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通貨政策は魏の一人負け

 漢帝国は皇族や功臣を諸侯として封じ、領土を与えた。

 その諸侯が与えられる領土の最大のもの、王国という。

 かつては韓信や黥布といった建国の功臣が王となり、王国を支配したが、すぐに粛清された。

 死に望んで漢の高祖・劉邦は「劉氏以外が王となれば、これを潰せ」と群臣に遺言する。

 一時、高祖皇后の一族呂氏が王となったが、滅亡し、劉氏のみが王位を得た。

 その劉氏の王も、呉楚七国の乱で中央と争い、戦後は無力化される為に領地は細分化された。

 以前は数郡に渡る広大な領土であったが、乱後は一郡程度に縮小される。

 漢が一度滅亡し、再建された後漢においても、王は存在した。

 しかし国は数県から一郡程度のもので、かつての広大な諸侯王国と比べ、見る影も無い。

 王国と郡はほぼ同規模、そこの行政官を、郡の場合は太守、王国の場合は相と呼んだ。


 曹操は魏王となった。

 この魏王国は、ほぼ漢帝国と重なる。

 諸侯王というより、次の皇帝となる段階の一つで、次の国号と帝室であると周囲は見ていた。

 だが、魏王曹操は自ら帝位に就こうとはしなかった。


 意識していない事は無い。

 彼は

「自分は周の文王たれば良い」

 と言っていた。

 文王こと殷を亡ぼした武王姫発の父、西伯姫昌。

 つまり曹操は、息子の簒奪を容認し、自分はその父で在りたいと言うのだ。


 曹操は多才な人物である。

 自ら詩を詠み、詩の文体について改革し、新しい酒を造り、建築の設計図を引き、都市計画をし、色んな人物の勝手解釈や加筆でどれが本物か分かりづらくなっていた「孫子兵法」を研究して注釈をつけた「魏武注孫子」を現わし、その基本部分を抜粋して部下の教育用基本教科書「兵書説要」を書いた。

 北に走って攻めた異民族より乳製品を得て食べたり、南に攻めた時はやはり異民族の生魚料理を食して腹を壊す。

 兎に角、自分で何でもやってみたい。

 そして、人材を愛した。

 ここに息子の曹丕との違いがあっただろう。


 皇帝となった曹丕は、芸術品を得たし、詩会を催した。

 皇帝となるのを拒否し続けた曹操は、芸術品を生み出す芸術家を探し出して世に送り出し、詩会に参加し得る詩人を探しに、噂一つで山屋を探し、隠れているなら「山に火をつけて追い出して」世に知らせた。

 後に形骸化を指摘される陳羣の考えた九品官人法も、曹操の頃は

「中正官(人材発掘官僚)には、家に立ち入ってまで才能を探し出す権利を与える。

 無闇に探せって言っても困るだろうから、担当する職と家格の目安を作っておく。

 だから、宰相級の人間が育ちそうな家なら、草の根分けてでも見つけて、儂の元に送って来い!」

 と言った感じのものだった。


 こんな多才で、人材好きな曹操は、通貨政策では誤ってしまった。

 否、劉備に遅れを取ったのだ。

 彼は分かってはいた。

 しかし、あれだけ多芸な曹操の人材収集の中に、銭鋳造の名人と貨幣政策の専門家は居ない。


 曹操の祖父は大宦官の曹騰で、銭というのは集まって来るものだった。

 豪商出身の父・曹嵩も銭は扱うものであり、犯罪者のように偽鋳するものでは無かった。

 曹操はそんな家出身だったからか、使い方は真に見事であった。

 使うのも貯めるのも、投資するのも回収するのも得意だったが、ただ一つ「銭を造る」事はしなかった。

 本来その必要は無かったのかもしれない。

 それ程、漢の通貨・五銖銭は完成度が高かったのだから。


 それが霊帝による銅臭政治で地方から枯渇し、中央に過剰に集まった銭は董卓によって悪貨に改鋳された。

 曹操という天才は、今まさに品質が向上している布に目を付け、布を貨幣代わりにする事を認める。

 それだけでなく市場での穀物・牛馬の取引を許可し、貨幣の混乱を無かったものとした。


 この現物経済にも弱点はある。

 現物は、価値が不変である為、それ以上の価値を持ちにくいのだ。

 銭は、そこに国の信用がある事で、一銭が米一斗にもなれば、もっと多く十斗の価値を付けたりする。

 魏は中華の大半を抑えた大国、そこにある現物だけで十分な国力になる。

 しかし、魏の僅か五分の一、人口はもっと少ない蜀は、貨幣の信用を取り戻し、大銭を造る事によって現物による国力に十倍する経済力を持ってしまった。


「これでは玄徳(劉備)めの吐き出す銭を有り難がる事になるわ」

 曹操は、蜀で発行された銭を見て残念がった。

 蜀と漢中は、劉備と曹操が争う以前から、劉焉・劉璋親子や張魯による半独立をしていて、中原が混乱すると官の造幣所を自らの為に使い、中央に渡さなかった。

 曹操もまた、董卓に倣って銅を集め、新たに自分の五銖銭を鋳造しようとした。

 しかし銅の量の絶対的な不足、そしてかつての官の造幣局員は蜀の銅山近くに居て、彼等を丸ごと召し抱えた劉備の為に、質の良い銭を鋳造する事に失敗する。

 無理して魏の五銖銭を作っても、また通貨の信頼崩壊を生むだけだ。


「儂にとって、銭とは入って来るものであり、使うものであった。

 これは江南の小倅(孫権)めにとっても同じであろう。

 欲しい時にはそれが有る、使ったら成果が上がる、それを売れば銭などいくらでも取り返せる。

 家が豊かじゃった儂や、豪族どもが出資する小倅(孫権)と違い、玄徳(劉備)は銭にはうるさいだろうなあ。

 玄徳は何度か儂の下に居た事も在ったが、兎に角蓄えが無かった。

 彼奴にも商人がついてはいたが、彼奴自身が放浪の将で、銭を活かす術は無かった。

 だからかも知れんな、儂が鶏肋、味は有るが肉は無いと見た痩せた土地が、玄徳めには宝を吐き出す山に見えた。

 だから打って出て戦う事もせず、ひたすらしがみ付いていたかもしれぬ」

 そして嘆息する。


「銭については儂の負けじゃ」


 もっとも、孫権にしても負けてはいないかもしれないが勝ってもいない。

 長江沿岸にも銅鉱はある。

 呉も銭を鋳造する能力はある。

 しかし、蜀程の品質の良さは無い。


 現在、魏と呉は蜀と敵対している。

 蜀という、かつては天下全てに銭を供給した地域から、銭が入って来ない。

 鋳潰されずに残った後漢の五銖銭や、せめてもの董卓五銖を銭貨として使う事を余儀なくされている。


 曹操には色々先の事が見えていたようだ。

 しかし、最早彼には時間が無かった。

 孫権が関羽を倒した後、曹操も倒れた。

 彼は死病であると悟る。


「銭に関しては、分かる者に任せよう。

 そうでなくても、この魏の実体としての国力が有れば、十分に戦えよう」


 そして曹操は、自分の死後の副葬品について命令を出していった。

 金銀宝飾品は不要、身の回り品だけを入れよ、と。


 彼は洛陽において、皇族や歴代皇帝の陵墓が董卓によって暴かれるのを見て来た。

 仮に暴かれなくても、銭とはそれを貯め込むよりも使う事で、流通させねば意味が無い。

 ただでさえ少ない銅銭を埋めて死蔵する事について、彼は意味を見出さなかった。


「あ、その兵法の研究書は一緒に入れてくれぬか?」

「分かりましたが、何故でしょう?」

「死んだら読む事も出来ないのにな、全く正論じゃ。

 じゃが……」

 曹操は声を潜める。

「これは誤訳をしてしまった。

 恥ずかしいから後世に伝えたくない。

 お主も、過去に嫁に書いた恋文・艶書等を晒されたら恥ずかしかろう?

 これは儂があの世に持っていくから、読むべからず!!

 良いな!!」


 こうして息子によって、希望の文王・武王の関係とは逆に、武帝と追号された曹操は、魏の国における貨幣鋳造を部下たちへの宿題にして、この世を去った。

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