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王安石の失脚

 宋の四代皇帝を仁宗と言う。

 仁宗には直系の男児が無く、傍系の子が五代皇帝となる。

 五代皇帝英宗だが、仁宗とは女系で繋がりがあった。

 仁宗皇后を曹氏と言うが、その皇后の姉の子、つまり姪が英宗皇后なのである。

 英宗が没し、子が六代皇帝となる。

 この時期、仁宗皇后の曹太后、英宗皇后の高太后はまだ存命であった。

 代で言えば先代の曹太后だが、今上皇帝の母親である高太后に宮中での首座を譲っている。

 この二人の太后が、揃って王安石の新法に反対していた。


 洛陽の司馬光と東京開封府の王安石、新法旧法の巨魁は、弁舌での対立とは裏腹に、お互いの識見を尊敬し合っていた。

 度々議論を書簡と資料とで戦っていたが、司馬光は歴史という先例、王安石は経済指標という現状を持ち出す為、議論は「あるべき」論から出ない司馬光よりも王安石が有利である。

 議論に負けてはいるが、司馬光にとって、それはそれで有益な日々でもある。

 史家として経済に弱い司馬光は、当代最強の(但し、それ故に儒学的には低俗とされる)財務官僚である王安石からもたらされる情報は刺激的だ。

 多くの者は銭荒を「銅の不足」と説明する。

 王安石の話だと、逆に多いから価格上昇インフレが起こり、流通の事情から銭と物の偏在が起こり、時期による、地域による価格の酷いバラ付きが起こるのだ。

 その史家たる司馬光が忠告しているのが、王安石が皇太后に嫌われている事である。


 祖先、司馬一族は、魏の郭太后の支持を受けていた。

 それ故の制約も有ったが、皇帝を差し置いて執政した司馬懿、司馬師、司馬昭が道義的な部分で最後の一線を守れているのが皇太后の庇護であった。

 丁度この時期、意識として魏正統から蜀正統に変わりつつあった。

 今上陛下は自らと王安石の関係を劉備と諸葛亮の関係になぞらえ、口の過ぎる廷臣の処罰停止を

「魏武(曹操)すら(悪口で有名な)禰衡でいこうを処罰しなかった」

 と諫めたところ

「朕を曹操如きと同じうする勿かれ」

 と怒ったという。

 そんな宋代では司馬懿(西晋宣帝)は「簒奪を目指した野心家」とされるが、当時の文武百官が司馬一族を支持したのは、単に勢力が強かっただけでは説明出来まい。

 時に皇太后、皇帝の正室だった女性は、侮り難い影響力と権威を持つのである。

 その皇太后、それも二人から王安石は嫌われているのだ。

 皇帝の正室であった事が誇りである皇太后は、夫の治世を否定されるような事に反発する。

 仮に、前皇帝の政治を発展・改良させるものであっても、皇太后の耳に入る頃には歪む時がある。

 皇帝の夫人たちは後宮に入り、ごく一部を除き、皇帝や皇子以外の男性とは接触出来なくなる。

 彼女等を世話するのは、去勢した男性・宦官である。

 その宦官や女官たちを経由しての意見は歪む時があるのだ。




 熙寧7年(1074年)、河北で大旱魃が起こった。

「これは新法に対する天の怒りである」

 このような意見が皇帝に上奏される。

 司馬光も天譴を信じ、同様の新法廃止の上奏を行った。

 明らかに皇帝の御意に反する意見だが、宋朝は言論を理由に士大夫を殺してはならぬを国是とする。

 皇帝はこの上奏を特に罰しない。

 すると、この上奏に乗った宦官・官僚たちは高太后を担ぎ出す。

 皇帝生母による強い反対で、皇帝も王安石を解任せざるを得なくなった。


 しかし、これで新法が終わり、旧法党が復活する訳では無い。

 新法は今上陛下が望む、国庫を満たす為の政治なのだ。

 王安石は、呂恵卿、韓絳、曾布と自身の息子・王雱おうほうに後を託し、開封を去った。


 呂恵卿は、その才を王安石のみならず、旧法党からも認められた人物である。

 以前司馬光も、漢代の制度について議論し、打ち負かされたから、よく覚えていた。

 確かに頭が良いが、勝ち負けに拘り、相手に敬意を持たず、容赦しない性格。

 司馬光は史料を思い出し、

「ああ、孫呉の諸葛恪のような者か」

 と納得し、先を思いやった。


 果たして新法党・旧法党の対立、深刻な党争は王安石左遷、呂恵卿新法党の領袖になる事で始まる。

 青苗法とは、貧農に国が必要な銭を貸し付け、必要経費を払わせた上で、収穫期に穀物または銭で返済させる、貧農救済策である。

 司馬光ら旧法党は、国が高利貸しのような事をすべきで無いと訴えて来た。

 そしてそれが現実となる。

 呂恵卿は、この青苗銭を強引に貸し付け、秋には高利で返済させた。

 貸し付ける額が大きい程、利息、即ち国の利益は増える。

 貧農はかえって苦しむようになる。


 呂恵卿は組織の長にしてはならない人物だったかもしれない。

 呂恵卿は王安石とは同格だった韓絳を讒言し、追放しようとする。

 王安石の右腕と言われた曾布は既に、呂恵卿によって追放された。

 新法党内で主導権を巡る争いが起こる一方、蘇軾ら都に残る旧法党は、新法党を罵り出す。

 才人、詩人で有りながら、人間的に刺がある蘇軾は、呂恵卿らをその詩で散々に侮辱した。

 王安石・司馬光の礼節と敬意を持った政争は、過去のものになろうとしている。


 皇帝は、新法を導入しつつも、上下の礼、孝行を気にする人物であった。

 皇帝が、先先代仁宗皇后たる曹太后を見舞った時の事である。

 曹太后は皇帝に話し掛けた。


「昔、哀家わたくしは民が苦しんでいると聞くと、必ず陛下(仁宗)にこれを伝え、そのお許しを得て行動を起こしました。

 今、それを御今上にも行おうと思います」

 神宗が尋ねる。

「当世、然様な事柄が有りますでしょうか?」

 曹太后は

「御今上の民は、青苗や助役の法に苦しんでいると聞きます。

 斯様な法は、廃止すべきです。

 王半山(王安石の号)は真実に才知と学問を備えた人物ですが、彼の者を恨む者も甚だ多いのです。

 陛下におかれましては、半山を愛惜するあまりこれを庇っておられますが、しばらくは彼を国事の外へ追うべきです」

 そう言った。


 おかしい。

 青苗法で民が苦しみ出したのは、むしろ王安石が左遷された後だ。

 助役法は、呂嘉問という王安石の腹心が実務を担当したが、性急に運送費用の下落を狙った結果、新興の輸送業者に過剰な貸し付けと、価格の下げ過ぎでかえって苦しみを与えた。

 これを曾布が弾劾し、王安石が罷免し、その後は安定した運用に変わった。

 王安石のせいでは無い。


 曹太后は、英宗が病気で倒れた時、代理で政治を行った事がある。

 よく経書や史書をひもとき、決断の助けとした。

 自分の仕事は人任せにせず、寸暇を惜しんで務めた。

 彼女は後宮でなく、朝廷に出席し、我を通したりはせず、官吏に対し

「皆で能く執り行って下さい」

 と指導した政治感覚(センス)の有る女性であった。

 現皇帝即位に伴って政治の場からは退いたが、それでも後宮の寵姫アイドル等とは発言の重みが違う。


(正しく物事が伝わっていない)


 皇帝はそう考えた。

 つまり新法党が上手く政治を出来ず、首魁の呂恵卿と言えども善悪どちらでも小物と見做され、全ての責任を王安石が負わされている。


(呼び戻そう)

 皇帝は、韓絳からの訴えも有って、左遷した王安石を再度宰相につける意志を固めた。

 曹太后の耳に入る程、新法が上手くいっていない事。

 曹太后が、罷免されたのに王安石の名を口にする程に、他は小物で宛てにならない事。


 そして王安石が呼び戻される。

 呂恵卿は、彼を引き立てた恩人たる王安石を誣告し続ける。

 己の地位と、私物化しつつあった新法党を、王安石に奪われると恐れての事だった。

 そして呂恵卿は、皇帝の怒りに触れ、中央から太原に追われた。

 中央の、新法党の領袖から離れた呂恵卿は、元の優秀さを発揮し、西夏の侵攻を撃退する等した。


 王安石の復権も一年余りで終わる。

 息子の王雱おうほうが若くして死亡し、気力を失った王安石は辞任を申し出た。

 だが、その一年余りで民を苦しめ集金装置と化した各法を元の済民目的に戻し、王珪や蔡確という新たな官吏を育てたのは流石であった。


 二度目の王安石の退場も、まだ新法終了には繋がらない。

 元豊と改元し(1078年)、皇帝親政の形で第二段階の新法政治、「元豊の改革」を行う。

 複雑な官制を簡略化し、人件費を削減する。

 皇帝の資金は、王安石が遺した健全化した新法のお陰で潤沢に有った。


 だが、蔡確による旧法党締め付けも、元豊年間には有った。

 蘇軾が国政誹謗の罪を着せられて逮捕され、厳しい取り調べを受けて死を覚悟するも、皇帝の特別の取り計らいで黄州へ左遷されるに至ったのは、元豊二年の事になる。


 元豊年間は八年で終わり、皇帝はその年(1085年)、三十八歳で崩御した。

 そして、司馬光が東京開封府に返り咲く。

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