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幕間:司馬孚と司馬望

 司馬孚は洛陽に戻ると、子を呼びつけた。

 その子は司馬望、亡き兄・司馬朗の養子に入り彼の家を継いだ、司馬孚の次男である。

 本来なら礼に則り、尊属である兄の家の者を「呼びつけ」等にしない司馬孚であったが、今回は事情が違った。


「中護軍(司馬望)殿、よくぞ参られた」

 我が子であっても(あざな)呼びせず、官名を呼ぶ堅苦しさこそ後漢末に育った世代の特徴であろうか。

 そんな実父を前に、司馬望も姿勢を楽には出来ない。


「さて中護軍殿、そなたは陛下の動きを知っておったのか?」


 陛下とは皇帝曹髦の事である。

 曹髦は才気煥発な若者で、討論をするのが好きな、何晏らと同じ新世代の人物である。

 曹髦は王沈を「文籍先生」、裴秀を「儒林丈人」と呼び、東御殿で気楽な討論会を行い、文学論を書いたりしていた。

 その曹髦のお気に入りの一人が天才として名高い鍾会と、この司馬望であった。

 司馬望もまた才能に秀でていた人物で、優れた人物を招いては討論することを好んでいる。

 それ故にか、「司馬八達」の長兄・司馬朗の養子でありながら、文帝・明帝からは重用されず、司馬一門の家督は何時しか次兄・司馬懿の家系に移った。

 その司馬望だが、中護軍という武官の役職にあった。


 魏の軍は、外軍と中軍の二種類がある。

 外軍は、鎮東将軍毌丘倹や征西将軍陳泰のように、その地の兵力を糾合して守る「方面軍」である。

 この創設を訴えたのが亡き司馬朗で、曹操は最初「軍閥化の元だ」と採用しなかったが、蜀・呉が国家としての体裁を整え、単なる太守の守備軍や、首都からの遠征軍、宰相の命に従うだけの将では手に余るようになった為、絶えず将軍職を入れ替える形で中央の統制を外れぬようにし、将軍が刺史や太守を兼任する形で外軍を創設した。

 一方の中軍は、前漢から存在する北軍と南軍の事である。

 曹操はここに自らの親衛隊・武衛軍を追加した。

 武衛将軍として有名なのは曹操の護衛役だった猛将・許褚であろう。

 これら中軍の参謀や、任務部隊の指揮官推薦役が中護軍である。


 司馬望は文官でなく武官で、宮中ではなくその門外に職場が在った。

 曹髦はそんな司馬望に対し、迅速に参内できるよう特別に追鋒車(快速馬車)を支給している。

 それ程に、曹髦と司馬望は親しい間柄であった。


「中護軍(司馬望)殿、卿は陛下の陰謀を存じておったのか?」

 太尉・司馬孚の語調が強くなる。

 太尉は中護軍より上位にあたり、命令とあらば喋らねばならない。




 皇帝の陰謀、それは司馬昭失脚工作であった。

 毌丘倹・文欽を討つ為、外軍の西方軍と中軍が大将軍司馬師の指揮で動いた。

 さらに司馬師が倒れた時、衛将軍司馬昭も都を離れた。

 その時、中軍は皇帝が指揮をし、中護軍や中領軍(中軍の監督官)が補佐する体制となっていた。

 そして皇帝は詔勅を出す。


”衛将軍(司馬昭)はそのまま許昌に留まり、同地を護れ。

 軍は尚書僕射の傅嘏(ふか)が率いて都に帰還せよ”


 司馬昭から軍を取り上げ、その力を削ごうという事だ。

 司馬師死亡の混乱で、彼の部下間の和を乱そうという意味もあった。

 だが傅嘏は陰謀に乗らなかった。

 傅嘏は司馬昭を守り、全軍を率いて洛陽に帰還する。

 半分の中軍では勝てる見込みも無く、皇帝は不快な表情ながら、司馬昭と傅嘏を労った。




「卿は陛下の側近である。

 陛下が然様な企みをした事を、存じておったか、否か?」

 やがて司馬望は喉の奥から絞り出すような声で

「知っていました」

 そう返す。

「浅はかなり。

 衛将軍(司馬昭)が陛下に対し、恨みを持つだけでは無いか。

 それが、儂も恐れる再度の禅譲に繋がりかねん事を、卿は分からぬか?」

「分かっております」

「では何故?」


 司馬望は汗をかき、苦り切った表情で呟く。

「忠義ならんと欲すれば一族の為ならず、一族の為に働かんと欲すれば忠義ならず」

 思わず司馬孚も口を閉ざした。

 司馬望は一族と魏皇室の狭間にいる。

 司馬孚もまた、魏の臣として生を全うせんと思っている。

 息子にとっての「陛下」とは曹髦であり、司馬孚にとっての「陛下」は明帝曹叡であった。

 個人的に親しく、思い入れがあり、裏切る事等思いも寄らない。


 司馬孚は息子に対し

「今日、そなたが言った事は聞かなかった事にする。

 そなたは陛下の陰謀は知らぬ事。

 諫言も共謀も能わなかったものなり」


 頭を下げて父の前を辞そうとした時、急使が司馬孚の元に来た。

「傅嘏殿が亡くなられました」


 皇帝の陰謀で真っ先に道具にされようとした傅嘏、皇帝側からも、司馬一門側からも疑われる立場である。

 司馬孚は思わず、司馬昭(またはその背後の賈充や鍾会)による暗殺を疑った。

「中護軍殿、もしやと思うが、陛下が動いていないか調べよ。

 この件は黙秘は許さぬ。

 良いか、陰謀は失敗しても禍根を生む。

 知っておったら諫めるのが臣たる者の務めぞ」

「骨身に沁みて理解しました。

 再び過ちは繰り返しません。

 されば、これより陛下の元に参内致します故、失礼いたします」




 結局、傅嘏の死は遠征の疲れから来た病死であり、疑わしいのは発病から死亡までが早いくらいなものであった。

 彼と親しかった鍾会が死の直前、見舞いに駆け付けられた。

 他は職務の為、間に合わなかった。

 傅嘏は呼吸が出来ていないようで、紫色の唇となっていた。

 その口から

「士季(鍾会)殿、そなたの野心の強さを案じる。

 程々ならば良いが、そなたの場合は才と同じく極めて大なり。

 身を滅ぼさぬよう、お気をつけなされ」

 そう忠告したと言う。


 傅嘏は四十六歳で死亡した。

 太常の官職が追贈され、元侯と諡された。

 司馬昭の治世は、優れた参謀・軍事指導者を失って始まった。

「忠義ならんと欲すれば一族の為ならず、一族の為に働かんと欲すれば忠義ならず」

は、そんな事は言った記録がありません。

平家物語の

「忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれな忠ならず。重盛の進退ここにきわまれり」

から拝借しました。

司馬望は別の道を進みますが、側近時代はきっとこんなだったろうな、と創作しました。

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