司馬昭対司馬孚
司馬昭も皇帝弑逆の事実に困惑していた。
「天下の人々、余を何と評せんや?」
司馬昭は群臣を集め、この事件にどう対処すべきか諮る。
誰も何も言わない。
言えずにいる。
ふと見ると、司馬昭が信頼をおく腹心の一人、陳泰はこの場に居ない。
「尚書右僕射(陳泰)殿は?」
聞くと、皇帝の亡骸から離れないと言う。
司馬昭は、陳泰の母方の叔父の荀顗を遣わし、参列を促した。
陳泰は
「変事に遭って泣いてばかりの自分は、平然としている叔父上に及びません。
万事、叔父上に相談為されるが良い」
そう断る。
司馬昭は尚も親族らに説得を命じ、やむを得ずやってきた陳泰は策を問われる。
陳泰は何も答えない。
司馬昭は陳泰を別室に連れて行き、二人きりで相談する。
「玄伯(陳泰)、卿は余に何をさせたいのか?」
密室であり、言葉遣いは朝臣たちの前のそれとは異なる。
陳泰も同じように話す。
「賈充を処刑し、天下に謝罪すべし」
賈充は司馬昭の懐刀であり、失う訳にはいかない。
「余の為、改めて別の算段を立てて欲しい」
「某の口はただこの事を進言する為に有り。
別の手立て等は存じませぬ」
司馬昭は尚も問う。
「有るとするなら、更に重いもの也」
賈充を斬るより重いのは、司馬昭その人を処罰する事になる。
流石にそれは出来ない。
司馬一門だけでなく、陳泰もそうしろと言った訳では無い。
陳泰は改めて司馬昭を見る。
盟主が皇帝弑逆等という悪逆を仕出かしたと絶望していたが、落ち着いて司馬昭を観ると、落ち着かず、皇帝の死に対し何をしたら良いか分かっていない。
「子上殿(司馬昭)、貴方様は真実、陛下を弑す命令を出していませんな?」
「う……うむ……」
「なれば、某が子上殿の代わりとなりましょう」
「何を言われる?」
「魏の臣下はこれより先は必要有りますまい。
某はこの先、賈充奴と共に仕える事、能いません。
子上殿の代わりに陛下にこの先も仕えます」
「玄伯殿!」
「何も言いますな」
その後、司馬昭の元を辞した陳泰は、血を吐いて死んだという。
毒を煽って自死したとも言う。
魏の為、憤死する臣下が居た事に世は少し慰められた。
陳泰に処刑すべしと言われながら、結局有耶無耶にされた賈充は、休む事無く策を練る。
曹髦は悪事を為したから止むを得ず弑逆した。
例えバレバレでも、そのように正当化工作をする必要がある。
それには、皇帝が臣下を誅そうとしたというのは、秩序的に問題無い為、弑逆した臣下が悪者となる。
そこで皇帝が皇太后に危害を加えようとした為、臣下が止むを得ず、という形式になる。
母子の順を乱した悪逆皇帝は、即位以前の高貴郷公に戻され、更に庶人に格下げして葬儀を執り行なう事にした。
その報告をしに郭太后の邸を訪れた司馬昭と、同行した大将軍府長史の賈充は、そこに意外な人物を見る。
太傅司馬孚が郭太后の後ろに控えていた。
「亡き陛下が妾に危害を加える所を、先んじて対応してくれたとの事、まずは大儀であった」
意外な言葉に司馬昭と賈充は驚く。
だが、次の言葉に凍り付く。
「なれど皇帝弑逆は天下の大罪。
これを放置しては国の秩序が成り立ちますまい。
大将軍、如何に?」
「御意……」
司馬昭は頭を下げた。
司馬昭は完全に郭太后にしてやられた。
郭太后は司馬昭の行為に対し、承認を与えて正当化した。
この時点で司馬一門は郭太后の下に置かれたのだ。
魏の皇帝は司馬氏が選んだものであり、擁立に関わった者は皇帝を尊敬しない。
春秋の頃から君を擁立した者は、冊立の功臣として国を支配する。
洋の東西も問わず、大秦なる西方の大国でも皇帝冊立に関わった母親や祖母や軍人が隠然たる権力を持つ。
だが郭太后は司馬一門が選んだ人に非ず。
司馬氏の後見人であり、高平陵の変に引き続き司馬氏正当化をしてくれた。
故に、自ら擁立した皇帝以上に扱いが難しい。
瑕瑾無く彼女を殺す事は、司馬懿以来の司馬氏の正当化をも否定し、そうなるとあの董卓のように全国から攻撃されかねない。
司馬昭は、郭太后が生きている限り、魏帝国簒奪は出来ない。
女性である郭太后に、高度な政治判断が出来たのか?
おそらくは彼女の後ろに立っている一族の長老の進言だろう。
郭太后が魏の生命線となったのだ。
その郭太后に、司馬昭は賈充処刑を迫られる。
司馬昭は賈充は失えないと釈明。
更に賈充本人も、部下が勝手にやった事と説明。
釈明すればする程、司馬昭は郭太后に頭が上がらなくなる。
そして
「分かりました。
賈長史の責任は問いません。
陛下を直接弑した者を処刑しなさい」
「ははっ」
そして、曹髦の葬儀については
「庶人としての葬儀など許しません。
皇帝としては無理としても、王侯の礼で弔いなさい」
「ははっ」
誰某を処刑せよと言われるのに対し、葬儀の礼等最早どうでも良い。
些末な事で争い、妥当な所で彼女の容認という形の許可を貰う度に、自分たちは下に置かれるのだ。
郭太后邸を辞した司馬昭と賈充は溜息を吐く。
「太傅(司馬孚)様には、してやられましたな」
「全くだ……。
叔父上の為に、我等は太后が生きている限り、禅譲を求められん」
「待つしか有りますまい、太傅様と太后が亡くなるのを」
「分かっておると思うが、余の従兄、叔父上の実子の子初(司馬望)殿は、十万の兵を率いて長安に居る。
蜀への備えもあり、あの兵力に手をつけられぬ。
手出しは無用ぞ」
「御意……」
一方の郭太后邸でも司馬孚が太后と話していた。
「此度は其方のお陰で国を守れました。
しかし、次の皇帝陛下を何時までも妾が守れるとは限らぬぞ」
「それはこの老体も同じに御座います。
ですが、力の及ぶ限り、兄と自分とが、武皇帝(曹操)以来支えたこの国を守り抜く所存に御座います」
「この国、魏国の亡国は免れ得ぬかえ?」
「恐れながら、遅かれ早かれ訪れるでしょう。
残念ながら、帝室曹家が藩屏たる力を持っておりませぬ故……」
文帝(曹丕)以来の同族粛清政策で、司馬懿のような異才はともかく、司馬昭と賈充という者から守れる一族も居なくなったのだ。
司馬孚とて簒奪に舵を切った司馬氏の一員、それに老齢。
やれる事に限りはある。
来るべく日の覚悟はして置かねばなるまい。
さて結局、賈充の言葉を信じて曹髦を刺した成済のみが、帝を弑逆した大逆人とされ、法によって一族処刑と決まった。
成済兄弟は罪を不服とし、大将軍府の屋根に上がって、そこから
「確かに我々が陛下を弑した。
だが、我々の一存で然様な大それた事が出来ようか!
賈充奴が後で責めを負わさぬ、責は自分が取るから殺せと命じたのだ!
賈充、出て来い!」
上司にして名門の当主を諱で罵ったが、ついには矢を射かけられて倒されてしまう。
そして成済の三族は大逆犯として族滅となった……。
事件の後始末は続く。
司馬昭の弟の一人、司馬幹も皇帝の襲撃に備えて大将軍府に駆けつけたが、門衛の孫佑という者に阻まれた。
後にこの話を聞いた司馬昭は、孫佑を一族処刑にしようとする。
「皇帝陛下を弑逆したにも関わらず、成済兄弟が処刑されただけで、我等には何のお咎めも有りません。
そうであるにも関わらず、我等が孫佑を重い刑に処しては世間の反発を招きましょう。
荀勖がそう諫めた為、孫佑は免官で済んだ。
恐らく孫佑なる者は「誰も通してはならぬ」という命を愚直に守っただけであろう。
司馬昭の立場なら褒め称えるべきもの、司馬幹の立場なら門衛を斬って急に駆け付けるもの。
この処分は身内に甘い不公平なもの、そう荀勖は考えた。
故に「世間の評判を気にする」司馬昭の心を利用して減刑させた。
曹家の身内を粛清するやり方、司馬家の身内に甘いやり方、いずれが正しかろうか?
理不尽な処分は続く。
曹髦から挙兵の心積りを聞かされたにも関わらず、通報せずに皇帝の元に留まった王経は、一族処刑を言い渡された。
一族処刑ゆえ、農民である王経の母も連れて来られた。
詫びる王経に母親は
「このような事が起こると思ったから、其方を連れ戻すつもりであったのです……」
そう言った後、
「ですが、今度のような事で死ねるなら、なんの恨む事が有りましょうか」
と笑って返した。
王経一族は皇帝に加担した罪で処刑された。
こうして皇帝挙兵事件「高貴郷公の変」は終わる。
呉の張悌は、これで司馬氏への反感で魏は混乱するという大方の意見を否定してこう言った。
「司馬氏は通貨政策等で民を落ち着かせている。
皇帝の死ですら動揺が起こらなかったのが証拠だ」
そして、こう付け加える。
「一方の蜀は宦官に牛耳られて疲弊している。
必ず魏によって征服されてしまうであろう」
と。




