逃避をしていると、師匠からツッコミが入った。
(師匠、これをやってしまうと、さらに仕事が増えます。ここは、適度な手抜きも必要なのではないでしょうか。実際、この問題など、貴族領の問題です。なぜ、こんな問題が王城に紛れ込んでいるのでしょうか。私がやっても問題は起きないのでしょうか。もう指示を出したので、今さら遅いのですが)
(もう全部やってしまえ。1週間もすれば、周りも気付く。自分の必要性の無さに。そうなれば、自ずと仕事が減っていくだろう)
師匠の予測通り、1週間も経たずに、仕事は減り始めた。このままでは自分が閑職に飛ばされてしまうと気付いた人から仕事を率先してやり始めたのだ。その流れができてしまえば、仕事の取り合いである。誠の前から仕事が消えるのに、それほど時間は掛からなかった。
これが、宰相の策であれば、怖い話である。実際に、宰相の前から、以前はあった細々とした仕事が無くなったのだから。さらに、今ままで、力をセーブしていた文官たちが本気を出している。そのため、この王城の事務能力が大幅に上がっているのだ。誠が苦労しただけで、良いこと尽くめである。誠の『サイショウ』という呼び名も自然と消えていった。
誠の前から仕事が消えた数日後、湯船に浸かった、淫らな黒髪の聖女様からお言葉を頂いた。
「最近、凄く忙しそうだったのに、急に暇そうにしてるわね。その分、体は忙しそうだけど。何かトラブルでもあったの?」
「いろんな意味で、言葉に棘を感じますが、忙しくなったのが、トラブルです。きっと、宰相閣下の策略でしょう」
「えっ、そうなの?」
「わかりませんが、閣下が無意識であろうと、勝ったのは、閣下です。負けたのは、僕です」
「なんか、しょうもない気がするんだけど、なんの勝負だったの?」
今日も、直感が冴えわたっている、淫らな黒髪の女神様である。
「男の意地です」
「聞かなければ、良かったわ」
「どっちにしても、しばらくは、動きはないでしょう」
「なんの動きなの?」
「潜在的な僕たちの敵という言葉が近いでしょうか」
「それは、誰なの?」
「広義で言えば、全員です」
「何となく、言いたいことはわかるけど、じゃ、狭義で言えば?」
「勇者を召喚したいと考えた人たちでしょうか?」
「なんで疑問系なの?」
「古川さんが、勘違いしそうだったからです」
「私が考えたことは違うと言うことね。じゃ、誰なの?」
「その時点、違うのです。魔王討伐のために勇者を召喚したいと考えた人ではなく、それ以外の理由で勇者を召喚したいと考えた人です」
「なんかわかったわ。この国に混乱を齎したい人ね。反体制派ってことよね」
「惜しいです。前半は当たってます。でも、後半は足りません。体制派の中にも混乱を齎したい人はいます。あと、他国もこの国に混乱を齎したいはずです」
「もの凄い数じゃないの?」
「はい」
「いや、だから、はいじゃないの。どうしたらいいの?」
「ずっと炙り出してはいるんですけど、今回、宰相閣下が張り切ってしまって、みんな引っ込んだみたいなんです」
「ああ、勇者の町の話ね。あれ、横田くんの案だったのね。急に話が出てきたから、可笑しいと思ってたんだけど、でも、引っ込んだらいいんじゃないの?」
「それは、二度と出てこないのならいいんですけど、そんなことはないでしょう」
「たしかにそうね。じゃどうするの?」
「また、手を考えます。何をするかは、わかっているので、それを待つだけですね」
「相手は、何をしようとしているの?」
「ずっと同じことです。勇者の分裂です。たぶん、古川さんにも、接触はあったはずです。黒髪の聖女の名は大きいですからね。しかし、古川さんは傀儡として使えません。諦めたのでしょう。心当たりはないですか? 何か美味しそうな話を持ってきた人はいませんでしたか?」
「何人か、心当たりはあるわ。でも、怪しいからすぐに断ったわ」
「普通の精神状態あれば、それが普通の対応なんですが、普通の精神状態じゃない人が、勇者候補の中には、大勢いるんです。古川さんも、ここへ来る寸前のころは、危なかったんですよ。でも、世間的にはホームシックということになっていましたので、使えないと思われていたのでしょう」
「たしかに、危なそうね。あの頃の私もみんなも、私なんか、横田くんにコロッと騙されたもんね」
「なんか言葉に棘がありますね。あの頃の古川さんは、尖ってましたよ」
「その言葉にも、棘があるわよ。なんか表現が古いし」
「古川さんは、今は、大丈夫そうですけど、せっかくですし、流れを話しておきましょうか。最初は、宰相閣下が中心の3役と勇者候補の対立を目指していたはずです。これは、まだ続いているはずです。次は、かなり上手くいっています。メアリー王女殿下と3役の対立です。3役が踏ん張っているところです。次に狙われたのは、僕と勇者候補の対立です。これも、上手くいっています。しかし、望んだ結果を得られていません。次が古川さんですね。これは失敗しました。次がこれからです。わかりますか?」
「えっ、ここで質問なの。要は、傀儡として使い易く、利用価値があるってことよね。……ああ、わかったわ。恵美先生ね」
「はい、正解です。きっと、恵美先生派と長谷川くん派の対立になるでしょう」
「これは、避けることはできないの?」
「今が避けられている状態です。宰相閣下の張り切りに応えて、みんな一丸となって頑張っています」
「なるほど、横田くんは、対立を誘っていたのに、宰相閣下のせいで、努力が無駄になったということね。だから、負けなのね」
「そんな感じです。対立したからと言って、何も問題ありません。理想は、先生派が王都に残って、長谷川くん派が勇者の町を目指すことです」
「どうしてなの。恵美先生を狙っているの?」
「違います。もう少し後になると、他国との戦争に引き摺りだされるはずです。分裂した場合、長谷川くん派が引き摺りだされるでしょう。だから、今回で分裂させたかったのもあるのです」
「なんか寒気が走ったわ。怖い駆け引きをしているのね」
「仕方がないです。先生派になるような人たちには、人殺しは無理です。できるかもしれませんが、その後、精神崩壊の恐れがあります。そうなれば、敵の思う壺です。勇者候補はバラバラに崩壊します」
「横田くん、みんなの事じゃなくて、そっちが心配だったのね。なんか話が横田くんらしくなかったから、心配したけど、いつも通りで良かったわ」
「なんか酷い言われようですが、その通りです。結果として、救えるなら救いますが、自分を犠牲にするつもりはありません。僕は、偽善者にはなれる気がしません」
「ギリギリで裏切られるよりも、そう言って貰える方が信用できるわね……」
「……今からですか、湯あたりしますよ」
今回も、最後まで、優子は淫らな黒髪の女神であった。




