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司馬師の死

 司馬孚の元に急報がもたらされる。

 司馬一族の惣領・司馬師が倒れ、許昌にて治療しているというのだ。

「一体どういう事だ?

 子元(司馬師)は目の治療も良好だし、問題無かったではないか」


 首都洛陽を守っていた司馬昭が慌てて許昌に向かう。

 司馬師の養子に入った司馬昭三男の司馬攸も同車する。




 毌丘倹・文欽の乱は、順調に鎮圧をしていた。

 文欽が楽嘉城で敗れた事を聞いた王基は、項城に攻撃をかけて毌丘倹を城から追い出した。

 ここまでは、かくも順調であった。


 そこから狂いが生じる。

 文欽追撃軍は、度々文鴦による反撃で、勝ち切れずにいた。

 この追撃戦の最中、司馬師本陣が文鴦の奇襲を受けた。

 「趙雲」に例えられた猛将の襲撃に、本営も警戒態勢に入る。

 甲冑を着込み、武具を持とうと力を込めた。


 その時司馬師は、手術痕に激痛が走り、視野が有り得ないものになった事に混乱する。


「将軍閣下!!!!」

 鍾会が叫ぶ。

 賈充が青い顔で

「閣下、左目が飛び出しております……」

 と伝える。

 そして傅嘏が司馬師を寝せ、眼球を元の位置に無理やり収める。

 激痛であっただろう。

 だが、大量の汗を噴出しながら司馬師は

「傅嘏は迎撃の指揮を執れ。

 鍾会は私に代わって軍の作戦を考えよ。

 それを傅嘏に伝え、共に軍を動かせ。

 賈充は情報を集めよ、特に呉のものだ。

 王粛は……我が傍で身の回りの世話をしてくれぬか、私は何も負傷も病気もしていない体で」

 と側近たちに指示を伝える。


 司馬師の病気は眼窩底に出来た瘤、それが悪性化した癌であっただろう。

 瘤自体は若い時分からあり、時々官を辞して休んでいた。

 先日の手術では、瘤を摘出すると共に、変色していた骨を削っている。

 その縫合までは良いのだが、やはり削った分骨は弱くなり、力が入った瞬間に割けて、眼球が飛び出てしまったようだ。


 司馬師から軍の指揮を引き継いだ傅嘏は、危なげなく文鴦の襲撃に対処した。

 元々少数での奇襲が文鴦の戦い方である。

 混乱が収まったのを確認すると、文鴦は深入りせずに兵を退いた。

 この辺の少数部隊の指揮、突入する勇気、駆け引き、引き際の良さが「趙雲に匹敵」と呼ばれる所以かもしれない。


 文鴦の兵を避けて、傅嘏は司馬師の本隊を許昌に撤退させる。

 鍾会は、司馬一族の司馬璉に騎兵八千を、楽綝(楽進の子)に歩兵を率いさせて文欽を追わせた。

 追撃軍から賈充に情報がもたらされる。

 呉軍が現れた。

 文欽を呉軍に合流させまいとしたが、またも文鴦の十数騎での突撃に足止めを食らい、文欽軍は呉軍と合流に成功した。

 

 呉はこの四十日余りの戦いの最中は現れなかった。

 文欽と合流すると、空き地になった寿春を攻撃に向かう。

 呉はあくまでも呉の欲と計算で動き、司馬師の思惑そのままに動く無能者ではなかった。

 司馬師代行の賈充は、諸葛誕を派遣して寿春を守らせる。


 諸葛誕は寿春城に入り、蒋班・鄧艾・諸葛緒に迎撃を命じる。

 彼等は呉の権力者・孫峻の軍を撃破し、孫楞、蒋脩、留賛という呉の武将を討ち取る。

 だが、賈充は考えていた。

(これでは足りない、呉の出費は大した事が無い。

 もっと大きな戦が必要だ)


 文欽軍、呉軍と司馬師の側近たちが戦っている時に、王粛は司馬師の病状を都に報告する。

 そして娘婿でもある司馬昭を許昌に呼んだ。

 朗報が入る。

 寿春付近に隠れ、奪還しようとしていた毌丘倹が、安風津の都尉配下の民である張属という者に討たれたというのだ。

「兄上、毌丘倹が討たれたそうで御座います」

「重畳」

 司馬師はその件についてはそれしか言わない。

「子上(司馬昭)、儂が死んだら後は頼む。

 大猷(養子の司馬攸)はまだ幼な過ぎる」

 司馬昭は慰めの言葉もかけられず、衰弱した兄の言葉を聞き続けた。

「叔父上の調べ物は亡き父上からの頼まれ事にして、魏国の大事である。

 そのまま続けさせてやるように。

 郭太后は我が司馬一族の政治の後ろ盾である。

 あの方は大事にせよ。

 皇帝陛下は……、そなたの勝手にせよ」


 司馬師にも、まだ簒奪の意志は無い。

 まだ状況的に無理だと考えている。

 司馬一族が権力を奪取した時も、皇帝を廃した時も、郭太后が後ろ盾になっていた。

 今や彼女が「魏」であり、彼女が生きている内は反逆はならぬと司馬師は言う。

 しかし、郭太后が死んだ後は、司馬一族は皇帝と直接対峙する。

 廃するも、擁立するも、禅譲させるも、誰かの権威を使う事が出来ず、司馬一族の実力だけで勝負しなければならない。

 そうするには、まだ実績が足りない。


「分かりました」

 その言葉を聞くと司馬師は目を瞑る。

 数日後、司馬師は死亡した。

 享年四十八歳の若さであった。




 司馬師の死後、彼等の一党は揺れる。


 まず司馬一門の中で、跡目争いが発生しかける。

 司馬昭が遺言により兄の後を継ぐ、そこまでは良い。

 だが、何故司馬昭だけが呼ばれたのか?

 三男の司馬亮は野心家であり、そこに文句があった。

 四男の司馬伷の舅は諸葛誕であり、舅から「ではせめて、司馬昭の次を」と言って来る。


 八月、隴西に蜀の大軍が現れた。

 姜維だけでなく夏侯覇も参陣する大軍である。

 司馬師が死に、魏が混乱している時期だけに、罠として人事された王経の存在が今は不安だった。

 果たして王経は、陳泰の命令を無視して姜維に野戦を挑み、数万の兵を失って逃走する。


「狼狽るな、小僧ども!!」

 司馬昭含め、浮き足立っている一族や側近たちを司馬孚は一喝した。

 周囲は驚く。

 温和な老人と見られていたが、若き日には泣きじゃくる当時の魏王太子曹丕の尻を蹴り上げ、傍若無人な曹植を叱り付けた人物なのだ。


「儂が長安に入る。

 衛将軍(司馬昭)はこのまま都に留まりなさい。

 ……先立っての陛下の陰謀、隙を突かれぬ為にも衛将軍は都を離れぬ事だ。

 衛将軍は引き続き、賈充殿、王粛殿を側近に用いて下され。

 賈充殿、それでよろしいな?」


 賈充は、司馬師の養子に入った司馬昭の三男・司馬攸と自分の娘を婚約させていた。

 司馬師の後を司馬攸が継いだ方が、舅として権力を握れる。

 しかし、非常事態に十歳にもならぬ司馬攸では一門は不安である。

 司馬昭が司馬攸成長までの代理として司馬一門の惣領となった。

 賈充には引き続き傍に居させ、司馬昭を補佐させる代わりに、司馬攸擁立は諦めさせる、その為の発言であった。

 賈充も、迂闊な振る舞いは身を滅ぼす事を知っており、ここは従った。


 王粛は娘が司馬昭に嫁いでいる。

 司馬一門惣領代理の舅となる。

 故に司馬孚は、側近として使うが、余計な野心を持たないよう釘を刺した。


「鄧艾を隴西に連れて行く。

 鄧艾であれば姜維に勝てよう。

 儂は大軍を持ち、陳泰と鄧艾の望む所に送るだけとしよう。

 戦の経験の無い儂はそれが仕事じゃ」

 鍾会が自らも行きたそうにしている。


「鍾会殿は衛将軍の参謀として都に居よ。

 蜀は鄧艾で十分勝てる」


 鍾会は、この時吃音で学が無いのに評価の高い鄧艾に嫉妬していた。

「何時かは自分も一軍を指揮する大将、都督と成らん」

 いまだ若造の鍾会は、大軍を指揮するには今一つ実績に欠け、将兵が不安に思うだろう。

 だが自身を天才と信じる鍾会は

(かの諸葛亮は齢二十七にして官軍(曹操軍)の大軍を撃破したというではないか。

 私はもう三十になる。

 才知も諸葛亮に劣らぬ自信も有る。

 何時かは将として評価も得たいものだ)


 彼は己の才を示す相手に、蜀を選んだ。

 蜀は、司馬孚が散々指摘したように、通貨を操って魏に影響を及ぼしている。

 これを奪う事は、己が天下に影響力を持つ事に繋がる。


(それには鄧艾、あの吃音の冴えない男が邪魔だ……)


 鍾会の心に黒い野心が宿りつつあった。

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