銅国外流出自由化問題
ここから一気に時代が飛びます。
序章の続き、北宋編となります。
宋の翰林学士・司馬光は、偉大なる祖先の記録を読み終えた。
史家であり、儒者である彼には、祖の解釈に納得出来ない部分も有る。
例えば魏明帝の宮殿建築である。
やはり司馬光には、無駄な宮殿建築は始皇帝や隋煬帝等と同様、暴君の典型的な所業にしか見えない。
王たる者、天下に範たる振る舞いをするべきで、富の再分配等という卑しい事は廷臣がする事なのだ。
だが、そういう些末な部分が問題では無い。
司馬光の政敵・王安石という者は、許し難い事を行おうとしている。
銅の国外流出の禁を解除しようと言うのだ。
銅の流出とは、即ち宋銭を国外に持ち出す事を示す。
この中華帝国は二つの悩みを持つ。
一つは異民族問題、もう一つは銅不足である。
西周が犬戎によって亡され、秦漢は匈奴に苦しめられ、西晋は匈奴によって淮河以北を奪われた。
その後も鮮卑、柔然、突厥という北方民族が中華の地を侵して来た。
この大宋も、燕雲十六州を契丹に占領され、寧夏九州を丹項に奪われている。
宋は契丹族の国・遼(彼等は気分次第で国号を遼としたり、契丹としたりで一定しない)、丹項族の国・西夏(彼の者どもは不届きにも大夏を名乗っているが、認められない)と戦い、勝てなかった。
そこで屈辱だが、銀や絹を与えて平和と、宋が兄であるという秩序を買っている。
だがこれで安定した世が作られているかと言うと、そうでは無い。
国境には幾つかの市が開かれている。
この市では、交換比率で常に対立が発生する。
異民族たちは、馬や毛皮等を持って来て、茶や米と交換していく。
この交換で満足いく茶や米を得られない場合、異民族は実力行使に及ぶ。
時に数百の騎兵が市場を略奪する。
だからと言って市場を閉鎖すれば、更に数千、数万に増やして必要な物を奪い去って行く。
王安石は、物物交換は換算比率が決まっていないから、銭を使った取引を許可せよと言い始めた。
中華帝国悩みのもう一つ、銅の不足も秦の頃から始まる。
秦を強国足らしめた関中の銅は、戦国時代には森林と共に枯渇した。
そこで秦は巴蜀を併合し、そこの銅を得た。
やがて秦を亡し、関中を支配した漢は、銅不足に苦しみ出す。
蜀の銅は減ってはいない。
しかし、人口の増加と、時代が下るに連れて上昇する物価に、銭の製造量が追いつかないのだ。
漢は、秦から引き継いだ半両銭を廃し、もっと銅の少ない五銖銭に切り替え、量を維持した。
この五銖銭は長続きする。
破綻の前に、一度董卓という悪人により、価格が破壊されてしまったからだ。
後漢の霊帝が成した悪しき物価上昇のままだったなら、五銖銭はもっと早くに世から消えていただろう。
董卓による物価無効化と、その後に起こった三国志の動乱で、前漢期に六千万人に達しようとしていた人口は、三国合わせて八百万人を下回る迄に減ってしまった。
(新の王莽期にも減少し、後漢は前漢よりも人口が少なかった)
蜀一国の銭が、三国に行き渡り、物価を制御出来たのも人口が減って、銅不足が一時的に解消されたからに過ぎない。
時代が下り、隋の時代に人口四千五百万人、唐の玄宗皇帝期に人口五千三百万人となる。
そして人口が戻るに連れ、銅不足問題が再び起こる。
唐は、知ってか知らずか、前漢と同じ通貨政策を取る。
銭の銅量を五銖から二銖と四に減らし、これ迄は刻印していた重さを無くした「開元通宝」一文銭を造り、それを通貨とした。
しかし、平和な時代が続くと物価上昇が起こり、一文だった「開元通宝」を十文相当にしようとしたり、唐の通貨政策も混乱する。
かつて呉で起きた銭の消費地偏在(ストロー効果)のように、唐でも地方を跨いで銭を動かしてはならない「銭の移動禁止令」や、貿易では布を貨幣代わりにする政令が出された。
今の銅の国外流出禁止令は、その流れの先にある。
王安石の考えはこうである。
遼も西夏も銅銭が便利であると気付いている。
国内で銅銭を鋳造しているのがその証である。
しかし、鋳造能力の低さから流通には至らず、通貨を作れる事を示す、王(皇帝)の権威を示す記念硬貨に留まっている。
彼等が技量を上げて通貨を作れるようになる前に、我が国の質の良い銅銭を解禁しよう。
確かに銅は宋から北方に流出するだろう。
しかし、遼や西夏との貿易は、宋の黒字である。
彼等は宋の輸出品を買う為に、流出した量以上に支払いで戻って来る。
経済は銭を貯めておく事では無い。
銭が動く事こそ重要なのだ。
歳幣に銭を加えれば、遼も西夏もより我が国の文物を購入するようになり、経済は発展する。
この際、我が国の銅銭が使われている事が重要である。
銅銭と馬、銅銭と毛皮、銅銭と珍品の価格は国内市場で妥当な値となっている。
これは、その時の様子で比率が大きく変動する物物交換に比べ、変動幅が小さく、恣意的ではない。
妥当な価格設定ならば、彼等も無茶な交渉には出ない。
あちらの市場ではもっと高かったから、こちらでもその値で馬を買え、等という言い分も通らなくなる。
物価について遼も西夏も妥当なものと納得したならば、彼等は同じ通貨を使う経済圏となる。
同じ通貨で取引出来る国ならば、もう戦う理由も無くなる。
それだけでなく、遼も西夏も宋の銅銭に依存する事で属国化出来る。
経済を間接的に支配する事で、より宋の宗主国としての立場は強まるであろう。
これは、遼や西夏が通貨として使える銭を作れるようになってからでは遅い。
彼等は物価を自分の手で制御出来るようになるばかりでなく、貿易用銭貨を作り、それと宋銭との交換比率問題が発生する。
貿易用に劣悪銭を作り、同じ一文であると武力をもって脅された場合、例え国境の数ヶ所の市場に限るとしても、そこから我が国の通貨政策は侵食されるであろう。
彼等が気づかぬ内に、宋銭無しでは国が立ち行かぬようにしてしまうのが上策である。
司馬光は、これに対する反論として、祖の記した蜀貨の計の破綻を引用する。
なる程、蜀は良質銭を流通させる事で魏と呉に優越した。
しかし、一度絡繰を見破られたらどうなる?
物価を操るも、有力者を買収するも、文化に耽溺させて弱消化させるも、銭の窓口を一本化させる事で防がれたではないか。
それに、流した銭は結局魏と呉の強化に使われた。
やがて蜀が良質な銅銭を作れなくなった時、自国に流入した銅銭を使って経済を立て直した魏は、蜀を用済みとして攻め滅ぼした。
銭の流出は決して自国を有利にしない。
逆に敵国を利するだけである。
司馬光はこれらを論文として纏めた。
司馬光は現在失脚中で洛陽に在る。
直接、首都・東京開封府の宰相邸に居る王安石と会話等出来ない。
その為、文書にして彼に意見を送る必要がある。
直接会話出来ない以上、自分の意見を連ねた論文だけでなく、説得材料として添付資料も送る。
司馬光は秘伝の司馬孚の日誌や記録を写しにし、引用部分を記す。
この作業にも時間が掛かった。
書き上がった数巻に渡る文書を司馬光は王安石に送った。
司馬光は旧法党、王安石は新法党の主導者である。
だがこの時代の両党派の争いは、極めて理性的で牧歌的ですらある。
対立陣営であっても、任地赴任に対し別離の漢詩を交換したり、意見は無下に否定せずに自分の意見でもって論破しようとする。
宋は「士大夫を言論によって殺してはならない」を国是としている為、政争で敗れても左遷される程度である。
「文字の禍」と呼ばれる、発言や詩一つで首が飛ぶ時代とは違うのだ。
果たして宰相王安石から司馬光に、しっかりと読んだ上で書かれた反論が届いた。
やはり数巻に渡る本文と添付資料とで。




