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青龍二年洛陽の酒宴にて

 青龍二年(234年)正月、蜀の諸葛亮が祁山、呉の陸遜・諸葛瑾が荊州襄陽、同じく呉の孫韶・張承が広陵・淮陰に侵攻する、少し前の話である。

 蜀はここ三年遠征を止めていたが、間者の報告では最近再び兵を動員している。

 この蜀に対し、司馬懿が征西大都督として対応する事は既定となっている。

 この年は呉も蜀と示し合わせて戦を仕掛ける為、この数ヶ月後皇帝曹叡は寿春まで親征する事になる。

 司馬孚は度支(たくし)尚書として、軍の補給を担当する。

 征西大都督の司馬懿、補給の要の司馬孚は、皇帝に誘われて酒宴を開いた。

 司馬懿は部将たち、司馬孚も属僚たちを連れて参席していた。


「尚書は二人目の司馬懿よ。

 朕は名将を二人持った事になる」

 曹叡の言葉に司馬孚は恐縮し、

「恐れ多い事に御座います。

 されど、小職は兄には決して及びません」

 と返す。

「何を申すか。

 戦の要は補給である。

 輜重兵站を軽んじて戦に勝てる事は無い。

 武皇帝(曹操)陛下が纏められた『孫子兵法』も、『兵書接要』も補給の大事さを説いておる。

 のお、大将軍」

「然り。

 されど陛下、『兵書接要』は学無き将に読み聞かせる為に、武皇帝(曹操)陛下が兵法書を抜粋された書物。

 武皇帝注釈の方が為になりましょう」

「大将軍の申す通りだ」


 酒を飲む。

 再び皇帝が口を開いた。

「尚書、兵糧や武器の調達は如何なっておる?」

「順調に御座います」

「朕の聞き方が悪かった。

 最近は高くなったか? 安くなったか?」

「安くなって御座います」

「どうしてそうなったと思う?」

「諸葛亮が我が国への侵略を一度止めたのが三年前に御座います。

 その三年の間、我が国は豊作が続き、税収も良かったと治粟都尉(徴税官)が申していました」

「左様か」

「はあ……。

 陛下に置かれては、何か気になる事でも御座いましたか?」

「気になる、という程の事でも無い。

 近頃は洛陽に、羽振りの良い富豪がいくつも現れておる。

 その富豪が銭金を浪費すると、穀物巾幣は買い漁られ、不足して高くなるのではないか、と思っておった。

 ふん、役にも立たぬ詩文への浪費だけであったか」

 司馬懿はただ頷くだけで何も言わない。

 その傍らの司馬師は、何か思う所があったようだ。


「恐れながら申し上げます。

 詩は武皇帝(曹操)陛下、文皇帝(曹丕)陛下と嗜んでおられました。

 役に立たぬものかもしれませんが、左様にお嫌いになられると……」

「祖父や父の業を蔑ろにするものだ、と申したいのだろう?」

「御意」

 司馬懿が、胴体は正対したまま、首だけ動かして息子を睨む。


「散騎常侍(司馬師)は、何晏めと親しくしておるの?」

「然程親しい、という程ではありません。

 挨拶を交わし、時に贈り物をする程度に御座います」

「詩は?」

「恥ずかしながら、(それがし)は上手くなくて……」

「何晏の詩など、浮世離れしているだけで、面白みは無いぞ」

「何と?」

「朕は詩文を嫌ってはおらぬ。

 朕は真の天才である叔父上を知っておる故、あの上っ面な詩はつまらぬと申しておる」

 そう言うと、曹叡は曹植の詩を口ずさむ。




煮豆燃豆萁   豆を煮るに豆萁(まめがら)を燃やす

豆在釜中泣   豆は釜中に在りて泣く

本是同根生   元は是、同じ根より生ぜしに

相煎何太急   相煎ること、なんぞ甚だ急なる?




 魏王位を巡る兄弟相克で殺されそうになった曹植の、悲しみの詩とされる。

 だが曹叡は笑う。

「これは本当はこのような詩じゃ」




煮豆持作羹 漉豉以爲汁

萁向釜下然 豆在釜中泣

本是同根生 相煎何太急




「豆を煮て(あつもの)を作り、それを発酵させて豆豉(ドウチー)にした後、して以って汁と為す。

 ふふふ、これは豆料理の作り方(レシピ)なのよ。

 叔父上は、一見しおらしく振る舞って見せたが、その裏に料理の作り方を織り込んだ。

 文皇帝(ちちうえ)は気づかなかったようだが、朕には分かった。

 曹植(おじうえ)は別段嘆いてなどおらぬ。

 七歩の内に詠めと言われたから詠んだまでで、その中に『これが判るか?』と挑発をもしているのだ。

 朕にとって詩とは、このように心の内の志や気概を吐くものであり、浮世離れした空想を謳うものではない」


 司馬懿も、司馬孚も、司馬師も司馬昭も、皇帝が詩について意外に詳しい事に驚いた。

 全く興味が無いとばかり思っていたからだ。

 だが皇帝が言うには、父にも祖父にも、ましてや叔父には全く及ばないから詠みたくないという事だ。

「真に才能がある者が詠めば良い。

 それも建安の頃のように、仕事の合間にな。

 詩の為の詩会を行い、先人の形ばかり真似る事に何の意味が有るか、朕には分からぬ」


 建安の頃の詩人たちは、曹操の秘書であったり、軍事書記官であったり、最高位の孔融は朝廷に仕えていたりしていた。

 曹叡自身が遠ざけたとは言え、無官や微職の者が、詩会や音楽会ばかりを開き、酒を飲んでばかりいるのに苛立っているのが周囲には分かった。




 話が替わる。

「宮殿を造る必要がある」


 曹操は献帝を庇護した後、荒れ果てた洛陽から許に移した。

 許は戦時の都として機能した。

 その後、曹操自身が魏王に任じられると、彼はぎょうに銅雀台という宮殿を造る。

 そして曹丕が禅譲されて皇帝になると、都は再び洛陽に戻った。

 曹丕はその治世六年の大半を、粛清人事か外征に使った。

 それを継いだ曹叡も、諸葛亮の侵攻の為に、これまでは宮殿どころではなかった。

 洛陽には仮の皇宮しかなく、官庁も後漢のものを再建したものを使っていた。

 魏はまだ、漢のお下がりの都を使っている状態である。


「新しい世に相応しい宮殿を造るべきだという声が出ている」

 酒を煽った後、曹叡は語を継いだ。

「だが、朕はどのような宮殿が良いのか、まるで分らぬ。

 武皇帝(おじいさま)は銅雀台を建てる際、自ら筆を持ち、絵図を書いて大工どもに示したというのにな……」

 司馬孚は思う、あの曹操(チート)と比べたら、大概の人間は才無きに悲しむ事となろう。


「どのような宮殿になるかは分からぬが、宮殿造営が民の為となる事を望む。

 洛陽の宮殿は、武皇帝の悲願だとも聞き、文帝が生涯をかけた皇帝の権威をあまねく天下に知らしめる事業となろう。

 故に漢の相国蕭何が高祖の宮殿を造った際、壮麗であった為に浪費を批判されると、

 『壮麗に非ざれば重威無し』と主張したそうだ。

 朕にもこの故事に倣うべきと申す廷臣が多い。

 大将軍、度支尚書、如何に思う?」

「一理は有りましょう」

「ですが、蜀との戦次第ですな。

 天下あまねく権威を示す必要はありますが、その為に軍費をも宮殿に費やし、戦に負けたら本末転倒でしょう」

「それもそうだ。

 宮殿は必要と思うが、まずは戦を終わらせる事だ。

 大将軍、度支尚書、まずは戦を乗り切ろうぞ」




 司馬孚が記憶を辿るに、この時期の皇帝に浪費の気配は無く、頭脳は聡明であった。

 この時点で、宮殿建築の銭金が敵国からもたらされている事と、皇帝が嫌う者たちが、同様に皇帝を嫌っているという事に気付く者はいなかった。

曹植の詩通りに料理すると、呉汁が出来るそうです。

この呉汁の「呉」は擂り潰した大豆を意味するので、三国志その他の呉国とは無関係だそうです。

豉こと豆豉(ドウチー)醤は、多分今の真っ黒なペーストではなく、そら豆の形が残ってる弱発酵のものだと思います。

秦の時代にはもう存在した発酵食品です。

甜麺醤も紀元前から有る感じですが、豆板醤は今から二百数十年前に四川省で出来たと新しい為、麻婆豆腐はその頃まで待たないと作れません。

(なお、鹹水を使った中華麺は北宋代からなので、司馬光(子孫)は食べたかもしれませんが、司馬孚(先祖)の頃は存在していません)

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