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三国志銭記 ~魏蜀通貨戦争~  作者: ほうこうおんち
最後の三国大戦の章
34/52

序盤戦

 甘露二年(257年)五月、諸葛誕は挙兵した。

 まずは担当地域が重なる揚州刺史・楽綝を襲う。

 楽綝は、建国の功臣・楽進の子で、父の名を辱めぬ武勇の士である。

 先年の毌丘倹・文欽の乱において功を立て、揚州刺史に任じられていた。

 征東将軍府と揚州刺史府は、同じ寿春城内にある。

 同僚として交際は有るのだが、楽綝は油断をしていなかった。

 諸葛誕が盛んに城外の子飼いの兵を集結させている事に疑念を覚え、部将の龐会(龐徳の子)と路蕃に命じ、刺史府の守りを固めさせた。


 その日、諸葛誕が幕僚である宣隆と秦絜を殺害し、そのまま大軍を率いて向かって来ると、偵察からの報が入った。

 楽綝は四方の門を閉めると共に、洛陽に異変を知らせる使者を送った。


「刺史殿、これは如何した?

 四方の門を閉ざし、儂を拒むとは謀反でも企みおるか?」

「征東将軍こそ、斯様な大軍を率いて何と為された?

 敵襲の報は入ってはおらぬぞ」

「なあに、ただ魏国の為に司馬大将軍を討とうと思ってな。

 刺史殿も儂にくみせぬか?」

「其方の方が謀反を起こしたか!」

「謀反に非ず」

「謀反なり」

「謀反とは魏帝室に背くを言う。

 簒奪を企む司馬一統を討つは、謀反に非ざるなり」

「詭弁なり!

 諸葛将軍は兵を率いて天下に騒乱を起こす。

 これを謀反と呼ぶものなり」

「話しても埒が開かぬ。

 此処は押し通るとする」

「させぬ、謀反人とは一戦交える」


 父譲りの頑固さと豪胆さで、楽綝は十万の大軍と会い交えた。

 されど衆寡与せず、楽綝は討たれる。

 しかし、剛勇の龐会は父の遺した剛刀を振り回し、刺史府から脱出に成功、洛陽から援軍が来るまで一隊を率いて戦い続ける。


 一部の脱出こそ許すが、諸葛誕は隙なく寿春を抑え、新たに兵を募り、十三万の兵力で魏領揚州を制圧する。

 そして己の次男を人質に送り、呉に出兵を乞うた。

 ここまでは諸葛誕の想定通りであった。




 計算違いは早くも呉軍出陣前から起こる。

 呉の新たな権力者・孫綝は、呂拠を倒して実権を握った。

 呂拠の派閥に孫壱という遠い皇族がいる。

 孫綝は孫壱を別働隊として荊州夏口に布陣させたが、その裏で朱異を呼び出し、孫壱を討てと密命を出した。


 権力者が孫峻から孫綝に代わった事で、全公主こと孫魯班は焦っていた。

 孫峻と孫魯班は公然と密通し、宮中を牛耳る共犯者であったが、孫綝は孫権長女たる熟女を抱く趣味を持っていなかった。

 そこで孫魯班は、嫁ぎ先の全一族の力を強めようと考えた。

 この遠征の先鋒たる寿春救援隊に、少年皇帝の岳父・全尚は出さないが、全端、全懌、全静、全翩、全緝と一族の大半を加えさせた。

 武勲を挙げれば、全一族の呉における立場は強くなり、その惣領だった故全琮夫人の孫魯班の立場もまた揺るぎないものとなる。


 そして司馬昭一党が予想した通り、文欽・文鴦・文虎父子が先鋒となった。

 文欽は呉への亡命後も、旧領回復しか言って来ず、孫峻はともかく他からはその傲慢さを憎まれていた。

 もう一人、先遣隊には文欽より前に魏から降って来た唐咨が付けられた。

 呉はこのような纏りの無い先遣隊三万を進発させる。




 洛陽からは、やはり三万の兵を率いて鎮東将軍王基、安東将軍陳騫らが進発する。

 この部隊は、戦闘力よりも戦略機動力と工作能力に秀でている。

 鍾会が年上の同僚に語る。

「分かっているだろうが、先遣隊は上手く寿春に入城させる、他の軍は防ぐ。

 出来ますな?」

 王基は東の空を見上げ

「犬と猿を同じ檻に入れる計。

 上手くやるしかないだろう。

 まあ、文欽とは戦わぬよ。

 文欽以上に、あのせがれを相手にすると骨が折れる」


 文欽のせがれこと文鴦は、蜀の猛将・趙雲に例えられる恐ろしい武勇の持ち主である。

 文欽軍を寿春に入城させれば良いのだから、個人の武勇で一戦場の空気を変えてしまう化け物とは、あえて戦う必要が無い。


 かくして揚州に急行した王基軍は、あえて文欽軍ら先遣隊を見逃し寿春入城させると、即座に要害の地に砦を築き、砦と砦を柵で繋いで道を塞ぐ。

 そして呉と寿春を分断する防衛陣地が作られた。

 王基と陳騫は二重の陣とし、寿春からの攻撃にも、外部からの突入にも対処出来る形とした。

 そして寿春に入る食糧を止め、寿春は諸葛誕から見れば籠城戦、王基から見れば封鎖戦の様相となる。

 そんな中、珍事が起こった。




 荊州夏口方面に展開した孫壱の部隊を、密かに朱異の部隊が狙っていた。

 しかし呉軍相討つ前に、密告があり、孫壱は己の危機を知った。

 朱異は、かつて魏に居た時の文欽の偽装降伏を見抜き、逆撃をかけた智勇兼備の将である。

 孫壱は自分が勝てる相手では無いと思っていた。

 そこで孫壱は自分直属の者だけを連れて陣を抜け、そのまま魏に亡命してしまった。

 魏帝らは歓迎する。

 しかし、司馬昭、賈充、鍾会らは渋面となる。

 呉の国内が混乱している事が分かった。

 そうなると呉軍はこのまま兵を退くのではないだろうか?

 彼等の思惑は、諸葛誕を餌に、呉と蜀を天嶮の地から引き摺り出した上で消耗戦を強いる。

 それで呉と蜀の国内経済を疲弊させるのだ。

 その為にも、出来るだけ大戦になって欲しいのだ。

 内乱を理由に国に戻られてしまっては、今後いつまたこのような好機が来ようか?


 この不安を吹き飛ばしたのは鍾会の兄の鍾毓しょういくであった。


「孫壱を追って来たという朱異が、長江を下って呉に戻ったなら、呉が兵を退くやも知れません。

 しかし朱異はその後寿春に向かったと間者の報告に有りました。

 凡人は一度始めた事を、思い切り良く止められず、未練がましく続けるものです」


 鍾毓は、弟の鍾会程派手ではないが、文帝の頃からその才を知られた人物である。

 型破りな鍾会に対し、故事や先例に学ぶ鍾毓は、奇抜な発想は苦手なものの、間違いは少ないとされる。

 嫉妬深い鍾会ですら、兄の言に理が有ると見た。


 かくして司馬昭は、二十万の兵力を率いて出陣する。

 それに先立って、石苞率いる遊撃部隊三万が出撃して、荊州と揚州の中間に居座っていた。

 王基の軍と合わせて総勢二十六万になる。

 この他に西方では、司馬望・鄧艾の部隊が戦時態勢に入っている。


 一方、諸葛誕は自身の十三万に、援軍として入城した文欽父子、全氏一族、唐咨の三万で寿春に篭っている。

 夏口で孫壱を討ち損ねた朱異軍三万が、遊撃隊として寿春の西にある安豊城まで来ていた。

 そして建業では孫綝の軍三万が出撃を待ち、先んじて荊州から陸抗の軍二万が進発した。

 諸葛誕軍十三万と呉軍十一万、合計で二十四万となる。

 やがて漢中から蜀の姜維が三万程度の兵力で隴西に出て来るだろう。

 魏と呉・蜀・諸葛誕連合、それぞれ三十万程の軍を動員し、西は隴西、中央は荊州、東は寿春に至る広大な地域が戦場となる。

 正しく三国志最後の大戦と言えた。


 既に、銭の力という把握しづらい戦力を除いて見ると、魏と他の二国とは差が付き過ぎている。

 諸葛誕軍は本来は魏の兵力であり、文欽軍も魏からの亡命戦力である。

 本来なら魏が四十五万、呉は十万、蜀は三万という比になるのだ。

 諸葛誕が寿春で反旗を翻したからこそ、呉蜀にとって戦力拮抗の機会が訪れたのである。

 そういう意味では、大戦を望んだ司馬昭・賈充・鍾会らにとっても大博打であった。

 これに勝利すれば、亡き司馬懿、司馬師より一段評価の低い司馬昭の名声は一気に高まるであろう。


「一見拮抗した兵力ですが、兵站線の短さから言えば我が方有利。

 それに、寿春は火種を抱え込みました」

「寿春だけでなく、呉の国内は乱れております。

 火種はあちこちにありましょう。

 機を見て我等はそこに油を注ぎましょう」

 賈充と鍾会、二人の参謀の言葉に、司馬昭は心を落ち着ける。

「あとは我等の後ろで、皇帝陛下が余計な事をせぬよう、目を光らせておかねばのお」

「御明察」


 かくして夏までに寿春戦線へは両軍合わせて五十万の軍が集結し、睨み合いとなった。

 そして、蜀の姜維が動く。

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