第25話~監禁⑤
熱い――後頭部が硬い床に叩きつけられた時の感覚はそれだった。
「うっあっ、標、痛い……」
「ああああああっ……!」
俺の言葉を無視して、標は何度も何度もタイルの床に俺の頭をぶつけていた。苦痛。苦心。そのうち後頭部からぬるっとした液体が流れてくるのを感じた。それが一体何なのかは…………想像もしたくなかった。
「お、美味しいんですよね?」
俺の頭をがっしりと掴み、上から覗き込みながら標が言った。
「美味しいですよね? 旨いですよね? 舌がとろけそうですよね? 兄さんの為に一生懸命作ったんですもの。不味いなんてあり得ないですよねえええ?」
「ひ、ひいいい」
俺は恐怖のあまり、言葉を発することもできなかった。
「ああ、そっか。そういうことだったんですね。分かりましたよ兄さん~」
俺の心境を知ってか知らずか、標は一人で納得していた。
「はぁ……私としたことが、こんな簡単なことにも気づかなかったなんて……。これじゃ妹失格ですよう。私の愛が足りなかったんですね? 兄さんはあーんではなく、口移しで直接食べさせてほしかったんですね? すみません私の配慮が足らなくて」
「え? ち、違――むうっ!?」
拒否しようとした俺の言葉を遮るかのように、標はチンジャオロースを素手でつかむと、口の中に無造作に入れて咀嚼した。そして俺の口を無理やり開けると、噛み砕いた肉片を直接移し入れてきた。
「んんんん!」
「んちゅうううう」
さっきのキスとは明らかに次元が違う。
家族とはいえ食べ物の口移しは耐え難い。
「んっちゅ、ちゅっちゅっちゅるっ……くちゅ、れろっ、んちゅう……。ちゅぶっ……ぬっちゅ、ふちゅっっ……はふあああ……んっふ、ふっふっふじゅう」
艶かしい舌の動きで、標はチンジャオロースを俺に飲み込ませた。
標の唾液が混ざっているからか、味が薄れて先ほどより不味くはないが、それでも脳天を突き抜けるような血生臭さは完全に消えていなかった。
「んっふ……はふうう……。んっんふふ……。はあっはあっ……。いいですか? 今度私の愛を拒絶したら、兄さんといえども容赦はしません。それだけは覚悟してくださいね?」
唇を離しながら標が言う。優しい言い方だが、その眼には妖しい光が灯っている。
「あ、ああ……」
もはや俺に拒否権は残されていなかった。
その様子を見て、喜色満面に標が笑う。
「分かればいいんですよ兄さん♪ 手荒な真似をして本当にすみません」
自分でやったことだとは忘れてるように標が俺の頭を撫でてくる。
「そうですね……少しやりすぎました。救急箱を取ってきますから、ちょっと待っててくださいね。でも、一つだけ警告しておきますよ」
立ち上がり、ドアノブに手をかけた標が、振り向きそう言った。
「警告? な、何だ?」
「ここから逃げ出そうなんて、思わないでくださいね? そんなことをしたら……うふふ。私、どうにかなっちゃうかもしれません。ですから、約束ですよ?」
「ああ……」
どうにかなっちゃう――今でもどうかしてるというのに、これ以上があるというのか。俺は背筋に震えを感じながら頷いた。
「うふっ、物分りのいい兄さんで大変嬉しいです。それじゃあ、良い子で待ってるんですよ? 兄さん――」
標はそう言うと、ドアをパタリと閉めた。
すると、それまでの騒ぎが嘘のように沈黙が部屋を支配した。
「ふう――」
俺はため息をつくと、床に寝転びながら天井を見上げた。
親子三人で何不自由なく暮らしていた日常など、もはやどこにもない。
兄と妹で交わる、考えるも恐ろしいほど腐敗した関係になってしまった。
「もう、あの頃の俺たちには戻れないのかな……」
そう、呟いた時だった。
上からガタガタ、という音がした。見上げると窓が内側に開いた。そこから何者かが上半身をねじりながら、部屋に入ってきた。
「きゃうん!」
いや、入ってきたと言うのは正しくない。正確には床に転げ落ちたのだ。まさか、照明が――? 俺はそいつの顔を確認しようと顔を覗き込むと、同じく起き上がろうとしたそいつと眼が合った。
そいつは、照明ではなかった。
「ほのか!」
「すーくん!」
俺とほのかは、顔を見合わせながら同時に叫んだ。




