表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/19

8.ヴァルター伯

 朝食を終えたロズリーヌとクラースは今、馬車に揺られていた。

 ことは数刻前。王宮内でロズリーヌが刺客に狙われたことから、王宮内にいるのは危険な可能性があるということでクラースがロズリーヌを外に連れ出したのだ。


「よろしかったのですか?」

「グスタフのことか?」

「はい」


 クラースはロズリーヌを抱え半ば強引に王宮を出てきた。その際、グスタフの顔は般若の如き恐ろしい顔をしていたのだが、クラースは素知らぬ顔でランナルとアイナだけをお供に連れて来た。


「帰ったら雷が落ちるだろうな」


 公務を放って出てきたのだ。グスタフの怒りは如何程か。当の本人は怒られ慣れているようで笑って言うだけだった。


「王事も大事だが、民草の現状を知ることが何よりも大事だ。王宮に詰めて話を聞いて現状を知った気になっていては、民の本当の心の声を聴き逃してしまう」


 オニキス王国に来てまだ二日目だが、クラースは良き王様であるとロズリーヌは確信した。

 ロズリーヌが嫁ぐ際に公爵家から大量の食糧が送られている。朝食にその食糧が使われることは無かった。では、その大量の食糧は何処へ行ったのか。

 王宮を出る際、王門に大量の人集りが出来ていた。そこでは炊き出しが行われていたのだ。


「ロズリーヌ。君がオニキス王国に来てまだ二日だが、既に君はこの国にとってかけがえのない存在だ。君の家から送られた食糧のお陰で、当分の間、城下の人々に炊き出しを続けることができる。そして、何より五年ぶりに降った雨は、民にとって最大の希望となった」


 クラースの穏やかな声に、ロズリーヌは胸を熱くした。身内以外に自分の存在を肯定されたのは初めてだった。

 煙たがれ、近付くことも存在することも忌諱され続けたロズリーヌにとって、彼の言葉は彼女の存在意義を見出す言葉であった。


「カリーネやノーラたちは大丈夫でしょうか」


 思わず涙が溢れそうになるのを必死にこらえ、ロズリーヌは話題を逸らした。

 護衛に連れてきたのはランナルとアイナのみで、カリーネやノーラはお留守番だった。刺客に狙われたのがロズリーヌ自身であったとはいえ、彼女たちに被害が及ばないとは限らない。


「心配しなくても、彼女たちは大丈夫だ。刺客とはいえ、簡単に手を出せる相手ではないからな。それに、今日中に刺客は捕まるだろう」


 ロズリーヌは彼の言っている意味がわからなかった。

 刺客を捕縛することについて、まるで予言でもするかのように確信を持って言うクラースの様子に、彼女は不思議に思った。


「トカゲの尻尾切りだな。刺客は本当の黒幕を知らないだろうし、刺客を捉えたところで得られる情報もない。下手に刺客を逃がせばそんなことが出来る家柄であることの証明にもなるし、今回の刺客は様子見で送られたものだろうな」


 ランナルが分かりやすく補足するように言った。


「カリーネ様は陛下の乳兄弟であり、グスタフ様の婚約者ですから、彼女に手を出すような愚か者はいませんよ。それに、ノーラも先代国王の弟君の三女ですから、誰も彼女に手出しできる者などいませんわ」


 アイナも続けて、冷静に言った。

 ロズリーヌはアイナとランナルの言葉に少し驚いた表情を浮かべた。彼女の周りの人々の立場を改めて認識した瞬間だった。


「カリーネが陛下の乳兄弟で、ノーラが先代国王の弟君の三女…」


 ロズリーヌは呟きながらその重みを噛み締めるように言った。


「そこのアイナに関してはランナルの妹だぞ。ランナルとアイナの家系は代々武人の家系でな、女人でも護身術として武術を習いそこらの男性よりも強い」


 クラースの言葉に、ロズリーヌは再び目を見開いた。


「アイナが…ランナル様の妹で、しかもそんな家系の出身だったなんて…」


 いつも穏やかに微笑み、気配り上手な侍女という印象しかなかったアイナの新たな一面に、ロズリーヌは驚きを隠せなかった。


「私たち兄妹は、陛下をお守りするために武を磨いて参りました。ですので、ロズリーヌ様の護衛もお任せください。」


 アイナは柔らかく微笑みながらも、その眼差しには確かな覚悟と強さが宿っていた。


「そうだったのね…皆、私なんかよりずっと立派な人たちばかり…」


 ロズリーヌは彼女たちの強さと忠義、そして誇り高き立場を改めて理解し、少し気後れするように俯いた。


「だからこそ、誰も手出しできない。カリーネも、ノーラも、そしてアイナもな」


 クラースの言葉は穏やかでありながらも、まるで彼女たちを守る盾そのもののように感じられた。

 そして、何より彼が信頼する者たちを自分の侍女として付けてくれた事に嬉しく思った。

 暫くして馬車が止まった。


「着いたか」


 御者によって馬車の扉が開かれた。目の前には立派な建物が建っていた。


「筆頭貴族のヴァルター伯爵家だ」


 その名を耳にした瞬間、ロズリーヌは思わず息を呑んだ。王国の中でも特別な影響力を持つ家の名に、彼女は圧倒されるような威厳を感じた。

 ヴァルター伯の名は、王国の内外にその名声を轟かせている。政治や軍事だけでなく、経済や文化の面でも強大な影響力を誇り、他国の貴族や王族からも一目置かれる存在だ。

 目の前に広がる荘厳な館はその権威を象徴するかのように、凛とした空気を纏っていた。しかし、よく目を凝らすと、所々に手入れが行き届いていない場所が散見される。

 窓枠の塗装は剥げ、庭園の草木は枯れている。立派な外観とは裏腹に、微かに感じる寂れた雰囲気に、ロズリーヌは違和感を覚えた。

 栄華を極めた名家も王宮で見たものと同じく干ばつによる影響を受けていたのだ。


「見た目に惑わされるな。この館の威光は今もなお、王国を動かすほどの力を持っている」


 彼の言葉は、まるでこの場所に宿る誇りを守るかのように力強かった。

 ロズリーヌはハッとして顔を上げた。目の前の館は、ただの建物ではない。威厳と歴史、そして権力を内に秘めた場所なのだ。

 彼女は改めて背筋を伸ばし、ヴァルター伯爵家の扉へと足を踏み入れた。

  重厚な扉が軋む音を立てて開いた。そこには初老の男性と少女が立っており、来客者を待っていた様子だった。

 銀髪をきちんと整え、品のある佇まいを見せるその男は、威厳と温かみを兼ね備えた眼差しでクラースを見つめた。


「最近は立派な王になられたと感心していたのだが。また王宮を抜け出してきたのか? 陛下よ」

「ヴァルター伯には何でもお見通しだな。だが、今回はちゃんと理由があっての来訪だ」


 そう言って、クラースは気心の知れた相手に対するように柔らかい表情を見せた。

 ロズリーヌはその様子を見て、彼がどれほどこの場所と、この男に信頼を置いているのかを感じ取った。


「それはもしや其方のお嬢さんがその理由とやらかな」


 ヴァルター伯はロズリーヌに視線を向け、穏やかな笑みを浮かべた。だが、その瞳には鋭い洞察力が宿っている。

 ロズリーヌは一瞬たじろいだが、すぐに背筋を伸ばし、礼儀正しく一礼した。


「この馬鹿王め。また来たのか。今度はお父様だけでなくお爺様も王都へ連れて行くきか!!」


 ヴァルター伯の隣に立っていた、齢六、七歳ほどの女の子がクラースに向かって勢いよく飛びかかり、その小さな足で思い切り蹴りを入れた。

 クラースは予想外の攻撃に一瞬よろめいたが、すぐに苦笑いを浮かべた。


「痛ってぇな、レイナ。相変わらず手加減ってものを知らないのか?」

「だって、クラース兄様が悪いんでしょ! お父様を王宮になんか連れて行ったから、お父様は死んだんだ!あんたがお父様を殺したんだ!」


 レイナの言葉は、鋭い刃のようにクラースの胸を刺した。

 その幼い瞳には、悲しみと怒りが入り混じった感情が滲んでいる。


 クラースは一瞬、言葉を失った。

 レイナの父、先代ヴァルター伯は、クラースの要請で王宮へ赴き、国を豊かにするための政策に尽力した。

 干ばつによる飢饉が続く中、少しでも民の暮らしを良くしようと、王宮に留まり、昼夜問わず働き続けた。


 だが、その疲労と栄養失調が重なり、先代ヴァルター伯は帰らぬ人となった。

 レイナの母もまた、彼女を産んだ後の体調が思わしくなく、飢饉の影響も重なり亡くなっていた。


「レイナ、それ以上言うな」


 ヴァルター伯――レイナの祖父が、低く震える声で静止する。

 彼の瞳にも悲しみが宿っていた。

 最愛の息子を失い、幼い孫娘を抱えて今も必死に家を支えている。


 だが、レイナの怒りは収まらない。

 拳を握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でクラースを睨みつけた。


「お父様は、私を置いて死んじゃった! あんたのせいで!」

「……レイナ、俺は…」


 クラースは俯き、悔しさを噛み締めた。

 彼がレイナの父に助けを求めたのは事実だ。

 そして、その結果として彼を失ったのもまた、紛れもない事実だった。


「クラース兄様なんて…大っ嫌い!!」


 叫ぶように言い放ち、レイナはその場から駆け出していった。

 ヴァルター伯は悲しげな表情を浮かべ、逃げていく孫娘の背中を見つめていたが、追いかけることはしなかった。


「…済まないな、クラース。あの子も、まだ現実を受け入れられないんだ」

「謝らないでください。俺のせいであることに、変わりはないんですから」


 クラースは深く息を吐き、顔を上げた。

 その目には、王としての責任を背負う覚悟が宿っている。


 ロズリーヌは、何も言えずにその場に立ち尽くしていた。

 目の前に広がる痛みと悲しみを前に、自分にできることがあるのだろうかと、胸が締め付けられるような思いを抱いていた。


「昔はクラースによく懐いていたんだがな。王宮へ行くことを選んだのは息子の判断だ。レイナの未来を考えてのことだったが、幼いレイナにとっては自分よりも仕事を取ったのだと思い込み、アレクサンドルを連れていった陛下に怒りをぶつけているのだろう」


 ヴァルター伯は遠い目をしながら、静かに語った。


「アレクサンドルは家族思いの男だった。特にレイナには甘かったからな。だからこそ、あの子に貧しさを味わわせたくないと必死だったのだ」


 その言葉に、ロズリーヌは胸が締め付けられる思いがした。

 レイナの幼い心に刻まれた喪失感と悲しみを思うと、何とも言えない感情が込み上げてくる。


「アレクサンドル様は立派な方だったのですね…」


 絞り出すように呟いたロズリーヌに、ヴァルター伯は優しく微笑んだ。


「そうだとも。だからこそ、レイナを守らなければならない。あの子が真実を受け入れられるようになるまで、な」


 その言葉に込められた深い愛情に、ロズリーヌはただ頷くことしかできなかった。

クラースがレイナの怒りを受け止めているのも、ヴァルター伯が全てを理解しているのも、彼らの絆が深く繋がっているからこそだと感じた。

 ロズリーヌは、レイナの悲しみを癒すために何ができるだろうかと静かに胸の中で考えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ