第11話~駆け引き
「じゃあ、兄さん。私部活行ってきますけど」
放課後になり、靴箱の前まで一緒に歩いてきた標が言った。
「くれぐれも、浮気はしないように」
「それは将来付き合うことになる恋人に言ってくれ。俺に言うのは筋違いだ」
「そんなことはありません。兄さんは私の夫になる方ですから」
夕日が校舎の隙間から漏れ、俺たちの頬に差し込んでくる。
だからだろうか、標の顔が赤くなっているように感じた。
「標、俺たちは家族なんだから。いつまでも一緒にはいられないんだぞ」
その瞬間、標の瞳に悲しみの色が浮かんだ。
「兄さんは私じゃ満足できないんですか?」
「いいや」
「では、他の女がいいんですか?」
「標。そういうわけじゃないって」
俺はなだめるように言った。標がほっとしたように息をつく。
「じゃあ何も問題ありませんね。私のことだけを見て、私とだけ世界を育みましょう」
「それって、別に俺じゃなくてもいいんじゃないか?」
「兄さん以外の人とだなんて、想像ですら苦痛で仕方ありません。それに――」
標が何か言おうとした時、上の階から照明が降りてきた。
形のいい口元に笑みを浮かべ、面白そうに俺たちを見て、
「お二人さん、夫婦喧嘩かい?」
と、空気を読まず声をかけてきた。
「……ちげーよ」
軽く答える。
どうやったらこの殺伐とした雰囲気がそんな可愛らしいものに見えるんだ。
「照明さん、私と兄さんが話してるのに、勝手に入ってこないで頂けませんか? この世から存在ごと消えさってほしいんですけど」
「おやおや」
照明は大げさに肩をすくめた。
「本当に、君は――」
そのとき、照明は一瞬ニヤッと笑った。
「なあ、進。今日一緒に帰る約束をしてたよね? そろそろ行こうじゃないか」
「え? あ、ああ、そうだな」
「兄さん、話はまだ終わっていませんけど」
「君と進は一緒の家に暮らしているんだから、いつだって話はできるだろう? 僕が女ならともかく、男同士でしたい話があるんだから、させてくれないかな?」
「却下です。消えてください」
「困った妹さんだねえ。なんのことはない。進を少し借りるだけさ。用が済んだらすぐ返すよ」
俺は二人のやり取りの間に、口を挟んだ。
「標。家に帰ったらお前のお願い、ひとつだけ聞いてやる」
「え……」
「だから、今日のところは許してくれないか?」
標は一瞬大きく眼を見開いたが、すぐに首をぶんぶん振った。
「わ、わかりました。行ってください。早く行ってください!」
そう言って標は、無理やり校舎から俺たちを追い出した。
「お、おい、標……」
「いいから早く! 早くったら早く!」
ちょっと待ってくれ、と言おうとしたが、標にかき消された。
「約束、忘れないでくださいよー! 忘れたら、酷い目にあいますからねー!」
後ろから、大変穏やかではない言葉が聞こえてくる。
「君も大変だねえ、進」
塵芥ほども思ってなさそうな口調で、照明が同情の言葉を口にする。
「はあ……、じゃあ、いくぞ」
俺は標に軽く手を振って照明と学校を後にした。
なんか、後でもの凄い要求をされそうなんだが。でも折角用があると偽って照明が俺を助けてくれようとしたんだからな。俺は照明と一緒に帰る約束なんてしてない。にもかかわらず話があると言ったのは、嘘をついてまでも俺の耳に入れておきたい話だと踏んだのだ。
短じ回。




