決行前夜
「明日、決行する」
父にそう言われた司馬昭は、眠れずに興奮をしている。
それでは察知されるかもしれぬ、と無理やりにでも落ち着こうとしていた。
それに対し、兄の司馬師は平然としたものである。
寝所からは寝息が聞こえる。
警護の不寝番が、弟と言えど寝所に通す事も無いから、外から聞くしかないが、それでも前日から全く動じていなかった。
(自分は父上にも兄上にも及ばないようだ)
司馬昭は己の未熟さが恨めしい。
一方、司馬孚は今日も宿直をしている。
使者は司馬孚の元を訪れ、決行を伝達した筈である。
司馬孚はここのところ、ずっと宿直である為、宮中の誰もが執務室と書庫を行き来する司馬孚に気を留めていない。
全く以って彼等の芝居は素晴らしかった。
先年、李勝という男が、荊州赴任の挨拶で司馬懿を訪れた。
李勝は漢中に宗教王国を開いた張魯に仕えた、李休の子である。
生まれは荊州南陽となる。
彼もまた、軽薄であるという理由から先帝により官吏から解任されていた。
だがそれなりに才能はあったようで、地方行政官としては名声を得ている。
曹爽や夏侯玄らとは親しく交友している。
その彼が、荊州刺史に任命されたという。
「慣例で、その一族の本貫地の刺史には任命されないのだが、荊州南陽の男が荊州刺史となるか。
これもまた不思議な事よの」
三互法という後漢以来の慣例を破った李勝へ、司馬懿は皮肉を漏らす。
司馬懿はそう毒を吐きつつも、李勝を客として迎えた。
耄碌し、痴呆を装いながら。
寝所に通された李勝は挨拶する。
「この度、荊州刺史に任じられました」
司馬懿はそれに対し
「并州は異民族の領土近く、気候も厳しい。
体を厭い、勤めを果たされよ」
と言う。
荊州と并州は発音がよく似ている。
「いえ、太傅。
私は荊州に赴くのです」
「なに? そなたは荊州から来たのか?」
「并州ではなく、荊州に行くのです」
「并州からおいでになったのか?」
司馬師が
『父はこのところ、耳が遠くなりました。
願わくば筆談を』
と言って紙と筆を渡す。
それを読んだ司馬懿は
「全く情けない。
おかしな事ばかり申しました、お許し下され。
荊州に赴けば呉と相対しましょう。
くれぐれも気をつけて下され」
とバツが悪そうに言った。
その後、侍女が渡す薬湯も、口から少し零す。
侍女に衣服を着替えされられながら
「自分ももう年を取って、先帝陛下の元に行く日も近い。
長男の子元(司馬師)は夏侯玄殿の妹を娶らせて貰った。
じゃが、不幸にして亡くなってしもうた。
貴方は次男の子上(司馬昭)か三男の子翼(司馬亮)と仲良くしていただければありがたい」
そう頼み込んだ。
李勝はその様子を見て、涙を流し
「太傅には先年の蜀との戦においては大いに叱られました。
あれを励みに私も頑張っております。
御子息とも、私の方から仲良くさせていただきたく、よろしくお願いいたします」
と告げた。
李勝が帰ると、司馬懿はむくりと起きて
「愚蠢が、まんまと騙されおったわ」
と呟いた。
それからの曹爽は、まさに誰かに気を遣う必要も無い振る舞いとなる。
大いに銭を使い、天下の珍品を購入し、日々宴会を開き、詩を詠ませる。
李勝もまた、荊州に自ら赴く事はなく、人をやっているようだった。
度々話に出て来る男・夏侯玄というのは、征西将軍・都督雍涼二州諸軍事を勤めている。
魏の皇室曹家の本家筋にあたる夏侯一族、その出であり、若くして出世した。
生母は曹真の娘である為、曹爽とは従兄弟にあたる。
彼もまた、軽薄であるという理由から、先帝の代では冷遇されている。
しかし、多くの曹爽陣営の者同様、夏侯玄もまた才覚が無い訳ではない。
本人の力量よりも、優れた人物を見つけ、登用する才に長けている。
その人事能力をもって、司馬懿に当時の人材採用法である九品官人法を批判し、中正官の権限縮小を主張した事もある。
この九品官人法は、家を格によって九品に分け、「地方官吏相当の家」や「大臣相当の家」から子弟を採用する制度である。
その家を巡って有能な人材を見つけるのが中正官なのだが、次第に形骸化し
「宰相や将軍は必ず上品の家から出て、下品の家から抜擢される事は無い。
これは中正官が上品の家と結託し、そこからしか推薦しないからだ」
と批判されるようになった。
夏侯玄はこう批判したが、司馬懿は
「実際に下品の家系から優れた人物が出ない限り、その政策は実施出来ないだろう。
無闇に学問も納めていない下品の家に才人を探すより、
上品の家門の評判を聞いて推挙する方が間違いも少ない」
と返した。
夏侯玄は以降、大いに司馬懿を批判するようになった。
古臭い考えを捨てる事が出来ない、新しい事を考えられない「ただの武将」と。
司馬懿は別段、その事を恨みには思っていない。
だが、
(言っている事は確かだが、言っている者にその資格が有るのかの?)
と夏侯玄の人品を疑っていた。
夏侯玄には賄賂の噂が付き纏い、改める風は無かった。
そんな男が人材登用の法について語っても……。
賄賂に弱い征西将軍と、慣例を無視した本貫地を治める荊州刺史、共通するのは敵国との国境を守る役割である事だ。
極めて厳しく自分を律し、敵に付け入る隙を与えずに来た司馬懿は、こういう銭にだらしない輩が国境を守る事を不安視していた。
しかし、今となって見れば、色々と見えて来た。
何晏も含み、彼等はいずれも先帝から疎んじられた貴公子である。
才は有る。
おそらく魏の開祖・武皇帝(曹操)ならば使いこなしたかもしれない。
しかし実際は先帝存命中は左遷・冷遇され、現皇帝の元、曹爽によって中央で権勢を振るっている。
曹爽の権勢は、軍事力と莫大な財に因る。
莫大な財は、よく見ていると蜀の銭によって保証されている。
劣悪な魏の銭では、あそこまでの財力には成れなかろう。
司馬師は何晏と親しくしている。
司馬昭は夏侯玄、李勝と親しくし始めた。
(司馬師の妻は夏侯玄の妹だったが、不仲であり、その妻死後両者はギクシャクしている)
彼等の財が、任地よりもたらされている事を、察知している。
だが、曹爽も何晏も夏侯玄も李勝も、司馬の子たちは自分たちの同類と信じて疑わない。
戦ばかりか、もしくは己が浪費するだけの先帝の世が代わり、新世代の自分たちが世を華やかなように変える。
その同志だと信じ切っている。
旧世代の代表、後漢という古き世の生き残りの司馬懿が耄碌した今、司馬一族をも巻き込んで新たな世を作るのだ!
だが、司馬懿は老いて耄碌などしてはいなかった。
息子や弟たち司馬一族は、表向き人畜無害な様を装い、先帝の治世を批判する事にも頷いてみせる。
しかし、裏では様々な証拠を集め、曹爽一派を打倒する機を伺っていたのだ。
司馬師、司馬昭が隴西や荊州での、蜀や呉からの買収工作の証拠を掴んだ。
尚書令の司馬孚は、そういう事を訴え出た部下からの上申や、賄賂を送ったのに職を得られないという恨みの上奏が握り潰された後を、丹念に調べ尽くした。
もう待つ必要は無い。
そして司馬一族は、曹爽が先帝の陵墓に参拝するとして、高平陵に向かったのを確認すると、決起した。
正始十(249年)正月六日の事である。
中護軍の司馬師は外から、宿直で宮中にいた尚書令司馬孚は内から、宮城の城門を押さえ、内外を鎮撫した。
※三互法:
・自分の出身の州・郡・県には任官できない
→出身地を優遇しないように。ただし、退官間際の人の名誉赴任で「故郷に錦を飾る」は有り。
・異なる州・郡・県の家が婚姻を結んだら、お互いの州・郡・県には任官できない
→婚家の地を優遇する代わりに、婚家に自分の出身地を優遇させないように。
・異なる州・郡・県の出身の二者が、同時期にお互いの州・郡・県には任官できない
→幽州出身の人が冀州に必要があって増税した時、冀州出身の官僚が報復で幽州に増税させないように。
この組み合わせの問題で、後漢末の官僚不足期には赴任させる時に硬直化が起きてしまい
「第三項は無しでもいいんじゃないか?」という意見が出ていた。




