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第30話~もうひとり

 その病室は特別室だけあってかなり豪華な内装だった。

 ベッドもでかいし、隣に付き添い用の部屋もついている。バスもキッチンも用意されていて、病室というよりホテルのスイートルームといった感じだ。


「ここの病院は安全管理はもちろん、セキュリティー対策も万全だから。安心して入院してなよ」

 ベッドに横たわる俺に照明は言った。


「十針縫うくらいの怪我で、こんな大層な個室用意してもらって申し訳ないな」

 俺は答えた。

「別に今退院したっていいくらいなのに」


「何言ってるんですか兄さん!」

 シャリシャリと、林檎の皮を剝きながら標は叫んだ。

「全治一ヶ月の重症なんですよ。お医者様は軽い運動なら大丈夫だと言ってましたけど。縫合した傷が開いたらどうするんですか!!」


「いや、だからもう大丈夫なんだって……」

「いーえダメです。私のせいでこうなったんですから、抜糸するまでは片時も離れませんからね!」

 標は眼を赤くして怒った。今は大分元気になったみたいだが、最初は落ち込みすぎて入院してる俺より重病人に見えたものだ。


「はいはい、よろしく頼むよ。それで、お袋は?」

「お義母さんは後からお見舞いにこられるそうです」

「ふーん」

「私、お義母さんが来たら話をしようと思ってます」

「お袋と? 何の?」

「色々と謝罪を。兄さんには勿論ですが、お義母さんにも申し訳ないことをしてしまいました。こんなことで私の罪が消えるとは思っていませんが」

「そうか」


 俺の傷で、標が負い目を感じることなんてない。そう言いたかったが、止めておいた。今の標は、少なくても前よりは前向きになりつつある。もう俺が四の五の言う必要はないはずだ。


「それにしても、あっという間に退院だよな。勉強嫌だから学校行きたくないぜ」

「もう、兄さんたら」

「そうだよ進。君は人一倍頭が悪いんだから。これ以上遅れたら一緒に卒業できなくなっちゃうじゃないか」

 照明はにこやかに笑いながら毒を吐いた。

 俺は照明のほうを見た。


「ところで照明。一つ聞きたいことがあるんだが」

「なんだい? 何でも聞いてくれよ親友」

「何であの場所が分かったんだ? ほのかは幼馴染だからともかく、お前あの廃工場のこと知らなかっただろ? 地元のやつでさえほとんど立ち入らない場所なんだから」


「ああそのことか。その答えは簡単さ」

「というと?」

「標嬢を捜索してる内に、偶然ほのか嬢を発見したんだ。声をかけようかと思ったんだが、何やら様子が変でね。跡をつけてみたら、あの廃工場に行き着いたってわけさ」


「そうだったか。じゃあもう一つ質問があるんだが」

「何だい?」

「お前が入ってきたあの時だよ。やけにタイミングが良すぎるなと思ったんだが、お前まさか……」


「あー、気づいてた?」

 照明は頭をかきながら笑った。


「ごめんごめん。実は、十分ほど早くたどり着いてたんだよね。それで中の様子を窺ってたら、あの場面に出くわしたってわけさ。もう少し早く踏み込んでいれば、あんなことにはならなかったかもしれないけどねえ。ま、進の一世一代の大演説が聞けたんだから、良しとしようじゃないか」


「ほーうなるほど」


 あの時、妙に冷静な照明の態度に違和感を感じていたのだが、これで合点がいった。

 合点がいったついでに、無性に照明の首を絞めたくなった。


「標、やっていいぞ」

「はい、兄さん!」


 俺が合図すると共に、標は一瞬で照明の後ろに回りこみ、チョークスリーパーをかけた。

「ぐええ……」

「貴方が覗き見なんかしなければ! 兄さんもこんな怪我せずに済んだかもしれないのに!」

「だから、謝ってるじゃないか~きゅう~」

 流石に顔が青白くなってきたので、標に腕を解くよう促す。

 ていうか、きゅうって何だよ、きゅうって。


「進」

 不意に、照明は呟いた。

「なんだ?」

「すまなかった」

 照明は急に俺に向かって頭を下げた。


「君のその傷だが、深く入っていてね。最善は尽くさせたんだが、どうしても縫合跡は残るようなんだ」


「ああ、そのことか。でもそれは別にお前のせいじゃ……」


「違う。君達が言うとおり、全ては僕のせいだ。こうなることは予想できていた。それを、君がどうやって収集をつけるのか興味本位で見ていたんだ。僕があと数分早く踏み込んでいれば、こんなことにはならなかったのに……。僕は、君達に憎まれたって仕方ないんだ」


「照明、それこそ違うぞ」

 俺がそう言うと、照明は顔を上げた。

「逆なんだ。お前があそこにいてくれたおかげで、俺も標も大事には至らなかった。感謝することはあっても、憎むことなんてないよ」


「進……」


「だから、さ。いつものお前に戻ってくれよ。そんなしおらしい態度されたら、こっちが調子狂っちまう」


「……責めたいのか責めたくないのか、どっちなんだよ」

 照明は笑った。少し泣いてるようにも見えた。

「別にどっちでもないさ。ていうか、普段あんだけ迷惑かけてんだから。たまには良いこともしてもらわないとな」

「ひどいなあ。天才の僕が君にいつ迷惑をかけたっていうんだい」

 照明は照れくさそうに笑いながら言った。今度は、普通の笑顔だ。


「兄さん……私……私…………」

 代わりに標が、今にも泣きそうな顔で俺を見ていた。

「泣くな標。もう何回も言ったことだがな」

 俺が声をかけると、標は涙を耐えるように肩を小刻みに震わせた。


「お前のしたことは確かにダメなことだけど、もう済んだことなんだ。それをいつまでも悔やんでたって始まらないぞ。もっと明るくいけ」


「で、でも、兄さんの傷は――」


「残るよ。でも、これは俺も悪いんだ。だから、お前が責任を感じることなんてない。お前が俺のことを想ってくれるなら、しっかり立ち直ってまた前みたいに笑ってくれ。いいな?」


「は、はい……」

 俺がそこまで言うと、ようやく標は少しだが笑顔を見せてくれた。

 もう大丈夫そうだな。俺は標の頭をそっと撫でてやった。


「照明。この前頼んだこと、調べといてくれたか?」

「ああ」

 俺が尋ねると、照明は即答した。

「場所を調べるのは、そんなに難しいことじゃなかったよ」

「そうか。じゃあ退院したらすぐにあいつと行かないとな」

 俺がそう言うと、標が顔を上げて訊いてきた。


「兄さん、あいつって?」


 俺は答えた。


「もうひとり、助けたいやつがいるのさ」

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