第10話~混乱
その日の授業は全く頭に入らなかった。
いや、いつもそうなんだけど、今日は特に考えることが多かった。
――柊哀華なんて奴はいないんだよ。
昨日の照明からの電話。俺はチラッと隣の哀華に視線を移した。
「……あ」
教科書をじっと見ていた哀華とふと眼が合った。
「何?」
相変わらず感情の読めない眼で哀華が言う。しかし照明の言っていたことが本当なら、何か目的があって俺に近づいたことになる。
俺はさりげなく聞いてみることにした。
「哀華って、聖蘭だったんだよな」
「ええ」
「仲良しの子とかいたのか?」
そう言うと、哀華の眼から色がなくなった。俺は慌てて弁解する。
「あ、いや。急な転校だからそういうの辛いんじゃないかと思って」
「誰もいない。ずっとひとりだった」
哀華は表情一つ変えずに言った。
「クラスの子と話とかしなかったのか?」
「私に話しかける人、みんなつまらなそうにどこかに行くから」
……まあ、これだけ無愛想にしてれば、わからなくもない。
「そうなんだ。ま、気にすんなよ」
「別に気にしてない。鬱陶しいのがなくて楽だった」
その時、一通り黒板に字を書き終えた先生が、
「じゃあ次のページを、新道。読んでみろ」
と、指名してきた。
勿論話なんて聞いてなかった俺にどこを読めばいいのか分かるはずもない。
「うげえ……。えーっと、えーと」
「ここよ」
哀華がページを指差して助け舟を出してくれた。
「ありがとな」
哀華のおかげで危機を脱した。
なんだ、なかなか良いとこあるじゃないか。
そして昼休み。俺と標とほのかと哀華の四人で昼食をとることにした。五時目までまだ時間があるためか、まだ残っている生徒が多く、教室は賑やかだった。
ほのかが今日の分の弁当を作りすぎたというのでお呼ばれしたのだが、転校してきたばかりなのでとりあえず進行を深めようという標の提案で、哀華が加わったのだった。
「柊さんは、大分兄さんと仲良くなられたようですね?」
標が卵焼きをつまみながら言った。哀華は聞いてるのかいないのかよく分からなかったが、しばらくして口を開いた。
「……そう?」
「そう見えます。少なくとも授業中の態度を見る限りでは」
「わ、私は普通だと思ったけど」
ほのかがビクつきながらも同意した。
俺はきんぴらごぼうを口にくわえながら言う。
「まだ哀華とはそんなに喋ってないからな」
「では先ほどの授業中話をしていたのは何ですか?」
標が鋭い眼を向けてきた。てかなんでそんな怒ってんの?
「別に大したことじゃねえよ」
「それならここで何を話していたのか言ってください」
「あうう。標ちゃん怖いよぅ」
標の低くなった声を聞いて、ほのかが慌てだす。
いや、ほのかじゃなくても十分怖いんだけどね。
「だから、そんなんじゃないって。なあ哀華?」
せっせと鮭の骨を取ってた哀華に言う。
この状況で本当にマイペースな奴だ。
「ええ。あなたには関係ないことよ」
「あらあら、無口な方だと思っていたら面白いことを言いますのね。兄さんのことで私が関係ないだなんて」
「……進は貴女のものじゃない」
哀華が冷ややかに言う。物静かなのになんだ、この迫力は。
「おいおい落ち着けよ。標、お前もだぞ。こんなところで」
「こんなところだからです。じゃないと、先ほどのことが聞けないでしょう?」
「も、もしかしてここでは言えないようなことしてたの? すーくん」
正論を言ったつもりだったが、標とほのかにアッサリ返されてしまった。
「だ、だから、なんでそんなこといちいち言わなきゃなんねーんだよ」
「兄さん」
標が俺の目の前に顔を近づけてきた。
「最後です。ちゃんと答えてください。でないと、この間私の胸を思い切り揉んだことクラスに言いふらします」
「なっ……」
静かに耳打ちされ、思わず言葉をなくした。
「女子の人望も社会的信用も全て失うでしょう。むしろその方が兄さんに言い寄る悪い虫も減っていいかもしれませんね」
人生を破滅させるようなことを平然と言い放つ妹を、俺は呆然としながら見ていた。
「進を離しなさい」
哀華が標に向かって言った。もしかしてこの二人相当仲悪い……?
「進との間に何もない。ただ私の前の学校について聞かれただけ」
淡々と哀華が言う。それが逆に不気味だった。
「貴女こそ、進のなんなの?」
標は一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに自信満々に、
「最愛の兄さんの妹です!」
「違う違う。最愛じゃない」
「またまた兄さんたら。私のこと毎晩押し倒してるくせに」
「え、え? すーくん、それって……」
標が嘘八百を並べたて、ほのかが動転しだす。
「……進?」
「俺は一切そんなことしてねえ!」
そうして標の誇大妄想を払拭するのに、昼休みをフルに費やし、ようやく終わる頃にはクタクタになっていた。俺は二度とこのメンバーで飯は食わん……、そう誓ったのだった。




