後宮の乱れ
郭太后は、先帝曹叡の皇后になって僅か1年で未亡人となった。
その後、彼女はただ先帝皇后、皇太后として朝廷に座していた。
その立場が変わったのが、嘉平元年(249年)に起きた司馬懿による曹爽・何晏派一掃の「高平陵の変」であった。
曹爽・何晏派は、未成年の皇帝の代わりに「皇太后の命」という名目で命令を出していた。
それを利用し、司馬一族は郭太后を実際に担ぎ、その命令を使って曹爽・何晏派を失脚させた。
これにより郭太后は司馬一族を後ろ盾とした実際の権力を持てた。
実際の権力を握った郭太后だが、彼女は政治の事は知らない。
政争に加わる事も無く、天下の民に何かを命じる事も無い。
ただ狭い魏皇室の長として、後宮の主として振る舞っていた。
司馬師は郭太后とは協調路線を採っている。
司馬師は郭太后の為に財を与え、後宮内の事においても協力をする。
代わりに郭太后は司馬師の為に、未成年の皇帝に代わって大義名分を与えていた。
だが、その皇帝曹芳も、そろそろ二十四歳になる。
曹芳には皇后として甄皇后がいた。
甄皇后は、曹丕がかつて敵たる袁紹の次男袁煕の妻を奪った甄夫人の親戚にあたる。
正始四年(243年)に皇后に立てられたが、嘉平三年(251年)に死去し、懐皇后と諡して太清陵に葬られた。
皇后の死後、曹芳は側室の王貴人を側室に立てようとした。
これに郭太后が反対する。
郭太后の命と司馬師の権勢によって、張皇后が立てられた。
だが曹芳はこれが面白くなかったようで、ずっと王貴人の室に行き、張皇后は寵愛されなかった。
張皇后は焦った。
寵愛の無い皇后等、いずれ後ろ盾の郭太后が居なくなれば、廃位されて、下手したら殺される可能性もある。
彼女は父親の張緝に相談する。
張緝は、かつて曹操の下で西方騎馬民族や涼州軍閥を懐柔した張既の子である。
張既は、今や武名轟く鎮東将軍毌丘倹の父の功績を評価し、皇帝に報告した事もあり、両家は仲が良い。
張緝は張既の爵位を継ぎ、それなりに出世していたが、ある日免官される。
娘が皇后に冊立された為、外戚たる者が地方の太守では何かと問題があり、中央に呼び戻されて無職となる。
張緝はこの間、極めて不安そうにしていたが、やがて司馬師に対し何度も何度も献策するようになる。
その内の一つ
「呉の諸葛恪は、まもなく処刑されるであろう」
というのが司馬師の耳に止まった。
理由を聞くと
「威光が主君を脅かし、功績が国中を覆っているからだ」
と語る。
(それは私も一緒だな)
と司馬師は苦笑いするも、張緝の才を認めるようになった。
これだけでは張緝は不満であった。
何故司馬師は自分をもっと重用しないのか?
自分は才人で、かつ皇后の父なのだぞ。
ここで彼は自分が吐いた言葉に思い当たる。
「威光が主君を脅かし、功績が国中を覆っているからだ」
(嗚呼、司馬師は自分の事を言われたものと思い、この儂を警戒しているのだ!)
それどころか、彼は司馬師に命を狙われていると思い始める。
そんな所に、娘から相談が来たのだ。
「主君を脅かす家臣を取り除けば良い。
そうすれば陛下はそなたの功績を認め、そなたを寵愛するであろう」
こうして張緝父娘は司馬一族排斥の陰謀を巡らし始める。
李豊という官吏がいる。
司馬師の信頼を得て中書令を勤めていたが、その実、現在は逼塞している曹爽・何晏派の夏侯玄を尊敬していた。
文帝(曹丕)、先帝(曹叡)の廟を管理する太常という閑職になっているが、夏侯玄は未だ蜀の皇后からの銭貨を受け取る夏侯一族の窓口であった。
夏侯玄は、この立場を不安に感じている。
司馬懿は銭貨に重きを置かず、本人も吝嗇であり、このまま放置されただけで済むだろう。
だが、息子の司馬師・司馬昭はきっとそれでは済まさない。
新世代の政治家の彼等は、貨幣の価値を知るから、いずれ自分を殺して銭貨の窓口を得に来るであろう。
そう思って夏侯玄は逼塞している。
(思えば自分は、目立ち過ぎた。
銭金を扱う者は、もっと存在を知られぬようにせねばならなかった)
李豊はこの夏侯玄を引っ張り出そうとしている。
中書令は後宮に関わる職で、元々は宦官が担っていた。
後漢は宦官の禍で滅亡に近づいた事もあり、魏では普通の男子が任命される。
李豊は司馬師と郭太后の連絡係であったが、その郭太后の擁立した張皇后から相談を受け、そして張皇后の父の張緝と繋がった。
「司馬師を誅殺し、太常の夏侯玄将軍を大将軍として、再び曹氏・夏侯氏の世を取り戻しましょう!」
計画はあっさり露見する。
張皇后の後ろ盾の郭太后は、司馬師の味方なのである。
中継役の李豊が裏切った事は、後宮で起きている事を司馬師に伝える上で難しくはなる。
しかし、曹爽・何晏派の追い落としを狙う賈充が、夏侯玄や毌丘倹、諸葛誕、文欽らを見張っていた。
李豊はこの賈充の監視網にかかり、司馬師への裏切りが露呈する。
李豊を捕らえ、後宮に探りを入れる。
郭太后から張皇后の状況が知らされ、更に父親の張緝が陰謀を巡らした事も発覚した。
「どうやら、太常殿(夏侯玄)にもご退場願う、良い機会が来たようだな」
司馬師は賈充からの報告を聞くと、そう言葉を発した。
司馬師は夏侯威、夏侯和を呼ぶ。
二人とも亡命した夏侯覇の弟である。
「お召でしょうか?」
司馬師は、夏侯玄に夏侯覇・夏侯玄の置かれている状況を説明した。
「今後、蜀よりの銭貨の受け入れはその方たちがするが良い。
また、蜀に居るそなたらの兄への年賀や挨拶の交換を許す。
ただし、得た銭の量については、必ず正しく報告をするように。
そなたたち夏侯一族を我々司馬一族は大事にし、引き続き銭貨の扱いを許すが、これは政治における重要な事ゆえ、決して間違わぬよう頼む」
「御意」
夏侯氏からの銭の経路は、こうして司馬氏に落ちた。
そして李豊、張緝とその子の張藐が処刑される。
夏侯玄はただ担がれただけだが、その裏の役割を奪う為に腰斬の刑に処せられた。
張皇后は追放され、これで後宮の問題は解決する筈であった。
「大将軍、皇太后から使者が来ております」
張皇后が追放された翌月、またも後宮で郭太后が不満を覚える事が起きる。
司馬師は書状を読み、深いため息をついた。
司馬昭、司馬亮、司馬伷、司馬孚、司馬望といった司馬一族の他、最近では賈充も顔を出すようになっている。
「如何いたしました?」
「陛下が皇后を変えた」
「今年は不祥事があった故、皇后冊立は年が改まってからになりましょう」
「それがもう冊立すると勅を出されたようだ。
その皇后は王貴人。
郭太后は我等に対応を任せて来ている」
賈充が
「であるならば、陛下を廃立いたしましょう」
と言い出した。
雑然とする司馬一族。
賈充は語を継ぐ。
「これによって、反司馬の者が挙兵致しましょう。
司馬一族が権力を握る良い機会になりましょう」
「廃位の理由は?」
「皇太后が仰っている通り、成人となっても政治を顧みず、色欲に耽っている、天子に相応しくない、で如何でしょう?」
「それに、現陛下は先帝の実子が絶えた時に、急遽迎えられた養子。
ありていに申せば、どこの誰やら本当の事を知る者ももう居ません。
そもそも帝位に居る資格があるのか、自分には疑問でした」
司馬昭が曹芳の素性についても疑義を呈する。
司馬孚を始め、何人かは「皇帝の廃立とは不逞な企み」と言わんとしたが、そもそもの皇帝に即位可能かどうかの資格まで問われた以上、
「御当主の思う通りにお勧め下され」
としか言えなかった。
九月、皇帝曹芳は元々の地位であった「斉王」に戻され、新たな皇帝が迎えられる事になる。
皇帝廃立において、以下のような理由が付けられた。
「皇帝、春秋已に長し……耽じて内寵を淫し、女徳を沈漫し、日に倡優を近づけ、其の醜虐を縦にし……人倫の叙を毀ち、男女の節を乱す……」




