表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/52

魏帝挙兵

 諸葛誕の乱鎮圧後の司馬昭は、順調に最高権力者への階梯を上がっていた。

 乱を鎮圧したその年に相国・晋公・九錫を下賜するという詔を受けるが、辞退する。

 こういうのは受けずに辞退するのが正規手続プロトコルで、この年は一万戸の加増に終わる。

 司馬昭は、司馬師以来の念願に着手する。

 それは蜀貨、蜀が鋳造した五銖銭を鋳潰し、少し質を落として量を増した魏の五銖銭に造り替える事である。

 蜀の銭の計健在なら、それは蜀から良貨を運ばれ、造幣能力の差を見せつけられて、かえって恥と通貨混乱を生むだけだったろう。

 だが、今の蜀は死に体である。

 何が死に体かと言うと、魏に良貨を流す事で銅鉱山の無い魏の通貨政策を肩代わりし、経済を支配する事で安全保障にも繋げるという戦略を理解する者が居なくなった事だ。

 後漢末の通貨大暴落を、超良質銭を発行する事で政権としての信用を培い、信用を元に「百銭に相当する」大銭を発行して経済力を倍増以上にした劉巴。

 その死後、通貨政策を引き継いだ董允と呂乂。

 その貨幣発行能力を、魏への多方面侵攻の一部として考えた諸葛亮と、軍なら都督、司令官に当たる実務担当の郭攸之。

 銭を敵に流しながらも、国の経済に影響を与えさせなかった内政の蒋琬と費禕。

 彼等全てが居なくなった後、陳祗はまだ姜維北伐に理解を示し、経済を壊さない通貨と軍事費捻出をしていた。

 姜維の北伐に反対の後任は、北伐のせいで悪化した経済を改善しようとして、悪手を打つ。

 五銖銭の質を大幅に落として、量を増やしたのだ。

 単純に財力が倍になると考えたのだが、これは通貨の信用崩壊に繋がるし、魏に対して「良貨」を使った遠隔操作の効果を無にするものであった。

 更に陳恣までは抑え込んでいた皇帝劉禅の遊興費が増え出す。

 この費用捻出の為、かつて劉巴が行った「当百五銖」、つまり百銭相当の大銭を大量発行する。

 政府に信用がある状態で、信用を担保にした大銭を少量発行ならば、希少価値プレミアも付いて通用する。

 しかし、大量発行される大銭に有難みは無く、次第に額面では無く重さで取引されるようになる。

 思ったよりずっと経済が回復しない。

 蜀の為政者はお互いを庇い合い、姜維を批判し、どんどん姜維を憎み出すようになっていった。


 蜀がそんな状態だから、司馬昭は安心して通貨の質を僅かに落として総量を増やせる。

 司馬懿、司馬師の頃から蜀貨は必ず司馬一門を通過してから市場に出回るようにした効果も大きかった。

 流通総量を把握してからの鋳造し直しな為、銭貨暴落インフレ信用崩壊ショックも起こさずに、蜀貨を魏貨に置き換えつつ、司馬一門は差額を蓄えていった。

 そして、通貨を発行する者は天下の主、司馬昭の自尊心プライドも満たされる。

 やはり大国魏が敵国に通貨保証をして貰う状況はおかしく、大国の支配者が天下の民の通貨を造るのが正常なのだ。


 蜀貨の信用暴落は、魏の貴族・名門たちの意識も変えた。

 折につき大金を贈ってくれる相手は、敵とはいえ潰したくない。

 しかし粗悪品しか贈って来ないならば、潰してしまって構わない。

 かくして蜀との非戦論は次第に小さくなり、秦嶺山脈の嶮を超えてでも討伐、併合せよと言う意見が取って変わる。


 蜀の命運は風前の灯だったが、珍事が蜀への遠征を延期させる。

 魏の今上皇帝・曹髦が打倒司馬昭の挙兵をしたのだった。




 甘露四年(259年)頃、魏では不思議な噂が飛び交っていた。

 曰く、井戸の底に龍を観た。

 すわ、吉祥?

「吉祥に非ず。

 龍即ち天に昇るもの也。

 天の者が水の底に在るは凶報哉?

 龍は天子の喩え。

 天子が臣下に抑えられ、井の底に封じられしは哀れ。

 天はそう思し召し也」

 曹髦はそのように言う。

 余裕が有れば

「蜀の諸葛孔明は臥龍先生と呼ばれ、時機を得て天に翔け昇った。

 魏にも諸葛孔明に比する臥龍が現れし哉?」

 とでも言ったかもしれない。

 吉祥の龍、臣下に虐げらし天子の姿、水底で機を伺う臥龍、どれも人の心の持ち方で変わる。

 曹髦には余裕が無かった。


 甘露五年(260年)、皇帝は司馬昭排除の挙兵クーデターに到る。

 五月戊子の日(6日)の夜、召使の李昭らに命じて兵を集めさせた。

 そして散騎常侍・王沈、同じく散騎常侍・王業、司隷校尉・王経を召す。

 王沈は曹髦に「文籍先生」と呼ばれ、文学討論を交わす仲であった。

 同様の立場に司馬望と鍾会がいる。

 鍾会は明確に司馬昭の参謀である。

 もし司馬望が洛陽に在ったならば、参集されたであろうか?


 三人が参内すると、密かに詔書を示した。

「司馬昭の本心は、道行く人でも知っている。

 朕、このまま坐して退位の恥辱を受く事は出来じ。

 今日こそ諸卿と共に朕自ら出撃し、彼の者討ちとるべし」


 王経は頭を振って皇帝を諫めて言う。

「恐れながら、重臣たちは皆司馬大将軍に心を寄せております。

 一方の陛下の下には、兵士も武器も有りませぬ。

 斯様に無謀な計が成す筈有りませぬ」


 三人は必死に諫め続けた。

 しかし曹髦の決意は固かった。

「例え死なんとも、何ぞ恐れる事や在らん」

 そう宣言し、皇帝は挙兵の支度をすべく退出する。


 王沈、王業は急ぎ司馬昭の邸に駆け込み、事を通報する。

 王経は元は農家の生まれで、才を認められて官に取り立てられた。

 だが才能を崔林、曹爽、そして曹髦といった者たちに認められていても、王経には甘いところ、弱いところが有った。

 その甘さ、その弱さはいずれ身を滅ぼすだろう。

 そう考えた母親からは官を退き、農民に戻るよう訴えられていた。

 だが情に縛られ、官から身を引いても、再度取り立てられると失敗しつつも働き続けていた。

 彼だけが司馬昭に通報しなかったのも、その情ゆえの甘さからであろう。




 皇帝は召使の李昭、焦伯ら数百を率いて出動した。

 皇帝の手には剣が握られている。

 皇帝に勝算が無い訳では無い。

 後漢において和帝が宦官の鄭衆の力を借りて外戚の竇憲を誅殺、安帝が宦官の江京・李閏らの力を借りて外戚鄧氏一族を粛清、順帝の時代にも外戚閻氏一族が孫程らの宦官によって粛清される等、専横した外戚を少数の宦官が倒しているのだ。

 後漢末の宦官の禍は、この宦官による外戚排除が何度も成功し、皇帝が宦官を信用し切った事に始まる。

 だが、宦官の子孫である曹皇帝家からしたら、少数の側近で何度も強力な豪族である外戚を駆逐出来た後漢の前例は心強いものである。


 そして皇帝の戦いは上手く行きかけていた。

 司馬昭の邸を守っていた弟の司馬伷(諸葛誕の娘を妻としている)は、曹髦の配下に叱りつけられる。

「恐れ多くも、こちらは皇帝陛下なるぞ!

 不忠に成りたくなくば、剣を収めて退け!」

 これに司馬伷は恐れ憚って兵を退いてしまう。


 そこに賈充率いる一隊が到着する。

 皇帝側近は同じ言葉で叱りつける。

 賈充の兵士たちは怯んだ。

 だが、賈充は兵たちを鼓舞する。

「誰がお前たちに俸給を払っているのか、思い出せ!」


 そう、魏の経済は必ず司馬氏を通過する。

 全ての兵士の給料は司馬昭から払われていた。

 兵たちは皇帝に矛を向ける。

 賈充は指揮下の成済に応戦を命じる。

 皇帝自ら剣を抜き、戦わんとす。

 賈充は、

「もし司馬氏が敗北するようなことがあれば、お前たちの家も絶えるのだと」

 と脅す。

 成済は皇帝を殺すべきか捕らえるべきかと問う。

 賈充は迷う事無く「弑せよ」と命じた。

 尚も躊躇する成済に賈充は

「皇帝を弑したとしても、責は儂が負う」

 そう言った。

 成済は矛を突き出す。

 皇帝曹髦は、腹から背まで矛に突き貫かれ、殺された……。




 変事を聞いて、皇帝教育役の王祥が参内し、皇帝の遺体に縋り付いて号泣した。

「斯様な事に成りしは、この老臣の罪也」

 やはり即座に参内して来たのは司馬孚と陳泰だった。

 司馬孚と陳泰は、曹髦の亡骸を腿に枕させ

「陛下を殺させてしまったのは、我々の罪です」

 と泣いた。


 蜀による銭の支配に感づいたのは亡き司馬懿だが、その絡繰の全容を明かしたのは司馬孚である。

 この司馬一族の長老たる老人は、魏の臣下であらんとしている。

 また、創業の功臣・陳羣の子、陳泰もまた魏皇帝への忠義を示した。

 陳泰は征西将軍として、鎮西将軍鄧艾と組んで何度も蜀の姜維や夏侯覇を打ち破った名将でもある。

 老人二人とは言え、群臣に与える影響は大きい。

 その上、司馬孚の実子・現征西将軍司馬望は十万の兵を率いて長安に駐留している。

 敵に回る事は無いだろうとは思うが、司馬昭は一族や側近の中に皇帝派が居て、彼等にまだ気を遣わねばならない事を実感した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ