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銅銭と軍

 大宋帝国首都・東京開封府にて。

 朝臣たちは皇帝の前で各種報告をする。

 宰相王安石は、朝議が終わった後、邸宅に戻って執務を行う。

 この日、彼は珍しく他の学士を呼んだ。

 蘇軾、字を子瞻、旧法党に属する政治家だ。

 書家、画家、音楽家そして詩人としての才を認められたいる人物。

 後に蘇東坡とも名乗り、東坡肉トンポウロウという美味しい豚肉料理を開発したともされる。

 この時期はまだ首都に居た。

 そして旧法党だが、使える政策ならば使っても良いという急進的ラディカルな面も持っている。

 彼は国が高利(民間の高利貸しと同じ利率三割)で貧農に銭を貸し出し、収穫時に利息を銭または穀物で受け取る「青苗法」に反対なのだ。

 国が高利貸しの真似事をするな、という名目なのだが、その実は既得権益者である既存の民間金融業者との癒着によるものとされる。


 そんな彼に、王安石が書簡を見せる。

「これは?」

「洛陽の涑水先生(司馬光)が送って来た意見書だ。

 意見書よりも参照資料の方が面白い。

 周の時代より続く司馬家の史料とは、貴重なものが見られる」

 蘇軾は食い入るように読んだ。

 一級品の史料なのだ、学が有る者ならば頼み込んででも読みたいもので、それを目にする幸福に浴している。

 適当な所で王安石が声を掛ける。

 放っておけば終日読み耽るだろうから。


 司馬光の意見書では、銭禁、銅銭の国外流出禁令を守り、銭は貯めて軍役に備えるべきだと言う。

「蘇君はどう思う?」

「もっともな意見では有ります。

 ……魏晋の頃ならば」

「やはり君は、魏晋と今の違いに気付いたのだな」

 司馬光は嬉しそうだ。




 慶暦年間(1041〜1048年)、宋軍は総勢百二十万人、中央軍である禁軍は八十二万人に達していた。

 寧夏に興った西夏の李元昊は、契丹族と組んで陝西地方を侵す。

 これに対する動員の結果である。


 三国志の時代、魏は方面軍方式を採っていた。

 征西将軍が必要時に、雍州や涼州の刺史とその兵力を合わせて率いる。

 この方面軍司令官は任期制で、その兵力は中央から連れて行く。

 地方の兵の動員は、各郡の太守が行い、州刺史はそれを束ねる。


 その魏を継いだ晋は、北方民族に倒された。

 やがて中華は北部を異民族が支配し、南部の漢民族を脅かす南北朝時代に移る。

 その中で、かつて魏の曹操が黄巾党残党に農地を与え、開発と防衛を担わせたやり方に習い、地方の農村に兵役も担わせる、土地を失ったり没落した者を国境付近に農地を与えて防衛もさせ、そういう郷兵を束ねる軍府を置く「府兵制」となる。

 更にそれが発達し、広域の軍府を束ね、数州に渡る半独立地方軍司令官「節度使」が出来る。

 この節度使は、西域にまで巨大な支配地域を拡げた唐において、遠隔地を安上がりに防衛するのに役立った一方、軍閥と化してしばしば反乱を起こした。

 唐滅亡後、華北の五代の帝国においても、節度使が国を奪い新帝国を立て続けた。

 その反省から、宋では節度使は率いる兵は一万程度、退役間際の将軍の名誉職に変えた。

 地方に軍閥を作らぬよう、皇帝直属の禁軍が強化される。


 この中央軍が金食い虫であった。

 禁軍は地方の廂軍から優れた兵を引き抜く。

 精鋭部隊となるだけに、給与は高い。

 この維持費の高い軍が、契丹と戦う為に北方に、西夏と戦う為に西方へと遠征する。

 遠征軍が駐屯する、これは地元の農民が自弁して戦う地方軍よりも不経済である。

 更に物資も輸送する必要がある。

 その輸送を宋は、一部の大商人に任せている。

 この輸送についても王安石は改革しようしていたが、その話は置く。


 このような軍には費用が掛かる。

 慶暦年間の西夏との対立時、政府の歳入は銭三千七百万貫、それに対し軍事費は銭で約一千万貫であった。

 銭だけでなく、兵糧はその年の九割五分、馬に食わせるまぐさにおいては十割超え、つまり予算超過だった。

 それが講和条約である慶暦の和約締結で、三割、約四十万人の兵を退役させ、財政は多少健全化した。

 銀五万両、絹十三万匹、茶二万斤を毎年西夏に贈っているが、この程度は安いものだ。


 宋にも郷兵という地方軍は存在する。

 だがそれは遠征能力も、強力な契丹軍や西夏軍を阻止する能力も無い、警備隊に過ぎない。

 三国志の時代の州や郡の兵とは比べられない。

 郷兵の後ろに禁軍を駐屯させれば、市場での揉め事に起因する侵略は減るが、交易での利益も得られず、かつ維持費と輸送に費用が掛かり、良い事等何も無い。




「小生は、どうせ歳幣を契丹や西夏に贈るのなら、余っている銅銭が含まれても良いと愚考致します。

 彼等はこの宋国より茶を買わねば生きていけぬのです。

 物物交換で無く銅銭払いにして取引の問題を解決すると共に、支払いによって取り戻せるだけ取り戻したなら、国の為になりましょう」

「蘇君、私が試験官ならそれでは殿試には進ませんよ」

 王安石は笑う。

 そして、卓に載せていた書簡を蘇軾に渡す。

 それは三国時代に蜀が魏に銭を流した顛末を纏めた史料であった。


 蘇軾は読み進み、驚く。

「宰相殿は、契丹や西夏に銭の毒を呑ますおつもりか?」

「銭の毒とは、まるで商行為を『何も産まずに、物を動かすだけで利を得る悪事』と断じる道家のようではないか」

「ですが、宰相殿は契丹や西夏を、銭によって支配するお考えでしょう」

「半分は当たりじゃな。

 だが半分は違う。

 良いか、今我が国は銭が余っておる。

 銭余りと、銭の偏在が銭荒を起こす。

 故に銭を減らせという涑水先生(司馬光)の言は間違ってはおらぬ。

 無駄に銭が多いと、銭の価値は下がるからの。

 国内は輸送を大商人だけでなく下層民にも任せて銭を与える事で、物や銭の均等化を行う(市易法)。

 それと同時に銭の使用人数を国外にも拡大する。

 契丹、西夏合わせて、我が国の銭を使う民と為す。

 さすれば、燕雲十六州だ寧夏九州だのと、奪った奪われた等小さい、小さい。

 もっと広いものが宋国の下に集う事になる。

 ここは蜀の山奥に在りながら、三国を銭で支配せんと考えた季漢(蜀漢)の気概こそ見習うべし」


(興味深いものだ。

 同じ蜀貨の策を知りながら、片や失敗を今に繰り返す事を怖れ、片や見習うべしと言う。

 この二人の頭蓋の内は、如何様な違いが有るのだろう?)

 自説を語る王安石を前に、蘇軾はそのように考える。


「宰相殿、もしも契丹や西夏に、この晋宣帝(司馬懿)や晋安平宣王(司馬孚)、晋恵帝(司馬師)のような人物が現れたら、如何なさいますか?」

 何かもっと根本的な質問も在るように感じたが、纏っていない為、蘇軾はこの質問を投げ掛けてみた。

「それでも一向に構わん。

 私の考えるところは夷狄の屈服に非ず。

 夷狄を含めた新たな中華の形よ」


(また途方も無い事を言い出した)

 呆れつつも、王安石の妄言を聞いてもみたかった。

 常時実務的な話しかしない王安石だが、詩となると気宇壮大なところもあるのだ。


「季漢のように、魏を敵として見ない。

 敵国を腐らすのでは無い。

 契丹や西夏の者を、内より中華に変えるのよ。

 既に彼等は我が国の茶や米無くば生きられぬ。

 西夏は仏寺を建てる事に忙しい。

 見破られて有力者に制御されようが、構わぬ。

 いずれにせよ宋銭は世界を巡る。

 森林や草原の北の地や、沙漠しか無い西の地等は、宋が直接治めなくても良い。

 彼等が治めれば良い。

 その彼等が宋の銭を国の中で使う、或いは国の更に外に居る者との交易に使う。

 我が宋の通貨が世界で使われる。

 そして銭は巡り、大きな利となって宋に再び帰って来る。

 宋国は世界の中心となる。

 それこそが新しい中華の在り方では無いか?

 これこそ銭を兵とする新しい戦い方では無いか?」


 後の世の言葉を使えば、基軸通貨国となり、周辺諸国の通貨の保証をすると言う事だ。

 だが、これは才人・蘇軾にも飲み込めない気宇の大きさであった。

 毒気に中てられた気になった蘇軾は、話題を変え、討論し、詩文を交換して宰相府を辞した。


 帰路、聞こうとして、その時形にならなかった、心の内に在った疑問が、不意に形になった。


 もしも契丹や西夏の外に、対価等払わぬ、銅銭等要らぬ、必要な物は奪え!という強欲な蛮人が現れた場合、如何するのか?


 もしも無限と思われる宋の銅鉱が、ある日急に銅を生まなくなったら、如何するのか??

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