幕間:司馬孚の感慨
司馬孚は、若い時を思い出し、思わず目に涙を浮かべていた。
若く、誰もが血気盛んだった。
曹操が死んだ後、後継者の曹丕は父の遺体に縋り、大声で泣いていた。
司馬孚は号泣する曹丕の尻を思いきり蹴った。
驚く曹丕に、司馬孚は
「見苦しい!
殿下は天下の規範となるべきお方、小人の礼は取られますな」
と一喝する。
曹丕はあっさり泣き止み
「叔達の申す通りだ」
と平常に戻る。
司馬孚は群臣の方を向き、
「君たちも同様だ。
泣いている暇等無いのだ」
と叱咤した。
そこに兄の司馬懿が入って来る。
「先王の葬儀について、殿下と話し合いたい」
その表情は
(こんな粗末な葬儀でいいのか? 責任持てんぞ)
というものであった。
結局、霊帝に始まり、董卓が破壊し尽くした漢の経済は、二つの方法で立て直されている。
一つは曹操が行った「銭を利用しない」社会を作る。
もう一つは劉備(実際には劉巴)が為した、良貨を造って通貨の信頼を回復させる方法。
前者は誤りとは言い難い。
霊帝の治世で借金塗れになった民を解放するには、銭の価値を無くするのが最善の手なのだ、少なくとも貧民には。
そして貧民に国が土地と道具を貸し、物を生産させ、物と物で交易をさせる。
この過渡期を経ずに、いきなり良貨を持って来ても民は相変わらず借金に苦しみ、私財である道具や牛馬や土地を手離しただろう。
それに比べたら、銭は不足したとは言え、江南や荊州、蜀の地は没落農民は少ない。
ここには銭の信頼回復で十分だったかもしれない。
(そう考えると、劉備も孫権も狡いな。
最も多くの民の貧困解決を武皇帝(曹操)に押し付け、自らはそういった害の少ない土地に国を建てたのだからな)
司馬孚は思考を次に進める。
これより後は、父・司馬防や兄・司馬朗の記録や日誌ではなく、兄・司馬懿や自分の記録や記憶で辿らねばならない。
山奥の小国・蜀、そこの丞相を称した諸葛亮。
彼の遠征についても調べねばなるまい。
幸いというか、曹爽を誅殺するに辺り、彼の家の書類も入手出来た。
つまり諸葛亮と対峙した大将軍曹真の日誌等である。
諸葛亮の戦いには銭の裏付けがある。
その財政が許す限りでしか遠征していない。
だが、それだけであろうか?
何か裏は無いだろうか?
司馬孚は、降伏した蜀の将たちを訪ね、蜀の国内の人士について調べる事とした。




